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芸術的経営者を追求する、江幡公認会計士税理士事務所の心のブログ

いつでもどこでも勉強できる。

 スティーヴ・ジョブスが亡くなった。その訃報を知って真っ先に脳裏をよぎったのが、スタンフォード大学の卒業式におけるスピーチだ。久々に観てみたが、いつ観ても涙が出る。そういえば、一番最後に観たのは、ベトナムで奮闘していて大変だった頃だ。その時も涙が出た。
 「(後になってから)点と点が結ばれる(結びたいと思っても結べない)」「愛することと失うこと」「死」という3つの話をしてくださった。詳細は動画を観て頂きたいが、やはり、自身の経験から絞り出された話は、説得力が違う。スタンフォード大学の卒業生への「響き方」「響く深度」はそれぞれだろう。しかし、一つ言えるのは、様々な事を経験すればするほど、彼の話がより心に響くことだろう。
 このスピーチにおける彼の名言は枚挙に暇がないが、「Keep looking, don’t settle.」「Stay hungry, stay foolish.」だけはここに記載しておこう。
 スティーヴ・ジョブス様、私は大学生の頃はMacユーザーで、現在はiPhoneを使っています。本日改めて、マーケティングとイノベーションの意味を再認識しました。どうもありがとうございました。御冥福をお祈りします。

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至誠一貫・堅忍力行

 
一、旭輝く日の本の
  光栄(はえ)ある今日のそのもとは
  義人烈士の功績(いさおし)ぞ
  忠孝仁義の大道を 
  貫く至誠あるならば
  天地も為に動きなん
二、世界にきおう列強と
  ならびて進む帝国の
  基礎(もとい)は堅忍力行ぞ
  花朝月夕つかのまも
  古人に恥じぬ心して
  ゆめ怠るな一千人
 これは某高等学校の校歌である。一部左寄りの教諭・生徒の抵抗がないわけではないが、当時の時代背景や政治思想を超越した趣旨を考慮するならば、現代にも通じる、非常にためになることを謳っている。
 恥ずかしながら、先月上旬に開催されたソフトボールの試合で左足の筋肉及び神経を痛めて以来、どうにもこうにもままならない状況が続いていた。「痛み」というものは人間の精神を疲弊させ、行動を制約する。「病は気から」というがその通りで、痛みによって疲弊した精神力では、行動にダイナミズムが無くなり、それによって精神がさらに疲弊する。幸い、東洋医学と西洋医学の両者の力を借りて、現在は収まりつつある。
 怪我の功名と言ってよいのだろうか、改めて「心身共に健康」であることの尊さを認識し、まずは数週間の後退からの立て直しと、その延長線上にある飛躍に、今取り組んでいる。そもそも、ソフトボールを満足にできないような体でありたくない。精神の源は身体、身体の源は精神。人の力を借りつつも、元はすべて自分がそれらを左右する。
 「至誠一貫」・「堅忍力行」の精神で、この時代を乗り切っていく。

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大切なもの

 お陰様で、無事に37歳の誕生日を迎えることができた。今月上旬のソフトボールの試合で痛めた足が疼くのが頂けないが、FBの功績に負うところ大きく、たくさんの方々から祝福のメッセージを頂いた。心から感謝申し上げる。
 さて、人はそれぞれ、他人に簡単には言えない何かを抱えながら生きているのが通常である。一見すると順風満帆に見え、人が羨むようなものを持っていたとしても、それはその人の一面に過ぎない。人は、関与している他人の数だけ出来事があり、ドラマがある。また、将来は「今」という点の積み重ねであり、さらに、単純な積み重ねではない以上、将来のことは誰にもわからない。しかし、「今」の積み重ねが将来の事象を招くのだから、「今」から「過去」を振り返れば、これまで自分が歩んできた「今」が現在の状態を作っているということは、およそうなずけるであろう。
 「今」も「将来」も、大切なものは、「心身共に健康であること」と「人(出会い)」である。この2つがある限り、人生は色々な意味で面白いものだ。いざという時の瞬発力のために心身を鍛えておき、しかるべき出会いに備える。その繰り返しと、それができないことの繰り返しで、人生は成り立っているように思える。

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なぜ今年は自然が日本に対して厳しいのか。

 それにしても、なぜ今年は自然災害が立て続けに起こるのか。東日本だけかと思えばそうではなく、日本全国で自然が猛威をふるっている。自然の前ではなす術はない。おとなしく耐えるしかない。
 今となって思えることだが、震災前は、「人はいつか死ぬからね。」とか「明日死ぬかもしれないからね。」といった言葉を聞いても、率直に言って、全く現実味を帯びていないし、説得力がなかったような気がする。ちなみに、自分自身も口にした事はあると思う。戦後生まれの日本人は戦争を経験していないから、傭兵にでもならない限り、普通は、自分自身の死というものに直面する機会は少ないはずだ。しかしながら、今年はどうだ。結構現実味を帯びていないだろうか。
 ここで考えたいのは、「災害等により今までよりも死が現実味を帯びてきたので怖い、どうしよう。」というネガティブな面ではなく、災害等により今までよりも死が現実味を帯びてきたのであれば、「自分のやりたいことをとことんやってみよう。」とか「慎重になり過ぎないで、ある意味大胆にやってみよう。」といった、前向きな姿勢である。
 自然とは、人間に様々な事を教えてくれているような気がしてならない。

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気にするな。

 素直に認めるほかないが、私は未熟者なので、①嬉しいことを大声で話す、②口を滑らせる・ムカッとする、③凹む・泣きたくなる、④心が熱くなる時がある。しかし、これらの点について、世の中を見渡したり(ex. 政治家の失言)、他人の一挙手一投足を観察してみたり(ex. 普段静かな人が「自分の領域」になると饒舌になる)、他人に質問してみたりすると(ex. 悩み相談を受ける)、実は、①から④は、全員がやっていることであるということが分かる。それもそのはず、それが喜怒哀楽なんだから、当たり前だ。特に、「口を滑らせる」なんて、みんなやっている。
 ただ、喜怒哀楽のうち、「怒」と「哀」を自分が他人に対してやったり、人からやられると、心が凹むことが多いようだ。しかし、そんな時は、軽く反省したら、「まっ、いいか。」と流した方がよい。悩むことによって解決するならとことん悩めばいいが、悩んだだけで解決する問題などない。負のスパイラルに入った時は、久々の登場である、以下の「四つの約束」(amazon参照のこと。)を復唱するのがよい。
1.正しい言葉を使うこと(他人や自分に対して、ネガティブな言葉を使わない )
2.なにごとも個人的に受け取らないこと(すべての事柄に対して客観的になること)
3.思い込みをしないこと(無駄な憶測・妄想はエネルギーの無駄遣い)
4.つねにベストを尽くすこと(今出来ることを実行すること )
 これまでに4回くらい読んだが、そういえば、最近読んでいない。近々読んでみることにしよう。

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正当な懐疑心

 「正当な懐疑心」というと、公認会計士の独占業務たる監査の専門用語のようだが、ここでは世間一般の事物に対する「正当な懐疑心」として捉える。
 本日は久々に、高校時代からの友人で現在は官僚のKと会食をした。こうして二人でいるのは、20年近く前、浪人の時代に、I県M市の某居酒屋K助以来だと思う。そういえば、K助にはなぜかアップライトピアノがあって、酔った勢いでピアノを弾いたものだ。光陰矢のごとし
 詳細は割愛するが、要は何が言いたいかというと、世の中の情報に対しては、もろに受けとめるのではなく、なるべく真実に近い情報と、現場の情報と、自分なりに解釈するための「正当な懐疑心」を持った方がよろしいということである。「これなくしては、真の民主主義は実現できない!」というのは大袈裟で、現在既に民主主義であるが、要は質の問題である。「先入観」もやめた方がよい。
 結局それが、自分のためでもある。

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とにかく動き続けること

 「決意を持続させることのできるのは習慣という怪物である。」とは、三島由紀夫の言葉である。何事も「習慣化」してしまえばクリアできるはず。しかし、その「習慣化」が難しい。現実的には、ちょっとでもいいから、サボってもいいから、行動し続けることが大切なのだろう。
 今日の夜は「走る」と決めていた。なんだかんだ理由をつけて走らない方向に行こうとしている自分がいたが、上記の三島の言葉をみて、行動に移すことにした。三島は自分に厳しく、自らの美学を貫くが、それでいて素朴で誠実な面もある。この演説を聞いた限りでも、そのことが伝わってくる。
 三島の話題はこれくらいにして、本日は月が殊のほか綺麗だ。走っている時に撮影した中秋の名月。CHINA文化の影響が残るベトナムでは、ムーン・ケイクを贈答し合うのだろう。シンガポールも同様。月が綺麗な日は、幼い頃の「お月見さん」を思い出す。母と一緒にすすきを採りに行き、団子と一緒に縁側に飾る。あの光景が何とも美しく記憶に残る。季節折々の行事はいいものだ。
 明日も走れるか。。。

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自分で作ってしまう自分の限界

 「自分は○○得意で○○苦手だ。」、「自分には○○は向いていない。」、「自分には○○しかない。」という言動は、自分が自分にかける呪文のようだ。特に幼い頃にかけたこの手の呪文は、その後の人生を、ある意味硬直化させることとなる。自分に呪文をかけてしまうのにはそれなりの理由があるものだが。
 私の場合、「自分はスポーツはできない、興味がない、向いていない。」という呪文をかけ続けてきた。お陰で、生きる上で結構役に立つ「スポーツマンシップ」というものが大きく欠如してきたような気がする。それはそれとして、この手の呪文について、呪文をかけるのも自分だし、呪文を解くのも自分であるということが分かった。「きっかけ」自体は「他者」が与えてくれるが、行動するかしないかは自分次第だ。
 本日、これまで自分の中では未踏の地であった所に踏み込んだ。スポーツの中でも最も苦手意識のあった球技、その中でも最も遠かった野球系だ。「ソフトボール」。その言葉を聞くだけでも憂鬱だった小学生時代。そのソフトボールへ、一歩を踏み出したのだ。友人らのサポートがあることが大きいが、不思議なもので、今は「苦手意識」はない。それよりも、「現状の自分が、どうすればチームに貢献できるか」ということのみを考える。守備も打撃も人並みから大きく外れる自分が頑張るとしたら、「気持ち」しかない。特に守備は、球に食らいつくしかない。この気持ちが功を奏したのか、セカンドとして、何度か球を受け止め、アウトを取ることができた。この期に及んでだが、本当に嬉しかった。
 試合後のビールが殊のほかおいしかったことは当然のことだが、本日の収穫は、「一歩を踏み出せば、少しは自分の限界を超えられる。」ということである。行動しないことには何も始まらないということだ。これを機に、スポーツに耐え得る身体づくりに目覚めたいものだ。

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みんな同じ

 久々にS県H市に出張し、仕事のチームの仲間が久々に顔を合わせた。内容は記載しないが、外部環境の変化は、皆に等しく何らかの影響を及ぼすということを、改めて実感した。人と会って話をすることの重要性を、改めて認識した出張だった。
 外部環境の変化が好影響を及ぼす場合、人と会って話をし、天狗になることを防げれば幸である。一方、外部環境の変化が悪影響を及ぼす場合、人と会って話をし、徒に落ち込むことを防げれば幸である。要は、何事にも、一喜一憂しないことが重要である。

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月の光

 父親が「人生最後の車を買った」という。「いつかはクラウン」だそうだ。「人生最後」と言われると複雑な想いがある。メールで画像まで送ってきたので、折角なので実家に見に行った。日本の自動車産業の技術の粋を集めた、いい車であることは確かだ。申し分ない。
 しかし、引っかかることがある。「人生最後」ということだ。人間は、引越しや大きな買い物をする等で、自分の環境が変化した時に、「違和感」のようなものを感じることがある。いずれは慣れるのだが、しかし無視できないものである。
 こんなことを考えながら帰り道の高速道路を走っていると、月が誠に綺麗であった。やさしい月の光。静寂な夜の高速道路を走る小さな存在に、月が優しく語りかけているようだ。また「ドライブ」と称して両親に会いに行こう。

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New York

 2000年9月、生まれて初めての海外一人旅で訪れたのが、New Yorkだった。2001年の9.11の1年前であり、破壊されたあのツインビルを真下から見上げたものだ。次の年にはNYが大変なことになってしまったのだから、その前年に私がNYを訪れたということは、私にとってどのような意味があったのだろうか。ちなみに、2007年8月にグラウンド・ゼロを訪れたのだが、言葉では表すことのできない、異様な雰囲気を感じた。
 さて、そのNY旅行は、貧乏旅行に徹した。まず宿泊は、日本でいえば上野のような場所の、ほんとに寝るだけの宿に泊まった。壁と天井が真っ赤で、初めはほんと落ち着かなかったが、住めば都となった。次に食事は、レストランには一切行かなかった。ほぼすべて、Deliのサンドウィッチや屋台のホットドッグで済ませた。ドリンクはコーラ。移動手段は、基本は自分の「足」。疲れたら地下鉄に乗るという程度。とにかく歩いた。
 NYには多くの素敵な建造物があるが、私が個人的に一番惹かれたのは、上写真の双頭のビルだ。セントラル・パークからよく見えるのだが、古くて巨大な双頭のビルになぜか強く惹かれ、写真を何枚も撮った。NYの記憶と言ったら、実は、この古くて巨大な双頭のビルなのである。
 そういえば、NYも秋だ。曲名はベタだが、この曲は、私が最も好きな曲の一つである。

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September

 グレゴリオ暦において四季を区切るとすれば、本日から秋になる。まだまだ暑い9月だが、着実に秋冬に向かっている。ところで、9月といえば「September」だが、この曲は、なぜ「9月」という名前になったのだろうか。「9月21日に男女が出会い、一緒に踊ったこと」以降の事が歌詞になっているようだが、それは作者の実話なのだろうか。いずれにせよ、この曲が聞こえてくるとついつい踊りたくなってしまうのは、50代の素敵なおじさまには多いようである。
 さて、たしかに私もSeptemberは好きなのだが、衣服の衣替えと同じで、音楽の聴くジャンルも自然に衣替えをする。夏はSamba、Bossa Nova、Latin系のJazzを好んで聴くのだが、涼しくなってくると、Modern Jazzやクラシック音楽が恋しくなる。これは個人的な趣向だが、仕事が終わり帰宅した平日(休日ではない)の夜に、珈琲を入れ、ソファに座り、LP版でJazzを聴く時間は、至福の時である。また、湯船につかりながら、防水性DVDプレイヤーから聞こえてくるVocalの声に合わせて一緒に歌うのも、至福の時である。Vocalと音程がピタッと合った時は最高である。
 いよいよ秋だ。やはり秋には、このSeptemberよりこっちのSeptemberの方が好きだ。

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2011年8月31日~夏の終わりに~

 グレゴリオ暦において四季を区切るとすれば、本日をもって夏は終了となる。今年の夏は暑かった。非常に暑かった。しかし、今年も積極的に暑さに向かっていった。私も愛車も熱中症(エンジンの水温が80℃に達すると非常に調子が悪くなる)になりかけながら、愛車と共に暑さを満喫した。そんな夏が終わってしまうのは、物悲しい。いや、3週間前からうすうす気付いていた。夜の音が変わっていた。だんだんと秋を感じさせるような空、虫の音、蝉の死骸。「夏の終わり」だ。夏の終わりを惜しむ恩師T教授の姿が思い浮かぶ。
 今年の夏もそれなりに行動できたが、例年の夏とは違う。大震災のことは絶対に忘れられない。頭の片隅にいつも残っている。ただ、換言すれば、いつも頭の片隅に大震災のことがあるから、休養を取っている時以外は、「今、この時間を、精一杯生きよう、楽しもう。」という発想になれるのだと思う。それと関連して、「いい意味」で「比較」ができる。幸福論⑤でも書いたが、「一見して順風満帆に見える人でも、人は皆、何かしら問題を抱えて生きている。」ということを思えば、ほんの少しでも、勇気が湧いてくるのではないだろうか。つまり、自分と他者とを比較してみて、「自分だけではない。」ということを認識するのである。老婆心ながら、「他人の芝生は青く見える。」的な「比較」は全く必要がないどころか、有害である。何事も、「社会通念上の常識」はあるとしても、「決まった形」などない。「ふつう」ってなんだ?誰が決めたんだ?「人それぞれ」のはずでしょう。
 高校時代からの友人YTが、大きな一歩を踏み出した。心から敬意を表する。私は男性ゆえ、子を持ったばかりの母親の気持ちを、多少は察することはできるものの、本当のところはわからない。ただ、勇気を持って一歩を踏み出したことは、人間として本当に素晴らしいと思う。「がんばれ!」とは決して言わない。「負けるな!」である。この曲この曲を友人YTに送る。

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FBのもたらすもの

 FBをなぜやるのか。FBをやる目的は人それぞれで、他人のやり方を否定も肯定もしない。ただ、他人のやり方に巻き込まれるのはまっぴらごめんだ。自分は自分なりのFBワールドにいたい。
 私がFBをやる目的はただ一つ。「懐かしい人に再会すること」である。FBを始めた当初は、実態がよくわからなかったこともあって、特にポリシーなくやっていたが、現在は徹底しているつもりだ。お陰さまで、本当に「懐かしい~!!!」という人と何人も再会できたし、本日は、おそらく15年ぶりくらいに、高校時代のG先輩と再会し、食事をしながらゆっくりと話をすることができた。詳細はここでは書けないが、G先輩の「マメさ」ぶりには、心底感服した。
 今の世の中は、情報があふれている。有用な情報もあればそうでない情報もある。おそらく、自分にとって不要な情報の方が多いのではないかと感じている。自分の軸をしっかり持っていないと、情報に振り回されてしまうこともあるだろう。なので、自分にとってどのような情報が必要で、どのような情報が必要ではないのか、はっきりさせておいた方が良い。そして、不要な情報を遮断する勇気が必要である。私が会計士になりたての頃、クライアントの担当者にヒアリングをしていた際、その担当者は、「整理されていない情報はゴミだ」と言い放ったことを思い出す。つまり、自分にとって必要な情報でさえ、ちゃんと整理しておかないと役に立たないのだから、世の中にあふれる情報なんて・・・。

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自律

 ありがたいことに、本日も前職の元上司K氏と面会し話をする機会に恵まれた。K氏は、監査法人の中でも頭脳派で、バランス感覚に優れ、引出しが多い方だ。いわゆるライン業務をご一緒させて頂いたことはないのだが、クライアント・リレーションシップをはじめ、我々の業界のあり方、監査法人のあり方などについて議論する機会が多かったのが不思議だ。おそらく50歳前後だと察するが、見た目がお若く、体系もスリムに維持され、御自身を律しておられるのがよく分かる。
 話の流れで、K氏周辺の独立した会計士のお話を幾つか伺った。「ここぞ」という時に備えて、毎日30分水泳をし、瞬発力を維持している方の話、(独立したK氏周辺の会計士を見ていて)30歳代は自然の流れに任せて過ごすことの効用、独立後、(図ったのか図らなかったのか)年代に応じてビジネス・ポートフォリオを変化させている会計士等々、貴重なお話をお聞かせ頂いた。
 いずれにせよ、「自律」の大切さを改めて認識した。独立すると「決まりごと」がないため、気を抜くといくらでも怠惰になることができる。怠惰な心は言動にも見た目に如実に表れる。真の「自律」した人間かどうかは、すぐにわかってしまうのである。

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 最近つくづく思うのは、体のバランスを崩す一番の敵は、「運動不足」である。「食べ過ぎ」「飲み過ぎ」よりも大敵だ。運動不足だと、内臓の動きが悪くなり、代謝が悪くなって、贅肉がつくようになる。贅肉がついて身体が重くなると、行動力が無くなってくる。まるでいいことがない。
 ここ10日くらいは、原稿を書き上げるために別の事務所に籠っていたのだが、案の定運動不足になった。しかし、そこから脱するのは自分。自分しかできない。
 そんなわけで、常に自分の体を眺めようと思い、目立つ所に鏡を置くことにした。自分の体を眺め、自分の体を知った上で、鍛えていきたいと思う。自分の体は自分で何とかするしかない。「幸せ」と同じだ。

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幸福論⑤

 なんとか締め切りまでに原稿が出来上がったので、愛車で父親と海に出かけた。猛烈な暑さだったが、その暑さを楽しむために。そもそもこんな車に興味を持つようになったのは、間違いなく父親の影響だ。アマチュアのレースもやっていたことのある、無類の車好きの父親は、私が幼い頃からレース観戦やドライブに連れて行った。当時はオイルの焼けた匂いがいい匂いとは思わなかったし、エキゾースト・ノートが心地よいとは思わなかったが、無意識下で私の体に染みついたのだろう。行きは私が運転し、帰りは父親が運転した。
 もう確信となったことで、あれこれ思い悩むことはない。それは、「今が幸せだ」ということだ。こうして共通の趣味を持つ父親と海を見に行けることは幸せだ。また、今夏も家族で墓参りに行けたことは幸せだ。ちなみに、母方の墓は、先の大震災で墓石が丘の下に落下してしまっていたが、お寺の方が拾い上げてくれたのだろう。何とか花と線香をあげられる状態にあったのは幸いだった。
 幸せはどこか遠くにあるものではない。「将来に」幸せになるのではない。誰かが与えてくれるものではない。幸せとは、自分が感じるものだ。一見順風満帆に見える人も、どんな人も、何かしら問題を抱えて生きている。問題があること自体は不幸なのではない。問題ばかりに目が行って、自分の手の中にある、自分の心の中にある幸せを感じられないことが不幸なのだ。
 どうやら、今夏も終わりに近付いているようだ。暑かったが、その暑さを体中で楽しんだ、いい夏だった。

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こだわり

 
 この別荘地のような風景、モダンなリビングは、私の高校時代の友人が経営する特養ホームである。9月にOPENするそうだ。まるで軽井沢のように木々に囲まれた、居心地の良い場所である。お盆の時期で忙しい中、丁寧に案内してくれた。
 彼は研究熱心なのはもちろんのこと、そもそも、「こだわり」の強い人間だ。高校の入学式には星条旗のような服に長髪で現れ、私の母親は今だに「赤シャツ」と呼んでいる。テニス部だった彼は、こだわりのテニス用品とウェアで身を固め、これまた目立っていた。
 そんな「こだわり」が、まさに花を開いている。その「こだわり」があったからこそ、素晴らしい施設・施設運営ができるのである。枚挙に暇がないが、檜風呂、光とりの窓、全体的に木の素材、部屋からの借景等々、とにかく細部に彼の心遣いが生きている。本当に素晴らしい施設だ。
 今後は、私も、介護業界の研究をし、介護業界に関する何らかの業務を開発していきたいと考えており、彼の存在は非常に心強いし、いつかは彼の役に立ちたいと考えている。私も「こだわり」の強い人間ゆえ、その「こだわり」を人の役に立つような形で活かしていければ幸いである。

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恩師K教諭との再会

 約10年ぶりに恩師K教諭と再会した。お互いに年をとったわけだが、以前のような会話、いや、以前の会話に輪をかけた会話になるまで、そう時間を必要としなかった。
 恩師K教諭は人生を達観している。高校生の時に既に「人に求めない」行き方を選んだという。話した話題に枚挙に暇がないが、もっとも衝撃的だったのは、パスカルの言葉である。恩師K教諭によれば、「人間は考える葦である。」などとほざくパスカルは「ケッ」という感じだったらしいが、その後、同じくパスカルの「人生は死ぬまでの暇つぶしである。」という言葉を知った時、度肝を抜かれたそうだ。私はその時初めて知った言葉なのだが、直感では度肝を抜かれたが、分かったようで分からないような言葉だ。まだまだ時の経過が必要なようだ。
 いずれにせよ、恩師K教諭のトークは御健在で嬉しかった。益々深みを増す恩師K教諭には、折を見てお会いし、人生の考察を深めていきたい。

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恩師K教諭

 私が恩師に恵まれていることについては、「学校とは」「恩師T教授」の記事で書いたところであるが、週末に恩師K教諭からお電話お頂いた。I県の方言バリバリの相変わらずの御口調で、高校時代の授業風景が蘇った。英語の先生であったが、英語の授業の記憶よりは、先生が若い頃の出来事、ニーチェやフロイトに関する考察等の話の記憶の方が強いのはなぜか。なお、写真は恩師K教諭撮影のものである。この1枚だけでは分からないが、プロ並みの腕前である。
 恩師K教諭とは、今月我々教え子数名でお会いする予定であったが、ワケあってキャンセルとなり、週末の電話会談となった。恩師K教諭も私の奥深くまで分かってくださっているありがたいお方で、短い時間であったが、熱いものが込み上げてきた。当日でもいいから、近くに来た時は声をかけてくれというお言葉は、社交辞令ではなく、本物だ。
 思えば、恩師T教授と恩師K教諭を御対面させて頂く機会があったのだが、あいにく恩師K教諭のご都合でそれは叶わなかった。いつの日か、それを果たしたいと思っている。
 2011年8月8日午前の一曲

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美意識

 
 
 夏は暑くてなんぼだ。暑い夏が好きだ。昨日は天気が悪くて愛車に乗ることができなかったが、今日は夏らしい天気だ。熱中症になりかけながら、ドライブを楽しんだ。ちなみに、渋滞中の中央道では、意識が遠のきそうになるのをこらえるのに必死だった。助手席に置いておいた先ほどまで冷たかったペットボトルのお茶は、HOTになった。
 なぜだかわからないが、今朝、白洲次郎に呼ばれているような気がしてならなかった。「武相荘に来い。」と。以前から一度行ってみようと思っていたので、早速行くことにした。今は町田市、旧鶴川村。今でこそ住宅が多いが、昔は農村だったのだろう。武相荘も元々は農家だったという。
 白洲次郎と白洲正子は、昭和15年に購入した家にコツコツと手を入れながら、それぞれの美意識に基づく家づくりをしていったそうだ。土間を改造したリビング、白いタイルの床、家具、食器等々随所に、彼らの美意識がある。他人に対する虚栄心を満たすための装飾ではない。自分達の生活を楽しむための美意識だ。「こだわり」と人が言う場合、時には「かたぶつ」「融通がきかない」「変わり者」のようなあまりよい意味でなく使う場合があるが、そういう類は放っておけばよい。そういう類はきっと、人でも物でも、こだわった事がないのだろう。何でも、良いものは、長く使えば使うほど愛着が出て、自分の一部になるものだ。また、美意識のある女性は、仕事も身のこなしも、本当に美しい。
 2011年の暑い夏。都心から少し離れた武相荘で、美意識について改めて思い巡らせた。お洒落をして、汗をだらだらかきながら、しかしクールに愛車をのることは、趣味であり、ストレス発散であり、美意識なのである。誰が何と言おうと、関係ない。

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恩師T教授

 昨晩は、知人の主宰する会食(写真は全く関係のない参考画像である)に参加した。早速、恩師T教授との約4時間にわたる会話から帰納集約した気付きを実践する機会を得た。「気付きを実践する」といっても、要は「いつもの自分でいる」ということなのだが。
 ある精神心理学者は言う。「全員に好かれようとすればするほど萎縮する。どれだけ頑張ったとしても自分のことを嫌いな人はずっと自分のことが嫌いなものだ。」と。断っておくと、既存の人間関係に何か悩みがあるわけではない。初対面か付き合いの浅い他者との人間関係構築において、実験をしているのである。①極度に気をまわした場合はどうなるか、②ほどほどに御行儀よくしていた場合はどうなるか、③いつも通りの自分でいた場合はどうなるか、④御行儀悪くした場合はどうなるか。結果、①と④は意味のないことであり、②はお互いにあまり記憶に残らないということが分かった。時と場合によるが、積極的に新たに人間関係を構築するのであれば、③なのである。たった今、これまでにこのような事をあれこれ思い悩んできたこと自体がくだらなく思えてきた。
 とはいえ、なんでもそうなのだが、時には、ある1点のことをとことん考え抜くのは必要だ。そして、あえて振れ幅のある行動をとってみることも重要である。要は、自分の頭で考え、行動すれば、おのずと答が見えてくるものだ。

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学校とは

 福沢先生によると、「学校は人に物を教うる所にあらず,ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり。教育の文字ははなはだ穏当ならず,よろしくこれを発育と称すべきなり。かくの如く学校の本旨はいわゆる教育にあらずして,能力の発育にあり……。我が国教育の仕組はまったくこの旨に違えりといわざるをえず。」とのことである。私自身、福沢先生とは別のところで、「教育」という言葉は「Education」の本質を表していない、ということを知ったのだが、確かにそうかもしれない。
 空が暗くなりかけた夏の夜に、母校のキャンパスに行った。夏休みのためか、人は疎らで、ゴミ一つ落ちておらず、整然としていた。新築の近代的な校舎はモダンで、学生には堪能できない粋な場所もある。その粋な場所で、大学時代のゼミの恩師T教授と待ち合わせをした。思えば、自分は恩師に恵まれてきた。正確に言うと、小学生時代はあまり恵まれていないのだが、基本的に恵まれているのだ。とりわけ、高等学校・大学では、素晴らしい恩師に出会うことができた。
 T教授には、授業やゼミはもちろんのこと、論文(卒論ではない)のご指導まで頂き、大変感謝しているのだが、自分にとって一番ありがたいのは、「自分のことをよく知ってくださっている。」ということだ。今回お会いして話をした中での私にとってのキーワードは、「自分の○○な面を認識すること」「自分が正しいと思わないこと」「自分はspecialで異常だと思うこと」「自分の考えを他人に押し付けないこと」「上から目線」「下から目線」等々。もっと凄いのは、T教授によると、「君は、自分が『Xである』ということに気付いていない。仮に『Xである』ということに気付き、悩んだとしても、心の底から『Xである』ことをやめようとは思っていないので、ずっと『Xである』ままでしょう。それが君だ。」と。そこで、上記のキーワードが必要となるのだ。
 深い・・・。
 「ある物事についてあれこれ思いを巡らせても仕方がない。自分自身を知ることが最も大切なことだ。自分自身を知ったら、その知った自分をもって、人と接することだ。」という結論を、自分なりに出しました。

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「綺麗に纏まろうとする事」の効用

 「人間の成長は必ずしも年齢に比例しない。」、もっと言うと、「人間は同じ失敗を繰り返すことがある。」ということを、ある架空の警部が教えてくれた。人に迷惑がかかることや、工夫すれば防げるような技術的な失敗を繰り返すのは善くないが、もっと大きな視点で、生活の流れというか、人間関係の流れというか、仕事の流れというか。中長期的な「流れ」の中では、同じ失敗を繰り返すこともあるのではないだろうか。
 逆に言うと、「1回失敗したのだから次は綺麗にまとめなければならない。」という想いは、分からなくもないが、時には過度のプレッシャーになり、自分の力を十分に発揮できない。失敗を正当化するわけではないが、要は「自分の力を最大限出すため」の条件として、失敗について思い悩むことにどれだけの価値があるかについては、その都度考えた方がよいと思う。結局は自分との闘いなのだから、自分のネガティブな面に固執してしまうと、結果が出ないのではないだろうか。これは、あるアスリートが教えてくれた。

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2011年8月1日

 小学生の頃、夏休みは7月20日頃に始まり、8月31日に終わる。8月1日というのは、夏休みの4分の1が経過した「だけ」とも思えるのだが、楽しい夏休みの時の経過は殊のほか早い。以前から、8月に入ると、気が早いが、夏の終わりを意識せざるを得なかった。だから一層、暑い夏を楽しもう、記憶に刻もうと思うのである。
 先日、高校時代からの友人Tと食事をした。思えば1年ぶりの再会だ。彼の凄いところは、「ダジャレ」を言い続けているということだ。実は私も、高校時代には、Tと競うようにしてダジャレを垂れ流しており、数々の関係者に迷惑をかけたと反省している。ところがTは、現在も職場でもダジャレを垂れ流し、ダジャレコンテストで全国4位にまで上り詰めたというのだから、筋金入りだ。何事も、動じずに続けるということは、尊い。
 ところで、Tから、私のこのBLOGをやる目的について質問を受けた。他の関係者からも同様の質問を受ける。心がけているのは、①個人的な日記に終始しないこと、②虚栄心を満たす手段にしないこと、の2点であるが、何のために続けているのか。
 思えば、このBLOGを見てくださっている方々は、おそらく、私の既知の友人・何らかの関係者のみである。ありがたいことに、毎日20人前後(同じ人が1日に複数回訪れることはカウントしない)の方が見てくれているのだが、2年近くやっていて、今ふと思ったのは、そうした皆様に対する私からの「お便り」であるということだ。「今、自分がどうしているか、何を考えているか」ということを、等身大で見て頂く。BLOGはOPENなメディアゆえ人に迷惑がかからないよう、しかしこれからも地味に、綴っていこうと思う。

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Nコンの季節

 今年も、歌の力によって、子供達からエネルギーをもらう。こちらは一生懸命応援する。
 Nコン全国大会の観覧の応募について、8月下旬に詳細を発表するそうです。ピュアな子供たちの合唱には、本当に感動しますよ。
(参考)高等学校の部の課題曲:「僕が守る」

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本音ベースの気持ち

 「夏になんか乗ってられないよ。」、「夏になんか乗ったら馬鹿になるぞ。」と私に散々言っておきながら、今年はこの猛暑の中決行となったツーリング。いや、普段はこんな感じでいいのである。私にとっては唯一の車であり、真夏でも真冬でも、天気が良ければ意地でも乗る。ちっとも快適ではなく、面倒臭いのがたまらない。これは「趣味」と言っていいと思う。反復継続的に続けているものであり、かなりのエネルギーを注いでいる。これは「趣味」だ。
 とにかく暑かった。中禅寺湖の山の上の方は多少涼しかったが、下界は駄目だ。日差しが厳しすぎる。それでも意地になってオープンにして乗っていたのだが、気がつくと、両腕が大変なことになっていた。日焼けを通り越して火傷だ。40度のお湯が痛い。つくづく、自分は馬鹿だと思う。しかし、これでよいと思っている。自分がよければそれでよい。
 オジサマ方も、「暑い、暑い。」と言いながら、何だかんだ言って、楽しんでいるのである。そういえば、大御所のMさんは、「朝食ったか?」と言って、お手製のサンドイッチをくださいました。5:00AM集合だったから、何時に起床されたのだろうか。

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ROMANCE~百聞は一見に如かず~

 私にはあるトラウマがあって、いわゆる「球技」には親しんでこなかった。そのトラウマだけが原因ではなく、そもそも、スポーツよりも音楽の方に強く興味を持っていたということが大きいのだが、いずれにせよ、球技には興味を持たないで大人になった。そんな私も、昨年にゴルフを始めたわけだが、球技の最たるものである「野球」なんてものは、やはり興味がなかった。一方で、高校時代の仲間は、草野球チーム(ソフトボール)を結成し、もう10年近く活動しているのではないだろうか。球団名は「ROMANCE」。上記の通り、私は野球に興味がなく(というより、「どうせ自分には向かない」と諦めていた節もある)、1回も顔を出したことがなかった。
 ところが、何が私を駆り立てたのか分からないが、今回は「とりあえず観戦してみよう。」と思えたので、重い腰を上げて芝公園の球場へ向かった。ナイターだ。写真のように、東京タワーが見えて、木々の緑もあり、そこにいるだけで気持ちがよい。そして、ユニフォーム姿の友人たちが凛凛しく、頼もしい。プレイボールになると、観ているだけでもわくわくする。一方で、自分が勝手に思い込んでいたほど、皆が卓越した運動技術を持っているわけではない(失礼な話だが、友人達もそう言って私に参加を促してくれた)。「これならやれる!いや、自分もやってみたい!」。心の底からそう思えたのだ。
 やはり、百聞は一見に如かずだ。「思い込み」は自分の可能性を狭めることにつながる。しかし、今からでも遅くない。形から入る私は、早速ユニフォームを注文する。自分も次回はプレイする。こうして今後も自分の可能性を広げていくつもりだ。

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ときわ荘

 今となっては10日近く前の事になるが、事務所の配置換えを行った。不要になったかなり大きめの本棚を1つ潰したりしたので、結構な肉体労働になった。夏の暑い盛りである。疲れた体は何かを欲している。その日はさっさと仕事に見切りをつけ、17:00から渋谷の東急本店の屋上のビアガーデンで、皆で1日の労を労うことにした。
 日中はかなり暑かったものの、夕方になると多少涼しくなった。特に百貨店の屋上は天井がなく風が抜けるので、気持ちの良いものであった。(おそらく)SIDAXが経営しているだけあってメニューや値段もリーズナブルで、なかなかのビアガーデンだった。肉体労働の後のBeerは、私はもちろんのこと、皆さんもさぞかしおいかったことだろう。一方、疲れた体で頂くBeerは殊のほかまわりが早い。
 「家族」を「共有してきた時間」「共有した記録」と定義する方がいる。個人的には、実にわかりやすい、現実的な定義だと思う。この点、会計士が事務所を共有するのも、ある意味、家族のようなものだ。それぞれ独立してやっており、事務所スペースと一定のルールを共有しているというのが基本だが、もう少しウェットに考えれば、時間と折々の記録を共有していると言える。ある意味、「ときわ荘」のようなものだ。
 彼らの存在に感謝し、これからも彼らを大切な存在として考えていきたいと思う。

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租税法

 東京税理士会の「登録時研修」というものがある。税理士登録時に受講するものだが、この度ようやく受講するタイミングを得た。弁護士の先生による租税法のそもそも論が大変ためになった。備忘を兼ねてキーワードを記載しておく。その言葉自体は初耳のものはないが、実務に活かしているか否かが重要だ。
✔憲法14条・30条・84条
✔租税法律主義
✔租税公平主義
✔リーガルマインド(訴訟(=裁判官の思考回路)を意識した実務)
✔租税法・法解釈(判例・学説)
✔課税要件
✔事実認定
✔あてはめ
✔税務調査(=質問検査権)には手続法がない→必要性・納税者の同意
 私見だが、無試験で登録した公認会計士は、税法自体の暗記・手続的なことはあまりやっていないのでそれらの点では勝負せず、上記のようなそもそも論こそを勉強した方がよいと思われる。また、会計士には理系の頭も必要だと言う意見について、それはそれで理解できるが、上記のようなリーガルマインド等を含め、まずは文系をしっかり勉強する必要があると思われる。

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困難が好き

 例によって、本日はいつもの一人美容室Kへ行って髪を切った。美容室での会話というと、通常は、申し訳ないがうわべの会話となるが、一人美容室Kではうわべの会話はしない。時には険悪な空気が流れ、空気がぴんと張るくらい、意見をぶつけ合うことがある。なにせ、美容師K氏は独立して20年以上、筋金入りの元●●●●だ。
 結論から言うと、本日は元気を頂いた。ここ3日間は「漠然とした将来への不安」みたいなものを感じちゃっていたのだが、あくまで「漠然とした」ものであり、むしろたちが悪く、気分が冴えなかった。ところが、本日の会話で、プライベートのこと、仕事のことで、最近まとまりがなかった想いが整理されたのだ。彼は言う。「困難が好きだ。」と。「困難な状況で自分の真価が問われる。」と。困難にぶち当たった時、彼は、「この仕事辞めたいかい?宅配便のバイトをやるか?サラリーマンになるか?」と自分に問いかけ、気持ちを新たにするのだそうだ。さらに、「この状態(=独立)は、誰にも出来ねえよ。俺は困難が好きだ。やれるなら(いまやっていない他の奴らも)やってみろ。」と。善い悪い、誰が正しい正しくないの話ではなく、「自分の信念を貫けるか」にかかっている。
 また、チャンスが到来した時にそのチャンスをものにできるよう、常に自分を磨き続けることの重要性を再認識した。つまり、チャンスが到来した時に、チャンスをものにできる「状態」を維持するということだ。健康、経済力、仕事の能力等々枚挙に暇はないが、要は、普段から自分を高めるということだ。
 「人と会うこと」は、心の栄養になることが多い。「人間力」とは、「人の間の力」とO氏は言う。「人」は面白い。

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ジタバタしなくてよかった...煽るのはもっとよくない...

製造業界の不満爆発で大逆転
IFRSの強制適用を先送り
(「週刊ダイヤモンド」編集部 池田光史様)
 自見金融相は6月21日、2014年度からのIFRS強制適用を見送ると正式に発表した
 「2014年度からの強制適用はしません」
 日本ではもはや“既定路線”と見られていたIFRS(国際会計基準)の強制適用が見送られ、大きな波紋を呼んでいる。6月初旬、来日していたIFRSの総本山、IASB(国際会計基準審議会)のデービッド・トゥイーディー議長に対し、自見庄三郎金融相がそう断言したというのだ。
 あわてたのは金融庁の幹部たち。それもそのはずで、すでに09年6月に公表した企業会計審議会中間報告において強制適用の可能性を盛り込んでいたし、実際には今年度中に判断、3年間の準備期間を経た14年度から強制適用するつもりで動いてきたからだ。
 形勢が逆転した最大の要因は、米国のスタンスが一転したことだ。08年には、米国も14年からIFRSを段階適用していくことを打ち出していたが、今年2月には適用開始時期を1年延長、5月には米国会計基準も残す案を示し、「明らかにIFRS適用から後退した」(大手監査法人幹部)からだ。
 これを足がかりに勢いづいたのが、強制適用に反対する製造業を中心とした産業界。反対派の急先鋒と見なされている佐藤行弘・三菱電機常任顧問がまとめ、金融相や経済産業相らに提出した要望書には、新日本製鐵やトヨタ自動車、キヤノンといった大手製造業の名がズラリと並ぶ。
 さらには日本経済団体連合会企業会計部会長でIFRS推進派の島崎憲明・住友商事顧問がそのポストからはずれたことも「反対派に追い風となった」(関係者)。
 加えて、「国民新党の自見さんは、時価会計のIFRSを小泉・竹中路線の一環だと思っているフシがある」(政府筋)。こうした政治的な思惑も重なり、震災の影響を口実に突如、“反IFRS”に舵を切ったというわけだ。
 確かに産業界からは、かねて金融庁の強引なやり方に対する不満の声が上がってはいた。IASBの理事ポストを1席得ていた金融庁は、「なんとしてもポストを死守するために強制適用を実現したかった」(金融庁関係者)。
 前出の佐藤氏も、「米国でもどの項目を近づけるか見直しが進むなか、日本ではまだ議論が十分なされたとはいえず、14年度からの強制適用など間に合うはずがない」と強調する。
 金融庁は月内にも企業会計審議会を開催、IFRSを強制適用する場合でも5~7年の移行期間を設ける方針。だが見誤ってはならないのは、IFRSをめぐる欧米の駆け引きだ。仮に米国がIFRS適用を見送っても、米国基準がIFRSと同様“世界基準”に位置づけられるのは間違いない。
 だが、日本は違う。市場は日本基準のまま開示する企業を“二軍”と見なす可能性が高く、引き続き欧米の動きを注視することが求められる。

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スタンバイ & いつでもできること

 「いざその時(=チャンス到来)」の力となるのは、心身ともに健康と基礎的知識である。ある意味、受験対策と同じかもしれない。変に応用問題ばかり手を出して基本がおろそかになれば合格できない。「食」や「情報」に関して言えば、世の中には、安かろう悪かろうのものが氾濫しすぎである。そんなものにはお金を出したくない。
 というわけで、「なるべく」、自炊と運動を心がけている。特に週末はコントロールしやすいので、自炊と運動。昨日から夜の30分のウォーキングを始め、今日で2日目だ。いつでもできることを、いつもやり続けるのは、自分との闘いである。最近つくづく思うのは、あらゆる事象が結局は「自分との闘い」に収斂していくということだ。っていうか、そうなる生き方を選んだのだから、当たり前なのかもしれないが。

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どんどん捨てろ。

 中学生の頃の情報収集手段としてお世話になった「Hot-Dog PRESS」。主にファッションに関する情報を仕入れていたのだが、一方で、北方謙三さんの「青春相談 試みの地平線」も楽しませて頂いた。とにかく、相談してくる悩みと、その悩みに対するアドバイスがしびれるのだ。時には、そのアドバイスを受けた相談者はさらに悩んでしまうのではないだろうか、と思われるようなアドバイスもあったものだ。
 さて、以前からやろうと思っていたことを、BOOK OFFさんの力も借りて本日遂行した。北方謙三さんから「どんどん捨てろ。」とのお告げがあったかのように。本はどんどん陳腐化する。特に専門書はしかり。ずっと持っていても意味がない。辞書的に使える本やバイブル的な位置付けの本なら持っている価値はあるだろうが、それ以外のものはさっさと処分してしまった方が良い。大体、本を買う時は、絶対に必要だからその本を買うことよりも、興味本位で買う事の方が多い。だとしたら、興味心を満たしたならば、エッセンスをノートにメモするなどした後に、その本を処分するのが良いだろう。
 自分の場合、本購入の出費は惜しまないのだが、それにしても、財布の紐が緩すぎたことを反省している。「もっと自分の頭で考えないと。」と感じている。本以外のモノに関してもしかりだった。必要なもの、使用頻度の高い物は、もう決まっている。自分の趣向は十分知りつくしている。体の肉もモノもリストラが必要であり、これからどんどんリストラをしていくつもりだ。

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30%以上の共感があればよい。

 ある程度長い期間人と付き合っていると、その人の良いも悪いも見えてくるものだ。出会った当初はお互いに緊張し、気を遣い、一定の距離を保とうとする。ところが、時の経過に伴い、いい意味でも悪い意味でも、「慣れて」しまうのだ。「慣れ」は、時として「甘え」に繋がる。「甘え」が絶対に悪いとは言わない。時として甘えられるのもいいものだし、自分だってどれだけ人に甘えてきたか。ただ、「甘え」が度を超すと、人間関係がぎこちなくなってくる。ぎこちなくなって耐えられなくなった人間関係は、いずれ終わるし、終わりにすればよい。
 この点、最近の気付きは、「商売」が絡んでくるとそうはいかない、というか、そう悪くもないということだ。商売上もプライベート上も長年付き合っていると、お互いに、自分の状態によって「甘え」が見え隠れするものだが、ある一時ぎこちなくなったとしても、修復されることが多い。これは、お互いに、商売上の微妙な計算をしているからに他ならない。ただ、それは決してドライなものではなく、自分のしでかしたことに自ら気付き、反省し、修復することを「選択」したということだ。
 これまでの記事で、善い悪いの二元論で物事を判断することの危険性について述べてきたが、人間力に関する師匠O氏によれば、「人間関係において、30%の共通点・共感があれば、よしとしようではないか。」ということだ。その通りだと思う。それ以上を求めるのは人に期待しすぎであり、ろくなことにならない。独立すると、この辺のことが非常に勉強になる。

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人と仕事をするということ

 独立前は営業などしたことがなく、ひたすら実務の遂行だった。その後独立し、なんと、ベトナムという異国の地で営業をすることになった。思えば、この異国の地での経験が今の自分には大きい。そりゃあ、営業をしてすぐ仕事に繋がれば嬉しいが、そういうケースはごく稀だ。
 そんなことよりも、「営業」を単なる受注ルート開拓と考えない方が良いように思える。私なりに考えているのは、「営業」は、「人と会って話をすることにより、その時間と情報を共有し、結果として仕事があれば、嬉しさはひとしお。」ということを経験することだ。大学生の時、就職活動中の先輩の女性が、「就職活動は楽しい。」と仰っていたのが印象的だ。その先輩は結果的に超優良企業に就職した。その先輩の就職活動に対するそのようなスタンスが良い結果を生んだのではないだろうか。一方、「ナイト・セールスで~す!」などと言って夜にマンションなどの営業をしてくる営業マンが世の中にはいる。どこかで名簿を手に入れ、数で勝負しようとしている方々だろう。悲しくなる。
 さて、嬉しいことに、久々に以前いた会社の上司とお会いしたのだが、まず嬉しいのは、辞めていった者に対しt、お忙しい中時間を割き、会って話をしてくれたということだ。会ってくれた理由は本人にしか分からないが、以前一定期間一緒に仕事をしていたことが理由であることは否定できないだろう。1時間半も話をさせて頂いたが、なんとも嬉しい限りである。今日のこの出来事ひとつとってみても、「仕事」とは、非常に奥の深いものである。

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覚悟と行動

 ここ2ヶ月ほど、遠洋漁業のようなスタイルの仕事をしていたため、生活スタイルも画一化し、思考が停止していた。Blogを書く時間自体はあったのだが、どうもBlogを書く気分にならなかった。思考停止で「思うところ」がないのだから、やむを得ないと言えばやむを得ない。ようやくほぼリリースとなったが、気が付けば暑い夏となっている。今週は、午前中は客先にいることが多いのだが、移動だけでも体力が消耗するくらい暑い。例年の6月はこんなに暑かっただろうか。電力の需給が気になるところだ。
 思考停止していたと言っても、潜在的には思考していた。2ヶ月の遠洋漁業の生活スタイルとはいえ、そんな生活の中でも様々なことが起こった。つくづく実感したのは、公認会計士を取り巻く外部環境の変化の速さだ。10年くらい会計士をやっているが、新人の時はもっと牧歌的で変化のスピードは今よりも遅かった。ところが、特にここ3年の変化のスピードは尋常ではない。安心して乗っかっていられるものなどない。自然現象に例えれば、それまで何十年も氷河たりえた山の氷河が、気温の上昇により溶けだし、もはや氷河たりえなくなったかのようだ。溶けだした氷河の上にずっと座っていたのでは、氷河がいずれ溶けてクレバスに落っこちてしまう。我々の仕事は、クライアントの状況に左右される。平たく言えば、クライアントが儲かっていれば我々も潤うが、クライアントが厳しい状況にある場合は、我々も厳しい状況になる。最悪のケースでは、その仕事を失うことにもなる。
 以上から、もはや今後は、外部環境は刻々と変化するのだから、現時点では好調な商売も、またたく間にコモディティ化する。もう時代が違うのである。「北の国から」で大金を失った黒板五郎が言っていた。「すっかり忘れていた大きなものを俺は見つけた。金があれば金で解決する。しかし、金がなければ、知恵だけが頼りだ。知恵とてめえのパワーと。」と。なんとたくましく大きな男だろう。彼の言うことは、まさに現在の状況に当てはまる。今後生きていくためには、常に自分の知恵とパワーを頼りにしながら、自分を磨いていくことでしか対応できない。この覚悟と、具体的な行動ができるか。要は自分との闘いである。この自分との闘いに勝つか負けるかは、要は諦めるか諦めないかだ。これは善い悪いの二元論ではない。どちらでもよい。負けたのなら、負けた自分を受け入れ、「負けた」ということを重々認識の上、新たな道を模索すればよい。ただ、どうせなら勝ちたいものだ。自分との「いい」闘いをするため、心身ともに健康に配慮し、闘っていきたいものだ。
 さて、今日も朝から暑いが、これから客先に出向くこととしよう。

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いい言葉①

 『行き詰まるから、新しいことができる。』
その通りかもしれない。ある先輩会計士S氏も、ある意味同様のことを仰っていたのを思い出した。不退転の決意で、崖っぷちに立てば、そこから脱するしかない。秋元康氏は、「壁は乗り越えるのではなく、壁に沿って走り続けろ。」と仰っていた。
行き詰まりはチャンスだ。

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Dream a little dream of me

 JAZZピアノの演奏技術習得に奮闘している。結局のところ、Codeを知っているかどうかだ。あとは、音の押さえ方のセンスだろうか。とりあえず、楽譜を見ないで、気に入った曲を繰り返し何度も何度も聴いて、自分の耳を基にCodeを探るのだ。夜中に練習することが多いのだが、Code進行に行き詰ると、殊のほかストレスが溜まる。夜中にそんなことをやっているのだから、暗いと言えば暗い。しかし、いつか、どこかのラウンジで演奏することを夢見て。
最近ハマっている曲は「Dream a little dream of me」です。PianoとVocalの主は、おそらくSingaporianの子供だと思うが、センスがよいのにびっくり。
歌詞も↓。
Stars shining bright above you
Night breezes seem to whisper I love you
Birds singing in the sycamore tree
Dream a little dream of me
Say nighty night and kiss me
Just hold me tight and tell me you’ll miss me
While I’m alone and blue as can be
Dream a little dream of me
Stars fading but I linger on dear
Still craving your kiss
I’m longing to linger til dawn dear
Just saying this
Sweet dreams til sunbeams find you
Sweet dreams that leave our worries behind
But in your dreams whatever they be
Dream a little dream of me
Sweet dreams til sunbeams find you
Sweet dreams that leave our worries behind
But in your dreams whatever they be
Dream a little dream of me

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わかってしまうこと。

 人間は分かりやすい。一見するとムズカシイ人もいるが、その言動の意味を素直に捉えてみれば、分かってしまう。人は自分が安定していなくてイライラする時、何かターゲットを見つけてそのターゲットを攻撃することがある。ターゲットが「自分」の場合もあるし、「他人」の場合もある。「お陰様」「そういえば自分も・・・。」という気持ちがあれば、人を攻撃しないはずなのに。。。わかってしまうのである。
 自分の周りでも、やはり大震災の影響なのか、イライラしている人が多いと感じている。イライラすると、やはりはけ口が欲しいのでしょう、なんだか感じの悪くなる人がいる。要は気性に波のある状態である。自分は肩肘張っていないつもりで、どんな組織(2人以上の集団)に属しても同じキャラクターになる。そのせいなのか、良いも悪いも、周りの人たちは素直に感情を吐露して「くれる」人たちが多い。いちいち気にしていないのだが、その都度思うのは、「あぁ、何かにイライラしているのだな・・・。」ということだ。「ゲーム理論」における一種の「ゲーム」をやっているのだ。その「ゲーム」には「カモ」が必要だから。わかってしまうのである。
 そういう場合は、全否定をせず、肯定もしないのが一番だ。のらりくらりと。

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『不安』に気付き、『不安』と向き合う

 東日本大震災発生から2ヶ月が経過した。原発事故解決のPLANが発表された矢先に、第1号機におけるメルトダウン、作業員の死亡等、ネガティブな事象が発生している。身近な例では、体調を崩している方が結構いる。咳がひどい人、胃腸の調子がよくない人、いらいらしている人。いずれも、何らかのストレスが影響していることは間違いないだろう。そういう私自身も、気を抜くと過食気味になっている。特に甘いものやこってりしたものが食べたくなる。
 ストレスは『不安』につながると言っても過言ではないだろう。上のイラストのように、頭を抱え込むほど『不安』が顕在化している場合もあれば、無意識の『不安』がある場合がある。私はたまに愚問をする。知り合いと話をしている時に、「いま何か『不安』なことはある?」と。世間一般の『不安』要素を素直に答える人もいれば、意外と多いのが、「いや~、別に『不安』はないかな~。」という答えだ。
 そういう自分は、仕事の関係で最近は規則正しい生活を送っており、『不安』を感じない時間が多かった。その仕事に取り掛かる前は結構『不安』にやられていたのだが、いまはそうではない。不思議に思ってちょっと考えてみたのだが、『環境』がそうさせているということが分かった。ほぼ思考停止となっているのだ。環境はやはり重要である。独立開業をすると、ある意味、『不安』と一生ともにしなければならない。それは言いかえれば「生きているということの実感」なのであるが、あまり色々と考えてしまうと委縮する。動きが鈍くなる。やってできないこともない事でも、やれなくなってしまう。
そういえば、
①寝起きが悪い
②行動に移るまでのアイドリングが長い
③集中力が持続しない
といった現象は、すべて『不安』からきているのではないか、という気付きもあった。しかもその『不安』は、まだ顕在化していない、未来に関する『不安』なのであるから、たちが悪い。何か解決しなければならない事件が起こり、それに関して『不安』な場合は、むしろ自然にモチベーションが上がり、自然に行動に移るものだ。そういう時の方が、解決に向けて頭が回り、行動力があるものだ。間違いない。
 そうすると、未来のことに関する漠然とした『不安』は、考えても仕方がないし、考えない方がよいという結論に至る。あれこれ思い悩む前に、一歩を踏み出すことが大事だ。一歩を踏み出してしまえば、クリアできるはずだ。

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Debussy, Claude Achille

 高校生の頃から大好きなドビュッシー。「月の光」がどうしても弾きたくて、数ヶ月かけて独学で練習し、弾けるようになった。心を込めて弾く月の光に、自分で弾いて自分で涙したこともあった。ところで、ドビュッシーの音楽は大好きだが、ドビュッシーの人となりは全く知らなかったことに気付いた。たまたま、いつも参加させて頂いているO氏のクラシック音楽講座でドビュッシーを取り上げると言うので、参加させて頂いた。時代背景、女性遍歴とともに、かなり勉強になった。ますます好きになりそうだ。
 1862年フランスの サン=ジェルマン=アン=レにて商家の長男として生まれた。家系に音楽家はなく、音楽教育は9歳の時(1871年)にポール・ヴェルレーヌの義母モテ・ド・フルールヴィル夫人から本格的に始まった。翌1872年、彼が10歳の時にパリ音楽院への入学が許され、13歳のころにはピアノコンクールで一等賞を獲るなど頭角を現す。1880年(18歳時)、パリ音楽院のピアノ伴奏クラスで一等賞を獲得し、チャイコフスキーのパトロンでもあったメック夫人のピアノ伴奏者となる。さらに声楽家モロー=サンティ夫人の伴奏者となり、さらにヴァニエ夫人と知り合って、一般教養や文学、歌曲に対し多大な影響を受ける。1884年22歳の時にカンタータ「放蕩息子」がローマ大賞を獲得し、翌1885年(23歳時)にイタリアへ留学。しかし、そこでの生活に飽きたために2年で帰国。
 その後次第に象徴派の詩人たちとの交流が深まる。1889年(27歳)、パリ万国博覧会で東洋の音楽に接し、衝撃を受ける。1894年「牧神の午後への前奏曲」を完成させ、印象派の扉を開く。1905年(43歳)、リリー・ドビュッシーと離婚し銀行家夫人エマ・バルダックと同棲、愛娘クロード=エマ(シューシュー)誕生。 1914年7月、第一次世界大戦勃発。1915年(53歳)、癌の手術を受ける。1918年3月25日(55歳)、直腸癌のため死去。11月に第一次世界大戦終結。
 ドビュッシーの音楽は、古い伝統的なスタイルの殻を破り、自由に光と影が綾なす色彩に音楽を開放した。このことは伝統的な、すなわちドイツからの影響を受けたものとは相反することとなった。次第にワーグナーに敵対心を持つようになり、後年勃発した第一次世界大戦により、彼のドイツ嫌いは決定的となった。1911年(49歳)にストラヴィンスキーに出会い、彼を含め後世に多大な影響を与え、今では現代音楽の始祖と呼ばれることを不動のものにしている。

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南会津で思う

 山肌にはまだ雪が残る南会津。なんとものどかな風景。ここがあの福島とは思えないのだから、なんとも複雑な心境である。
 本日は、車の愛好家達と、この南会津で農業を営んでいる同じく愛好家Iさんの自宅を訪ねた。5:00AMに蓮田SA(下)で待ち合わせだ。本来は5月1日の予定だったそうだが、あいにくその日は天候に恵まれず、本日になった。9:00PMには眠りにつき、2:30AMに起床した。自宅から蓮田SA(下)までは30分強。少し早めに起きたので、家事を一通り済ませた。
 愛好家の皆さんとツーリングに行くのは正月以来だ。最近は仕事が立て込んでおり、リラックスする機会がなかったので、とてもよい機会だ。なにより、愛好家の皆さんと車談義をしたり、冗談を言いながら過ごすのは楽しい。愛好家のみなさんには、いわゆる「一人親方」のような方が多く、多くを語らずとも勉強になることは多い。Iさん宅に到着すると、ありがたいことに、既にバーベキューの準備がしてあった。マトン、地元特製のタレ、地元の野菜等々。残念ながらビールは飲めないが、とにかくおいしくいただいた。
 思えば、ここは福島県。とくに被害のひどい浜通りとは状況が全く違い、のどかだ。どのように表現して良いかわからないが、この差は何なのだろうか。
 いずれにせよ、本日はリラックスさせて頂いた。ありがとうございました。

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自分を磨く

 以前の記事で、お世話になっている美容師Kについて書いた。本日もその美容師Kさんに髪を切ってもらった。予約時刻よりもかなり早めに行くと、Kさんはエクササイズをしていた。本当は走りたいのだが、日中は仕事があって走れないので、仕事場でエクササイズしているという。とにかくストイックな方だ。
 ところで、その美容室に行くと、なんとも懐かしいドラマを放映していた。なんと「積木くずし」だ。小学生の頃に観たきりだが、当時恐怖を感じたドラマの一つだ。恐ろしくて仕方がなかった。そして、美容師Kさんは元暴走族だ。本人曰く、悪事をやり尽くし、その挙句誰からも注目を浴びなくなったため、つまらなくなってまともな世界に戻ったそうだ。
 Kさんはとにかく自分に厳しい。20歳代で独立開業してかれこれ20年以上になるので、独立開業した個人事業主の大先輩だ。Kさん曰く「これまでに空気を読んだことはない。やりたいようにやってきた。その代わり、誰かに頼った事はなく、また、他人から付け込まれないよう、ストイックにやってきた。」と。「Kさんはほんと自分に厳しいですね~。」という私の言葉に対して、「え~、そうかな~。」と言うのだから、Kさん御本人にとっては「当たり前」のことなのであろう。
 自分でもよくわかっているが、自分はまだまだスキだらけだ。仕事に関しては、コラボレーションはあるとしても、意識的にも無意識的にも、「頼る気持ち」を一切持たないことに決めた。Kさんは「独立した以上、ライオンであり続けなきゃ意味ないよ。王様だよ、王様。」と言う。確かに、それくらいの気持ちでないと、独立は成功しないだろう。気持ちを新たにしたひとときだった。

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桜から学ぶ

 やっとこの地に来ることができた。やっとこの目で見ることができた。被災地の中でもあまり注目されないが、相当程度の被害のあったM市。瓦が落ち屋根がブルーシートで覆われた住宅が散見され、補修済みとはいえ道路の陥没が甚だしい。昔通った幼稚園の教会の塔は無くなっていた。3月11日の凄さが伝わってくる。
 M市は比較的北に位置するので、東京よりも桜の開花が遅い。昨日NHKでM市で桜が開花したというニュースがあったので、どうしてもこの目で見たいと思っていた。両親を誘い、見に行った。そこは「桜川」という名の川沿いの土手だ。とにかく素晴らしい桜だった。涙がにじむ。震災があって人々の心が落ち込んでも、時期が来れば桜は咲く。自然は立派だ。
 そんな桜から、どんな状況にあってもやるべきことを淡々とやる強さを学びたい。

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当たり前のことから生まれる何か

 お恥ずかしいことに、4月8日に歯医者を予約していたにもかかわらずすっかり忘れてしまい、本日改めて予約を取り歯医者へ行った。いつもお忙しい院長先生に担当して頂いているので、心から申し訳なく思い、治療の前に心から謝罪の気持ちを伝えた。
 すると、院長先生は「ああ、いいんですよ~。」と言って、いつもどおり治療に取り掛かった。というか、いつも以上に丁寧に治療をして下さった。席をちょっと離れた際にたまたま院長先生の顔が見えたのだが、真剣そのものだ。
 こんな日常の出来事なのだが、心がすっと楽になった。おそらくだが、心からの謝罪が院長先生の心に届き、院長先生のモチベーションがいつもよりも上がったのだろう。つまり、「ストローク」ができたのだ。「ありがとう」「ごめんなさい」は当たり前のことなのだが、日々できているとは限らない。忘れてしまったり、何かがひっかかってできないことがある。その結果、人間関係に歪みに生じることがある。逆に、その当たり前のことができていれば、人間関係は良好であるだろう。そんなことを学んだ一日だった。

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海の恵み

 今週は期日の迫った仕事がない。そして天気が良い。思い切ってOFFにし、大磯へ向かった。目的地は大磯プリンスホテル。大学生の時の自分には高根の花だったが、主にデフレの影響や競争激化等で経営が厳しくなったのだろう、非常にお手頃なプランがあることを発見したのだ。しかし天下の「プリンス」であることには変わりはない。
 とにかく「ゴロゴロ」することに決めていた。昼間から酒を飲むことに決めていた。DVDや本をたくさん持ってきた。オーシャン・ビューの部屋から見る海は格別だ。思えば、震災直後は仕事の予定が詰まっていたので考え込む暇などなかったが、仕事が一段落した3月末頃から、どうも気持ちが冴えなかった。割りたガラスのように、心が散乱している感覚があったのだ。
 そんな時は、海を見に行くとよい。海が大きく包んでくれるに違いない。

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宮城出身お笑い芸人座談会 x 東京都知事選 x K市

 日曜日だというのに今朝は早起きだ。7時の目覚ましで一発で起床。仕事のアポがない限りなかなか難しい起床時間だ。しかし、今日はK市になるべく早く行きたい用事がある。その前に東京都知事選がある。選挙は7時から開始なので、現実的な7時に起床することにした。
 その前に、朝食を摂りながらテレビをつけると、「伊達みきお x 富澤たけし x 狩野英孝」という宮城出身者による座談会の番組がやっていた。まず思ったのが、やはり、大震災のl現場を経験している本人の言葉は、そうでない人の言葉よりも相当説得力があるということだ。素晴らしいと思った。なお、「自粛」については、節電等無駄遣いをしない「自粛」なら分かるが、それ以外の事は自粛というのだろうか?どうなんだろうね(精神論でも困るよね)、といった旨の事を言っていたのが印象的であった。
 いずれにせよ、どんな小さなことでもよいから、自分ができること・するべきことを、自分でしっかりやっていくことが大切だと改めて思った。

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歌の力

 Nコンの季節になった。10月の全国大会に向けて、日本全国の学校の合唱部が動き始める。小中高のカテゴリーがあるが、私は「課題曲」を基準にどのカテゴリーに応募するかを決める。昨年は、大塚愛作曲の「I ♥ ×××」が気に入り、「中学校の部」の全国大会を聴いた。今年は「高等学校の部」だ。銀色夏生作詞、上田真樹作曲の「僕が守る」に感動したからだ。
 一見クサい歌詞のように思えるが、何度も何度も聴いていると、東日本大震災に怯えるがいつか立ち直るであろう日本国・日本国民の姿と重なり、胸が熱くなったのだ。私には幼い頃のおぼろげな記憶がある。古き佳き日本の風景だ。現代よりも喜怒哀楽が激しく、他人同士でも喜怒哀楽をぶつけ、しかしながら思いやりのある社会だった。今が悪くて昔が良いなどという二元論ではなく、そんな単純な話ではないが、いずれにせよ、この歌を通して、一人でも多くの人が元気になれる、歌の力を信じている。

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