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芸術的経営者を追求する、江幡公認会計士税理士事務所の心のブログ

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「仕事」を最優先にしてこその人生

 2012年は、1月4日からフル稼働することに決めていた。事実、今日もこうして事務所で「仕事」をしている。仕事は決して趣味ではないが、様々な人達と交わり、人間的に成長し、生活を支える基礎となるといった意味で、極めて尊いものである。仕事の内容は何でもよい。とにかく、クライアントの顔を思い浮かべ、寄り添うことだ。「志事」と書く人もいるが、よく言い当てている。
 ってなわけで、2012年は、今まで以上に仕事に精進する。

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怒涛のようだが幸福な2011年12月

 2011年12月3日以来、人生の流れが変わった。T教授に、いちいち突っ込まれたり、流されたりするので、写真のK義塾大学商学部T研究会の会食の際には全てを伝えきれなかったが、とにかく、2011年12月3日以来、極めて強い追い風に常に押され続けているかのごとく、怒涛のような日々が続いた。
 2011年も、既存・新規を問わず、様々な人々と交流した過程で、様々な知識・教養の仕入をした。無論、趣味の音楽に関してもインプットだけは継続的にしてきた。しかし、今にして思うと、12月3日までは、「アウトプット」をしてこなかったように思える。自分の体の内から全身全霊をかけて行うアウトプットを。
 受験勉強の例が分かりやすいと思うのだが(T教授は御経験がないだろうが)、インプットばかりやっていたのでは、合格はおぼつかない。しかも、こなしきれないほどの参考書等に手を出し、ヤマの所在に付和雷同するようなやり方では、安定的な実力は身につかないし、本番でパフォーマンスを発揮できない。重要なのは、薄いテキストを反復継続して回し、情報を自分のものにし、アウトプット(問題を解く)ことだ。これは、人生においても同様であると考える。
 音楽を通して、全身全霊をかけた人生のアウトプットを行った12月3日以来、仕事もプライベートも充実している。そして、大震災はあったものの、2011年を幸福を噛みしめながら間もなく終え、2012年を迎えようとしてることを、感謝の気持ちをもって実感している。
 写真は、K義塾大学商学部T研究会のT教授とそのゼミ生だ。2011年12月29日、目黒区三田の某所で、T教授やゼミの仲間とこのような時間を過ごせることは、いかにT教授に突っ込まれようが流されようが、幸せ以外の何物でもない。しかも、おいしい酒と料理とともにだ。こういう事を「贅沢」と言う。Wikipediaには載っていない。
 今年は全く「年末」という感じがしない。12月に新たな「事」が始まったからだ。

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遠くから眺めてみる

 最近は、ゴールデンレトリバーがお爺ちゃんとその孫を助けたことや、ブータン国王夫妻が来日したことといったほのぼのとするニュースがある半面、2件の企業不祥事、Trans Pasific Partnership問題など、どうも世の中が落ち着かない。余震も結構ある。そんな落ち着かない世の中を反映しているかのように、殊に巨大都市東京では、人々は目先の快楽を求め続けるのであろうか。目先の快楽では、真の満足は得られないというのに。
 本日は、趣味の車の仲間と、今年のLast Touring。千葉県富津市を訪れた。海に面した公園からは、東京や横浜を一望できる。Sky Treeが誇らしげだこと、誇らしげだこと。田舎に行けば分かるが、東京は狭い。その狭い東京で、様々なことが起きているに過ぎない。遠くから見れば、狭い東京に烏合の衆がいて、なんやかんややっているに過ぎない。いや、それはそれでよいのである。それが個々の人生。自分もその一人。
 人はみな、自分が一番だと思っている。いや、そう思いたい。しかし、間違ってはいけないのは、「人との比較」で順位付けすることだ。人と比較している限り、自分を受け入れることはできない。人と比較しないで、自分を認めてやればいいのだ。「自分はこれでよい。」と。いつもいつも「自分」というものに固執する必要はないし、いつも固執していると他者と衝突が起きる可能性があるが、ここぞという時は、自分の胸に手を当て、自分が何を望んでいるか、正直な気持ちを自分に聞いてみればよい。

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Live告知

◆EBJ Jazz Trio
◆2011年12月3日(土)18:30~
◆スタジオSKホール
  〒166-0011 東京都杉並区梅里1丁目7-7

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逆境を乗り越えて

 本日は野口英世が生誕した日だ。思えば、小学生の頃、野口英世の伝記を読む度に涙したものだ。野口英世はさることながら、母シカの存在は、涙なしでは語れない。特に、文盲であったシカが、英世に宛てて書いた手紙からは、彼女の信念というか、人間的なパワーのようなものを感じる。英世が世界の偉人にまでなったのは、数々の逆境を乗り越えたからである。換言すれば、逆境にあっても、努力、人との出会いにより、無限の可能性がある。そんなことを、英世は教えてくれる。
 元プロボクサーの坂本博之も、逆境を乗り越えた者の一人だ。彼の人生も涙なしでは語れない。児童養護施設で育った彼は、まるで現代のタイガーマスクのようだ。彼はどんな逆境にあっても腐らなかった。児童養護施設に入る前は、弟とともに親戚の家に預けられたそうだが、ろくに食事を与えられず、玄関にタオルを敷いて寝ていたそうだ。空腹の弟のために、ザリガニを採って焼いて食べたりしたらしい。そして、ボクシングに出会った。
 本日のGoogleは気のきいたことをしてくれたものだ。お陰で野口英世を思い出し、彼の人生に思いを馳せることができた。

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Management(マネジメント) 019

 成果とは百発百中のことではない。百発百中は曲芸である。成果とは長期のものである。成果とは打率である。

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Management(マネジメント) 018

 プロたるものは、顧客に対して、必ずよい結果をもたらすと約束することはできない。最善を尽くすことしかできない。しかし、知りながら害をなすことはしないとの約束はしなければならない。

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Management(マネジメント) 017

 組織が果たすべき最大の貢献、すなわち最大の社会的責任とは、自らに特有の機能を果たすことである。

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Management(マネジメント) 016

 リスクを皆無にすることは不毛である。最小にすることも疑問である。得るべき成果と比較して冒すべきリスクというものが必ずある。

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Management(マネジメント) 015

 経済活動とは、現在の資源を未来に、すなわち不確実な期待に賭けることである。経済活動の本質はリスクを冒すことである。

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Management(マネジメント) 010

 清算生徒は難しいコンセプトである。だが、それは中心となるコンセプトである。生産性の目標がなければ方向性を失う。コントロールもできなくなる。

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Management(マネジメント) 009

 事業の定義があって初めて、目標を設定し、戦略を発展させ、資源を集中し、活動を開始することができる。

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Management(マネジメント) 008

 ほとんどの企業が少なくとも二種類の顧客を持つ(例 カーペット業者は建築業者、住宅購入者という二種類の顧客を持つ)。

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Management(マネジメント) 006

 ①利益は成果の判定基準である。
 ②利益は不確定性というリスクに対する保険である。
 ③利益はよりよい労働環境を生むための原資である。
 ④利益は、医療、国防、教育、オペラなど社会的なサービスと満足をもたらす原資である。

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Management(マネジメント) 005

 イノベーションとは、発明のことではない。技術のみに関するコンセプトでもない。経済に関わることである。

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Management(マネジメント) 004

 ・マーケティング(顧客の欲求からスタートする)
 ・イノベーション(新しい満足を生み出す)
 ・生産性(ヒト、モノ、カネ、知識、時間、プロダクトミックス、プロセスミックス、自らの強み、組織構造)

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Management(マネジメント) 003

 顧客が価値を認め購入するものは、財やサービスそのものではない。財やサービスが提供するもの、すなわち効用である。

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Management(マネジメント) 002

 コピー機やコンピュータへの欲求は、それが手に入るようになって初めて生まれた。イノベーション、広告、セールスによって欲求を創造するまで、欲求は存在しなかった。

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Management(マネジメント) 001

 企業の目的は、それぞれの企業の外にある。企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。企業の目的の定義は一つしかない。それは、顧客を創造することである。

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Un ami français TM

 スティーヴ・ジョブス氏の訃報は、フランス在住の友人TMのFBの記事で知ったわけで、TMとはFBを通じてやり取りをさせて頂いているわけだが、TMとは高校の吹奏楽部で知り合い、音楽を通じて熱い青春時代を送ったものだ。記憶に残る名曲は枚挙に暇がないが、秋ということもあり、このJAZZの名曲でTMの記憶を掘り起こしたいと思う。
 異国の地で家庭を築き、異国の地で職を持つTMは、なんとたくましいことか。大変励みになる。折を見てまた訪問させて頂きたい。

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いつでもどこでも勉強できる。

 スティーヴ・ジョブスが亡くなった。その訃報を知って真っ先に脳裏をよぎったのが、スタンフォード大学の卒業式におけるスピーチだ。久々に観てみたが、いつ観ても涙が出る。そういえば、一番最後に観たのは、ベトナムで奮闘していて大変だった頃だ。その時も涙が出た。
 「(後になってから)点と点が結ばれる(結びたいと思っても結べない)」「愛することと失うこと」「死」という3つの話をしてくださった。詳細は動画を観て頂きたいが、やはり、自身の経験から絞り出された話は、説得力が違う。スタンフォード大学の卒業生への「響き方」「響く深度」はそれぞれだろう。しかし、一つ言えるのは、様々な事を経験すればするほど、彼の話がより心に響くことだろう。
 このスピーチにおける彼の名言は枚挙に暇がないが、「Keep looking, don’t settle.」「Stay hungry, stay foolish.」だけはここに記載しておこう。
 スティーヴ・ジョブス様、私は大学生の頃はMacユーザーで、現在はiPhoneを使っています。本日改めて、マーケティングとイノベーションの意味を再認識しました。どうもありがとうございました。御冥福をお祈りします。

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至誠一貫・堅忍力行

 
一、旭輝く日の本の
  光栄(はえ)ある今日のそのもとは
  義人烈士の功績(いさおし)ぞ
  忠孝仁義の大道を 
  貫く至誠あるならば
  天地も為に動きなん
二、世界にきおう列強と
  ならびて進む帝国の
  基礎(もとい)は堅忍力行ぞ
  花朝月夕つかのまも
  古人に恥じぬ心して
  ゆめ怠るな一千人
 これは某高等学校の校歌である。一部左寄りの教諭・生徒の抵抗がないわけではないが、当時の時代背景や政治思想を超越した趣旨を考慮するならば、現代にも通じる、非常にためになることを謳っている。
 恥ずかしながら、先月上旬に開催されたソフトボールの試合で左足の筋肉及び神経を痛めて以来、どうにもこうにもままならない状況が続いていた。「痛み」というものは人間の精神を疲弊させ、行動を制約する。「病は気から」というがその通りで、痛みによって疲弊した精神力では、行動にダイナミズムが無くなり、それによって精神がさらに疲弊する。幸い、東洋医学と西洋医学の両者の力を借りて、現在は収まりつつある。
 怪我の功名と言ってよいのだろうか、改めて「心身共に健康」であることの尊さを認識し、まずは数週間の後退からの立て直しと、その延長線上にある飛躍に、今取り組んでいる。そもそも、ソフトボールを満足にできないような体でありたくない。精神の源は身体、身体の源は精神。人の力を借りつつも、元はすべて自分がそれらを左右する。
 「至誠一貫」・「堅忍力行」の精神で、この時代を乗り切っていく。

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大切なもの

 お陰様で、無事に37歳の誕生日を迎えることができた。今月上旬のソフトボールの試合で痛めた足が疼くのが頂けないが、FBの功績に負うところ大きく、たくさんの方々から祝福のメッセージを頂いた。心から感謝申し上げる。
 さて、人はそれぞれ、他人に簡単には言えない何かを抱えながら生きているのが通常である。一見すると順風満帆に見え、人が羨むようなものを持っていたとしても、それはその人の一面に過ぎない。人は、関与している他人の数だけ出来事があり、ドラマがある。また、将来は「今」という点の積み重ねであり、さらに、単純な積み重ねではない以上、将来のことは誰にもわからない。しかし、「今」の積み重ねが将来の事象を招くのだから、「今」から「過去」を振り返れば、これまで自分が歩んできた「今」が現在の状態を作っているということは、およそうなずけるであろう。
 「今」も「将来」も、大切なものは、「心身共に健康であること」と「人(出会い)」である。この2つがある限り、人生は色々な意味で面白いものだ。いざという時の瞬発力のために心身を鍛えておき、しかるべき出会いに備える。その繰り返しと、それができないことの繰り返しで、人生は成り立っているように思える。

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なぜ今年は自然が日本に対して厳しいのか。

 それにしても、なぜ今年は自然災害が立て続けに起こるのか。東日本だけかと思えばそうではなく、日本全国で自然が猛威をふるっている。自然の前ではなす術はない。おとなしく耐えるしかない。
 今となって思えることだが、震災前は、「人はいつか死ぬからね。」とか「明日死ぬかもしれないからね。」といった言葉を聞いても、率直に言って、全く現実味を帯びていないし、説得力がなかったような気がする。ちなみに、自分自身も口にした事はあると思う。戦後生まれの日本人は戦争を経験していないから、傭兵にでもならない限り、普通は、自分自身の死というものに直面する機会は少ないはずだ。しかしながら、今年はどうだ。結構現実味を帯びていないだろうか。
 ここで考えたいのは、「災害等により今までよりも死が現実味を帯びてきたので怖い、どうしよう。」というネガティブな面ではなく、災害等により今までよりも死が現実味を帯びてきたのであれば、「自分のやりたいことをとことんやってみよう。」とか「慎重になり過ぎないで、ある意味大胆にやってみよう。」といった、前向きな姿勢である。
 自然とは、人間に様々な事を教えてくれているような気がしてならない。

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気にするな。

 素直に認めるほかないが、私は未熟者なので、①嬉しいことを大声で話す、②口を滑らせる・ムカッとする、③凹む・泣きたくなる、④心が熱くなる時がある。しかし、これらの点について、世の中を見渡したり(ex. 政治家の失言)、他人の一挙手一投足を観察してみたり(ex. 普段静かな人が「自分の領域」になると饒舌になる)、他人に質問してみたりすると(ex. 悩み相談を受ける)、実は、①から④は、全員がやっていることであるということが分かる。それもそのはず、それが喜怒哀楽なんだから、当たり前だ。特に、「口を滑らせる」なんて、みんなやっている。
 ただ、喜怒哀楽のうち、「怒」と「哀」を自分が他人に対してやったり、人からやられると、心が凹むことが多いようだ。しかし、そんな時は、軽く反省したら、「まっ、いいか。」と流した方がよい。悩むことによって解決するならとことん悩めばいいが、悩んだだけで解決する問題などない。負のスパイラルに入った時は、久々の登場である、以下の「四つの約束」(amazon参照のこと。)を復唱するのがよい。
1.正しい言葉を使うこと(他人や自分に対して、ネガティブな言葉を使わない )
2.なにごとも個人的に受け取らないこと(すべての事柄に対して客観的になること)
3.思い込みをしないこと(無駄な憶測・妄想はエネルギーの無駄遣い)
4.つねにベストを尽くすこと(今出来ることを実行すること )
 これまでに4回くらい読んだが、そういえば、最近読んでいない。近々読んでみることにしよう。

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正当な懐疑心

 「正当な懐疑心」というと、公認会計士の独占業務たる監査の専門用語のようだが、ここでは世間一般の事物に対する「正当な懐疑心」として捉える。
 本日は久々に、高校時代からの友人で現在は官僚のKと会食をした。こうして二人でいるのは、20年近く前、浪人の時代に、I県M市の某居酒屋K助以来だと思う。そういえば、K助にはなぜかアップライトピアノがあって、酔った勢いでピアノを弾いたものだ。光陰矢のごとし
 詳細は割愛するが、要は何が言いたいかというと、世の中の情報に対しては、もろに受けとめるのではなく、なるべく真実に近い情報と、現場の情報と、自分なりに解釈するための「正当な懐疑心」を持った方がよろしいということである。「これなくしては、真の民主主義は実現できない!」というのは大袈裟で、現在既に民主主義であるが、要は質の問題である。「先入観」もやめた方がよい。
 結局それが、自分のためでもある。

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とにかく動き続けること

 「決意を持続させることのできるのは習慣という怪物である。」とは、三島由紀夫の言葉である。何事も「習慣化」してしまえばクリアできるはず。しかし、その「習慣化」が難しい。現実的には、ちょっとでもいいから、サボってもいいから、行動し続けることが大切なのだろう。
 今日の夜は「走る」と決めていた。なんだかんだ理由をつけて走らない方向に行こうとしている自分がいたが、上記の三島の言葉をみて、行動に移すことにした。三島は自分に厳しく、自らの美学を貫くが、それでいて素朴で誠実な面もある。この演説を聞いた限りでも、そのことが伝わってくる。
 三島の話題はこれくらいにして、本日は月が殊のほか綺麗だ。走っている時に撮影した中秋の名月。CHINA文化の影響が残るベトナムでは、ムーン・ケイクを贈答し合うのだろう。シンガポールも同様。月が綺麗な日は、幼い頃の「お月見さん」を思い出す。母と一緒にすすきを採りに行き、団子と一緒に縁側に飾る。あの光景が何とも美しく記憶に残る。季節折々の行事はいいものだ。
 明日も走れるか。。。

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自分で作ってしまう自分の限界

 「自分は○○得意で○○苦手だ。」、「自分には○○は向いていない。」、「自分には○○しかない。」という言動は、自分が自分にかける呪文のようだ。特に幼い頃にかけたこの手の呪文は、その後の人生を、ある意味硬直化させることとなる。自分に呪文をかけてしまうのにはそれなりの理由があるものだが。
 私の場合、「自分はスポーツはできない、興味がない、向いていない。」という呪文をかけ続けてきた。お陰で、生きる上で結構役に立つ「スポーツマンシップ」というものが大きく欠如してきたような気がする。それはそれとして、この手の呪文について、呪文をかけるのも自分だし、呪文を解くのも自分であるということが分かった。「きっかけ」自体は「他者」が与えてくれるが、行動するかしないかは自分次第だ。
 本日、これまで自分の中では未踏の地であった所に踏み込んだ。スポーツの中でも最も苦手意識のあった球技、その中でも最も遠かった野球系だ。「ソフトボール」。その言葉を聞くだけでも憂鬱だった小学生時代。そのソフトボールへ、一歩を踏み出したのだ。友人らのサポートがあることが大きいが、不思議なもので、今は「苦手意識」はない。それよりも、「現状の自分が、どうすればチームに貢献できるか」ということのみを考える。守備も打撃も人並みから大きく外れる自分が頑張るとしたら、「気持ち」しかない。特に守備は、球に食らいつくしかない。この気持ちが功を奏したのか、セカンドとして、何度か球を受け止め、アウトを取ることができた。この期に及んでだが、本当に嬉しかった。
 試合後のビールが殊のほかおいしかったことは当然のことだが、本日の収穫は、「一歩を踏み出せば、少しは自分の限界を超えられる。」ということである。行動しないことには何も始まらないということだ。これを機に、スポーツに耐え得る身体づくりに目覚めたいものだ。

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みんな同じ

 久々にS県H市に出張し、仕事のチームの仲間が久々に顔を合わせた。内容は記載しないが、外部環境の変化は、皆に等しく何らかの影響を及ぼすということを、改めて実感した。人と会って話をすることの重要性を、改めて認識した出張だった。
 外部環境の変化が好影響を及ぼす場合、人と会って話をし、天狗になることを防げれば幸である。一方、外部環境の変化が悪影響を及ぼす場合、人と会って話をし、徒に落ち込むことを防げれば幸である。要は、何事にも、一喜一憂しないことが重要である。

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月の光

 父親が「人生最後の車を買った」という。「いつかはクラウン」だそうだ。「人生最後」と言われると複雑な想いがある。メールで画像まで送ってきたので、折角なので実家に見に行った。日本の自動車産業の技術の粋を集めた、いい車であることは確かだ。申し分ない。
 しかし、引っかかることがある。「人生最後」ということだ。人間は、引越しや大きな買い物をする等で、自分の環境が変化した時に、「違和感」のようなものを感じることがある。いずれは慣れるのだが、しかし無視できないものである。
 こんなことを考えながら帰り道の高速道路を走っていると、月が誠に綺麗であった。やさしい月の光。静寂な夜の高速道路を走る小さな存在に、月が優しく語りかけているようだ。また「ドライブ」と称して両親に会いに行こう。

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New York

 2000年9月、生まれて初めての海外一人旅で訪れたのが、New Yorkだった。2001年の9.11の1年前であり、破壊されたあのツインビルを真下から見上げたものだ。次の年にはNYが大変なことになってしまったのだから、その前年に私がNYを訪れたということは、私にとってどのような意味があったのだろうか。ちなみに、2007年8月にグラウンド・ゼロを訪れたのだが、言葉では表すことのできない、異様な雰囲気を感じた。
 さて、そのNY旅行は、貧乏旅行に徹した。まず宿泊は、日本でいえば上野のような場所の、ほんとに寝るだけの宿に泊まった。壁と天井が真っ赤で、初めはほんと落ち着かなかったが、住めば都となった。次に食事は、レストランには一切行かなかった。ほぼすべて、Deliのサンドウィッチや屋台のホットドッグで済ませた。ドリンクはコーラ。移動手段は、基本は自分の「足」。疲れたら地下鉄に乗るという程度。とにかく歩いた。
 NYには多くの素敵な建造物があるが、私が個人的に一番惹かれたのは、上写真の双頭のビルだ。セントラル・パークからよく見えるのだが、古くて巨大な双頭のビルになぜか強く惹かれ、写真を何枚も撮った。NYの記憶と言ったら、実は、この古くて巨大な双頭のビルなのである。
 そういえば、NYも秋だ。曲名はベタだが、この曲は、私が最も好きな曲の一つである。

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September

 グレゴリオ暦において四季を区切るとすれば、本日から秋になる。まだまだ暑い9月だが、着実に秋冬に向かっている。ところで、9月といえば「September」だが、この曲は、なぜ「9月」という名前になったのだろうか。「9月21日に男女が出会い、一緒に踊ったこと」以降の事が歌詞になっているようだが、それは作者の実話なのだろうか。いずれにせよ、この曲が聞こえてくるとついつい踊りたくなってしまうのは、50代の素敵なおじさまには多いようである。
 さて、たしかに私もSeptemberは好きなのだが、衣服の衣替えと同じで、音楽の聴くジャンルも自然に衣替えをする。夏はSamba、Bossa Nova、Latin系のJazzを好んで聴くのだが、涼しくなってくると、Modern Jazzやクラシック音楽が恋しくなる。これは個人的な趣向だが、仕事が終わり帰宅した平日(休日ではない)の夜に、珈琲を入れ、ソファに座り、LP版でJazzを聴く時間は、至福の時である。また、湯船につかりながら、防水性DVDプレイヤーから聞こえてくるVocalの声に合わせて一緒に歌うのも、至福の時である。Vocalと音程がピタッと合った時は最高である。
 いよいよ秋だ。やはり秋には、このSeptemberよりこっちのSeptemberの方が好きだ。

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2011年8月31日~夏の終わりに~

 グレゴリオ暦において四季を区切るとすれば、本日をもって夏は終了となる。今年の夏は暑かった。非常に暑かった。しかし、今年も積極的に暑さに向かっていった。私も愛車も熱中症(エンジンの水温が80℃に達すると非常に調子が悪くなる)になりかけながら、愛車と共に暑さを満喫した。そんな夏が終わってしまうのは、物悲しい。いや、3週間前からうすうす気付いていた。夜の音が変わっていた。だんだんと秋を感じさせるような空、虫の音、蝉の死骸。「夏の終わり」だ。夏の終わりを惜しむ恩師T教授の姿が思い浮かぶ。
 今年の夏もそれなりに行動できたが、例年の夏とは違う。大震災のことは絶対に忘れられない。頭の片隅にいつも残っている。ただ、換言すれば、いつも頭の片隅に大震災のことがあるから、休養を取っている時以外は、「今、この時間を、精一杯生きよう、楽しもう。」という発想になれるのだと思う。それと関連して、「いい意味」で「比較」ができる。幸福論⑤でも書いたが、「一見して順風満帆に見える人でも、人は皆、何かしら問題を抱えて生きている。」ということを思えば、ほんの少しでも、勇気が湧いてくるのではないだろうか。つまり、自分と他者とを比較してみて、「自分だけではない。」ということを認識するのである。老婆心ながら、「他人の芝生は青く見える。」的な「比較」は全く必要がないどころか、有害である。何事も、「社会通念上の常識」はあるとしても、「決まった形」などない。「ふつう」ってなんだ?誰が決めたんだ?「人それぞれ」のはずでしょう。
 高校時代からの友人YTが、大きな一歩を踏み出した。心から敬意を表する。私は男性ゆえ、子を持ったばかりの母親の気持ちを、多少は察することはできるものの、本当のところはわからない。ただ、勇気を持って一歩を踏み出したことは、人間として本当に素晴らしいと思う。「がんばれ!」とは決して言わない。「負けるな!」である。この曲この曲を友人YTに送る。

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FBのもたらすもの

 FBをなぜやるのか。FBをやる目的は人それぞれで、他人のやり方を否定も肯定もしない。ただ、他人のやり方に巻き込まれるのはまっぴらごめんだ。自分は自分なりのFBワールドにいたい。
 私がFBをやる目的はただ一つ。「懐かしい人に再会すること」である。FBを始めた当初は、実態がよくわからなかったこともあって、特にポリシーなくやっていたが、現在は徹底しているつもりだ。お陰さまで、本当に「懐かしい~!!!」という人と何人も再会できたし、本日は、おそらく15年ぶりくらいに、高校時代のG先輩と再会し、食事をしながらゆっくりと話をすることができた。詳細はここでは書けないが、G先輩の「マメさ」ぶりには、心底感服した。
 今の世の中は、情報があふれている。有用な情報もあればそうでない情報もある。おそらく、自分にとって不要な情報の方が多いのではないかと感じている。自分の軸をしっかり持っていないと、情報に振り回されてしまうこともあるだろう。なので、自分にとってどのような情報が必要で、どのような情報が必要ではないのか、はっきりさせておいた方が良い。そして、不要な情報を遮断する勇気が必要である。私が会計士になりたての頃、クライアントの担当者にヒアリングをしていた際、その担当者は、「整理されていない情報はゴミだ」と言い放ったことを思い出す。つまり、自分にとって必要な情報でさえ、ちゃんと整理しておかないと役に立たないのだから、世の中にあふれる情報なんて・・・。

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自律

 ありがたいことに、本日も前職の元上司K氏と面会し話をする機会に恵まれた。K氏は、監査法人の中でも頭脳派で、バランス感覚に優れ、引出しが多い方だ。いわゆるライン業務をご一緒させて頂いたことはないのだが、クライアント・リレーションシップをはじめ、我々の業界のあり方、監査法人のあり方などについて議論する機会が多かったのが不思議だ。おそらく50歳前後だと察するが、見た目がお若く、体系もスリムに維持され、御自身を律しておられるのがよく分かる。
 話の流れで、K氏周辺の独立した会計士のお話を幾つか伺った。「ここぞ」という時に備えて、毎日30分水泳をし、瞬発力を維持している方の話、(独立したK氏周辺の会計士を見ていて)30歳代は自然の流れに任せて過ごすことの効用、独立後、(図ったのか図らなかったのか)年代に応じてビジネス・ポートフォリオを変化させている会計士等々、貴重なお話をお聞かせ頂いた。
 いずれにせよ、「自律」の大切さを改めて認識した。独立すると「決まりごと」がないため、気を抜くといくらでも怠惰になることができる。怠惰な心は言動にも見た目に如実に表れる。真の「自律」した人間かどうかは、すぐにわかってしまうのである。

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 最近つくづく思うのは、体のバランスを崩す一番の敵は、「運動不足」である。「食べ過ぎ」「飲み過ぎ」よりも大敵だ。運動不足だと、内臓の動きが悪くなり、代謝が悪くなって、贅肉がつくようになる。贅肉がついて身体が重くなると、行動力が無くなってくる。まるでいいことがない。
 ここ10日くらいは、原稿を書き上げるために別の事務所に籠っていたのだが、案の定運動不足になった。しかし、そこから脱するのは自分。自分しかできない。
 そんなわけで、常に自分の体を眺めようと思い、目立つ所に鏡を置くことにした。自分の体を眺め、自分の体を知った上で、鍛えていきたいと思う。自分の体は自分で何とかするしかない。「幸せ」と同じだ。

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幸福論⑤

 なんとか締め切りまでに原稿が出来上がったので、愛車で父親と海に出かけた。猛烈な暑さだったが、その暑さを楽しむために。そもそもこんな車に興味を持つようになったのは、間違いなく父親の影響だ。アマチュアのレースもやっていたことのある、無類の車好きの父親は、私が幼い頃からレース観戦やドライブに連れて行った。当時はオイルの焼けた匂いがいい匂いとは思わなかったし、エキゾースト・ノートが心地よいとは思わなかったが、無意識下で私の体に染みついたのだろう。行きは私が運転し、帰りは父親が運転した。
 もう確信となったことで、あれこれ思い悩むことはない。それは、「今が幸せだ」ということだ。こうして共通の趣味を持つ父親と海を見に行けることは幸せだ。また、今夏も家族で墓参りに行けたことは幸せだ。ちなみに、母方の墓は、先の大震災で墓石が丘の下に落下してしまっていたが、お寺の方が拾い上げてくれたのだろう。何とか花と線香をあげられる状態にあったのは幸いだった。
 幸せはどこか遠くにあるものではない。「将来に」幸せになるのではない。誰かが与えてくれるものではない。幸せとは、自分が感じるものだ。一見順風満帆に見える人も、どんな人も、何かしら問題を抱えて生きている。問題があること自体は不幸なのではない。問題ばかりに目が行って、自分の手の中にある、自分の心の中にある幸せを感じられないことが不幸なのだ。
 どうやら、今夏も終わりに近付いているようだ。暑かったが、その暑さを体中で楽しんだ、いい夏だった。

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こだわり

 
 この別荘地のような風景、モダンなリビングは、私の高校時代の友人が経営する特養ホームである。9月にOPENするそうだ。まるで軽井沢のように木々に囲まれた、居心地の良い場所である。お盆の時期で忙しい中、丁寧に案内してくれた。
 彼は研究熱心なのはもちろんのこと、そもそも、「こだわり」の強い人間だ。高校の入学式には星条旗のような服に長髪で現れ、私の母親は今だに「赤シャツ」と呼んでいる。テニス部だった彼は、こだわりのテニス用品とウェアで身を固め、これまた目立っていた。
 そんな「こだわり」が、まさに花を開いている。その「こだわり」があったからこそ、素晴らしい施設・施設運営ができるのである。枚挙に暇がないが、檜風呂、光とりの窓、全体的に木の素材、部屋からの借景等々、とにかく細部に彼の心遣いが生きている。本当に素晴らしい施設だ。
 今後は、私も、介護業界の研究をし、介護業界に関する何らかの業務を開発していきたいと考えており、彼の存在は非常に心強いし、いつかは彼の役に立ちたいと考えている。私も「こだわり」の強い人間ゆえ、その「こだわり」を人の役に立つような形で活かしていければ幸いである。

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恩師K教諭との再会

 約10年ぶりに恩師K教諭と再会した。お互いに年をとったわけだが、以前のような会話、いや、以前の会話に輪をかけた会話になるまで、そう時間を必要としなかった。
 恩師K教諭は人生を達観している。高校生の時に既に「人に求めない」行き方を選んだという。話した話題に枚挙に暇がないが、もっとも衝撃的だったのは、パスカルの言葉である。恩師K教諭によれば、「人間は考える葦である。」などとほざくパスカルは「ケッ」という感じだったらしいが、その後、同じくパスカルの「人生は死ぬまでの暇つぶしである。」という言葉を知った時、度肝を抜かれたそうだ。私はその時初めて知った言葉なのだが、直感では度肝を抜かれたが、分かったようで分からないような言葉だ。まだまだ時の経過が必要なようだ。
 いずれにせよ、恩師K教諭のトークは御健在で嬉しかった。益々深みを増す恩師K教諭には、折を見てお会いし、人生の考察を深めていきたい。

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恩師K教諭

 私が恩師に恵まれていることについては、「学校とは」「恩師T教授」の記事で書いたところであるが、週末に恩師K教諭からお電話お頂いた。I県の方言バリバリの相変わらずの御口調で、高校時代の授業風景が蘇った。英語の先生であったが、英語の授業の記憶よりは、先生が若い頃の出来事、ニーチェやフロイトに関する考察等の話の記憶の方が強いのはなぜか。なお、写真は恩師K教諭撮影のものである。この1枚だけでは分からないが、プロ並みの腕前である。
 恩師K教諭とは、今月我々教え子数名でお会いする予定であったが、ワケあってキャンセルとなり、週末の電話会談となった。恩師K教諭も私の奥深くまで分かってくださっているありがたいお方で、短い時間であったが、熱いものが込み上げてきた。当日でもいいから、近くに来た時は声をかけてくれというお言葉は、社交辞令ではなく、本物だ。
 思えば、恩師T教授と恩師K教諭を御対面させて頂く機会があったのだが、あいにく恩師K教諭のご都合でそれは叶わなかった。いつの日か、それを果たしたいと思っている。
 2011年8月8日午前の一曲

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美意識

 
 
 夏は暑くてなんぼだ。暑い夏が好きだ。昨日は天気が悪くて愛車に乗ることができなかったが、今日は夏らしい天気だ。熱中症になりかけながら、ドライブを楽しんだ。ちなみに、渋滞中の中央道では、意識が遠のきそうになるのをこらえるのに必死だった。助手席に置いておいた先ほどまで冷たかったペットボトルのお茶は、HOTになった。
 なぜだかわからないが、今朝、白洲次郎に呼ばれているような気がしてならなかった。「武相荘に来い。」と。以前から一度行ってみようと思っていたので、早速行くことにした。今は町田市、旧鶴川村。今でこそ住宅が多いが、昔は農村だったのだろう。武相荘も元々は農家だったという。
 白洲次郎と白洲正子は、昭和15年に購入した家にコツコツと手を入れながら、それぞれの美意識に基づく家づくりをしていったそうだ。土間を改造したリビング、白いタイルの床、家具、食器等々随所に、彼らの美意識がある。他人に対する虚栄心を満たすための装飾ではない。自分達の生活を楽しむための美意識だ。「こだわり」と人が言う場合、時には「かたぶつ」「融通がきかない」「変わり者」のようなあまりよい意味でなく使う場合があるが、そういう類は放っておけばよい。そういう類はきっと、人でも物でも、こだわった事がないのだろう。何でも、良いものは、長く使えば使うほど愛着が出て、自分の一部になるものだ。また、美意識のある女性は、仕事も身のこなしも、本当に美しい。
 2011年の暑い夏。都心から少し離れた武相荘で、美意識について改めて思い巡らせた。お洒落をして、汗をだらだらかきながら、しかしクールに愛車をのることは、趣味であり、ストレス発散であり、美意識なのである。誰が何と言おうと、関係ない。

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恩師T教授

 昨晩は、知人の主宰する会食(写真は全く関係のない参考画像である)に参加した。早速、恩師T教授との約4時間にわたる会話から帰納集約した気付きを実践する機会を得た。「気付きを実践する」といっても、要は「いつもの自分でいる」ということなのだが。
 ある精神心理学者は言う。「全員に好かれようとすればするほど萎縮する。どれだけ頑張ったとしても自分のことを嫌いな人はずっと自分のことが嫌いなものだ。」と。断っておくと、既存の人間関係に何か悩みがあるわけではない。初対面か付き合いの浅い他者との人間関係構築において、実験をしているのである。①極度に気をまわした場合はどうなるか、②ほどほどに御行儀よくしていた場合はどうなるか、③いつも通りの自分でいた場合はどうなるか、④御行儀悪くした場合はどうなるか。結果、①と④は意味のないことであり、②はお互いにあまり記憶に残らないということが分かった。時と場合によるが、積極的に新たに人間関係を構築するのであれば、③なのである。たった今、これまでにこのような事をあれこれ思い悩んできたこと自体がくだらなく思えてきた。
 とはいえ、なんでもそうなのだが、時には、ある1点のことをとことん考え抜くのは必要だ。そして、あえて振れ幅のある行動をとってみることも重要である。要は、自分の頭で考え、行動すれば、おのずと答が見えてくるものだ。

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