芸術的経営者を追求する、江幡公認会計士税理士事務所の心のブログ

月: 2011年1月

Wynton Marsalis

それでは、こちらをどうぞ。
こちらも。。。
ひとつおすすめですが、ヘッドホンを常備しておくといいですよ。PCで良い音で音楽等が聴けますし、耳栓にもなりますよ。

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波乱の1月~天の声~

 もうすぐ1月が終了し2月になる。案の定、1月は怒涛のように過ぎていった。毎年のことだが、「どうせ1月は瞬く間に過ぎ去ってゆくのだろうな。」と思っていると、本当にその通りになる。1日1日を粗末にしているということは毛頭ないが、どうしても慌ただしく過ぎていく。
 そんな今年の1月は色々なことがあった。良い出来事も悪い出来事も。心折れそうになることもあったが、そこから掬い上げてくれるようなこともあった。何とも不思議なことなのであるが、私は、これは「天の声」であると捉えることにした。すなわち、1月というのはその年の初めの月である。ある意味、その年をどのように過ごすのかの試金石ともなり得るのではないだろうか。私の場合、いわゆる正月は順調に滑り出したが、1月第2週目に谷底のような所に陥り、1月第3週目に這い上がった感じだ。そして最近、なんだかブルーになることもあった。それら1つ1つの出来事に一喜一憂するのではなく、「今年はこういうことに気をつけるんだよ。」という「天の声」として、私は捉えたい。
 そもそも私は喜怒哀楽がはっきりしている方なので自分自身にとっても分かりやすい自分である。あまり悩んでも仕方がない。日々新鮮であるし、総じて幸せな毎日なのであるから、どんな時であれ、1日1日をしっかりと生きることが重要だ。きれいごとを言うつもりもない。どんな状況であれ、どんな自分が見え隠れしても、それらすべてが自分の人生、本当の自分。よく「自分探し」とか「自分らしさ」という言葉を耳にするが、「自分」はどこか遠くにあって、探し当てるものではないと考えている。良い面も悪い面もすべて自分だ。今ここにいるのが自分だ。そう考えれば、悲観することもないし自惚れることもないはずだ。
 それにしても、山ちゃんは完成度が高い。

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動線

 現在4人の会計士でシェアしている事務所の、ちょうど私のスペースを写したものである。4人の人間が同居すると、その分部屋も汚れるし、特定の人に負担がかからないよう、総務的な作業を平等に分担する必要がある。
 今月1月は私が掃除担当であり、本日1月25日に掃除をした。トイレ掃除、給湯室掃除、床掃除、ゴミ整理等々を行うわけだが、自分が汚しているのはもちろんのこと、普段お世話になっている他の3人の顔を浮かべながら、トイレの便器を擦ってみた。最近、「トイレの神様・・・・」みたいな曲が流行っているが、別にべっぴんさんになろうとは思っていない。純粋に、トイレ掃除をすると気持ちがすっきりするものだ。
 さて、掃除担当の専権事項として、モノの配置を変えてみた。上写真は配置変更後のものである。手前右側にミネラルウォーター、部屋の奥のやや左側にハンガーがあるのがわかるだろうか。これまでは、ミネラルウォーターは、ハンガーの位置にあった。来客者にさっとお水やお茶をお出しできるような配慮からだったのだが、難点もある。例えば、来客中に自分がお水やお茶を飲みたくなった時に、来客者の前でお水やお湯を注ぐわけにはいかない。考えてみれば、お水やお湯を使う頻度は、来客者に比べて自分たち4人の方が格段に高い。仮に来客者があったとしても、別に来客者の近くになくてもよい。そう考え、独断で配置転換を行ってみた。他の3人の評価はい如何に。

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Polka Dots And Moonbeams

 今まで聴いてきた「Polka Dots And Moonbeams 」の中で、Sarah Vaughanも大好きだけど、最近改めてはまっているのが、Chet Bakerの切ないプレイ。ちなみに、Donald Byrdもいい。
 喧嘩して前歯を折っちゃったり、麻薬にはまっちゃったりで、彼もいろいろ大変だったんだろうが、音楽にかける想いの強さを感じる。好みもあって、散々な言われようをする場合があるが、いいものはいい。
 「Polka Dots And Moonbeams 」を聴くと、切ない思い出が蘇る。大学生の時に好きだった女性にフラれ、夜に車を飛ばして海に行き、月明かりの下で、Sarah Vaughanの歌うこの曲を聴いたのだった。海に映る月明かりがしみじみ綺麗で、涙を誘う。現実的な女性はこんなことはしないだろう。男性はもろく、繊細なのだ。そして、おセンチなことをする自分に酔うのも男性だ。その辺を分かっている女性は魅力的だ。そういえば、元居た事務所の上司に連れられて、麻布十番のla pocheというBarに行った時、エダママにリクエストしてかけてもらったのもこの曲。とにかく、思い出の曲だ。

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クララ・シューマン

 本日は、日頃から大変お世話になっていて、私のメンター的存在でもあるO氏(私のお客様にもなって頂きました)のクラシック音楽講座に参加した。最近の私は、音楽を再び「趣味」と言えるものにすることに力を入れており、2ヶ月連続の参加であったが、本日のテーマはロベルト&クララ・シューマン、シューマン夫妻だ。写真は、まるでT川Kリステルのような面持ちの、クララ・シューマンだ。そもそも私のクラシック音楽の好みは、交響曲については金管楽器が華やかでダイナミックな曲、ピアノ曲についてはおセンチな曲、といったところで、シューマンはノーマーク。小さい頃にトロイメライをピアノで弾いた位の位置づけであった。
 ところが、ロベルト・シューマンはなかなかいい。綺麗な旋律なのだ。ところが、クララ・シューマンはもっといい。男性のロベルトよりもスケールが大きく感じられるし、旋律も美しい。特に、「4つの束の間の小品」。O氏によれば、19世紀前半は、女性が男性を差し置いて音楽で前面に出てくるような時代ではなかったそうだ。その時代背景の中でシューマン夫妻も例外ではなく、ロベルトはクララに対し、作曲活動をやめるよう指示をしたそうだ。といっても、クララはピアニストとしてヨーロッパを席巻するほどの名声をあげており、ロベルトの何倍も稼いでいたそうだ。
 私は正規の音楽教育を受けていないので、音楽は感覚で聴いているのだが、プロの音楽家に言わせれば、それでよいのだそうだ。Y売交響楽団でコントラバス奏者をやっている高校時代の後輩I君はそう言っていた。ただし、生の一流の音楽を聴けとも言っていた。その点本日は、ピアニストであるO氏の奥様の生演奏を聴けたのだから、素晴らしい。今後、ロベルトもさることながら、クララさんの作品を聴きこんでみようと思う。ちなみに、JAZZは西洋音楽とかアフリカ音楽とかラテン音楽が融合した音楽と称されるが、本日聴いたロベルト・シューマンの交響曲第1番の中で、「これはJAZZのアドリブにも使えるな。」というフレーズがあった。その点も非常に興味深い。

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べえ独楽と人生

 税務のお客様であるGSに用事があって行ったところ、非常に驚いたことがあった。なんと、40代・50代のおじさま方が、真剣にべえ独楽をやっているのだ。噂には聞いていたが、本当にやっているとは。自分も誘われて、生まれて初めてやってみたが、なかなか難しい。最初のうちは力が入ってしまい、うまく土俵に上がらない。土俵から落っこちて地面でくるくる回るありさまだ。だんだんやる気がなくなって帰りたくなってきたのだが、ここは考えを改めて、いっそ力を全く入れないでやってみることにした。すると、土俵に上がる確率が格段に上がり、だんだん楽しくなってきたのだ。気が付くと1時間くらいやっていた。
 日々生活していると、自分の中でバランスを崩すことがある。人間の気持ちはコロコロ変わるもので、全世界が自分の味方に思える時と、全世界が自分の敵に思えること、の両方がある。人間とはまことに勝手なものだ。独立開業しているといろいろな試練があって、これでもかこれでもかと押し寄せてくる時がある。そんな時は、もう2回ほどこのBlogに書かせて頂いた、永平寺の故宮崎亦保禅師の御言葉を思い出す。「死ぬ時が来たら死ねばいいんや。それまで平気で生きておればいいんや。」と。
 力が入りすぎると独楽がうまく回らないように、力を抜いて、フラットな気持ちで生きていく。そうすれば、思わぬ出来事や出会いがあり、人生が面白くなっていく。これこそが、独立開業という、仕組み自体はシンプルな道を選んだことの醍醐味だ。べえ独楽一つとっても気付きがあるとは、これまた驚いた。

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運は使い果たすものなのか?

 なんだか宗教じみた画像の掲載となってしまったが、「運」の画像をググってみると一番に出てきたので掲載することにした。実は、本日は私の属する業界の地域会の新年会があり、参加させて頂いたわけだが、その会で催されたくじ引きで、一等賞が当たってしまったのだ。商品はPanasonicのナノケアだ。
 それにしても、私はそもそもくじ引きに当たる性質(タチ)ではない。当たる確率はめっぽう低い。ただ、いまふと思い出したが、当たる時は大きなものが当たり、これまでに、自転車(一等賞)、蟹詰め合わせ(一等賞)が当たったことがあるから、くじ引きの引き、もっと言うと、私の「運」に関して、どのように考えればよいのだろうか。くじ引きに当たると、「もうそれで運を使い果たした。」などと言われることがあるが、果たして、「運」とはいかなるものなのであろうか。
 結論付けることは困難だが、本日のこの出来事は、私なりにプラスに捉えることにした。すなわち、「特に期待していなくても、いいことはある。」ということだ。捨てる神あれば拾う神あり。物事というものは、捨てなければ新しいものは入ってこない。とてつもなく広い保管場所があれば別だが、家財道具でも服でもなんでも、何かを捨てなければ新しいものは入る余地がない。
 本日頂いたナノケアは、今年の新たな「身入り」の象徴としたいものだ。

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たまにはバイクでも。

 本日午前中は、確定申告に必要な資料収集のため、S県K市にあるお客様を訪問した。すると、そこには、SUZUKI・コレダスクランブラーが佇んでいた。「スクランブラー」というのは、今で言えば「オフロードバイク」の事である。昔はオフロードというカテゴリーがなく不整地走行レース(草原、荒れ地、砂地)の事をスクランブルレースと呼んでいたことによる。 思えば、私が大学生の頃、Vespaに乗っていた友人に触発されて自分もバイクが欲しくなり、初めて購入したバイクが「スクランブラー」だった。私のバイクはSUZUKIではなく、HONDAのベンリィCL50だ。
 本日、久々にバイクに乗ってみたが、風を切って走る爽快さを味わうことができ、新鮮な気分になった。現在は愛車が愛車なのでバイクに乗るインセンティブがなく、バイクを所有してはいないが、バイクもいいものだ。スポーツカーよりも「乗馬」に近い感覚があり、男のロマンを感じる。
 もし将来、田舎に住むことになったら、間違いなくバイクに乗るだろう。

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ロング・コルネット

 コルネットには、ジャズ・吹奏楽で使われるアメリカ式のロング・コルネットと、英国式ブラスバンドで使われるショート・コルネットに分類される。ロング・コルネットはよりトランペットに近く明るい音色で、マウスピースの形状はトランペット用とほとんど同じものを用いる。ヤマハは以前はロング・コルネットを製造していたが現在はショート・コルネットを製造している。
 現在、トランペットをオーバーホールに出しているので、一時的にコルネットを吹いている。コルネットはトランペットと比べて唇により近いところに位置するため、アンブシュアを見直し調整するには、むしろ好都合かもしれない。おそらく、呼吸法とアンブシュアに問題があるためだと思うが、長年の癖で、高い音域を吹く時に、唇にかなり力が入ってしまい、唇が極めて固い状態になっている。これだと唇がうまく振動しないし、すぐにばててしまうことになる。アパチュアを大きめに調整し、腹に力を入れ、息が十分に楽器に入っていくように意識するようにしているのだが、長年の癖は非常に厄介である。
 いずれにせよ、すべてのキーのメジャー・スケール、リップスラーなどを練習しながら、徐々に唇の力を抜いていこうと考えている。

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よき仲間

 人間の風習はよくできている。冠婚葬祭がその最たる例であり、冠婚葬祭というイベントの下に、家族、友人、会社の人、地域の人が集まり、そのイベントを執り行う。冠婚葬祭という理由であれば、会社を休んだり、早退できる訳だから、冠婚葬祭が人間の生活にとっていかに大きなものであるか、思い知らされる。
 本日は高校時代の友人の結婚式があり、高校時代の友人が終結した。みなそれぞれの人生を歩んでおり、この歳になると色々な意味で貫録が出てくるものだ。我々高校時代の仲間は、出演依頼に応じ、毎回違った出し物を披露する、いわばダンサーだ。上写真は、本番前の待ち時間におけるワン・ショットだ(左から、ジョージ、N社長、私)。極寒の青山の空の下、パンツ(ふんどしの者あり)一丁で本番を待っていると、本当にダンサーのような気分になってくる。当然といえば当然だが、重要なのは「真剣にやる」ということだ。準備の段階から本番に至るまで、真剣に議論し、真剣に事を決め、真剣に披露する。今回の出し物は、年末年始の休みの関係で、本番前日に初顔合わせをし、形を作るという、非常に切羽詰まった状況にあった。衣装は「ふんどし」がいいのか「競泳用水着」がいいのかについて、真剣に議論した。この衣装の議論だけで30分は費やしたのではないだろうか。また、大きく2つの出し物がある中で、この2つの出し物をつなぐCMソングは何がよいのか、についても30分くらい議論した。「こんな30代後半はいねえよな、俺達馬鹿だよな。」とか言いながら、その場を楽しんでいる。
 結婚披露宴の挨拶で、新郎の会社の社長が仰っていた。「青年にとっての貯蓄は、お金ではなく、経験だ。」と。「青年」の定義はさておき、このことは肝に銘じておくべきだと考えた。「十分なお金がないのであれば、その分、様々な、多くの経験をするべきだ。」という風に自分をもっていけばよいのだ。
 結婚式に参加した高校時代の仲間。それぞれどのような想いで結婚していく友人を眺めていたのか。いい時もあれば悪い時もある。それぞれ違った悩みがあろう。そんな中に、こういった冠婚葬祭というイベントの下に集結し、久々に仲間と時間を共有する。これほど尊いものはない。

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母校、そして、再会

 今日は久々に友人と会うことになっていた。敢えて集合場所を母校のM一高にした。理由は、私もその友人も吹奏楽部に所属しており、久々に学校の教室で楽器を吹こうと考えたからだ。
 するとなんと、本日1月4日は、学校にとっても仕事初めの日であり、まだ始業はしていないものの、生徒達が部活動に精を出していたのだ。したがって、現役の生徒に会うことができたし、さらに、現役の生徒をたまたま指導しに来たOBの後輩にも会うことができた。彼は東京藝術大学を優秀な成績で卒業し、現在は某有名交響楽団に所属しているコントラバス奏者である。お互いに懐かしくなり話も弾むので、3人で食事をしてしばらく話をした。
 私の友人もプロのミュージシャン(ソプラノサックス、作曲、編曲等々)、上記の後輩もプロのコントラバス奏者と、なんとも芸術的な一日であった。さすが、音楽の話となると奥の深い話となり、ためになることばかりであった。彼らはいわゆる正規の音楽教育を受けているわけであり、一方で私はアマチュアの音楽愛好者であるが、彼らが言うには、いい演奏に触れることと(例 ドイツの作曲家の曲をドイツの教会で生で聴く等々)、いいものはいいと感じる純粋な気持ちが大切だ、とのことであった。
 さて、その後、友人とスタジオを借りて1時間セッションを行った。ジェイミーという、いわゆるカラオケでリズムセクションを流しながら、好きなように吹いた。私の場合、「こう吹きたい」というイメージはあるのだが、長いブランクのため演奏技術が極度に低下しているのと、コード進行についていけないのとで、思うように吹けない面もあったが、久々に楽器と向き合った気がした。なんでもそうだが、あとは地道な練習があるのみ。「Any Key OK!」の状態になれるよう、まずはメジャー・スケールの練習が必須のようだ。
 ちなみに、上写真は、母校に旧M城薬医門と愛車である。職員室から現在の吹奏楽部の顧問の先生がいらしたので軽く御挨拶をしたのだが、私の愛車を見るなり、「何をやっている方ですか?」と聞かれてしまった。「会計士です。」と答えたきり、会話は途絶えた。

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犬から学ぶこと

 ある程度躾のなされた犬を前提にするが、犬という動物は利口な動物である。犬ほど人間に懐く動物は他にはいないだろうし、一方で、動物としての御勤めもちゃんと果たす。写真の犬は、父親の友人宅の犬のゴンである。
 ちゃんと躾がなされ、ちゃんと散歩に連れて行ってもらえる犬は、全般的に御行儀がよい。毎日朝晩2回の散歩と1日1回の食事を前提とするならば、糞尿は散歩時のみ行うので、犬小屋の周りがきれいである。鎖に繋がれて犬小屋にいる時にもあまりストレスを感じていない様子である。15歳になるゴンは、毛並みも良く、散歩に行けばリードをぐいぐい引っ張り、しっかりマーキングをする。飯もよく食べる。一方で、ゴンは大変人懐っこい。総じて、感情の起伏がなく、精神状態が安定した犬である。
 人間はどうだろうか。なまじ頭がよいから、いろいろ考えてしまう。やるべきことをやり、精神状態をなるべく安定に保ち、毎日を淡々と過ごすことは、非常に難しいのではないだろうか。故宮崎亦保禅師は仰っていた。「死ぬ時が来たら死ねばええ。それまで平気で生きておればいいんや。」と。その「平気」というのが難しい。この点、犬は偉い。(餌という見返りを求めてはいるのだろうが)御主人様にいつも一定の愛情を注いでいる。
 犬と比べられたらたまらないかもしれないが、人間は時には犬からも学ぶところがあるように思える。

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新春ツーリング

 今年初のツーリングは、総勢20台のFairladyが千葉に終結した。見た目・音・匂い等々圧巻であり、参加者自身も吃驚するほどであった。
 今回のツーリングは、私を含む東京方面のクラブと千葉方面のクラブとが千葉で集結し、集結地・白浜間の数多くの峠道を往復する行程であった。部活のしごきの如く、極めて走り甲斐のあるものであり、帰宅した際には心身共に疲労困憊であった。さすがはスポーツカー。ゴルフの後の疲労感に似たものがある。お陰さまでトラブルもなく、全員無事に帰還した。
 ここまで走りこめば、スポーツカーに乗ること自体がスポーツである。常に五感を研ぎ澄ませ、緊張状態にある。水温計、油圧計、電流計をこまめにチェックしながら、音にも神経を使う。近年は、車には実用性が求められるので、スポーツカーという概念自体が理解されにくいと思うが、要は乗馬と同じであると考えて頂けばよい。要は、今日は、みんなで馬を走らせたのである。

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2011年1月1日

 あけましておめでとうございます。本年も「なぜ会計士EBJはうざいのか?-独立系会計士の思念-」を宜しくお願い申し上げます。
 年末年始は、ほぼ自分の思い描いていた年末年始となった。「紅白歌合戦」の後に「ゆく年くる年」を観ながら新年を迎え、寝る。起床後、雑煮を食べ、家族で神社にお参りをする。墓参りをする。年末年始の過ごし方は人それぞれであろうが、私にとっては、いかにも年末年始らしい過ごし方をした。ところで、家族での神社へのお参りと墓参りは、散歩も兼ねて徒歩で行った。車だと混雑するという理由もあるが、年末は運動不足気味だったことが一番の理由だ。上写真は散歩の途中に見つけた沼である。両親によれば、私が小さい頃に何度か連れて行ったことがあるとのことであるが、私にはその記憶がなく、「こんな沼がここあったのか!?」と、なんとも新鮮なものであった。このように、散歩をすると新たな発見があり、気持ちがよい。また、IphoneのMapを使えばショートカットを教えてくれるので、普段は通らない道を通ったりして、またまた新鮮だ。そんな新鮮さと同時に、この何気ないひと時を過ごせることに、幸せを感じるのであった。
 こうしたことを受けて思うのは、人間は、何か特別な出来事よりも、何気ない日常のひと時こそ、記憶に残るのではないだろうかということである。後になってじわ~っとくるのは、陽が燦々と差し込む居間で飲んだお茶の湯煙だったり、母親が残り物を食べていたり。こうしたひとつひとつのことを大切にしながら、仕事では肉食系の要素をもっと取り入れて、励んでいきたい。おみくじによれば、他人の力も借りながら、利益をあげることになっている。昨年もなかなかいい年だったが、今年はもっといい年になるよう、努力していきたい。

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