芸術的経営者を追求する、江幡公認会計士税理士事務所の心のブログ

Debussy, Claude Achille

 高校生の頃から大好きなドビュッシー。「月の光」がどうしても弾きたくて、数ヶ月かけて独学で練習し、弾けるようになった。心を込めて弾く月の光に、自分で弾いて自分で涙したこともあった。ところで、ドビュッシーの音楽は大好きだが、ドビュッシーの人となりは全く知らなかったことに気付いた。たまたま、いつも参加させて頂いているO氏のクラシック音楽講座でドビュッシーを取り上げると言うので、参加させて頂いた。時代背景、女性遍歴とともに、かなり勉強になった。ますます好きになりそうだ。
 1862年フランスの サン=ジェルマン=アン=レにて商家の長男として生まれた。家系に音楽家はなく、音楽教育は9歳の時(1871年)にポール・ヴェルレーヌの義母モテ・ド・フルールヴィル夫人から本格的に始まった。翌1872年、彼が10歳の時にパリ音楽院への入学が許され、13歳のころにはピアノコンクールで一等賞を獲るなど頭角を現す。1880年(18歳時)、パリ音楽院のピアノ伴奏クラスで一等賞を獲得し、チャイコフスキーのパトロンでもあったメック夫人のピアノ伴奏者となる。さらに声楽家モロー=サンティ夫人の伴奏者となり、さらにヴァニエ夫人と知り合って、一般教養や文学、歌曲に対し多大な影響を受ける。1884年22歳の時にカンタータ「放蕩息子」がローマ大賞を獲得し、翌1885年(23歳時)にイタリアへ留学。しかし、そこでの生活に飽きたために2年で帰国。
 その後次第に象徴派の詩人たちとの交流が深まる。1889年(27歳)、パリ万国博覧会で東洋の音楽に接し、衝撃を受ける。1894年「牧神の午後への前奏曲」を完成させ、印象派の扉を開く。1905年(43歳)、リリー・ドビュッシーと離婚し銀行家夫人エマ・バルダックと同棲、愛娘クロード=エマ(シューシュー)誕生。 1914年7月、第一次世界大戦勃発。1915年(53歳)、癌の手術を受ける。1918年3月25日(55歳)、直腸癌のため死去。11月に第一次世界大戦終結。
 ドビュッシーの音楽は、古い伝統的なスタイルの殻を破り、自由に光と影が綾なす色彩に音楽を開放した。このことは伝統的な、すなわちドイツからの影響を受けたものとは相反することとなった。次第にワーグナーに敵対心を持つようになり、後年勃発した第一次世界大戦により、彼のドイツ嫌いは決定的となった。1911年(49歳)にストラヴィンスキーに出会い、彼を含め後世に多大な影響を与え、今では現代音楽の始祖と呼ばれることを不動のものにしている。

EBJ

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