世の中には暗い出来事が多い。自分の身の回りにも、自分とは遠いところでも。戦争、テロリズム、犯罪等々。それらの情報に触れるたびに、どうしても、世の中を善と悪の二元論で考えてしまう。
いてもたってもいられなくなって、先輩会計士のN会計士に思いをぶつけてみた。その結果、N会計士は現実的な例を出しながら、実に腑に落ちる考えを述べてくれた。すなわち、「世の中の出来事や人間には清濁混在しており、そもそも清と濁を明確に区分できないものだ。確かに、世の中には悪と言われるものがある。しかし、自分自身はどうだろうか。(自分から見て何かを「悪」と考えるのは自分の考えが「善」であることを前提としているからであるが)、自分だって「悪」の部分は持っているのではないだろうか。つまり、自分自身にも清濁入り混じっているのではないだろうか。この仕事に置き換えてみれば、自分も最初の頃は「清」であろうと努力していたが、いくらそう努力しても、結果として「濁」が生じてしまうことがある。お客さんから報酬をもらっているにもかかわらず、結果としてどうしても「濁」が生じてしまうことがある。私はそれは、極端にいえば、詐欺であるということもできると思う。しかしながら、その点について開き直るのではなく、詐欺とならないように努力している。」と。
つまり、世の中の「悪」「濁」について憂いるのはある意味ナンセンスであり、まず、自分自身にも清濁あることを認めることが必要だ。それを認めるならば、あとは程度の問題である。戦争、テロリズム、犯罪等々が目立つのは、ごく平凡な生活の中の「悪」「濁」と比べれば、「悪」「濁」の側面があまりにも強いからである。
以上から、本日の結論は、「自分は『善』『清』である、世の中は腐っている。」といった「自惚れ」を抱かないことが肝要だということである。世の中に清濁入り混じっているのと同様、自分自身にも清濁入り混じっているのである。それが長所と短所であり、ある一面と他の一面なのである。このように考えるならば、この世で生きるのがもっと楽になるだろう。