芸術的経営者を追求する、江幡公認会計士税理士事務所の心のブログ

月: 2011年3月

桜からの伝言①

 飯田橋の某病院の帰りに、お濠沿いを歩いてみた。まもなく桜が開花しようとしている。石原都知事によれば「花見を自粛せよ。」とのことであり、その趣旨は分かるが、それはそれとして、やはり桜の開花には毎年奥深い何かを感じている。
 以前の記事で、故宮崎亦保禅師が仰っていたことを思い出す。人間には「頭」「心」があるので、シンプルに生きることは難しい。ある一時の感情によって、その後の行動が変わってしまうことがある。一方、自然はいつも淡々としている。写真の桜のように、時が来れば花を開き、自然界に彩りを添える。
 実は本日、事務所に同居している会計士に震災後初めて会った。2週間以上会っていなかったので、色々と話をしたが、それぞれ様々な思いがあることが分かった。会計士の中には、被災地で仕事をしている人もいる。我々東京在住の人間にとっては、被災地の状況は、おそらく想像を超えているのだろう。口では「被災地を支援したい。」とか簡単に言うことができるが、実際に行動するとなると、半端な気持ちではむしろ迷惑になる。
 今後とも、どのように活動していくかについては、冷静に考えていかねばならない。

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今後の商売をいかに進めていくか

 3月11日の大震災で、左写真の熊手が落っこちてしまった。俵が取れてしまい泣きそうになったが、何とかもとに位置にくっつけた。この熊手は、神社の教えに従い、元々は、南で人が行き来しない場所である本棚の上に設置していたのだが、最近は国内出張・海外出張が続いたので、また落ちると困るから、しばらくは設置しないでおいた。そして本日、改めて設置し、「二礼二拍手一礼」を行った。
 昨日は例の美容室に行き、美容師と話をしたが、彼の知り合いの飲食店(東京)では、既に大震災の影響が出始めているという。水や食材が手に入りにくくなっているし、客も少なくなっているしで、厳しい状況のようだ。当の美容室については大震災の影響はないとのことであるが、いずれにせよ、日本経済に何らかの変化があることは間違いがなさそうだ。
 となると、我々公認会計士業界にも影響がないわけがない。そして、私にとっても影響がないわけがない。事実、本日開催予定であったセミナーが中止になり(主催者O様へ:事実を記載しただけであり、気にしているわけでない旨ご了承ください)、外国人クライアントは一時的に国外に行ってしまった。今後も何らかの影響があるかもしれない。しかし、私は悲観をしていない。状況が変わったら、状況が変わったなりの活動をすべきであり、どのように活動すべきかは、自分自身が自分の頭で考えるべきだ。
 商売とはそういうものなのではないだろうか。

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豊かさとは何か

 先週は出張で上海に滞在していた。当然のことながら、朝から夕方までは仕事である。3日間と限られた日程の中で一定の成果をあげなければならない。適度の緊張感をもって仕事の方は無事終えることができた。
 仕事後、一度は見てみたかった外灘に行った。上海の象徴のような場所だ。上海万博を契機に歩道等が整備され、景色を眺めながらゆっくりと歩くことができる。写真は川の対岸の浦東だ。外灘にはクラシックな建物が多いのに比べ、対岸の浦東は近代的だ。街には西側諸国にあるようなあらゆる店があり、大都会だ。特に、女性のファション・メイクは、多少微妙だが、悪くない。たまたま知人が上海に帰国していたので現地で会うことができたのだが、そこには現地のその知人の友人も来ており、言葉が通じないながらも、その場の雰囲気を共有することができた。中でも、職業がOLという女性は、モノグラムのバッグを持ち、マント風の素敵なコートを身にまとい、メイクも自然な感じで、まさにOLを謳歌している感じであった。
 さて、以前行き来していたベトナムやその何歩も先を行く中国の街並や人々を見ていて思うのは、「豊かさとは何か」ということだ。私自身、今よりも若い頃は物欲のかたまりであった。特に社会人になってからは、散々欲しい物を買ってはまた違うものが欲しくなる、ということの繰り返しであった。雑誌でおいしい店を見つけては食べに行き、の繰り返しなど。つい最近までこれらのことを否定していたのだが、「否定しても意味がない」ということに今回気付いた。というのも、日本人全体を見ても、昔は「モノ」によりもたらされる豊かさを享受し、それがモチベーションになって、ここまで成長を遂げた。中には「モノからは真の豊かさは得られない。」と達観した人間もいるだろうが、通常は、やはり、「モノから豊かさを得ようとうする過程」をまずは経験しないと、その境地に行けないのではなかろうか。私自身も、散々散在したことがあったから、真の豊かさについて考えるようになった。
 気が付けば、「真の豊かさ」についての考察が甘かったようだ。「モノから得られる豊かさ」を否定する必要はなかったのだ。ここで自惚れていた自分を反省しよう。

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クララの気持ち~アルプスの少女ハイジ~

 TOKYO MXテレビで「アルプスの少女ハイジ」の再放送をやっている。たまに観ているのだが、アルプスの少女ハイジの1話1話は実に奥が深いということが分かった。山で暮らす少女の単なる描写ではない。番組の中で、どこそこに行く、誰誰に会う、というのは単なる入口に過ぎず、その時々でその日のメインキャストがどのような想いであったか、どのような気付きがあったのか、ということを伝えているのだ。
 本日のハイジでは、話の入り口は、クララが、ハイジとペーターと山の棚岩に行くというものであった。もちろんそこにもドラマがあるのだが、本日一番のドラマは、最後の頃、クララがハイジとペーターのおばあさんに会いに行った時の話であった。ペーターのおばあさんは目が見えないので、クララが本を読み聞かせていたのだが、読後に、おばあさんが、クララに感謝の気持ちを述べたのであった。気持ちがとてもこもっていて、天使の声のようだ、ありがとうと。すると、一瞬クララは暗い顔をして黙ってしまったのだが、それは大きな気付きがあったからだった。
 クララは病気で車いす生活をしていて、普段はたくさんの人に迷惑をかけているという負い目を感じていたのだ。ところが、ここ山の生活では、クララにとってしてみればただ単に本を読み聞かせただけなのに、そのことを褒めてくれ、感謝してくれる人がいる。つまり、クララは、普段は人の世話にばかりなっている自分も、人の役に立てるということに気付いたのである。おばあさんから礼を言われると、クララは涙を流しながら、おばあさんの手を握り、何度も何度も礼を言うのである。
 この大震災がなければ演奏会に出場するはずであった宮城のある中学校の合唱団が、被災者のために歌を歌った。「明日さえあれば生きていける」という主旨の歌詞の歌であったが、その歌を、被災者は涙を流しながら、嗚咽しながら聴き入っていた。
 私には、クララの涙と被災者の涙に何らかの共通点を見出した。生きていると泣けてくることがある。ただ、悲しいとか嬉しいとか唯一の理由から泣けてくるのではないような気がする。ある事象を目の当たりにし、そこに自分の体験を重ね合わせ、泣くような気がする。「共感」とでも言うのだろうか。こんな大変な時こそ涙は美しい。
 そしてもう一つ。「無邪気」というのはハイジのような人間のことを言う。喜怒哀楽に対する100%の感度をもち、人の心の痛みがわかり、思いやりがある人間のことを言う。一方、成人の中にも、一見すると「無邪気」だなどと言われる人間もいるが、それは嘘であろう。いい意味でも悪い意味でも、成人してから無邪気でいられるわけがない。一見して「無邪気」とは、単なる「じゃじゃ馬」である可能性が高いので、その点に留意が必要である。

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人のやさしさ

 巨大地震後は都内もガソリンが不足している。巨大地震前に車に乗った際、「また乗る時にガソリンを入れればいいや。」ということでガソリンが10ℓ程度のままにしておいたのだが、今後いつ車が必要になるかわからない。電車がストップしたがどうしても実家に帰らなければならない場合等に備え、とりあえずはガソリンを入れておいた方が無難であろうと判断した。ネットで給油可能なGSを探しまくり、何とか探し当てたので、急行した。
 案の定、大行列ができていた。並んでからガソリンを入れるまで1時間くらい待っただろう。この非常時に乗るような車ではなく、人によっては非国民と思ったかもしれないが、私はこれ以外に車はない。趣味の車であるが唯一の足でもある。しょうがない。本日は日差しが強かった。オープンにしていたので、日差しのせいでフラフラしてきた。水分を取ろうと、沿道の店に駆け込んで急いで飲み物を買った。店の方はかなり協力的に接してくれたのがうれしかった。
 またしばらく待っていると、小さい女の子の手を引いた男性が話しかけてきた。「GSはもうすぐだよ。満タンOKみたいだから、心配しなくていいよ。」と。なんとも優しいお言葉。こういう時は、ちょっとした一言がうれしい。

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厭世的思考になってはならぬ!

 先週・今週と出張で浜松に行っていたが、昨日ようやく東京に戻ってきた。忘れもしない3月11日(金)の昼過ぎ。浜松も船酔いをするような長い揺れが続いたので違和感を感じていたところ、東北地方・関東地方で大変なことになっていた。先週は関東地方の被災県にある実家の家族に1日に何度も連絡し、当地の状況、家族の状況を事細かに把握した。実家の家族とは離れて暮らしているが、できる限りのサポートをすることを誓った。
 さて、現在の大変な時期においても、思わず口を滑らしてしまう人、当局等を批判するだけの人、火事場泥棒等々、残念な方々がいるのは事実だ。また、インターネット等ではいわゆる「正しくない情報」が流れているようだ。腹立たしくなるが、腹を立てていてもしょうがない。現在最も重要なのは、被害を食い止めること、被害者を救うこと、復興することだ。この数日間だけでも感動したことはたくさんある。日本は凄い国だと思うので、必ず復興する。これまでの歴史が証明している。大きな災難と言えば、関東大震災、第二次世界大戦、広島・長崎の原爆、阪神淡路大震災等々あるが、全て復興してきている。以下、ここ数日で感動したことを記載しておく。
①見ず知らずの人との会話が増えた
②世の中が節電ムードになった
③人々が駅で文句を言わず黙々と階段をのぼっている
④原子力発電所で危険な作業をしてくださる英雄が日本にいる
⑤自衛隊・警察・消防の方々も英雄だ
⑥世界各国の支援がある
⑦米国の投資家は日本の復興を信じていると言っていた
⑧(ストレスは計り知れないが)社会が一定の秩序を保っている
⑨友人らと連絡を取り合う機会が増え互いに安否を気遣っている
⑩赤ん坊の甥がすくすくと育っている
⑪こんな状況でも責任感を持って仕事をしている人達がたくさんいる
⑫電車・高速道路等が復活し始めている
⑬これまで顕在化していなかった日々の絆が目に見える
⑭日本人は悪く言えば自己主張しないが耐え忍ぶ強い国民だ
 シンガポールの友人が「Please take care of yourself and always keep thinking positive.」という心強いメールをくれた。今目の前で起こっている「不幸」は、今現在は「不幸」かもしれない。しかし、数々の「副産物」があることを忘れてはいけない。不幸を乗り越えたものにだけ与えられる「強さ」、「思いやり」、「人の心の痛みが分かる敏感な心」がある。「家族」との絆も再認識できるだろう。今現在は日本にとって「不幸」だが、将来的にはよりよい日本になるための「試練」であったと思える日が必ず来る。そう信じて、笑える時は笑って、毎日を大切に生きていこう。

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命あってこそ

 一昨日「家族の存在」という記事を書いた矢先、本日午後の東北地方太平洋沖地震により、危うい状況が続いている。私は出張で静岡県浜松市にいたため(帰京できず現在も浜松市滞在中)、関東地方ほどの地震の強さではなかったが、テレビで見る限り、関東地方では想像を絶する強い地震があったことが分かった。家族に何度も何度も電話をかけてやっと繋がったので話をしたところ、屋根の瓦がすべて落ち、壁にはひびが入り、食器は割れ、無残なあり様とのことであった。とはいえ、現時点で無事が確認できたため、ひとまずはよしとするしかない。
 現在も予断を許さない状況であり、地震や津波の可能性がある。こんな状況では、日頃の悩みが些細に思え、とにかく、命が無事であってほしいと願うばかりだ。
 「命あってこそ」だ。

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家族の存在

 久々にはまったテレビドラマで、全4話全てが終了した、「四十九日のレシピ」。評価は人それぞれだろうが、私は、この「四十九日のレシピ」が伝えたかったことを大切にしていきたい。
 長く生きれば生きるほど色々なことがある。まさに山あり谷ありだ。また、時には人の心を傷つけてしまったり、逆に自分の心が傷つけられたりする。自分が良い状態の時は(なんだかんだ言って)有頂天になり、やがて谷間に落ちて凹む。振り返れば、基本的には、こんなことの繰り返しではなかろうか。
 この点、特に谷の状態にいる時、最終的には自分でしかそこから這い上がることはできない。自分以外の誰かが身代りになってくれたり、埋め合わせをすることはできない。例えば、病気になった時、その病気を誰かが引き受けることはできない。悲しい気持ちを誰かが持ち去ったり埋め合わせをすることはできない。結局は「自分」しかない。しかし、こんな時に拠り所になるのは、「家族の存在」だ。色々な形の家族があるし、表現の仕方も様々だが、家族は自分に「共感」する。自分のことを誰よりも良く分かっているし、これまでに喜怒哀楽を共にしてきた実績があるので、家族が、今目の前にいなくても、支えてくれている。こうした家族の存在が原動力になり、「谷から這い上がろう。」という思いを抱き、具体的行動に移せることがある。
 新しい家族ができれば殊のほか嬉しいし、家族が亡くなれば大いに悲しい。これらの感情は理屈抜きだ。理屈などない。この理屈抜きの存在こそ、「家族」だ。

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流儀~なるべく愚直~

 私の仕事の流儀は、「なるべく愚直」である。「手を抜く」ことは言語道断、「端折る」や「簡略化する」もなるべくしないようにしている。
 そもそも、「会計」とは、説明責任を果たすためのツールである。個人で商売されている方や小さいながらも会社経営をされている方にとって必ず存在する利害関係者は、「税務当局」である。「税務調査」の際には、「税務当局」に対して、適切に「説明」をする必要がある。そして、適切に説明するためには、会計の検証可能性が高い方がよい。検証可能性が高いというのは、第三者が会計帳簿や原始証憑等を見る際に、「分かりやすい」ということである。税務調査官も人間である。彼らにいかに気持ちよく見てもらうかが、税務調査を効率的に遂行する上で非常に重要である。
 この点、私は、領収書を紙に張ったり、紙に2穴を開けたり、インデックスを付けたり、という基本動作に関しても、納得のいくまでやることにしている。紙の端っこがずれていたり、領収書が見にくかったりするようでは、その先の仕事もおそらく何かあるに違いないと考えている。結局のところ、仕事の出来はその人間の基本動作の延長上にあると考えている。ただ単に「愚直」というのでは融通が利かないが、「なるべく愚直」を心がけていれば、「愚直」から離れることはない。

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音楽と料理と休養

 本日は、午前中はドライブ兼お客様対応、15:00からクラシック音楽講座、19:00から友人のバースデイ・パーティという充実した日であった。午前中のお客様は、私の車でお世話になっており、お金を通じて、私は会計・税務サービスを提供し、お客様は私に車に関するサービスを提供するという、まさに物々交換の世界であり、私の思い描くビジネス・モデルの最初の成功事例と言っても過言ではない。
 15:00からのクラシック音楽講座の本日のお題はフランツ・リスト。リストといえば、「愛の夢」や「ラ・カンパネッラ」などの超絶技巧で有名だが、知って驚いたのは、リストは「職業的音楽家」として自立していたということであった。昔々音楽家といえば、貴族のサポートで成り立っていたのだが、講師によれば、リストは自らや他の音楽家のプロデュース能力に殊のほか長けており、晩年の貯蓄額は今でいう2億円超とのことであった。女性関係も色々あったとのことであり、見習うべき点は多い。ちなみに、このクラシック音楽講座の講師の方の会社についても私が税務顧問をさせて頂いており、公私ともにお世話になっている次第である。
 クラシック音楽講座には18:00までたっぷりと浸ったが、その後、19:00からのバースデイ・パーティの準備をした。ある女性が一人で黙々と餃子を作っていらしたので、これはまずいと思い、お手伝いをした。思えば、餃子を作るのは生まれて初めてである。まず、皮の上に具を乗せ、皮の周りを水で湿らせ、襞を作って皮をくっつける。最後に底面を作る。襞を作る加減がよくわからず、自分なりにやってみたところ、「芸術的な襞である。」と褒められたが、見た目はその女性が作った物の方が綺麗だ。いずれにせよ、餃子を作りながら思ったのは、料理をしている最中は無心になるということである。正直言って、今は休んでいる場合ではないくらいTO DOがたくさんある。しかし、自分を休ませることも必要だ。下手をすればエンドレスになるところ、やはり意識的に休養をとる必要がある。むしろ、忙しい時こそ休養を取った方がメリハリがついてよい。そんなことを考えながら餃子を作っていた。パーティも盛り上がり、他の6人の方全員とゆっくり話をすることができた。7人くらいがちょうどよいのかもしれない。
 ふと思った。元々は見ず知らずの人間たちが、何かの目的のために集まり、時間を共有する。いまここにいる人たちは、元々知らない人たちだった。それが、人と人との出会いを通じて知り合った。なんとすばらしいことか。

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幸福論⑥

 「幸福」はいわゆる幸福の顔をしていないことがある。渦中にいるその事象が、その時の自分にとってつらかったり、耳が痛かったり、悔しかったりしたとしても、後になって、「ああ、あの時あの事が起こってよかった。あの事がなければ今頃は・・・。」ということがある。
 子供の頃は、家や学校でガミガミ言われることが多々あるものだが、社会人になるとそのような機会は滅法少なくなる。基本的には、そのような機会はないと思っていた方がよかろう。「もう大人なんだから」ということもあるし、「自分のことは自分で責任をとる」ということが当たり前だからだ。
 この点、私の場合、人間的成長度合云々、言い悪いは別にして、ありがたく「指摘」してくれる方が多い。これまでを振り返れば、家族・先輩方・友人等の数々の「指摘」により成り立ってきたようなものだ。本当に感謝している。というのも、「指摘」する方は決して気分がよいわけではなく、エネルギーを費やしてくれているからだ。
 これも「幸福」の1つだと考えている。

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幸福論⑤

 久々に連続ドラマにはまっている。NHKの「四十九日のレシピ」という全4回のドラマだ。「家族」や「人とのふれあい」を通じで、「幸せ」とは何かを考えさせられる。人間の葛藤、後悔、八方塞の状況からどうやって前に進んでいくかについて、考えさせられる。ちなみに、主演女優の和久井映見さんの演技には目を見張るものがある。1970年生まれの彼女は今年41歳になる。以前から派手さはなく、どちらかというと控え目な印象だが、その卓越した演技力により、悩ましい状況にありながらも、芯のある、魅力的な女性を演じている。涙を流すと涙と一緒に体の有害物質が体外に出されると言われているが、このドラマを観た後は、心身ともに極めてすっきりした状態になる。
 さて、話は変わって、本日は、私の大学のゼミの後輩の会計士N君に仕事を手伝ってもらった。彼とは先月開催されたゼミのOB会で初めて出会い、同じく先月の別の会合で再会し、しばらく話をした。N君は人懐っこいというか、人としっかりと話のできる人間で、初めて出会った時から好印象を持っていた(変な意味ではなく)。直感的に、「こいつならいずれ大成する。」と感じたのだ。というのも、彼は誠実だからだ。小利口な者は結構いるが、誠実な者は多くはないと思う。私の個人的な考えだが、仕事は「愚直」なくらいがちょうどよい、というか、「愚直」であるべきだと考えている。例えば、コピー取り、入力、資料整理等々は単純作業だが、これらの単純作業をしっかりできないようでは、その先の難易度の高い仕事は誠実にはできない。単純作業を誠実にできないのは、「面倒くさい」という心があるからだ。「面倒くさい」という心がある以上、人の心を動かす仕事はできない。この点、N君は入力作業をしっかりこなしたし、不明点等を明らかにしている(いい加減に処理しない)。そして、本日のこうした状況を見ていたN会計士もN君に好印象をもったようだ。
 
 N君には何度か言った。「今はつらい状況かもしれないが、このつらい状況は必ず将来の糧になる。他の合格者でBig4に就職して働いているからといって、それが人生の成功とか幸福に必ずしも直結するわけではない。それよりも、いろんな人に出会い、いろんな経験をし、自分の良さを活かして生きていってください。」と。また、「N君のような方を雇えるよう、私も頑張って稼ぎます(笑)。」とも。
 明日もN君に仕事のお手伝いをお願いしている。

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