Ebalog

芸術的経営者を追求する、江幡公認会計士税理士事務所の心のブログ

桜からの伝言②

 晴天の土曜日。約2週間のモヤモヤを発散するかのように、銀座は人で溢れていた。人で溢れる銀座はそれはそれでよいのだが、少しまったりしたくなったので日本橋まで歩いた。この桜は日当たりの良かったのだろう。周りの桜よりも目立っていた。日当たりは睡眠のようなもの。御日様は大事なのである。

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桜からの伝言①

 飯田橋の某病院の帰りに、お濠沿いを歩いてみた。まもなく桜が開花しようとしている。石原都知事によれば「花見を自粛せよ。」とのことであり、その趣旨は分かるが、それはそれとして、やはり桜の開花には毎年奥深い何かを感じている。
 以前の記事で、故宮崎亦保禅師が仰っていたことを思い出す。人間には「頭」「心」があるので、シンプルに生きることは難しい。ある一時の感情によって、その後の行動が変わってしまうことがある。一方、自然はいつも淡々としている。写真の桜のように、時が来れば花を開き、自然界に彩りを添える。
 実は本日、事務所に同居している会計士に震災後初めて会った。2週間以上会っていなかったので、色々と話をしたが、それぞれ様々な思いがあることが分かった。会計士の中には、被災地で仕事をしている人もいる。我々東京在住の人間にとっては、被災地の状況は、おそらく想像を超えているのだろう。口では「被災地を支援したい。」とか簡単に言うことができるが、実際に行動するとなると、半端な気持ちではむしろ迷惑になる。
 今後とも、どのように活動していくかについては、冷静に考えていかねばならない。

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今後の商売をいかに進めていくか

 3月11日の大震災で、左写真の熊手が落っこちてしまった。俵が取れてしまい泣きそうになったが、何とかもとに位置にくっつけた。この熊手は、神社の教えに従い、元々は、南で人が行き来しない場所である本棚の上に設置していたのだが、最近は国内出張・海外出張が続いたので、また落ちると困るから、しばらくは設置しないでおいた。そして本日、改めて設置し、「二礼二拍手一礼」を行った。
 昨日は例の美容室に行き、美容師と話をしたが、彼の知り合いの飲食店(東京)では、既に大震災の影響が出始めているという。水や食材が手に入りにくくなっているし、客も少なくなっているしで、厳しい状況のようだ。当の美容室については大震災の影響はないとのことであるが、いずれにせよ、日本経済に何らかの変化があることは間違いがなさそうだ。
 となると、我々公認会計士業界にも影響がないわけがない。そして、私にとっても影響がないわけがない。事実、本日開催予定であったセミナーが中止になり(主催者O様へ:事実を記載しただけであり、気にしているわけでない旨ご了承ください)、外国人クライアントは一時的に国外に行ってしまった。今後も何らかの影響があるかもしれない。しかし、私は悲観をしていない。状況が変わったら、状況が変わったなりの活動をすべきであり、どのように活動すべきかは、自分自身が自分の頭で考えるべきだ。
 商売とはそういうものなのではないだろうか。

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豊かさとは何か

 先週は出張で上海に滞在していた。当然のことながら、朝から夕方までは仕事である。3日間と限られた日程の中で一定の成果をあげなければならない。適度の緊張感をもって仕事の方は無事終えることができた。
 仕事後、一度は見てみたかった外灘に行った。上海の象徴のような場所だ。上海万博を契機に歩道等が整備され、景色を眺めながらゆっくりと歩くことができる。写真は川の対岸の浦東だ。外灘にはクラシックな建物が多いのに比べ、対岸の浦東は近代的だ。街には西側諸国にあるようなあらゆる店があり、大都会だ。特に、女性のファション・メイクは、多少微妙だが、悪くない。たまたま知人が上海に帰国していたので現地で会うことができたのだが、そこには現地のその知人の友人も来ており、言葉が通じないながらも、その場の雰囲気を共有することができた。中でも、職業がOLという女性は、モノグラムのバッグを持ち、マント風の素敵なコートを身にまとい、メイクも自然な感じで、まさにOLを謳歌している感じであった。
 さて、以前行き来していたベトナムやその何歩も先を行く中国の街並や人々を見ていて思うのは、「豊かさとは何か」ということだ。私自身、今よりも若い頃は物欲のかたまりであった。特に社会人になってからは、散々欲しい物を買ってはまた違うものが欲しくなる、ということの繰り返しであった。雑誌でおいしい店を見つけては食べに行き、の繰り返しなど。つい最近までこれらのことを否定していたのだが、「否定しても意味がない」ということに今回気付いた。というのも、日本人全体を見ても、昔は「モノ」によりもたらされる豊かさを享受し、それがモチベーションになって、ここまで成長を遂げた。中には「モノからは真の豊かさは得られない。」と達観した人間もいるだろうが、通常は、やはり、「モノから豊かさを得ようとうする過程」をまずは経験しないと、その境地に行けないのではなかろうか。私自身も、散々散在したことがあったから、真の豊かさについて考えるようになった。
 気が付けば、「真の豊かさ」についての考察が甘かったようだ。「モノから得られる豊かさ」を否定する必要はなかったのだ。ここで自惚れていた自分を反省しよう。

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クララの気持ち~アルプスの少女ハイジ~

 TOKYO MXテレビで「アルプスの少女ハイジ」の再放送をやっている。たまに観ているのだが、アルプスの少女ハイジの1話1話は実に奥が深いということが分かった。山で暮らす少女の単なる描写ではない。番組の中で、どこそこに行く、誰誰に会う、というのは単なる入口に過ぎず、その時々でその日のメインキャストがどのような想いであったか、どのような気付きがあったのか、ということを伝えているのだ。
 本日のハイジでは、話の入り口は、クララが、ハイジとペーターと山の棚岩に行くというものであった。もちろんそこにもドラマがあるのだが、本日一番のドラマは、最後の頃、クララがハイジとペーターのおばあさんに会いに行った時の話であった。ペーターのおばあさんは目が見えないので、クララが本を読み聞かせていたのだが、読後に、おばあさんが、クララに感謝の気持ちを述べたのであった。気持ちがとてもこもっていて、天使の声のようだ、ありがとうと。すると、一瞬クララは暗い顔をして黙ってしまったのだが、それは大きな気付きがあったからだった。
 クララは病気で車いす生活をしていて、普段はたくさんの人に迷惑をかけているという負い目を感じていたのだ。ところが、ここ山の生活では、クララにとってしてみればただ単に本を読み聞かせただけなのに、そのことを褒めてくれ、感謝してくれる人がいる。つまり、クララは、普段は人の世話にばかりなっている自分も、人の役に立てるということに気付いたのである。おばあさんから礼を言われると、クララは涙を流しながら、おばあさんの手を握り、何度も何度も礼を言うのである。
 この大震災がなければ演奏会に出場するはずであった宮城のある中学校の合唱団が、被災者のために歌を歌った。「明日さえあれば生きていける」という主旨の歌詞の歌であったが、その歌を、被災者は涙を流しながら、嗚咽しながら聴き入っていた。
 私には、クララの涙と被災者の涙に何らかの共通点を見出した。生きていると泣けてくることがある。ただ、悲しいとか嬉しいとか唯一の理由から泣けてくるのではないような気がする。ある事象を目の当たりにし、そこに自分の体験を重ね合わせ、泣くような気がする。「共感」とでも言うのだろうか。こんな大変な時こそ涙は美しい。
 そしてもう一つ。「無邪気」というのはハイジのような人間のことを言う。喜怒哀楽に対する100%の感度をもち、人の心の痛みがわかり、思いやりがある人間のことを言う。一方、成人の中にも、一見すると「無邪気」だなどと言われる人間もいるが、それは嘘であろう。いい意味でも悪い意味でも、成人してから無邪気でいられるわけがない。一見して「無邪気」とは、単なる「じゃじゃ馬」である可能性が高いので、その点に留意が必要である。

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人のやさしさ

 巨大地震後は都内もガソリンが不足している。巨大地震前に車に乗った際、「また乗る時にガソリンを入れればいいや。」ということでガソリンが10ℓ程度のままにしておいたのだが、今後いつ車が必要になるかわからない。電車がストップしたがどうしても実家に帰らなければならない場合等に備え、とりあえずはガソリンを入れておいた方が無難であろうと判断した。ネットで給油可能なGSを探しまくり、何とか探し当てたので、急行した。
 案の定、大行列ができていた。並んでからガソリンを入れるまで1時間くらい待っただろう。この非常時に乗るような車ではなく、人によっては非国民と思ったかもしれないが、私はこれ以外に車はない。趣味の車であるが唯一の足でもある。しょうがない。本日は日差しが強かった。オープンにしていたので、日差しのせいでフラフラしてきた。水分を取ろうと、沿道の店に駆け込んで急いで飲み物を買った。店の方はかなり協力的に接してくれたのがうれしかった。
 またしばらく待っていると、小さい女の子の手を引いた男性が話しかけてきた。「GSはもうすぐだよ。満タンOKみたいだから、心配しなくていいよ。」と。なんとも優しいお言葉。こういう時は、ちょっとした一言がうれしい。

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厭世的思考になってはならぬ!

 先週・今週と出張で浜松に行っていたが、昨日ようやく東京に戻ってきた。忘れもしない3月11日(金)の昼過ぎ。浜松も船酔いをするような長い揺れが続いたので違和感を感じていたところ、東北地方・関東地方で大変なことになっていた。先週は関東地方の被災県にある実家の家族に1日に何度も連絡し、当地の状況、家族の状況を事細かに把握した。実家の家族とは離れて暮らしているが、できる限りのサポートをすることを誓った。
 さて、現在の大変な時期においても、思わず口を滑らしてしまう人、当局等を批判するだけの人、火事場泥棒等々、残念な方々がいるのは事実だ。また、インターネット等ではいわゆる「正しくない情報」が流れているようだ。腹立たしくなるが、腹を立てていてもしょうがない。現在最も重要なのは、被害を食い止めること、被害者を救うこと、復興することだ。この数日間だけでも感動したことはたくさんある。日本は凄い国だと思うので、必ず復興する。これまでの歴史が証明している。大きな災難と言えば、関東大震災、第二次世界大戦、広島・長崎の原爆、阪神淡路大震災等々あるが、全て復興してきている。以下、ここ数日で感動したことを記載しておく。
①見ず知らずの人との会話が増えた
②世の中が節電ムードになった
③人々が駅で文句を言わず黙々と階段をのぼっている
④原子力発電所で危険な作業をしてくださる英雄が日本にいる
⑤自衛隊・警察・消防の方々も英雄だ
⑥世界各国の支援がある
⑦米国の投資家は日本の復興を信じていると言っていた
⑧(ストレスは計り知れないが)社会が一定の秩序を保っている
⑨友人らと連絡を取り合う機会が増え互いに安否を気遣っている
⑩赤ん坊の甥がすくすくと育っている
⑪こんな状況でも責任感を持って仕事をしている人達がたくさんいる
⑫電車・高速道路等が復活し始めている
⑬これまで顕在化していなかった日々の絆が目に見える
⑭日本人は悪く言えば自己主張しないが耐え忍ぶ強い国民だ
 シンガポールの友人が「Please take care of yourself and always keep thinking positive.」という心強いメールをくれた。今目の前で起こっている「不幸」は、今現在は「不幸」かもしれない。しかし、数々の「副産物」があることを忘れてはいけない。不幸を乗り越えたものにだけ与えられる「強さ」、「思いやり」、「人の心の痛みが分かる敏感な心」がある。「家族」との絆も再認識できるだろう。今現在は日本にとって「不幸」だが、将来的にはよりよい日本になるための「試練」であったと思える日が必ず来る。そう信じて、笑える時は笑って、毎日を大切に生きていこう。

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命あってこそ

 一昨日「家族の存在」という記事を書いた矢先、本日午後の東北地方太平洋沖地震により、危うい状況が続いている。私は出張で静岡県浜松市にいたため(帰京できず現在も浜松市滞在中)、関東地方ほどの地震の強さではなかったが、テレビで見る限り、関東地方では想像を絶する強い地震があったことが分かった。家族に何度も何度も電話をかけてやっと繋がったので話をしたところ、屋根の瓦がすべて落ち、壁にはひびが入り、食器は割れ、無残なあり様とのことであった。とはいえ、現時点で無事が確認できたため、ひとまずはよしとするしかない。
 現在も予断を許さない状況であり、地震や津波の可能性がある。こんな状況では、日頃の悩みが些細に思え、とにかく、命が無事であってほしいと願うばかりだ。
 「命あってこそ」だ。

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家族の存在

 久々にはまったテレビドラマで、全4話全てが終了した、「四十九日のレシピ」。評価は人それぞれだろうが、私は、この「四十九日のレシピ」が伝えたかったことを大切にしていきたい。
 長く生きれば生きるほど色々なことがある。まさに山あり谷ありだ。また、時には人の心を傷つけてしまったり、逆に自分の心が傷つけられたりする。自分が良い状態の時は(なんだかんだ言って)有頂天になり、やがて谷間に落ちて凹む。振り返れば、基本的には、こんなことの繰り返しではなかろうか。
 この点、特に谷の状態にいる時、最終的には自分でしかそこから這い上がることはできない。自分以外の誰かが身代りになってくれたり、埋め合わせをすることはできない。例えば、病気になった時、その病気を誰かが引き受けることはできない。悲しい気持ちを誰かが持ち去ったり埋め合わせをすることはできない。結局は「自分」しかない。しかし、こんな時に拠り所になるのは、「家族の存在」だ。色々な形の家族があるし、表現の仕方も様々だが、家族は自分に「共感」する。自分のことを誰よりも良く分かっているし、これまでに喜怒哀楽を共にしてきた実績があるので、家族が、今目の前にいなくても、支えてくれている。こうした家族の存在が原動力になり、「谷から這い上がろう。」という思いを抱き、具体的行動に移せることがある。
 新しい家族ができれば殊のほか嬉しいし、家族が亡くなれば大いに悲しい。これらの感情は理屈抜きだ。理屈などない。この理屈抜きの存在こそ、「家族」だ。

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流儀~なるべく愚直~

 私の仕事の流儀は、「なるべく愚直」である。「手を抜く」ことは言語道断、「端折る」や「簡略化する」もなるべくしないようにしている。
 そもそも、「会計」とは、説明責任を果たすためのツールである。個人で商売されている方や小さいながらも会社経営をされている方にとって必ず存在する利害関係者は、「税務当局」である。「税務調査」の際には、「税務当局」に対して、適切に「説明」をする必要がある。そして、適切に説明するためには、会計の検証可能性が高い方がよい。検証可能性が高いというのは、第三者が会計帳簿や原始証憑等を見る際に、「分かりやすい」ということである。税務調査官も人間である。彼らにいかに気持ちよく見てもらうかが、税務調査を効率的に遂行する上で非常に重要である。
 この点、私は、領収書を紙に張ったり、紙に2穴を開けたり、インデックスを付けたり、という基本動作に関しても、納得のいくまでやることにしている。紙の端っこがずれていたり、領収書が見にくかったりするようでは、その先の仕事もおそらく何かあるに違いないと考えている。結局のところ、仕事の出来はその人間の基本動作の延長上にあると考えている。ただ単に「愚直」というのでは融通が利かないが、「なるべく愚直」を心がけていれば、「愚直」から離れることはない。

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音楽と料理と休養

 本日は、午前中はドライブ兼お客様対応、15:00からクラシック音楽講座、19:00から友人のバースデイ・パーティという充実した日であった。午前中のお客様は、私の車でお世話になっており、お金を通じて、私は会計・税務サービスを提供し、お客様は私に車に関するサービスを提供するという、まさに物々交換の世界であり、私の思い描くビジネス・モデルの最初の成功事例と言っても過言ではない。
 15:00からのクラシック音楽講座の本日のお題はフランツ・リスト。リストといえば、「愛の夢」や「ラ・カンパネッラ」などの超絶技巧で有名だが、知って驚いたのは、リストは「職業的音楽家」として自立していたということであった。昔々音楽家といえば、貴族のサポートで成り立っていたのだが、講師によれば、リストは自らや他の音楽家のプロデュース能力に殊のほか長けており、晩年の貯蓄額は今でいう2億円超とのことであった。女性関係も色々あったとのことであり、見習うべき点は多い。ちなみに、このクラシック音楽講座の講師の方の会社についても私が税務顧問をさせて頂いており、公私ともにお世話になっている次第である。
 クラシック音楽講座には18:00までたっぷりと浸ったが、その後、19:00からのバースデイ・パーティの準備をした。ある女性が一人で黙々と餃子を作っていらしたので、これはまずいと思い、お手伝いをした。思えば、餃子を作るのは生まれて初めてである。まず、皮の上に具を乗せ、皮の周りを水で湿らせ、襞を作って皮をくっつける。最後に底面を作る。襞を作る加減がよくわからず、自分なりにやってみたところ、「芸術的な襞である。」と褒められたが、見た目はその女性が作った物の方が綺麗だ。いずれにせよ、餃子を作りながら思ったのは、料理をしている最中は無心になるということである。正直言って、今は休んでいる場合ではないくらいTO DOがたくさんある。しかし、自分を休ませることも必要だ。下手をすればエンドレスになるところ、やはり意識的に休養をとる必要がある。むしろ、忙しい時こそ休養を取った方がメリハリがついてよい。そんなことを考えながら餃子を作っていた。パーティも盛り上がり、他の6人の方全員とゆっくり話をすることができた。7人くらいがちょうどよいのかもしれない。
 ふと思った。元々は見ず知らずの人間たちが、何かの目的のために集まり、時間を共有する。いまここにいる人たちは、元々知らない人たちだった。それが、人と人との出会いを通じて知り合った。なんとすばらしいことか。

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幸福論⑥

 「幸福」はいわゆる幸福の顔をしていないことがある。渦中にいるその事象が、その時の自分にとってつらかったり、耳が痛かったり、悔しかったりしたとしても、後になって、「ああ、あの時あの事が起こってよかった。あの事がなければ今頃は・・・。」ということがある。
 子供の頃は、家や学校でガミガミ言われることが多々あるものだが、社会人になるとそのような機会は滅法少なくなる。基本的には、そのような機会はないと思っていた方がよかろう。「もう大人なんだから」ということもあるし、「自分のことは自分で責任をとる」ということが当たり前だからだ。
 この点、私の場合、人間的成長度合云々、言い悪いは別にして、ありがたく「指摘」してくれる方が多い。これまでを振り返れば、家族・先輩方・友人等の数々の「指摘」により成り立ってきたようなものだ。本当に感謝している。というのも、「指摘」する方は決して気分がよいわけではなく、エネルギーを費やしてくれているからだ。
 これも「幸福」の1つだと考えている。

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幸福論⑤

 久々に連続ドラマにはまっている。NHKの「四十九日のレシピ」という全4回のドラマだ。「家族」や「人とのふれあい」を通じで、「幸せ」とは何かを考えさせられる。人間の葛藤、後悔、八方塞の状況からどうやって前に進んでいくかについて、考えさせられる。ちなみに、主演女優の和久井映見さんの演技には目を見張るものがある。1970年生まれの彼女は今年41歳になる。以前から派手さはなく、どちらかというと控え目な印象だが、その卓越した演技力により、悩ましい状況にありながらも、芯のある、魅力的な女性を演じている。涙を流すと涙と一緒に体の有害物質が体外に出されると言われているが、このドラマを観た後は、心身ともに極めてすっきりした状態になる。
 さて、話は変わって、本日は、私の大学のゼミの後輩の会計士N君に仕事を手伝ってもらった。彼とは先月開催されたゼミのOB会で初めて出会い、同じく先月の別の会合で再会し、しばらく話をした。N君は人懐っこいというか、人としっかりと話のできる人間で、初めて出会った時から好印象を持っていた(変な意味ではなく)。直感的に、「こいつならいずれ大成する。」と感じたのだ。というのも、彼は誠実だからだ。小利口な者は結構いるが、誠実な者は多くはないと思う。私の個人的な考えだが、仕事は「愚直」なくらいがちょうどよい、というか、「愚直」であるべきだと考えている。例えば、コピー取り、入力、資料整理等々は単純作業だが、これらの単純作業をしっかりできないようでは、その先の難易度の高い仕事は誠実にはできない。単純作業を誠実にできないのは、「面倒くさい」という心があるからだ。「面倒くさい」という心がある以上、人の心を動かす仕事はできない。この点、N君は入力作業をしっかりこなしたし、不明点等を明らかにしている(いい加減に処理しない)。そして、本日のこうした状況を見ていたN会計士もN君に好印象をもったようだ。
 
 N君には何度か言った。「今はつらい状況かもしれないが、このつらい状況は必ず将来の糧になる。他の合格者でBig4に就職して働いているからといって、それが人生の成功とか幸福に必ずしも直結するわけではない。それよりも、いろんな人に出会い、いろんな経験をし、自分の良さを活かして生きていってください。」と。また、「N君のような方を雇えるよう、私も頑張って稼ぎます(笑)。」とも。
 明日もN君に仕事のお手伝いをお願いしている。

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日本の素晴らしさの一つ~海~

 マリーナのある某ベイサイド。本日はお日柄もよく、ランチの後に散歩をした。ふと海面を見ると、その透明度に驚いた。海の底が見えるのだ。船の行き来も多い。オイルまみれになってもよいはずなのだが、ここの海は素晴らしくきれいだ。
 ソーダ水の中を貨物船が通るような景色であった。

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インタヴュー①

 いつもお世話になっている美容師と、会計について話をした。美容院を経営する彼にとって最も身近な会計は、税務会計と管理会計だ。彼によれば、初めのうちは税務署に教えてもらいながら、今まで2月下旬までには所得税の確定申告書を提出しているとのことである。そもそも、帳簿を毎日付けており、決算時になんら焦ることはないとのこと。それよりも、毎日のように帳簿を付けていないと、どれだけ儲かっているかという損益状況と、今度採るべき行動が読めないので、そもそも自分にとって会計は必要だとのことであった。
 目から鱗であった。身近に、しかも、白色申告の方で、ここまで会計を理解している人がいるとは。さらに彼は言う。「この時期になって帳簿をつけていないと焦るのは、経営者として失格だ。」「自分でやらない・できないくせに、(税理士などの)専門家には金を払いたくない、というのは、おかしいね。商売やめた方がいいね。」と。
 はっきり言って、彼は自分にかなり厳しい方だと思うが、時には、彼の言ったようなことを自分に対してもお客さまに対しても明確にする必要があるかもしれない。「(お客様が)大変だろうからお手伝いする。」という気持ちも必要だが、それだけでは、長い目で見て、お客さまにとっても良くないということだ。自分で事業をやるということは、そういうことだ。本日もいい勉強をさせてもらった。

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弁護士の確定申告

 白色申告の場合の収支内訳書(弁護士用)は平成22年度から廃止となりました。そもそも、収支内訳書(弁護士用)日本全国の統一様式ではなく、東京局でのみ提出が求められていたものでした。
 ちなみに、青色申告の場合はそもそも収支内訳書は提出しません。貸借対照表と損益計算書を提出すれば足ります。
 なお、老婆心ながら、確定申告書・第二表の「所得の内訳(源泉徴収税額)」欄ではスペースが足りない場合は、別途、「所得の内訳書」を提出する必要がありますので、「所得の内訳書」作成に必要なデータをまとめておく必要があります。とはいえ、そのデータは売上を集計している過程で結果的に整理されますので、特に追加的な作業ではありません。

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脱力

 今日は思い切って「休む」と決めた。そんな日に限って自分にとって勉強になるテレビ番組に出会うことができるのだが、今日も例外ではない。4番組連続で見入ることになった。一方で、毎月1回は自分を振り返り、反省する時間を取ろうと決めていたのだが、今日をその日に当てようと考え、反省してみた。
 今年に入ってから、自分なりに精力的に頑張っていたつもりだが、裏を返せば、力が入り過ぎていたようにも思える。力が入るということは、ある意味、現在の自分を受け容れておらず、自分を痛めつけていることにもつながる。自分を痛めつけることは、それは「抑圧」であり、どこかで「歪み」となり、何かが起きることになる。これは私自身に限ったことではなく、世の中の人々すべてに言えることだろう。体調が悪くなったり、情緒不安定になったり、酒に溺れたり等々、様々な何かが起こるはずだ。私の場合は、特に心身に異変が生じたり、酒に溺れることはないのだが、自分の言動を振り返ってみると、日々の生活・仕事・趣味・社交等々で、「ちょっと力が入ってんじゃないのか?」と思えることばかりであった。
 私のメンター的存在であるO氏は言う。「すべては『脱力』だ。」と。最近は仕事のことばかり考えていた。まるで、「仕事のことばかり考えていれば仕事がもっとうまくいく。」とでも勘違いしていたかのように。今思うと怖いことだが、土曜日にクラシック音楽のコンサートに行った際、音楽そのものを楽しんだのは楽しんだのだが、演奏している楽団のビジネスの状況、楽団員達の人間模様、観客の平均年齢等々を考えてしまっている自分がいた。良く言えば「視野が広い」だが、悪く言えば「考え過ぎ」だ。純粋に音楽だけを楽しんでいればよいのにだ。
 そこで、以前からやろうやろうと思っていたことをとうとうやった。「脱力」という文字を書いて見えるところに貼ることだ。「脱力」という文字を書くことすらはじめは力が入っていたので、思い切って大胆に書くことにして書いたのが写真だ。ただ、一つ言えるのは、おそらくこの繰り返しだということだ。力が入っていた時の自分も自分だし、起こった事は起こるべくして起こった事だ。そこに気付いた時に、弊害があれば、軌道修正すればよい。あと、そういえば、お世話になっている美容師のK氏の言葉を思い出した。「2日悩んだら終わりね。それ以上悩んでも解決しないし精神的にきつくなるからね。」と。これもある種の「脱力」だと思う。

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【消費税】納税地

1 国内取引に係る納税地
(1) 法人の納税地
イ 内国法人・・・その法人の本店又は主たる事務所の所在地
ロ 外国法人で国内に事務所等を有する法人・・・その事務所等の所在地
(注) 人格のない社団等の本店又は主たる事務所の所在地は、次に掲げる場合の区分に応じ次によります。
(イ) 定款、寄附行為、規則、規約等に本店又は主たる事務所の所在地の定めがある場合・・・その定款等に定められている所在地
(ロ) (イ)以外の場合・・・その事業の本拠として代表者又は管理人が駐在し、人格のない社団等が行う業務が企画されている場所
(2) 個人事業者の納税地
イ 国内に住所を有する者・・・その住所地
ロ 国内に住所を有せず居所を有する者・・・その居所地
ハ 国内に住所及び居所を有せず事務所等を有する者・・・その事務所等の所在地
(注) 所得税の納税地について、住所及び居所を有する個人事業者が居所地を納税地として選択したり、住所又は居所のほかに事務所等を有する個人事業者が事務所等の所在地を選択した場合には、消費税の納税地もその選択した居所地又は事務所等の所在地となります。
(3) 納税地の指定
  (1)及び(2)による納税地が、その事業者の行う資産の譲渡等の状況からみて納税地として不適当であると認められる場合には、その納税地の所轄国税局長又は国税庁長官は納税地を指定することができます。
2 外国貨物に係る納税地
 保税地域から引き取られる外国貨物の納税地は、その保税地域の所在地です。
(消法20~23、26、通法21、消令42~44、消基通2ー2ー1)

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【所得税】納税地

 所得税の確定申告書は、提出時の納税地を所轄する税務署長に提出することになっています。
 1 納税地について主なものを三つ説明します。
 (1) 納税地とは一般的には住所地になります。つまり、国内に住所がある人は、その住所地が納税地になります。
 住所とは、生活の本拠のことです。生活の本拠かどうかは客観的事実によって判定されます。
 (2) 国内に住所がなくて居所がある人は、その居所地が納税地になります。
居所とは居住する場所のことです。
 (3) 亡くなった人の所得税の確定申告をする場合には、相続人の納税地ではなく、亡くなった人の死亡時の納税地となります。
 2 納税地の特例
 (1) 国内に住所のほかに居所がある人は、住所地に代えて居所地を納税地とすることができます。
 (2) 国内に住所又は居所のいずれかがあり、しかも事業所などがある人は、住所地等に代えてその事業所などの所在地を納税地にすることができます。
 納税地の特例を受けようとする人は、いずれの場合にも、本来の納税地を所轄する税務署長と特例により納税地とする場所を所轄する税務署長の両方に、納税地の特例を受けたい旨の届出書(「所得税・消費税の納税地の変更に関する届出書」)を提出してください。
(所法15、16、所基通2-1、通法21)

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提出した確定申告書の間違いを法定申告期限の前に発見した場合

Q
 所得税の確定申告書を2月16日に提出しましたが、翌日確定申告書の控を見直ししたところ、計算誤りがあり、正しく計算すると納める税額が増えることが分かりました。申告書の内容の訂正は可能ですか。
A
 法定申告期限内に同じ人から確定申告書が2以上提出された場合には、法定申告期限内にその人からの特段の申出がない限り、その2以上の申告書のうち最後に提出された申告書を、その人の申告書として取り扱うことになっています。したがって、法定申告期限までなら、正しい計算に基づいて作成した新たな確定申告書を、提出することができます。
(注)
1 先に提出された申告書が還付申告書で、かつ、その還付金について既に還付の処理が行われている場合には、この取扱いができないことがあります。詳しくは、直接税務署にご相談ください。
2 法定申告期限を過ぎた後で、確定申告書の記載内容の誤りを訂正する場合には、修正申告又は更正の請求によることになります。
(所法120、所基通120-4)

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報酬額と気合い

 人にもよるだろうが、適正報酬を頂くのが難しい時がある。もちろん、相手のあることなので、杓子定規に報酬を決めて適用するわけにはいかないが、少なくとも、自分が働いた分に見合う報酬を「必ず」頂く必要があると実感したことがあった。
 この仕事は、ボランティアではなく、ビジネスとしてやっているので、無償など論外、よほど戦略性のない限り、低報酬で引き受けるわけにはいかないし、引き受けない方がよい。事務所家賃、水道光熱費、通信費、各種会費、損害保険料、交際費等々、様々な「コスト」が発生している。自分自身の生活費も確保しなければならない。この仕事は、物品の販売のような形があるわけではないので、相手によっては「なるべく安くしたい」と思う人もいるが、安くするにもビジネス上限度があるし、お互いのためにも良くない。仮に安く引き受けたとすると、お客様の「コスト意識」が希薄になり、ゆくゆくはお客様のビジネスにとっても良くない。「仕入れは安くして自分は儲ける」という発想でいると、おそらく相当高い確率で「損失」となって自分に返ってくる。
 また、低報酬は自分自身の仕事に対する姿勢に対しても良くない。どんな仕事であれ手を抜くつもりなど毛頭ないが、無意識の次元で強弱が付いているのは否めない。それが気合いにも影響を及ぼしているだろう。確かに、この仕事に限らず一般的に、数百億円の仕事と数万円の仕事では、緊張感は違うだろう。「金額的重要性」という言葉があるように、ランク付け、悪性性の判断等々で、「金額」は非常に重要である。「カネ」に走るのは悲しいが、「お金」が重要であることは、「コスト意識」の観点からも重々認識しておくべきである。

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珈琲を飲む器の色

 私の叔父・叔母は喫茶店を経営しており、幼い頃からよく出入りしていた。したがって、長い年季の結果もあり、珈琲を殊のほか好み、自宅や事務所では欠かせない。
 ワケあって、これまでは濃い茶色のマグカップで珈琲を飲んでいたのだが、どうもしっくりきていなかった。マグカップの色と珈琲の色とが同化し、珈琲の存在が明確ではない。そうすると味もいまいちだ。そういえば、以前、叔母が言っていた。「好みもあるけど、珈琲を飲む器はやっぱ白よね。」と。ここにヒントを得て、マグカップを替えてみた。ちょうど自宅にストックしておいたマグカップ(上写真)があったのだ。I県M市の京成百貨店で買い求めたもの。チェコ・ボヘミアのブルーオニオン・シリーズと言うらしい。ブルーオニオンとは、あざやかなコバルト色で描かれた玉ネギ模様のことで、16世紀に中国で生まれたザクロ模様が、18世紀のヨーロッパでロココ様式の影響を受け、人々のユーモアによって玉ネギ模様に変化したものだそうだ。器に描かれたすべての模様には東洋哲学に由来するといわれる意味があるとのこと。
 やはり、「大陸」のスケールは大きいですな。。。

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走行距離不明

 三連休最後の日はようやく晴れた。雪の日はそれはそれで趣があり、街ゆく人々にも温かさが感じられ、私はすきなのだが、如何せん、晴天の日でないと乗れない車に乗っているので、晴れの日の休日は待ち遠しい。
 そんなわけで、実家にいる甥の顔を見るのとドライブを兼ねて、I県M市に向けて車を飛ばした。風が強く、橋の上では風の洗礼を受けて多少は恐ろしい思いをしながら走った。最近思うのだが、高速道路における運転マナーがよろしくない。追い越し車線をトロトロと走っている車、後方の車間距離を確認せずに進路変更する車、車線を守らない車等々。自分の身は自分で守るしかない。
 ふとスピードメーターを見ると、走行距離が50,000km(性格には50,009km)を示していた。無論、純然たる50,000kmではない。一体、何十万50,000kmなのだろうか。1967年に生産されて以来44年。どれだけ走っているのか。走行距離は不明である。

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赤プリ


 ここ数日、父親が所用で赤プリに滞在していたので、昨晩は私も赤プリに宿泊した。残念なことに、日本の顔である赤プリは、この3月をもって閉館となる。非常に残念である。上写真は、プリンス通りに面している旧館である。旧館は1930年竣工の旧李王家邸を改装したものである。今朝、3階のポトマックで食事をしたのだが、席がまさに旧館の目の前だったので撮影した次第である。下写真は3747号室。37階からの眺めは絶景だ。
 最近は父親が頻繁に赤プリに宿泊するので、お互いに都合が付く限り、一緒に食事をし、そのまま私も宿泊することがある。今回も例によってそんな運びになったのだが、近い将来に無くなってしまうものについては、名残惜しさを感じるものだ。赤プリはもはや一企業のビジネスの範疇に収まらず、日本の顔であるという面があると思う。「無くなる時」が近付くと急に名残惜しくなる。今にして思えば、もっと収益に貢献しておくべきだった。そんな思いで、最近は、朝食に赤プリのパンを買い求めることが多い。
 赤プリよ、おつかれさまでした(まだ終わっていないが)。

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状態を整えてから主義

 「くそ~っ、なにやってるんだ!」という感じなのだが、今日は早起きして執務スペースを整え、落ち着いたのが今だ(途中、ビックカメラに行ったが)。昨日、IKEAで大量に買い物をし、午前中一杯かかって組み立てを行った。御経験の方には解かると思うが、IKEAの家具類の組み立ては相当きつい。本日は書棚1個、引出2個、扉付収納2個、間仕切り1個だ。
 私は、何か(特に仕事や勉強)を始める前には、身辺を綺麗にしておきたい性質だ。この点は、慶應義塾大学商学部T教授も同様だそうだ(「同様」というと私と同列のようで怒られそうだが)。書類等が散乱している中で仕事をするのは耐えられないのだ。ちなみに、私は、仕事をしていて書類が散らかりそうになると、一呼吸おいて書類を整理する。この方が仕事の効率が滅法良い。
 写真は、新調した机と本日組み立てた書棚等だ。これからやっと仕事に取り掛かる...

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心機一転~マネジメント・デスク~

 ワケあって(慶應義塾大学商学部T教授風に)、机を新調しました。ワケあって、幅180cm、奥行85cm、高さ70cmのサイズにしました。やりすぎた感はありますが、広々と余裕をもってスペースを使えるので、心地よさがあります。毎日使うものなので、こだわって選びました。R天でかなり調べまして、最後は2つの候補に絞られましたが、最近は何でも「国産」がよいと考えています。素材等について友人の建築士Eにもアドバイスを頂いたりして、結局、KOKUYOの「MG-S37DF1885-P1YN」というものにしました。ちなみに、奥の本棚が整然としていませんが、これは一時的な状態であり、可及的速やかに整理整頓する予定です。
 さて、頑張って仕事します。

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Piano

 写真は、高校時代からの友人IからいただいたRolandの電子ピアノである。彼が音大受験時代から使用していた非常に貴重なものなのだが、ピアノも防音室も新しいものに買い替えるとのことで、ありがたく頂戴することにした。
 私も以前は電子ピアノを持っていたのだが、ワケあってそれがなくなることになって久しかった。そんな折、本年正月に久々に友人Iに会い、この話が出た。「捨てる神あれば拾う神あり」とはまさしくこのことだ。ちょうど最近、ラッパの練習を再開したのだが、コードごとに音階をとりたいと思っていたし、これまでピアノで弾いた私のレパートリーを再び弾けるようになりたいと思っていたので、本当にありがたいことである。

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父親

 本日は慌ただしい、肉体労働の日であった。心機一転、事務所の机とキャビネットを新しくするため、これまで使用していた机とキャビネットを、午前中に事務所から自宅まで運んだのだ。一人ではできないのだが、都合のつく友人がつかまらず、父親にサポートしてもらうことになった。また、大きなものなので普通の車では運べないことから、私のお客様から軽トラを借りた上で運ぶことになっていた。さらに、机とキャビネットを運んだ後、私は、友人Iから電子ピアノをもらうことになっていた。ただ、その友人Iは夜にならないと自宅に戻らないことから、夜までの時間を父親と過ごすことになった。つまり、本日は、午前の部の配送と夜の部の配送の2本立てと、午後の部は自由時間となったわけである。
 午前の部終了後に軽トラを返したわけだが、そのお客様の所在地は川口市。川口といえば川口オート。私も一度行ってみたいと思っていたし、父親がオートバイが好きなので、午後の部の自由時間は川口オートに行くことにした。オートレースと言えば、私が高崎市に住んでいた頃、父親に伊勢崎オートに連れて行かれたことを鮮明に記憶している。当時は、私はオートバイや車にさほど興味がなかったことから、オートレース場に鳴り響く爆音やオイルの焼けた匂いは好きではなかった。ちなみに、父親も、幼い頃に叔父に大井のオートレースに連れて行かれた記憶があり、それ以来オートバイが好きになったそうだ。血は争えない。子供というものはなんと純粋無垢なのか。あらゆることに刺激を受け吸収し、自らの人格を形成していく。
 さて、第10レースから参加したわけだが、父親は4,000円ほど投資して回収額ゼロ。私は1,000円投資して回収額1,440円。そもそもギャンブルを目的にして来たわけではなく、オートレースの雰囲気を味わいに来たから結果はどうでもよいのだが、父親が嬉しそうに楽しんでくれたので、それがなによりだった。
 ある出来事を契機に、その出来事から副産物を得た。その副産物とは家族の絆の強化だ。もともと私の家族は普通にワークしている家族であったが、最近は結束がより強固になった。これからも機会があればこうやって家族と接し、家族のことをもっと知りたいと思っている。

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本質は国境を越える

 本日午前中は、台湾人のお客様を訪問した。源泉徴収等の手続的なことから今後のビジネスのことについて協議したわけだが、私がふと、彼女がビジネスを始めるきっかけについて質問したことがきっかけで、その後30分以上話し込んでしまった。
 彼女曰く、「30代は数々の困難があるが色々なことへのチャレンジを恐れないこと、40代はこれまでやってきた中で絞られたビジネスについてKeep Tryingだ!Keep Tryingしないで諦めてしまうとその先の境地(いわゆる成功)に行けない。困難はあるだろうが続けることだ。」と熱く語っておられた。おもわずメモしてしまったところ、ウケた。
 お客様から学ぶことは多い。一生懸命お客様をサポートしながら自分も成長する、これこそ、独立開業の醍醐味だ。

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ストレス発散

 本日も充実した日々でした。午前中から記帳代行の入力作業、午後も同作業。ただし、午後は、先輩会計士のA氏から連絡があり事務所近くをお茶をしながら情報交換、九段会館で税理士関係の手続、そしてまた入力。夜は私のクライアントでもあり、今後協業によりお互いの発展を確認するためのミーティング等々。その後、高校時代の友人とお互いに羽を伸ばしながら情報交換。
 と、これだけだと、よくありがちな単なる日記的Blogになってしまいますが、そうではなく、改めて気付くことがあります。最近はなんだかんだ言ってストレスが溜まっていました。もっと言うと、ストレスをストレスと感じないままストレスがありました。人間の行動は正直にできています。ストレスが溜まっているときはおかしな行動をします。ストレスが溜まっているとバランスを崩します。
 みなさん、ストレスが溜まっている自分を認めましょう。そして、人に迷惑をかけずに(=変なことを言わない、変な行動をとらない等々)ストレスを発散しましょう。当たり前のことなのですが、ついつい無理をしてしまうものです。この点は、本日最後の行動である友人との情報交換で再確認できました。この友人は最近転職をしました。しかし、彼はいい意味で「脱力」しているので、どんな環境でもやっていける人間です。そして、人並みにやることをやっています。たまにはバカ騒ぎしてますか?バカな話をしてますか?恰好をつけないで、ストレス発散しましょう。自分のためです。人のためです。いい仕事のためです。

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預貯金の利子(個人所得税)

 利子所得は、10種類ある所得の1つで、「預貯金(銀行預金・郵便貯金)・債権・公社債」などから得た利子(所得)のことである。基本的に必要経費などの控除がないため、「利子所得=収入金額」となり、この金額が課税所得となる。一般的に、利子所得は、「源泉分離課税」の方式で税金が徴収されるので、確定申告の必要はない。つまり、すでに税金が差し引かれた形で利子が支払われている。利子所得の税率は一律20%(所得税15%・住民税5%)」となっている。
 ただし、気をつけなければならないのは、まず、「収入金額=手取金額÷80%」という点である。預金通帳に印字されている金額は手取金額なので、その金額を80%で割り返して収入金額を把握する必要がある。また、「事業用の運転資金に係る預金利子は利子所得となるが、源泉分離課税されているので、確定申告する必要はない。」ということが分かっていたとしても、会計処理において、
(借)預金   80(貸)受取利息 100
   源泉税  20
(借)預金   80(貸)雑収入  100
   源泉税  20
 などと仕訳をきってしまうと、事業所得として計上されることになってしまい、源泉分離課税されている利子について再度課税されることになるし、さらに、源泉分離課税により徴収された税額は税額控除の対象にならない。したがって、会計処理については、例えば、
(借)預金   80(貸)事業主借  80
 といった仕訳をきることになると考えられる。

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2011年2月開始!!!

 2月と言えば節分です。節分とは、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことであり、「季節を分ける」ことをも意味しています。なお、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊ばらいが豆撒きですね。さて、「鬼」という言葉を聞くと、「泣いた赤鬼」を思い出さずにはいられません。以下は泣いた赤鬼の概要です。幼い頃に母に絵本を読んでもらい、心底悲しくなって泣いたことを何となく覚えています。絵本は人間の心にダイレクトに響きますし、非常にシュールなものです。
山の中に、一人の赤鬼が住んでいました。赤鬼は、人間たちとも仲良くしたいと考えて、自分の家の前に、「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます。」と書いた、立て札を立てました。
けれども、人間は疑って、誰一人遊びにきませんでした。赤鬼は悲しみ、信用してもらえないことをくやしがり、おしまいには腹を立てて、立て札を引き抜いてしまいました。そこへ、友達の青鬼が訪ねて来ました。青鬼は、わけを聞いて、赤鬼のために次のようなことを考えてやりました。
青鬼が人間の村へ出かけて大暴れをする。そこへ赤鬼が出てきて、青鬼をこらしめる。そうすれば、人間たちにも、赤鬼がやさしい鬼だということがわかるだろう、と言うのでした。しかし、それでは青鬼にすまない、としぶる赤鬼を、青鬼は、無理やり引っ張って、村へ出かけて行きました。
計画は成功して、村の人たちは、安心して赤鬼のところへ遊びにくるようになりました。毎日、毎日、村から山へ、三人、五人と連れ立って、出かけて来ました。こうして、赤鬼には人間の友達ができました。赤鬼は、とても喜びました。しかし、日がたつにつれて、気になってくることがありました。それは、あの日から訪ねて来なくなった、青鬼のことでした。
ある日、赤鬼は、青鬼の家を訪ねてみました。青鬼の家は、戸が、かたく、しまっていました。ふと、気がつくと、戸のわきには、貼り紙がしてありました。そして、それに、何か、字が書かれていました。
「赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、ぼくが、このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事にしてください。どこまでも君の友達、青鬼。」
赤鬼は、だまって、それを読みました。二度も三度も読みました。戸に手をかけて顔を押し付け、しくしくと、なみだを流して泣きました。
 これは本物の「愛」です。青鬼になるのは無理だとしても、少なくとも、1つ1つの目先の損得にこだわらず、「損して得取れ」の余裕をもって、人や物事に接したいと考えています。まだまだ未熟ですので、足元の状況に余裕がないと大らかさを失いがちです。大人になると、他人はいちいち「指摘」してくれません。他人に指摘を求めること自体が甘えです。昔々、金八先生が言っていました。「自分の頭で考え、自分で決断し、自分で責任を取れ。」と。

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Wynton Marsalis

それでは、こちらをどうぞ。
こちらも。。。
ひとつおすすめですが、ヘッドホンを常備しておくといいですよ。PCで良い音で音楽等が聴けますし、耳栓にもなりますよ。

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波乱の1月~天の声~

 もうすぐ1月が終了し2月になる。案の定、1月は怒涛のように過ぎていった。毎年のことだが、「どうせ1月は瞬く間に過ぎ去ってゆくのだろうな。」と思っていると、本当にその通りになる。1日1日を粗末にしているということは毛頭ないが、どうしても慌ただしく過ぎていく。
 そんな今年の1月は色々なことがあった。良い出来事も悪い出来事も。心折れそうになることもあったが、そこから掬い上げてくれるようなこともあった。何とも不思議なことなのであるが、私は、これは「天の声」であると捉えることにした。すなわち、1月というのはその年の初めの月である。ある意味、その年をどのように過ごすのかの試金石ともなり得るのではないだろうか。私の場合、いわゆる正月は順調に滑り出したが、1月第2週目に谷底のような所に陥り、1月第3週目に這い上がった感じだ。そして最近、なんだかブルーになることもあった。それら1つ1つの出来事に一喜一憂するのではなく、「今年はこういうことに気をつけるんだよ。」という「天の声」として、私は捉えたい。
 そもそも私は喜怒哀楽がはっきりしている方なので自分自身にとっても分かりやすい自分である。あまり悩んでも仕方がない。日々新鮮であるし、総じて幸せな毎日なのであるから、どんな時であれ、1日1日をしっかりと生きることが重要だ。きれいごとを言うつもりもない。どんな状況であれ、どんな自分が見え隠れしても、それらすべてが自分の人生、本当の自分。よく「自分探し」とか「自分らしさ」という言葉を耳にするが、「自分」はどこか遠くにあって、探し当てるものではないと考えている。良い面も悪い面もすべて自分だ。今ここにいるのが自分だ。そう考えれば、悲観することもないし自惚れることもないはずだ。
 それにしても、山ちゃんは完成度が高い。

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動線

 現在4人の会計士でシェアしている事務所の、ちょうど私のスペースを写したものである。4人の人間が同居すると、その分部屋も汚れるし、特定の人に負担がかからないよう、総務的な作業を平等に分担する必要がある。
 今月1月は私が掃除担当であり、本日1月25日に掃除をした。トイレ掃除、給湯室掃除、床掃除、ゴミ整理等々を行うわけだが、自分が汚しているのはもちろんのこと、普段お世話になっている他の3人の顔を浮かべながら、トイレの便器を擦ってみた。最近、「トイレの神様・・・・」みたいな曲が流行っているが、別にべっぴんさんになろうとは思っていない。純粋に、トイレ掃除をすると気持ちがすっきりするものだ。
 さて、掃除担当の専権事項として、モノの配置を変えてみた。上写真は配置変更後のものである。手前右側にミネラルウォーター、部屋の奥のやや左側にハンガーがあるのがわかるだろうか。これまでは、ミネラルウォーターは、ハンガーの位置にあった。来客者にさっとお水やお茶をお出しできるような配慮からだったのだが、難点もある。例えば、来客中に自分がお水やお茶を飲みたくなった時に、来客者の前でお水やお湯を注ぐわけにはいかない。考えてみれば、お水やお湯を使う頻度は、来客者に比べて自分たち4人の方が格段に高い。仮に来客者があったとしても、別に来客者の近くになくてもよい。そう考え、独断で配置転換を行ってみた。他の3人の評価はい如何に。

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Polka Dots And Moonbeams

 今まで聴いてきた「Polka Dots And Moonbeams 」の中で、Sarah Vaughanも大好きだけど、最近改めてはまっているのが、Chet Bakerの切ないプレイ。ちなみに、Donald Byrdもいい。
 喧嘩して前歯を折っちゃったり、麻薬にはまっちゃったりで、彼もいろいろ大変だったんだろうが、音楽にかける想いの強さを感じる。好みもあって、散々な言われようをする場合があるが、いいものはいい。
 「Polka Dots And Moonbeams 」を聴くと、切ない思い出が蘇る。大学生の時に好きだった女性にフラれ、夜に車を飛ばして海に行き、月明かりの下で、Sarah Vaughanの歌うこの曲を聴いたのだった。海に映る月明かりがしみじみ綺麗で、涙を誘う。現実的な女性はこんなことはしないだろう。男性はもろく、繊細なのだ。そして、おセンチなことをする自分に酔うのも男性だ。その辺を分かっている女性は魅力的だ。そういえば、元居た事務所の上司に連れられて、麻布十番のla pocheというBarに行った時、エダママにリクエストしてかけてもらったのもこの曲。とにかく、思い出の曲だ。

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クララ・シューマン

 本日は、日頃から大変お世話になっていて、私のメンター的存在でもあるO氏(私のお客様にもなって頂きました)のクラシック音楽講座に参加した。最近の私は、音楽を再び「趣味」と言えるものにすることに力を入れており、2ヶ月連続の参加であったが、本日のテーマはロベルト&クララ・シューマン、シューマン夫妻だ。写真は、まるでT川Kリステルのような面持ちの、クララ・シューマンだ。そもそも私のクラシック音楽の好みは、交響曲については金管楽器が華やかでダイナミックな曲、ピアノ曲についてはおセンチな曲、といったところで、シューマンはノーマーク。小さい頃にトロイメライをピアノで弾いた位の位置づけであった。
 ところが、ロベルト・シューマンはなかなかいい。綺麗な旋律なのだ。ところが、クララ・シューマンはもっといい。男性のロベルトよりもスケールが大きく感じられるし、旋律も美しい。特に、「4つの束の間の小品」。O氏によれば、19世紀前半は、女性が男性を差し置いて音楽で前面に出てくるような時代ではなかったそうだ。その時代背景の中でシューマン夫妻も例外ではなく、ロベルトはクララに対し、作曲活動をやめるよう指示をしたそうだ。といっても、クララはピアニストとしてヨーロッパを席巻するほどの名声をあげており、ロベルトの何倍も稼いでいたそうだ。
 私は正規の音楽教育を受けていないので、音楽は感覚で聴いているのだが、プロの音楽家に言わせれば、それでよいのだそうだ。Y売交響楽団でコントラバス奏者をやっている高校時代の後輩I君はそう言っていた。ただし、生の一流の音楽を聴けとも言っていた。その点本日は、ピアニストであるO氏の奥様の生演奏を聴けたのだから、素晴らしい。今後、ロベルトもさることながら、クララさんの作品を聴きこんでみようと思う。ちなみに、JAZZは西洋音楽とかアフリカ音楽とかラテン音楽が融合した音楽と称されるが、本日聴いたロベルト・シューマンの交響曲第1番の中で、「これはJAZZのアドリブにも使えるな。」というフレーズがあった。その点も非常に興味深い。

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べえ独楽と人生

 税務のお客様であるGSに用事があって行ったところ、非常に驚いたことがあった。なんと、40代・50代のおじさま方が、真剣にべえ独楽をやっているのだ。噂には聞いていたが、本当にやっているとは。自分も誘われて、生まれて初めてやってみたが、なかなか難しい。最初のうちは力が入ってしまい、うまく土俵に上がらない。土俵から落っこちて地面でくるくる回るありさまだ。だんだんやる気がなくなって帰りたくなってきたのだが、ここは考えを改めて、いっそ力を全く入れないでやってみることにした。すると、土俵に上がる確率が格段に上がり、だんだん楽しくなってきたのだ。気が付くと1時間くらいやっていた。
 日々生活していると、自分の中でバランスを崩すことがある。人間の気持ちはコロコロ変わるもので、全世界が自分の味方に思える時と、全世界が自分の敵に思えること、の両方がある。人間とはまことに勝手なものだ。独立開業しているといろいろな試練があって、これでもかこれでもかと押し寄せてくる時がある。そんな時は、もう2回ほどこのBlogに書かせて頂いた、永平寺の故宮崎亦保禅師の御言葉を思い出す。「死ぬ時が来たら死ねばいいんや。それまで平気で生きておればいいんや。」と。
 力が入りすぎると独楽がうまく回らないように、力を抜いて、フラットな気持ちで生きていく。そうすれば、思わぬ出来事や出会いがあり、人生が面白くなっていく。これこそが、独立開業という、仕組み自体はシンプルな道を選んだことの醍醐味だ。べえ独楽一つとっても気付きがあるとは、これまた驚いた。

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運は使い果たすものなのか?

 なんだか宗教じみた画像の掲載となってしまったが、「運」の画像をググってみると一番に出てきたので掲載することにした。実は、本日は私の属する業界の地域会の新年会があり、参加させて頂いたわけだが、その会で催されたくじ引きで、一等賞が当たってしまったのだ。商品はPanasonicのナノケアだ。
 それにしても、私はそもそもくじ引きに当たる性質(タチ)ではない。当たる確率はめっぽう低い。ただ、いまふと思い出したが、当たる時は大きなものが当たり、これまでに、自転車(一等賞)、蟹詰め合わせ(一等賞)が当たったことがあるから、くじ引きの引き、もっと言うと、私の「運」に関して、どのように考えればよいのだろうか。くじ引きに当たると、「もうそれで運を使い果たした。」などと言われることがあるが、果たして、「運」とはいかなるものなのであろうか。
 結論付けることは困難だが、本日のこの出来事は、私なりにプラスに捉えることにした。すなわち、「特に期待していなくても、いいことはある。」ということだ。捨てる神あれば拾う神あり。物事というものは、捨てなければ新しいものは入ってこない。とてつもなく広い保管場所があれば別だが、家財道具でも服でもなんでも、何かを捨てなければ新しいものは入る余地がない。
 本日頂いたナノケアは、今年の新たな「身入り」の象徴としたいものだ。

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たまにはバイクでも。

 本日午前中は、確定申告に必要な資料収集のため、S県K市にあるお客様を訪問した。すると、そこには、SUZUKI・コレダスクランブラーが佇んでいた。「スクランブラー」というのは、今で言えば「オフロードバイク」の事である。昔はオフロードというカテゴリーがなく不整地走行レース(草原、荒れ地、砂地)の事をスクランブルレースと呼んでいたことによる。 思えば、私が大学生の頃、Vespaに乗っていた友人に触発されて自分もバイクが欲しくなり、初めて購入したバイクが「スクランブラー」だった。私のバイクはSUZUKIではなく、HONDAのベンリィCL50だ。
 本日、久々にバイクに乗ってみたが、風を切って走る爽快さを味わうことができ、新鮮な気分になった。現在は愛車が愛車なのでバイクに乗るインセンティブがなく、バイクを所有してはいないが、バイクもいいものだ。スポーツカーよりも「乗馬」に近い感覚があり、男のロマンを感じる。
 もし将来、田舎に住むことになったら、間違いなくバイクに乗るだろう。

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ロング・コルネット

 コルネットには、ジャズ・吹奏楽で使われるアメリカ式のロング・コルネットと、英国式ブラスバンドで使われるショート・コルネットに分類される。ロング・コルネットはよりトランペットに近く明るい音色で、マウスピースの形状はトランペット用とほとんど同じものを用いる。ヤマハは以前はロング・コルネットを製造していたが現在はショート・コルネットを製造している。
 現在、トランペットをオーバーホールに出しているので、一時的にコルネットを吹いている。コルネットはトランペットと比べて唇により近いところに位置するため、アンブシュアを見直し調整するには、むしろ好都合かもしれない。おそらく、呼吸法とアンブシュアに問題があるためだと思うが、長年の癖で、高い音域を吹く時に、唇にかなり力が入ってしまい、唇が極めて固い状態になっている。これだと唇がうまく振動しないし、すぐにばててしまうことになる。アパチュアを大きめに調整し、腹に力を入れ、息が十分に楽器に入っていくように意識するようにしているのだが、長年の癖は非常に厄介である。
 いずれにせよ、すべてのキーのメジャー・スケール、リップスラーなどを練習しながら、徐々に唇の力を抜いていこうと考えている。

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よき仲間

 人間の風習はよくできている。冠婚葬祭がその最たる例であり、冠婚葬祭というイベントの下に、家族、友人、会社の人、地域の人が集まり、そのイベントを執り行う。冠婚葬祭という理由であれば、会社を休んだり、早退できる訳だから、冠婚葬祭が人間の生活にとっていかに大きなものであるか、思い知らされる。
 本日は高校時代の友人の結婚式があり、高校時代の友人が終結した。みなそれぞれの人生を歩んでおり、この歳になると色々な意味で貫録が出てくるものだ。我々高校時代の仲間は、出演依頼に応じ、毎回違った出し物を披露する、いわばダンサーだ。上写真は、本番前の待ち時間におけるワン・ショットだ(左から、ジョージ、N社長、私)。極寒の青山の空の下、パンツ(ふんどしの者あり)一丁で本番を待っていると、本当にダンサーのような気分になってくる。当然といえば当然だが、重要なのは「真剣にやる」ということだ。準備の段階から本番に至るまで、真剣に議論し、真剣に事を決め、真剣に披露する。今回の出し物は、年末年始の休みの関係で、本番前日に初顔合わせをし、形を作るという、非常に切羽詰まった状況にあった。衣装は「ふんどし」がいいのか「競泳用水着」がいいのかについて、真剣に議論した。この衣装の議論だけで30分は費やしたのではないだろうか。また、大きく2つの出し物がある中で、この2つの出し物をつなぐCMソングは何がよいのか、についても30分くらい議論した。「こんな30代後半はいねえよな、俺達馬鹿だよな。」とか言いながら、その場を楽しんでいる。
 結婚披露宴の挨拶で、新郎の会社の社長が仰っていた。「青年にとっての貯蓄は、お金ではなく、経験だ。」と。「青年」の定義はさておき、このことは肝に銘じておくべきだと考えた。「十分なお金がないのであれば、その分、様々な、多くの経験をするべきだ。」という風に自分をもっていけばよいのだ。
 結婚式に参加した高校時代の仲間。それぞれどのような想いで結婚していく友人を眺めていたのか。いい時もあれば悪い時もある。それぞれ違った悩みがあろう。そんな中に、こういった冠婚葬祭というイベントの下に集結し、久々に仲間と時間を共有する。これほど尊いものはない。

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母校、そして、再会

 今日は久々に友人と会うことになっていた。敢えて集合場所を母校のM一高にした。理由は、私もその友人も吹奏楽部に所属しており、久々に学校の教室で楽器を吹こうと考えたからだ。
 するとなんと、本日1月4日は、学校にとっても仕事初めの日であり、まだ始業はしていないものの、生徒達が部活動に精を出していたのだ。したがって、現役の生徒に会うことができたし、さらに、現役の生徒をたまたま指導しに来たOBの後輩にも会うことができた。彼は東京藝術大学を優秀な成績で卒業し、現在は某有名交響楽団に所属しているコントラバス奏者である。お互いに懐かしくなり話も弾むので、3人で食事をしてしばらく話をした。
 私の友人もプロのミュージシャン(ソプラノサックス、作曲、編曲等々)、上記の後輩もプロのコントラバス奏者と、なんとも芸術的な一日であった。さすが、音楽の話となると奥の深い話となり、ためになることばかりであった。彼らはいわゆる正規の音楽教育を受けているわけであり、一方で私はアマチュアの音楽愛好者であるが、彼らが言うには、いい演奏に触れることと(例 ドイツの作曲家の曲をドイツの教会で生で聴く等々)、いいものはいいと感じる純粋な気持ちが大切だ、とのことであった。
 さて、その後、友人とスタジオを借りて1時間セッションを行った。ジェイミーという、いわゆるカラオケでリズムセクションを流しながら、好きなように吹いた。私の場合、「こう吹きたい」というイメージはあるのだが、長いブランクのため演奏技術が極度に低下しているのと、コード進行についていけないのとで、思うように吹けない面もあったが、久々に楽器と向き合った気がした。なんでもそうだが、あとは地道な練習があるのみ。「Any Key OK!」の状態になれるよう、まずはメジャー・スケールの練習が必須のようだ。
 ちなみに、上写真は、母校に旧M城薬医門と愛車である。職員室から現在の吹奏楽部の顧問の先生がいらしたので軽く御挨拶をしたのだが、私の愛車を見るなり、「何をやっている方ですか?」と聞かれてしまった。「会計士です。」と答えたきり、会話は途絶えた。

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犬から学ぶこと

 ある程度躾のなされた犬を前提にするが、犬という動物は利口な動物である。犬ほど人間に懐く動物は他にはいないだろうし、一方で、動物としての御勤めもちゃんと果たす。写真の犬は、父親の友人宅の犬のゴンである。
 ちゃんと躾がなされ、ちゃんと散歩に連れて行ってもらえる犬は、全般的に御行儀がよい。毎日朝晩2回の散歩と1日1回の食事を前提とするならば、糞尿は散歩時のみ行うので、犬小屋の周りがきれいである。鎖に繋がれて犬小屋にいる時にもあまりストレスを感じていない様子である。15歳になるゴンは、毛並みも良く、散歩に行けばリードをぐいぐい引っ張り、しっかりマーキングをする。飯もよく食べる。一方で、ゴンは大変人懐っこい。総じて、感情の起伏がなく、精神状態が安定した犬である。
 人間はどうだろうか。なまじ頭がよいから、いろいろ考えてしまう。やるべきことをやり、精神状態をなるべく安定に保ち、毎日を淡々と過ごすことは、非常に難しいのではないだろうか。故宮崎亦保禅師は仰っていた。「死ぬ時が来たら死ねばええ。それまで平気で生きておればいいんや。」と。その「平気」というのが難しい。この点、犬は偉い。(餌という見返りを求めてはいるのだろうが)御主人様にいつも一定の愛情を注いでいる。
 犬と比べられたらたまらないかもしれないが、人間は時には犬からも学ぶところがあるように思える。

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新春ツーリング

 今年初のツーリングは、総勢20台のFairladyが千葉に終結した。見た目・音・匂い等々圧巻であり、参加者自身も吃驚するほどであった。
 今回のツーリングは、私を含む東京方面のクラブと千葉方面のクラブとが千葉で集結し、集結地・白浜間の数多くの峠道を往復する行程であった。部活のしごきの如く、極めて走り甲斐のあるものであり、帰宅した際には心身共に疲労困憊であった。さすがはスポーツカー。ゴルフの後の疲労感に似たものがある。お陰さまでトラブルもなく、全員無事に帰還した。
 ここまで走りこめば、スポーツカーに乗ること自体がスポーツである。常に五感を研ぎ澄ませ、緊張状態にある。水温計、油圧計、電流計をこまめにチェックしながら、音にも神経を使う。近年は、車には実用性が求められるので、スポーツカーという概念自体が理解されにくいと思うが、要は乗馬と同じであると考えて頂けばよい。要は、今日は、みんなで馬を走らせたのである。

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2011年1月1日

 あけましておめでとうございます。本年も「なぜ会計士EBJはうざいのか?-独立系会計士の思念-」を宜しくお願い申し上げます。
 年末年始は、ほぼ自分の思い描いていた年末年始となった。「紅白歌合戦」の後に「ゆく年くる年」を観ながら新年を迎え、寝る。起床後、雑煮を食べ、家族で神社にお参りをする。墓参りをする。年末年始の過ごし方は人それぞれであろうが、私にとっては、いかにも年末年始らしい過ごし方をした。ところで、家族での神社へのお参りと墓参りは、散歩も兼ねて徒歩で行った。車だと混雑するという理由もあるが、年末は運動不足気味だったことが一番の理由だ。上写真は散歩の途中に見つけた沼である。両親によれば、私が小さい頃に何度か連れて行ったことがあるとのことであるが、私にはその記憶がなく、「こんな沼がここあったのか!?」と、なんとも新鮮なものであった。このように、散歩をすると新たな発見があり、気持ちがよい。また、IphoneのMapを使えばショートカットを教えてくれるので、普段は通らない道を通ったりして、またまた新鮮だ。そんな新鮮さと同時に、この何気ないひと時を過ごせることに、幸せを感じるのであった。
 こうしたことを受けて思うのは、人間は、何か特別な出来事よりも、何気ない日常のひと時こそ、記憶に残るのではないだろうかということである。後になってじわ~っとくるのは、陽が燦々と差し込む居間で飲んだお茶の湯煙だったり、母親が残り物を食べていたり。こうしたひとつひとつのことを大切にしながら、仕事では肉食系の要素をもっと取り入れて、励んでいきたい。おみくじによれば、他人の力も借りながら、利益をあげることになっている。昨年もなかなかいい年だったが、今年はもっといい年になるよう、努力していきたい。

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SR311の綺麗なバンパー

 形状の修理と再メッキが完了し、ようやく元の状態に戻ったリアのバンパー。昭和42年式のSR311のリアバンパーはもう手に入らないとのことなので、大事にしなければならない。
 思えば今年の8月上旬。あの頃の自分はどのような状態だったのだろうか。日々の生活はずっと同じ状態ではあり得ない。日々刻々と変化する。自分の気づかない所でも変化する。どのような状況になろうとも静かに受け入れ、特別なことをしようと思わない方がよい。何か特別なことをしても、気晴らしの「きっかけ」にはなるが、気晴らし「そのもの」にはならない。本当の意味の気晴らしとは、とにかく、日々の生活を静かに受け入れることだ。ただ、気晴らしの「きっかけ」を求めること自体は否定しない。要は、何かに期待しすぎないことだ。

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楽しいラッパ②

 昨日から必ずラッパを吹くようにしている。いきなりフルマラソンができないのと同様、セッションで気持ち良くプレーするには、とにかくラッパを吹くしかない。この際、練習の形式はどうでもよい。トランペットという楽器は、自分の唇を振動させて自在に音を鳴らす楽器なので、唇に過度の負担をかけるわけにはいかない。いずれにせよ、まだ再開したばかりなので、あまり頭で考えすぎず、とにかく楽器になれることが重要だ。そして、練習が苦痛にならぬよう、楽しむ心が重要だ。
 本日の気付きは以下の通り。
 ①舌の移動により息のスピードが変化する。音域が変わる(舌の位置)
 ②上半身は力を抜いて腹で支えるのがよい(腹)
 ③上唇60%・下唇40%のイメージでマウスピースのリムに収まるのがよい(アパチュア)
 ④マウスピース周辺で小さくまとまるのではなく息を沢山入れて楽器を鳴らすのがよい(息の通り)
 ⑤とにかく唇に力を入れないこと。音域が変わっても唇に影響を及ぼさないこと(唇の柔軟性)
 ⑥状態がよければハイトーンは楽に出る。ハイトーンが出ない時は上記①から⑤を見直すこと
 ⑦状態がよければリップスラーは楽にできる。リップスラーが苦しい時は上記①から⑤を見直すこと
 ⑧楽器に溜まる唾の量で息の通り具合が分かる
 ⑨萎縮して小さくまとまらないこと
 ⑩今の自分に合ったマウスピースを探すといいかもしれない

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楽しいラッパ①

 とうとう第一歩を踏み出した。元住吉にあるラッパのS先生宅でレッスンを受けたのだ。
 普段は全くラッパを吹いていないので、レッスンを受けたと言っても散々な結果になった。Fから半音ずつ下がる32拍のロングトーンですらバテバテで、正直言って、悲しくなった。S先生も困ってしまっただろう。レッスンというものは、生徒が自分なりにちゃんと練習してから臨むものだ。さすがにレッスン直前は多少吹いたのだが、多少ではだめだ。申し訳なかったと思う。
 その代わり、以下のような基礎的なことを教わった。
 ①舌を上げる(吐く時のような感じで)
 ②上半身はリラックスする
 ③腹(臍の下のあたり)で息を吸う(→腹に力を入れる)
 ④最後に方で息を吸う
 ⑤楽器にもっと息を入れる
 ⑥アパチュアを大きくしてみる(調整してみる)
 ⑦ペンタトニックを12キーで練習してみる
 S先生の勧めもあり、早速、渋谷にあるトランペットステーションで、Emoのワウワウミュートを購入し、近所に迷惑にならないように吹いてみた。
 まあ、先は長そうだ。これはスポーツでも何でも同じことだが、「楽しめる」状態になるには、それなりの練習が必要だ。しかし、自分の思ったようにラッパを吹ける時の楽しさは知っている。なんとか頑張りたいと思う。

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何かを共有するということ

 週末に奥多摩にツーリングに行った。仕事や法事などで夏のツーリング以来参加できなかったので、殊のほか楽しみにしていた。総勢8台のフェアレディが6:00AMに外環新倉に集結し、奥多摩に向かった。
 私自身もそうなのだが、運転席にしろ助手席にしろ、フェアレディに乗っている時に、ふと何かを考えていることがある。車が車だけにボーっとしていることはできないのだが、ふと、何かを考えるのである。参加された皆さんは何を考えていたのだろうか。一つ言えるのは、それぞれ異なった環境で生きている人達がフェアレディという車を通して同じ時間に同じ場所に集まり、行動を共にするというのは、非常に興味深いものであるといういことだ。極端な表現をすれば、それはフェアレディの家族だ。そしてフェアレディの人格的なものがフェアレディに乗っている人そのものだ。
 フェアレディのオーナーには、いわゆる「一人親方」が多い。非常に個性的である。人も車も個性的なのだから、面白いし、勉強にもなる。

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