小学3年生の時、小学校の金管バンドの演奏を聴き、度肝を抜かれた。それ以来、特にトランペットが吹いてみたくてたまらなくなって、入部が認められる4年生になると、すぐさま金管バンドに入部した。トランペットが吹きたい一心で。
しかし、ひとつ問題があった。どの楽器を担当するかは、先生の目利き、楽器の競争率などに左右されるのだった。しかも困ったことに、体格のいい人はTubaという低音楽器を担当する傾向が強かった。当時私はデブだったので、「Tubaをやれと言われたらどうしよう・・・」と真剣に悩んでいた。 ところがなんと、念願のトランペットを吹けることになった。先生に熱意が通じたのだろう。そう決まってからは、がむしゃらに練習した。嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。6年生の最後の頃には、先生にも一目おかれていて、ソロ曲を吹いたりして、なんとも充実した日々だった。
中学校は地元の私立の中学校で、高校生と合同の吹奏楽部に入部した。ここでも当時、トランペットは競争率が高く、ひやひやしたが、なんとかトランペットを許可された。この部には高校生がいるし、歴史のある部だったのでレベルが高く、それなりの地位に行くには中学3年生になってからだった。とはいえ、結構練習したし、幅広いジャンルの音楽に触れることができ、非常に充実したものだった。
高校でも吹奏楽部に入部した。高校自体が明治以来の古い高校で、個性的な生徒ばかり。吹奏楽部も相当個性的であり、かなりマニアックなクラシック音楽を志向していた。当時は主に生徒が中心となって自主運営しており、指揮者も生徒。熱い日々を過ごした。ここで音楽的なセンスのようなものを学んだ。
大学ではいわゆるジャズ研に属していた。大学2年生から公認会計士の勉強を始めるまで、とにかくジャズ漬の日々だった。相当LPやCDを買ったし、セッションにも参加した。当時は横浜に住んでいたが、近所にプロのジャズマンのジャズ研の先輩がいたので、夜な夜なジャズを聴いて、曲や奏者について語ったものだった。クラシック音楽も大好きだが、ジャズを通じて自分を表現できる気がして、心地よい日々であった。
いまはどうだろう。先日久々に楽器を手にしたが、悲しかった。昔取った杵柄などない。アンブシュアがそもそも崩れており、息が漏れて、音が出ない。悔しかった。しかし、このままでは済ませない。またあの輝かしい若い時のように、音楽をしたい。いつか再開しようと思い、楽器は事務所に持ってきてある。
「なるべく」近々、再開するつもりだ。