芸術的経営者を追求する、江幡公認会計士税理士事務所の心のブログ

カテゴリー: 仕事

交際費等の範囲と定額控除限度額

 [平成21年6月26日現在法令等]
  交際費等とは、交際費、接待費、機密費その他の費用で、法人が、その得意先、仕入先その他事業に関係のある者等に対する接待、供応、慰安、贈答その他これらに類する行為(以下「接待等」といいます。)のために支出する費用をいいます。
  ただし、次に掲げる費用は交際費等から除かれます。
1   専ら従業員の慰安のために行われる運動会、演芸会、旅行等のために通常要する費用
2   飲食その他これに類する行為(以下「飲食等」といいます。)のために要する費用(専らその法人の役員若しくは従業員又はこれらの親族に対する接待等のために支出するものを除きます。)であって、その支出する金額を飲食等に参加した者の数で割って計算した金額が5,000円以下である費用
  なお、この規定は次の事項を記載した書類を保存している場合に限り適用されます。
(1)  飲食等の年月日
(2)  飲食等に参加した得意先、仕入先その他事業に関係のある者等の氏名又は名称及びその関係
(3)  飲食等に参加した者の数
(4)  その費用の金額並びに飲食店等の名称及び所在地(店舗がない等の理由で名称又は所在地が明らかでないときは、領収書等に記載された支払先の名称、住所等)
(5)  その他参考となるべき事項
3   その他の費用
(1)  カレンダー、手帳、扇子、うちわ、手ぬぐいその他のこれらに類する物品を贈与するために通常要する費用
(2)  会議に関連して、茶菓、弁当その他これらに類する飲食物を供与するために通常要する費用
(3)  新聞、雑誌等の出版物又は放送番組を編集するために行われる座談会その他記事の収集のために、又は放送のための取材に通常要する費用
(注1) 上記2の費用を交際費等の範囲から除く規定は、平成18年4月1日以後に開始する事業年度における飲食等のために要する費用が対象となります。
(注2) 上記2の費用の金額基準である5,000円の判定は、法人の適用している税抜経理方式又は税込経理方式により算定した価額により行います。
 なお、資本金の額又は出資金の額が1億円以下の法人に係る交際費課税について、平成21年4月1日以後に終了する事業年度から、定額控除限度額(注3)を年400万円から年600万円に引き上げることとされました。
(注3) 定額控除限度額に達するまでの交際費等の額の90%を損金算入することができます。
(措法61の4、平元.3直法2-1、措令37の5、措規21の18の4、平18改正措法附則102)

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青色申告特別控除

 No.2072 青色申告特別控除
[平成21年4月1日現在法令等]
 青色申告者に対しては種々の特典がありますが、その一つに所得金額から最高65万円又は10万円を控除するという青色申告特別控除があります。
1 65万円の青色申告特別控除
 この65万円の控除が受けられるための要件は、次のようになっています。
イ 不動産所得又は事業所得を生ずべき事業を営んでいること。
ロ これらの所得に係る取引を正規の簿記の原則(一般的には複式簿記)により記帳していること。
ハ ロの記帳に基づいて作成した貸借対照表を損益計算書とともに確定申告書に添付し、その適用を受ける金額を記載して、確定申告期限内に提出すること。
(注)
1 現金主義によることを選択している人は、65万円の青色申告特別控除を受けることはできません。
2 不動産所得の金額又は事業所得の金額の合計額が65万円より少ない場合には、その合計額が限度になります。ただし、この合計額とは損益通算前の黒字の所得金額の合計額をいいますので、いずれかの所得に損失が生じている場合には、その損失をないものとして合計額を計算します。
3 不動産所得の金額、事業所得の金額の順に控除します。
2 10万円の青色申告特別控除
 この控除は、1の要件に該当しない青色申告者が受けられます。
(注)
1 不動産所得の金額、事業所得の金額又は山林所得の金額の合計額が10万円より少ない場合には、その金額が限度になります。ただし、この合計額とは損益通算前の黒字の所得金額の合計額をいいますので、いずれかの所得に損失が生じている場合には、その損失をないものとして合計額を計算します。
2 不動産所得の金額、事業所得の金額、山林所得の金額の順に控除します。
(措法25の2、措通25の2-1)

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指摘

 言葉で表現することは、時として非常に難しいことであるが、今回は、「指摘」という言葉で表現したい。「指摘」とは、「大切な点や注意すべきこと、欠点や過失などを具体的に取り上げて指し示すこと。」とする辞書がある。「叱責」という言葉もあり、「叱責」とは「失策や怠慢などを叱りとがめること。」とする辞書があるが、個人的には、「叱責」はネガティブなイメージがあり、好きではない。
 今週は、他にも仕事が山積している中で、納期までの時間が短く、(ある意味)難易度の高い仕事に従事していた。ただ、会計専門家にとっては、普通にやればできる仕事である。私は、第一義的には、ベトナム人のアカウンティング・マネジャーのHさんに任せた。Hさんは、「OK. Only one day.(1日で終わるよ。)」と言う。確かに、Hさんならできるだろう、そう思った。ところが、蓋を開けてみると、どうもおかしい。ボロがボロボロ出てくる。私は本日帰国するのだが、この期に及んでボロが出てきた。Hさんの作業の後に2日間程度で終わると想定していたのだが。さすがに、普段はいい顔をしていた私も、今日はHさんに「指摘」した。「この会社にこの取引がないわけがないでしょう。あなたは何をチェックしてたのか。」と。普段は、いちいち「言い訳」をしてくるHさんも、今日はしおらしくしていたのが印象的だったが、結局のところ、Hさんの実力にしては、仕事の質が低かったのである。
 Hさんは会計歴16年のベテランだ。Hさんなら、もっと質の高い仕事ができたはずだと心底思えたから、今日は「指摘」した。そうしたら、Hさんをいたずらに傷つけることなく、結果としては成果を出せた。時には「指摘」も必要なのだなと、心底思えた。「指摘」は「感情の垂れ流し」ではない。「正論」と「事実」がしっかりと噛み合っている時の「指摘」は非常に有効である、そう思えた。ただ、「正論」が分からない相手には「指摘」は無効かもしれない。そのような相手には、「指摘」ではなく、「(単なる)叱責」と映るかもしれない。
 外国で働くということは、ある意味、「鉄下駄」を履いて仕事をするような感じかもしれない。人間として勉強になることが多い。

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ブランドと実力

 実力があるから売れるのか、売れるから実力があるということなのか。ブランドがあるから売れるのか、ブランドがないと売れないのか。どんな業界・業種であれ、ビジネスをやっていく上で、誰しも悩むことであろう。特に、ビジネスという「商業化」ベースで考えた場合、世の中では、「いかにブランディングし、商業ベースに乗せるかが重要である。」といったことを思わせる事例が散見される。ある意味、その点は重要であり、自分自身も、例えば、野菜を買う場合、日本産を選ぶのが通常である。これもひとえに、日本人の先輩方が築き上げてきたブランドの賜物である。
 さて、身近な話をすると、これも世の中で散見されることだが、「口コミ等により結果として長蛇の行列ができるラーメン屋」と「雑誌等のメディアを利用し集客するラーメン屋」はどうだろうか。私は、「口コミ等により結果として長蛇の行列ができるラーメン屋」が好きだ。しかも、僻地にあればあるほど興味をそそり、うまかった時の感激はひとしおである。一方、「雑誌等のメディアを利用し集客するラーメン屋」の場合、期待はずれだった時のショックは大きい。なぜなら、ラーメンはカロリーが高いため、代謝の落ちてきている私にとっては、いかにうまいラーメンを食べ満足するかが重要だからだ。おそらく、いかにメディアを利用して集客しても、うまくなければいずれビジネスは成り立たなくなるだろう。一方、うまいラーメンを作り続けたからこそ、客が客を呼び、結果として繁盛するのだろう。つまりここで言いたいのは、「実力が結果を生む」ということであり、ビジネスに関して言えば、「真剣に仕事をした結果儲かる」ということである。
 しかしながら、一方で、いくら良いものでも、人々に「認知」されないとどうしようもない。例えば、いかにうまいラーメンを作れるとしても、誰も知らないような僻地にあり、客が全然来ないというのでは、商売が成り立たない。一方、誰も知らないような僻地であっても、例えば、有名人が出店した場合には、うまいかどうかは別にして、客が来るだろう。
 このように、「実力があるから売れるのか、売れるから実力があるということなのか。ブランドがあるから売れるのか、ブランドがないと売れないのか。」ということは、非常に難しい問題である。あまりお化粧しすぎるとそれは粉飾だし、あまりにもみすぼらしいと人の興味をひかない。ただ、やっぱりこういう結論になってしまうのだが、「今ある仕事を、1つ1つ、真剣に、地道にやる。」しかない。それと同時に、「世の中に自分自身を認知して頂く作業」も「ある程度」はする。現時点では、そのように考えて仕事をしている。結果がどう出ているか、どのように結果を出していくか、折を見て振り返ってみることも忘れてはならない。

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口論(ビジネス上)

 前述「市場」で登場したHangさんの名誉のために、彼女の輝かしい一面も書いておこう。彼女は結婚し、二児の母である。毎朝5時に起き、美貌を保つためのウォーキングをしてから、子供のために食事を作り、子供を学校に送り届け、7:30にはオフィスに到着する(始業は8:00)。時には19:00過ぎまで働き、帰宅する。頑張り屋である。クライアントを訪問する前日に、Hangさんに、「明朝は何時にオフィスを出る?」と聞くと、必ず、「It’s up to you. I come to the office untill 7:30 every morning.」という返答が返ってくる。私は、「たしかに。」と答えるほかない。夜遅くまで仕事をした翌日は、私は8:00までに出社しないことがある。ごもっともである。また、彼女は面倒見がよく、Cafe su da(ベトナム風アイスコーヒー)を入れてくれたり、果物をむいてくれたりする、優しい面もある。ただし、彼女に余裕がある時に限る。
 さて、そんな彼女とも、仕事上の付き合いは早いもので1年。英語でコミュニケーションをとるのだが、お互いに英語は母国語でないため、当初は60%くらいしか理解できなかった。彼女は「Tax」のことを「タ」と発音するのだが、当初はそれすら分からなかった。そのような状況であっても、仕事上話をしなければ先に進まないので、なんとか話をしていくうちに、今では、英語で口論(もちろん、ビジネス上の)をするまでになった。現在はベトナムも繁忙期であるため、忙しい。昨日も、あるクライアントの問題をめぐって、二人とも熱くなり、口論をした。彼女は譲らない。私は、仕事を統括する立場上、すべてを容認するわけにはいかない。そんな中で私がふと、「しかしながら、俺たちも口論をするまでになったんだね。お互いに英語も上達したのかな。」と言うと、彼女も、「たしかに。上達したね。」と言って、お互いに笑った。
 海外で働くということには、日本と「同じ面」と「違う面」がある。どちらか一方だけをクローズアップしても先には進まないし深みが出ない。私は、両者をバランスよく認識しているつもりだが、大変なことは多い。しかし、上記のように、口論をしつつも笑える状況は、ある意味、「やりがい」があるということだ。こういうことを日々確認しながら、自分の行き先を、日々「選択」している。

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仲間

 私には、ベトナム人会計士の良き仲間がいる。名前はHaiさん。Haiさんは、年も経験も私より若い。しかし、ビジネスマンとしてしっかりしており、ユーモアがあり、信頼できる奴だ。
 思えば、2009年3月からここベトナムと日本を行き来するようになり、彼にはいつも助けられている。もちろん、仕事での付き合いだが、時には精神的にも助けてくれる。ベトナムに来た当初に「いや~、右も左も分かんないから大変だよ。」と弱音を吐くと、「Mr. EBJ、ステップ・バイ・ステップだ。大丈夫だ。」と言ってくれた。そして今日も、ミーティングが終わった時に、私の状況を察したのか、「Mr. EBJ、初めての仕事は勝手がわからないから、骨が折れるよな。」と言ってくれた。自分も忙しくて大変なはずなのに、いい奴だ。
 そんな彼なので、旧正月前に彼の事務所のパーティーがあった時、私は相当多忙だったが、なんとか挨拶をしたいと思い、急いでワインを買ってパーティーに駆け付けた。この「心の衝動」こそ、人を動かす原動力だ。なんと素晴らしいのだろう。しかも国境を越えてだ。貨幣的価値では測定不能だ。

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市場

 夕方にベトナム人会計士とのミーティングが終わり、その会計士のオフィスを出たところで、同席した私の事務所のベトナム人スタッフHangさん(女性、40歳)が、「(ラップトップの入った)荷物をオフィスに持って行ってくれ。」という。「タクシーで帰るんだから支障はないはずだ。」という。「なぜ?」と理由を聞いたところ、「これから市場に買い物に行くのだが、大事なパソコンの入った荷物を持って市場を歩くの危険だ。ひったくられる可能性がある。」という。「だったら、一旦オフィスに荷物を置いてから市場に行けばいいのではないか?」と言うと、「オフィスに置いてあるバイクで家に直接帰りたいから、とにかく持って行ってくれ。」と言う。本当の理由だ。自分にとって効率のよい行動順序を選んだのだ。「しょうがないな。」と思いつつ、「自分は彼女の上司なんだけどな。。。」と思いつつ、結局持って帰ることにした。ちなみに、私はお腹がすいていたので、オフィスに帰る前に、重い荷物を2つ持ちながら、「Hu Tieu(細い米麺)」屋に行き、食事をしてからオフィスに帰った。
 その後オフィスに帰ったところ、なんと、彼女も別のタクシーでオフィスに到着したところだった。しかも、オフィスの玄関に近い、べス・ポジにタクシーを乗り付けている。彼女と再会した際、ちょっと自分が情けなくなったので、「こういう形で荷物持ちはもうやらないよ。」と言ったら、「市場からのタクシー代は自分で出したんだからね。」と言う。最近、いちいち「かぶせ」てくる。「あたりまえだよ。きみはプライベートで市場に行ったんだからさ。」と言うと、しばらく黙り、一緒にエレベーターに乗り、オフィスに入った。彼女はそそくさとオフィスを出て行った。私は着替えを始めた。ちょうど、パンツ一丁になったところだった。すると、「開けろ、開けろ。」と言いながらドアを叩く音がする。彼女だ。急いで服を着てドアを開けると、「次男坊のために買ったミルクを忘れた。」と言いながら、またそそくさと出て行った。
 ここまで長々と書いて、実はオチがないのが悔しいのだが、要は、振り回されたということである。女性の皆様には失礼かもしれないが、万国共通、女性にはこういうところがあるような気がする。

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会計士の三種の神器③

 最後は、筆記用具だ。以前は、多種多様の筆記用具を持ち歩いていたが、現在ではそれらが厳選され、最も重要な筆記用具は、四色ボールペン(シャープペンシル付)、ホッチキスくらいだろう。
 今思い返すと、新人の頃から数年間は、とにかく監査調書の「見栄え」を気にしすぎており、肝心の深度は問題である。もちろん、監査調書を作成することも重要な仕事の一つだが、最も重要なのは、深度ある分析・検討だ。現在はその点を意識しているので、四色ボールペン(写真下の赤いものは手帳)で十分だ。

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会計士の三種の神器②

 次は、電卓(写真の赤いものは電卓ケース)だ。これなしには仕事にならない。女性の先輩会計士で、珠算の影響か、暗算が物凄く、電卓を使わずとも6桁以上の数字の足し算ができる方がいらっしゃったが、稀だろう。
 資格の学校の講師で、「左手で電卓を叩けない会計士は潜りです。」などと豪語している方がいらしたが、実務は受験とは違うので、そこまでの電卓早叩きは必要ない。ただ、左手で電卓を叩き、右手で字を書く方法は、効率が良いことは確かだ。

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会計士の三種の神器①

 新人の時、先輩会計士に、「この仕事は体力勝負だ。くれぐれも腰には気をつけろ。」と言われたものだ。ところが、現在は腰痛持ち。我々の仕事では、クライアントを訪問し、クライアントで仕事をすることが多いため、持ち運ぶ道具が多い。ラップトップ、電卓、筆記用具、専門書等々、重いものが多い。
 そこで必要となるのが、大きな、タフな鞄だ。写真の鞄はTUMIのレザーで、2代目。1代目はナイロン(アメリカ軍が防弾チョッキに使用しているバリスティック・ナイロンを改良したもの)のもので、修理しながら10年使った末に、「新規購入代金<修理代」となったため、リタイアとなった。なお、アメリカ合衆国でTUMIを購入すると、ネーム・プレートへの刻印(写真下)がサービスとなる。いずれにせよ、会計士にとって、大きな、タフな鞄は、三種の神器No.1であろう。

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こだわり

 「拘り」と漢字で書くと、ネガティブな印象を受けてしまうが、ここでは、ポジティブな概念として「こだわり」を捉えたい。特に仕事においては、「ブレない軸」が必要である。軸がグラグラしていると、何のために何をやっているか、自分を見失うことになる。しかし、「こだわり」を持って仕事をすること、つまり、仕事の対象に思い入れを持って寄り添って自分を出していくこと、そこに軸があるし、価値がある。そのような意味で、、「こだわり」は非常に重要である。一流のコンサルタントの中には、プレゼン資料中の表の罫線の幅といった細部にまでこだわると言うから、ある意味、オタクに近いものがある。
 しかしながら、他者を意識しない、我に入った「拘り」には注意したい。そのような「拘り」は、他者を不快にさせ、結果的には自分を破滅に追い込むことになる。何かにこだわるのはいいが、「あれ?何かおかしいな?」と感じたら、一度その対象から離れてみることが重要である。ちょっとズルいし、矛盾するかもしれないが、「常に着脱可能」な柔軟さも重要である。
 なお、(性格、食事などに)「偏りのある人」は認知症になりやすいとのことなので、殊のほか留意が必要である。

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 「宝」というのは非常に主観的な概念であり、何を「宝」とするかは人または人間集団によって大きく異なる。命、経験、友情など、個人的な有形無形の大切なものも「宝」と呼ばれることが多く、形のあるものから形のないものまで様々である。
 ノルディック複合選手の阿部雅司氏は言う。
 「補欠となった経験が私の宝である。補欠を乗り越えた自分を誇りに思う。それがあったからこそ今の自分がある。」
 アルベールビルオリンピックでは、自分の後輩達が選手として選ばれ、自分は落とされた。当時のノルディック複合部長は、「当時の阿部は若干勢いがなかったということで落としたが、苦渋の決断だった。」と言う。補欠となったことが分かった時、阿部氏は思わずロッカールームから走って出て行ってしまったそうだ。当時はそれくらい、「補欠」となったことはつらい経験で、「補欠」は「宝」の顔をしていなかった。ところが、次のオリンピックでであるリルハンメルオリンピックでは、ノルディック複合団体選手に選ばれ、見事金メダルを獲得している。アルベールビルオリンピックで選手に選ばれた河野孝典・荻原健司にとっても、先輩である阿部氏の存在は、いい意味でプレッシャーになっていたことが窺える。
 成育歴からして、これまでの私は、スポーツに興味を示さなかった。しかしながら、スポーツには「ドラマ」があることが分かった。スポーツを単なる競技としてしか捉えていなかった自分には「観察力」が欠如していたと言うほかない。今後は、スポーツにおける選手の生き様に着目していきたい。

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固定資産の減損

 減損会計(げんそんかいけい、impairment accounting)とは、資産の収益性が低下して投資額の回収が見込めなくなった場合、当該資産の帳簿価額にその価値の下落を反映させる手続きをいう。
 減損会計を理解する上では、次の4つの要素について、趣旨・具体的内容などについて、しっかりと理解する必要がある。
 ①資産のグルーピング
 ②減損の兆候
 ③減損損失の認識
 ④減損損失の測定
 なお、減損会計は、経営上は、単なる固定資産の簿価切り下げにとどまらないのが通常であると考えられる。ビジネスの収益性が低下しているからこそ減損会計を適用するのであって、単なる固定資産の価値のみならず、ビジネスそのものの価値が問われていると言わざるを得ない状況が多々ある。この点、「『正味売却価額』が高い」ことを理由に減損処理を見送っているケースが散見されるが、そもそも、「正味売却価額で固定資産を評価すること自体」の意味を考えてほしい。「ビジネスで使用する固定資産を売る時の価値で評価する」⇒「ビジネスをやめることが前提」、ではないだろうか。
 今後は、固定資産の減損の詳細について考察していくことにする。

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写真

 デジタルカメラの発達にはついていけない。どのタイミングで買えばよいのか、どのメーカーがよいのか、どのような機能があるのか、など、デジタルカメラを購入する際の切り口には枚挙に暇がなく、意思決定が難しい。結局のところ、販売員の説明の明確さ・熱心さ・心遣い・顧客観察力(=マーケティング)などが、その時の自分の要求水準を超え、納得のいったときに、購入という意思決定をしているように思える。電気製品に関しては、どうしても大型量販店の存在が大きいとはいえ、結局は「人」である。
 さて、今後は、デジタルカメラを「仕事」で使っていきたいと考えている。これまでは、プライベートでしか使用していなかったし、かつ、自分自身のデジカメを持っていなかった(今は亡き京セラのデジカメを持っていたが、壊してしまった)ため、写真を撮ることに関しては、積極的ではなかった。しかしながら、「仕事」においても、「幸福論」や「専」とも関連し、「今、この瞬間」を大事にしていきたいと思うので、写真の力を、どんな方法でもよいから、「仕事」に活かしたいと考えている。そういうわけで、とうとう、「Canon PowerShot S90」を購入した。「キャノン」ではなく、「キヤノン」である。

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事務所

 事務所(じむしょ)。いい響きである。勝手なイメージだが、人がいて、誰かと電話をしていて、なんか書類を書いていて、3時にはお茶をすすっていて、夜は鍵をかけて帰宅して、と、「人の動き」が感じられる場所である。
 左の写真は私の事務所の一角の私のデスクだが、公認会計士を目指した動機でもあった、「自分の城」というものがどうしても欲しかった。現実はそう甘くはないが、今この時、現時点では、仕事・仲間・家族の協力・時間などに恵まれ、貨幣価値で測定不可能な効用のような概念を入れるならば、現時点に満足している。ただ、人間は、魂レベル・仕事・人間関係等、様々な面で成長することが宿命であるから、現状に満足しているからといってそこに甘んじることなく、さらなる成長を志向していたい。ただ、繰り返しになるが、「現状に満足できる」のも「ありのままの自分を受け入れる」ということなので、ますは「現状肯定」をしたいと思う。
 私を含めて3人の仲間(先輩)がいるので、会計・税務の話、世の中の話等々で、いつも賑やかですよ~っ。

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節目

 「Tet (テト)」とは、漢字の「節」のベトナム語読みであり、いわゆる旧暦の正月を意味する。本日はまだテト前であるが、会社によっては、本日からテト休暇に入るケースもあり、本日は、正月休み前で、街が浮足立っているといった印象を受ける。弊事務所のベトナム人スタッフも、明後日からテト休暇に入るのだが、本日はお年玉の用意をし始めるなど、気持ちはテトに向いている。
 「節」、「節目」というのは、何も暦に限ったことではなく、人それぞれ、何らかの節目があると思う。この点、スティーブ・ジョブズは、絶えず自分に問いかけ、「節目」を意識している。
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。」
最後に、もうひとつ。
「君たちの時間は限られている。だから他の誰かの人生を生きて時間を無駄にしてはいけない。定説(ドグマ)にとらわれてはいけない。それは他の人たちの考え方の結果と生きていくということだ。その他大勢の意見という雑音に、自分の内なる声を溺れさせてはいけない。最も大事なことは、自分の心に、自分の直感についていく勇気を持つことだ。心や直感はすでに、あなたが本当になりたいものを知っている。それ以外は二の次だ。」
 最近、こういったことを考えると疲れてしまうことがあり、「もう考えない方がよいのか?」などと思ってしまうが、「テト」という「節」が暦の上にあり、ベトナム人の行動が「節」を意識した行動であることを目の当たりにし、やはり、人生については、常々考えていきたいと思った次第である。

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専門

 常々、「専門」について思いを巡らせているが、本日は、改めて、「専門」について考える機会があった。そこで、そもそも、「専門」とはどういう意味なのか、「門」の意味はなんとなくわかるが、「専」はよくわからないので、「専」について調べてみた。
 「専とは、『寸(手の指一本)+糸をまいた紡錘の象形文字』の会意兼形声で、紡錘は何本もの原糸を集めることから、専一の意味が生じた。」という。なるほど、「専一」。ところで、専一とは、「他を顧みないで、ある物事だけに力を注ぐこと。」という。
 そこで分かったことは、現時点で「専門」とするものがないのだとしたら、「専門」とは、どこか遠くにあるものではなく、また、探しに行くものでもなく、「自分の心のありかた」だということだ。「幸せ」の考え方とも似ているように思える。
 「専門」かどうかは、自分がどれだけその対象により添えるか、にかかっているのだろう。

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信頼

 信頼しているとは、どういう状態をいうのであろうか(写真は”ノブヨリ”)。まず一般的なイメージを得るために、「信頼」で画像検索すると、「握手」している画像が散見された。しかし、自分にはしっくりしない。自分にとって「信頼」とは、握手よりももっと深く、ある意味「つらい」状態のような気がする。
 なかなかよい言葉が見つからないが、「信頼」、特に、「相手を信頼する」とは、当該「相手」が自分に対して「つらい」状況を作り出すことがあっても、それを上回るほどの価値を相手に感じ、相手を尊重することだと考える。言い方を変えれば、当該「相手」のプラスもマイナスも受容できる、または、「お互いに」相手の悪いところ・自分の悪いところを受容しあえる、そんな「仲」のように思える。
 だとするならば、信頼関係が最も固く、それでいて、信頼関係を築くのが最も難しのは、「家族」ではないだろうか。特に、「夫婦」は?
 いずれにせよ、「信頼」とは、「つらい」面もあるが、(いい意味で)やめられない。

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猿楽珈琲

 開店から18年という代官山の老舗珈琲専門店。八幡通りには、歩いていても気づかない程ほんの小さい表示。表看板も地下へ続く階段の先にあるので、どこにお店があるのか分からないかもしれません。その日に焙煎され、布で漉されて出来上がった香りのいい珈琲に出会える。お酒の飲めなかった店主が、お酒を飲むような趣のある空間に美味しい珈琲を出したい、と始めたお店。各テーブルには“穏やかにおすごし下さい。”と但し書きがある。静かな二人か、独りで和むのにふさわしい雰囲気の店内であり、集中して読書をしたいとき、手紙を書きたいとき、心を整理したいときに適している。そんな聖域に魅かれ、ひとりで足を運ぶ常連も多く、抑え目の照明、仕切り板が程よいプライベートエリアを作ってくれる。
 大学1年生の時にアルバイトをさせて頂いた。マスターには、珈琲はもちろんのこと、生き方、作法、音楽など、いろいろと教えて頂いた。様々な出会いもあった。とにかく、「こだわり」のマスターであり、お店そのものがマスターの生き方のような気がする。折を見てまた訪れてみたいと思う。

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BURT’S BEES

 バーツビーズは1984年にアメリカ・メイン州で生まれたナチュラル・トータルケアブランドである。都会の生活に飽きて田舎の蜂蜜職人に転職した創立者のバート・シャビッツとロクサンヌ・キンビーが、余っていたミツロウをキャンドルにして近所に手売りしたことが始まりである。地球に優しく、人に優しいを信条にバーツビーズの製品は全てキッチンやガーデンで見かけられるような、天然由来の成分で作られている。現在、バーツビーズの製品数は150以上に上り、取り扱い小売店はアメリカ全土やカナダをはじめとし、全世界で30,000店以上になる。その品質の高さ、そしてキュートなパッケージは世界中のファンに愛されている。
 この逸品は、まずは、デザインの良さである。残念ながら、現在の日本のプロダクトでは、このようなクールなデザインはないかもしれない。また、デザインのみならず、品質もよい。元々、ハンドクリームなどを使う習慣がなかったが、この「BURT’S BEES」に出会って以来、習慣化した。米国旅行した際のお土産にも最適である。

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浜松市

 浜松市(はままつし)は、静岡県西部にある市。2007年4月1日に政令指定都市となった。戦国時代には城下町、江戸時代には宿場町として栄えた。中世に浜松と呼称されるようになったことが、史書にもある。元は曳馬(ひくま)という地名だった。徳川家康が曳馬(引馬)を浜松と改めたことで、以後、浜松として定着する。
<楽器>
 浜松は、楽器産業が盛んな都市である。特にピアノは全国シェアの100%を占める独占産業である。市内には、首位のヤマハや河合楽器製作所、2005年からはローランドの本社もあるので日本の三大楽器メーカーが浜松に存在することになる。ピアノの他にも浜松では、電子オルガンや電子ピアノ、シンセサイザーや管楽器、ギターなど、さまざまな楽器の生産が行われている。メロディオン、ピアニカ、ハーモニカなどの生産も多い。
<輸送機器>
 本田技研工業創業の地で、現在もオートバイ(中型・大型二輪車)の主要工場があるが、2009年内に二輪車の生産を熊本工場に集約することが発表された。また、スズキの本社工場もあるがエンジンの生産のみで、完成車は生産していない。現在の浜松のオートバイ産業は、全国の60%以上を占めている。
<繊維産業>
 浜松には多くの繊維工場が存在し、特に浴衣の生産では全国有数の生産地域となっている。
<光電子技術産業>
 浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)助教授(後に教授)の高柳健次郎が、テレビジョンを発明した。高柳の教え子らが創業した浜松ホトニクスの本社と主要工場がある。
 市内の高丘地区には、航空自衛隊浜松基地がある。その歴史は古く、大正時代に浜松に設置された陸軍飛行連隊がその前身である。昭和に入ると陸軍飛行学校が設置され、浜松は陸軍の重爆撃機の基地となった。太平洋戦争の戦況が悪化すると、浜松は航空基地や、軍需工場の存在とともに、米軍機の日本侵入路に当たっていたため、ほぼ同様の地理条件にあった静岡市と並び、米軍の爆撃目標値に対する実際の爆撃率において全国の都市の中では数少ない100%を超える空襲や艦砲射撃を受け、多くの市民が命を落とし、市街地は焦土と化した。終戦後一時、浜松基地はアメリカ空軍の不時着飛行場となり、1952年に組織された保安隊の航空学校が設置され、日本初の航空基地となった。保安隊はその後、航空自衛隊に改称され、1958年に浜松基地は南基地・北基地に分離したが、1989年に統合して、現在に至っている。所属部隊はパイロットや航空機等の整備員を養成する教育部隊が中心で、航空教育集団司令部がある。1999年には広報館「エアーパーク」も開館し、多くの人が訪れている。また、毎年行われる航空祭(エア・フェスタ)には、全国から多くの航空ファンが訪れている。
 いまや政令指定都市の浜松市。地方都市の衰退(特に商業)が目立つ中、浜松市も例外ではないと思うが、駅前や繁華街を見ていると、活気が失われているわけではないように思われる。やはり、戦前・戦後の製造業、やらまいか精神などが土台にあるからだろう。底力のようなものが感じられる。日本の自動車産業、楽器等、日本を支える産業がある浜松市には、今後とも、日本を代表する都市であってほしい。

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デザイン

 デザインの語源はデッサン(dessin)と同じく、“計画を記号に表す”という意味のラテン語designareである。つまりデザインとは、ある問題を解決するために思考・概念の組み立てを行い、それを様々な媒体に応じて表現することと解される。日本では図案・意匠などと訳されて、単に表面を飾り立てることによって美しくみせる行為と解されるような社会的風潮もあったが、最近では語源の意味が広く理解・認識されつつある。
 私の趣味は、『時空を超えて美しいもの (古い車、古い建築、古い音楽など) 』である。つまり、ナガオカケンメイ氏の言葉を借りるならば、「ロングライフ」のものに対して殊のほか興味がある。例えば、仕事道具の一つである、「タフなかばん」。パソコン、専門書、筆記用具等を入れると、重さは20kg位になろうか。こいつのせいで腰痛が引き起こされたと言っても過言ではないが、とにかく、タフでなければならない。とことんタフであることといえば、とことん合理的であること。とことん合理的といえば、ヨーロッパではなくアメリカである。私は、新人の時に購入したTUMIのかばんを、修理しながら10年使用した。最近また壊れてしまったので修理をしようとしたが、新しいものを購入した方が安上がりだと言うので、やむなく、新しいものを購入した。靴もしかり。修理しながら長く履く。なんでもそう。長く使うと思い入れが出てくる。
 上記で、さりげなく「ナガオカケンメイ氏」と書かせて頂いたが、私と同じく美しいものが好きな妻が、「D & DEPARTMENT PROJECT」の存在を教えてくれた。昨年のクリスマスはそのレストランで過ごした。美しいもの(かっこいいものを含む)に囲まれて幸せなひと時を過ごせる場所である。
 代表のナガオカケンメイ氏の著書を拝読したが、共感できる部分が多く、公認会計士である「等身大の自分」が何かお手伝いできることがあればお手伝いさせて頂きたいと考えている。ただ、ナガオカ氏の元には、自称「ファン」が集まって来るものの、実際には仕事が長続きせず辞めてしまう人が多いという。軽々しくは「お手伝いします。」などと言えないのかもしれないが、たまたまナガオカ氏がお店にいらっしゃれば、是非お話させて頂きたいと思う。「デザイン」と一言でいっても、その裏側には、すべての仕事に共通するような「地味な仕事」「力仕事」「やっつけ仕事」などがあるのだろうから、それらプラス・マイナスを含めて、総合的に考える必要がある。どんな仕事でもそうかもしれない。

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セミナー

 ゼミナールまたはセミナー(英: 独: Seminar)は、大学、大学院などにおける演習の事。略称「ゼミ」。科目名としては「演習」「専門演習」などと呼ぶ場合がある。一方的に教員の講釈を聞く講義に対して、教室で少人数で対話や一緒にテキストを読んだ上で議論・報告したり、場合によっては合宿や旅行を行って親睦を図ったりするなど、コミュニケートしながら教員、そして学生同士から何かを学び取る時間である。専門分野の個々の講座のゼミと一般教養ゼミの二種類がある。一般教養ゼミは、包括的なテーマの下に、個々の学際的なゼミ、もしくは個別テーマのゼミがある。いずれも、専門分野、もしくは担当教員の名前を取って、何々ゼミと呼ばれる。これらは、工学部、農学部では、「実習」(Praktikum)にあたる。
 転じて、そのような実りのあるやり方で大学受験に備える事を売りにする受験予備校でも、学校名にこれを入れたりする。代々木ゼミナール、早稲田ゼミナールなど。最近では、公募型で行われる講師対受講者の形式をとって行われるものについて特に「セミナー」という表現が好まれる傾向にある。就活セミナー、投資セミナー、スキルアップセミナーなど。ドイツ語では、「神学校」の意味で使われる事もある。「ゼミナール」(Seminar)の元々の意味は、「種(Same、複数でSamen・転じて精子、子孫)を撒く苗床」の事。
 セミナーにはセミナーのプロがいる。言い方を変えれば、基本的には、「セミナーのプロが、本業として、セミナーをやるべきだ。」と考える。本来は、片手間でできるものではなく、それくらい本腰を入れてやるべきものだと考える。また、本業が別の分野にちゃんとあるのに、「本業から逃げて、教育活動・啓蒙活動にはしる」人が散見される。 一方で、「セミナーに興味がある。」というレベルを超えて上記のようなことも考えつつ、事業としてチャレンジする価値があるもの、セミナーだ。やりがいのある仕事だと思う。
 本日午後、コラボレーション事業の観点から、セミナーのプロとブレストをさせて頂いた。自分の軸は何であり、人のために自分になにができるのか、改めて問われたことになる。

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イタリア料理-単なる『食』を超えて-

(写真右は、ミラノにあるピザ屋の親方である。左は弟子。ピザ生地作りはまさに職人技であり、「師匠(ししょう)とはマエストロの意味だ。」と説明した上で、「師匠(ししょう)!」と呼びかけると大変嬉しそうであった。イタリア料理は、味そのものだけでなく作った人も喜ばせてくれる。)
 現代イタリア料理の基盤は大変古く、古代ローマ帝国までさかのぼる。当時のローマ人は、食事にかける時間をとても大切にし、当時から1日3食の構成をとり、1食をコース料理にして2~3時間もかけて食事をする習慣があった。さらに裕福なローマ人たちの間で、腕利きの料理人を呼んで料理を客に披露することが流行った。料理人達はそれぞれ競って腕を磨いて新しい料理作りに励んだことで、周辺の国々の追従を許さない優れた食文化が誕生し、これがローマ帝国の発展とともにヨーロッパ各地へと広がっていった。また、チーズもローマ軍の遠征兵士のスタミナ源として携帯されたことが契機となり、同様に欧州各地に広まった。
 イタリア料理は、フランス料理の原型でもある。1533年、フィレンツェの名門貴族であるメディチ家のカテリーナがフランスのアンリ2世に嫁いでパリに移り住む際、大勢のイタリア人料理人や香料師を連れてイタリア料理や氷菓、ナイフ・フォークの使用といったものをフランスに持ち込んだ。それをきっかけにして、当時粗野だったフランスの宮廷料理やテーブルマナーが洗練された。ちなみにフォークの爪は4本だが、これはナポリ王国国王フェルディナンド4世の宮廷でパスタがよくからんで食べやすいように爪の数を増やしたとされている。 このように、西洋を代表して世界三大料理(中華料理、トルコ料理、フランス料理)に数えられているフランス料理は、イタリア料理の影響を受けて成長した。ローマ時代から続くイタリアの食文化が西洋料理の母的存在といわれるのは、こうした歴史によるものといえる。
 滞在先のSAIGONで無性に食べたくなることがあるのがパスタである。あらかじめベトナム人に、「SAIGONで一番うまいイタリア料理の店を教えて。」といって店を教えてもらっていたので見当はついている。SAIGONでの楽しみの一つが食事。昼ごろ起きてすぐに支度をして店(pomodoro)に直行しがっつく。たまにはこういう生活もよいだろう。海外で食べるイタリア料理って、おいしいのです。この店のイタリア料理も、気合いが感じられました。案の定シェフはイタリア人。太っちょで食べるのが好きそうな方です。思わずドルチェもいってしまいました。飲食業、とりわけイタリア料理店のすごいところ-『人を喜ばせてくれる』。ビジネスの原点ですね。

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