2022年5月22日
繁忙期 令和4年5月
平日に事務所で執務したのは計3日であった。
芸術的経営者を追求する、江幡公認会計士税理士事務所の心のブログ
2022年5月22日
平日に事務所で執務したのは計3日であった。
2021年10月23日
中間決算という言葉は、どことなく懐かしい響きなのではないでしょうか。
2021年9月1日
わっ、すごい!
2021年5月23日
終わりが見えつつあるが繁忙期の最中である。
2021年4月29日
やはり大先生との仕事は面白い。
2020年12月23日
削減は手柄なのか。
2020年11月8日
もういらないです。
2020年10月17日
どんなによいものを持っていても、言い方を間違えると、アウトです。
2020年9月19日
西の方へ行くと、必ず行くお店がございます。
2020年8月31日
ルートヴィヒ・グットマンの言葉だそうです。神社で見つけました。
2020年5月30日
大変有難いことですが、5月は心身がつかれます。
2017年12月24日
「関係会社間の取引で操作を疑われないためのポイント」
というテーマで、日本実業出版社『企業実務』で執筆させて頂きました。
2017年11月12日
時には、「もの」にこだわることも悪くない。
2017年6月17日
久々に映画「ギター弾きの恋」を観たのをきっかけに、
Django Reinhardtを思い出した。
2017年6月12日
今年から配偶者特別控除は配偶者の所得金額が拡大される一方、
配偶者控除では納税者本人の所得金額に制限が加わります。
夫婦の所得金額を確認しなければなりません。
2017年6月3日
業種に関わらず、
商売には秘訣がある。
改めてそう思った。
2017年4月25日
重要な事と重要でない事を、
どれだけ明確に判断できているだろうか。
2017年4月12日
どうしても欲しいものがあるとする。
どうしてもそうありたい状況があるとする。
しかし、現実は違ったとする。
2017年4月9日
一通の請求書が届いた。
思わずほくそ笑んだ。
2017年3月10日
電子メールは非常に便利である。
しかし、電子メール「が」あるがゆえに、又は、電子メール「で」あるがゆえに、
様々な問題を引き起こしているのではないか。
2017年3月5日
クライアントの社長と話をしていて教えて頂いたこと。
2017年3月3日
寝ている間にみた夢がきっかけとなって、
数か月前に私に投げかけられた心無い言葉を思い出した。
2017年2月18日
世の中では「デトックス」という言葉があり、
自分もその効用を信じているのだが。
本来の発音は「ディタクス」か。
2017年2月14日
江幡公認会計士税理士事務所創立8周年を迎えた。
これまで一方ならぬご厚情を賜った関係各位に心から感謝申し上げる。
さて。
2017年2月10日
正月に、しくじり先生を観た時の話だ。
2017年2月8日
2017年1月4日
情報箱というフォルダを作り、
普段思いついた情報や世の中の情報を保存している。
2016年12月27日
ある日、日本の会計制度について改めて調査していたところ、
非常に興味深い論文に行き着いた。
2016年11月27日
某局の某番組で、
M氏とK氏の緊迫したやり取りについて、
ネットを見ると、「生命に対する侮辱」という面が取沙汰されているが、
僕は、M氏の以下の言葉がやけに心に響いた。
2016年10月10日
あまり好きな言葉ではないが、
ある一時期は「身の丈」をしっかりと認識することが重要だ。
2016年9月30日
どうやら、脳の仕組みを理解することが重要そうだ。
2016年7月7日
ゴロゴロする日があってもよい。
しかし。
2016年4月4日
この業界では、
「未来会計」という言葉があるが、
その継続的実践は、簡単なことではないだろう。
2016年3月3日
ビジネスにおける心配事を突き詰めていく。
2016年2月28日
自分の場合、
やろう、やろう、と思っているだけで、
行動が伴わないことがある。
2016年2月24日
するりするりと、その時の状況に応じて、
変化を見抜き、変化に応じて、
柔軟に対応していくのが、何より重要なのかもしれない。
2016年2月18日
「事業承継」という言葉が入っている本は山ほどある。
内容は様々だが、自分の場合は、事業承継の手法に「自然さ」があることが重要だと考える。
2016年2月8日
年に一度、大学のゼミのOB会と称して、三田界隈で集まりがあるのだが、
そこには、T教授をはじめ、現役ゼミ生、OBが集まる。
2016年1月4日
中学の同級生Tの年賀状の返事は、毎年2月にならないと来ない。
理由を聞いてみたところ、「旧正月」に返事を出すのだという。
中学の同級生Tではないが、この投稿は年始にタイムリーにすべきであったことをお断りしておく。
2015年12月29日
事務所に、2人目の職員が入ってくれました。
お客様の会社の元課長様だ。
2015年11月12日
一番の出来事は、初めてコンペに出たことだ。
コンペといっても、仲間内だけのコンペではなく、
お客様の取引先の方がメンバーのコンペなので、初めてお会いする方とまわるのだ。
2015年10月22日
例年なら、10月はもっと繁忙期なんだけど。。。
2015年9月15日
今までで一番Bigな調査が入った。
2015年6月21日
まったくEbalogを書いていなかった。
主な出来事は何か?
2015年5月6日
まったくEbalogを書いていなかった。
主な出来事は何か?
2015年4月21日
まったくEbalogを書いていなかった。
主な出来事は何か?
2015年3月19日
土地の値段の概要は以下の通りです。
①実勢価格
● 不動産の実際の取引価格
②不動産鑑定評価額
● 売手にも買手にも偏らない客観的な交換価値を表す正常価格
③公示価格
● 実施機関: 国土交通省土地鑑定委員会
● 価格時点: 毎年01月01日時点(03月公示)
● 評価目的: 標準的な土地についての正常な価格を一般に示すもの
④路線価
● 「相続税路線価」を指すことが多い
● 実施機関: 国税庁・国税局長
● 価格時点: 毎年01月01日時点(07月01日発表)
● 評価目的: 相続税及び贈与税課税
⑤固定資産税評価額
● 「固定資産税路線価」を基に評価される
● 実施機関: 総務省・市町村長
● 価格時点: 01月01日時点(3年に1度評価替)
● 評価目的: 固定資産税課税
⑥地価調査価格
● 実施機関: 都道府県知事
● 価格時点: 毎年07月01日時点(9月公表)
● 評価目的: 標準的な土地についての正常な価格を一般に示すもの
「相続の時は、路線価を80%で割り返して評価する。」
「路線価は時価の約80%である。」
とうことを耳にしますが、それにも根拠があります。
根拠は、閣議決定です。かなりオーソライズされたものであることが分かります。
昭和63年の閣議決定により、平成4年から地価公示価格(公示地価)の80%水準とされてきたのです。
1つ1つの知識の積み重ねが大事ですね。
2015年2月24日
こんにちは。
江幡公認会計士・税理士事務所の江幡淳です。
複合機を新調しました。
数年で進化するのですね。人感センサーがあります。
同時に、テラステーションを購入し、電子データのバックアップ体制を強化しました。
これからも業務効率化をどんどん進めていきます。
2015年2月18日
こんばんは。
江幡公認会計士・税理士事務所の江幡淳です。
僭越ながら本日送られてきた会報に載っておりました。
業界に貢献できるのであれば、単なる趣味に終始せず、いくらでもラッパを吹かせて頂きます。
2015年2月3日
もう2月になりましたね。
江幡公認会計士・税理士事務所の江幡淳です。
いつもお世話になりありがとうございます。
以前ご案内した芸術家と会計『01_芸術家と社会』におきまして、
「学校」という観点から明治維新直後の日本における芸術について軽く触れました。
もっと古い学校があったのですね。
それが「音楽取調掛」です。
音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)は、1879年から1887年までに存在した、文部省所属の音楽教育機関である。一時は音楽取調所ともいわれた。学校における音楽教育の研究のために1879年に設立され、1887年に東京音楽学校(後の東京藝術大学音楽学部)に発展的解消した。
(出典:Wikipedia)
明治5年(1872)の学制頒布でもって、小学校に唱歌を、中学校に奏楽をと決められました。しかし教師も教材も何もないから、学制頒布で決まったけれど何もできなかった。伊澤修二(1851-1917)は明治5年に文部省に出仕して、明治8年(1875)に愛知師範学校の校長をしているときに、アメリカボストンのブリッジウォートルという師範学校に調査のために留学した。伊澤らの進言により明治12年(1879)に初めて文部省内に音楽取調掛というのができ、これが音楽学校の始まりとなる。
その後、明治19年(1886)に音楽学校を作ってほしいと、伊澤を中心として上申書を森文部大臣に出す。音楽取調掛ができてから7年も経ち生徒も教育し、それなりに成果をあげていた。しかし、音楽取調掛を含めて、音楽、その他、優美に属する芸術家を養成したりするところは日本になかった。これは日本国民にとって不幸である。今文部省が音楽学校を設立しなければ、日本の開明進歩をさらに遅らせるという内容であった。その後明治20年(1887)10月に文部省告示で東京音楽学校が正式に認可され、伊澤修二は初代校長になった。
(出典:台東区文化ガイドブック~旧東京音楽学校奏楽堂を歩く)
日清戦争(1894年)以前の日本で、このような議論があったこと自体が、何だかすごいな、と思うのです。
やはり、芸術は社会にとって必要なものなのでしょうね。