芸術的経営者を追求する、江幡公認会計士税理士事務所の心のブログ

指摘

 言葉で表現することは、時として非常に難しいことであるが、今回は、「指摘」という言葉で表現したい。「指摘」とは、「大切な点や注意すべきこと、欠点や過失などを具体的に取り上げて指し示すこと。」とする辞書がある。「叱責」という言葉もあり、「叱責」とは「失策や怠慢などを叱りとがめること。」とする辞書があるが、個人的には、「叱責」はネガティブなイメージがあり、好きではない。
 今週は、他にも仕事が山積している中で、納期までの時間が短く、(ある意味)難易度の高い仕事に従事していた。ただ、会計専門家にとっては、普通にやればできる仕事である。私は、第一義的には、ベトナム人のアカウンティング・マネジャーのHさんに任せた。Hさんは、「OK. Only one day.(1日で終わるよ。)」と言う。確かに、Hさんならできるだろう、そう思った。ところが、蓋を開けてみると、どうもおかしい。ボロがボロボロ出てくる。私は本日帰国するのだが、この期に及んでボロが出てきた。Hさんの作業の後に2日間程度で終わると想定していたのだが。さすがに、普段はいい顔をしていた私も、今日はHさんに「指摘」した。「この会社にこの取引がないわけがないでしょう。あなたは何をチェックしてたのか。」と。普段は、いちいち「言い訳」をしてくるHさんも、今日はしおらしくしていたのが印象的だったが、結局のところ、Hさんの実力にしては、仕事の質が低かったのである。
 Hさんは会計歴16年のベテランだ。Hさんなら、もっと質の高い仕事ができたはずだと心底思えたから、今日は「指摘」した。そうしたら、Hさんをいたずらに傷つけることなく、結果としては成果を出せた。時には「指摘」も必要なのだなと、心底思えた。「指摘」は「感情の垂れ流し」ではない。「正論」と「事実」がしっかりと噛み合っている時の「指摘」は非常に有効である、そう思えた。ただ、「正論」が分からない相手には「指摘」は無効かもしれない。そのような相手には、「指摘」ではなく、「(単なる)叱責」と映るかもしれない。
 外国で働くということは、ある意味、「鉄下駄」を履いて仕事をするような感じかもしれない。人間として勉強になることが多い。

EBJ

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