芸術的経営者を追求する、江幡公認会計士税理士事務所の心のブログ

投稿者: EBJ

善と悪

 世の中には暗い出来事が多い。自分の身の回りにも、自分とは遠いところでも。戦争、テロリズム、犯罪等々。それらの情報に触れるたびに、どうしても、世の中を善と悪の二元論で考えてしまう。
 いてもたってもいられなくなって、先輩会計士のN会計士に思いをぶつけてみた。その結果、N会計士は現実的な例を出しながら、実に腑に落ちる考えを述べてくれた。すなわち、「世の中の出来事や人間には清濁混在しており、そもそも清と濁を明確に区分できないものだ。確かに、世の中には悪と言われるものがある。しかし、自分自身はどうだろうか。(自分から見て何かを「悪」と考えるのは自分の考えが「善」であることを前提としているからであるが)、自分だって「悪」の部分は持っているのではないだろうか。つまり、自分自身にも清濁入り混じっているのではないだろうか。この仕事に置き換えてみれば、自分も最初の頃は「清」であろうと努力していたが、いくらそう努力しても、結果として「濁」が生じてしまうことがある。お客さんから報酬をもらっているにもかかわらず、結果としてどうしても「濁」が生じてしまうことがある。私はそれは、極端にいえば、詐欺であるということもできると思う。しかしながら、その点について開き直るのではなく、詐欺とならないように努力している。」と。
 つまり、世の中の「悪」「濁」について憂いるのはある意味ナンセンスであり、まず、自分自身にも清濁あることを認めることが必要だ。それを認めるならば、あとは程度の問題である。戦争、テロリズム、犯罪等々が目立つのは、ごく平凡な生活の中の「悪」「濁」と比べれば、「悪」「濁」の側面があまりにも強いからである。
 以上から、本日の結論は、「自分は『善』『清』である、世の中は腐っている。」といった「自惚れ」を抱かないことが肝要だということである。世の中に清濁入り混じっているのと同様、自分自身にも清濁入り混じっているのである。それが長所と短所であり、ある一面と他の一面なのである。このように考えるならば、この世で生きるのがもっと楽になるだろう。

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『本音ベース』と仕事と税務

 昨晩、現在一緒に仕事をしている先輩会計士I氏と横浜の龍昧で食事をした。私は大学生の時に横浜に住んでおり、横浜TACに通っていたものだから、龍昧にはかなりお世話になった。安くてうまい店で、現在でも満足できる店である。昼も夜も客が途切れることがなく、老若男女問わず、一人で来る客が多いのが特徴だ。
 さて、I会計士は中国の上海に駐在経験のある中国通であり、中華料理にはうるさい。そのI会計士が、龍昧をこう言い表わしている。「本音ベース」の店。私の中では、「本音ベース」という言葉がキーワードとなった。つまりどういうことかというと、こうだ。一番端的な例としては、若い女性が一人で来て、ビールと餃子とニラレバ定食をおいしそうにぺろりと食べる、そんな店なのだ。結局のところ、ほんとに気を許し、自分がリラックスして、食べて満足という店とは、こういうことなのだということ。形振り構わずとまではいかないが、洒落た店ですかして食事をするという行為は、たまにはいいけれども、人間が、心から、本音で望むものではないのだろう。
 この「本音ベース」が、ここまで来たか、という例を今朝発見した。東北地方の零細スーパーで、おはぎがバカ売れしているというのだ。しかも、地元のみならず沖縄以外の地方から客が来ると言う。彼岸の時期には2万個もうれるという。1個105円。ちなみに、年商6億円という。本音ベースもここまで来たかと驚いた。おはぎですよ、おはぎ。誰にでも作れるおはぎ。そのおはぎで勝負している人がいるのだ。ある意味、目から鱗であった。勝負するものは何でもいい。シンプルなものでも、真剣にやれば勝負できるのだ。ちなみに、そのスーパーでは、レシピなしの勘で作られた手作りのお惣菜も人気があるという。すばらしい。
 ところで、税務というのは、まだまだ勉強する必要があるのだが、そうした人間の本音を良く分かっているような気がする。政策的な側面が強いが、それは強弱の問題であって、まあ、良く分かっているような気がする。例えば、会社を設立してから商売が軌道に乗るまでの出来事を簡単に列挙すると、設立費用、役員(自分)に給料を払う、人を雇う(=人に給料を払う)、車などを購入する(ただし、プライベートとしても使用するのが実態だろう)などなど。これらの出来事にはすべて、税務の規定がある。つまり、税を取こぼさないような仕組みになっている。一番端的なのは、思った以上に利益が出た場合、「税金で払うよりは・・・。」という思考になる人が多い。もちろん「払うべきものは払う。」という方もいるが、そこは「本音ベース」のはなしだろうか。
 いずれにせよ、細かい税法の規定も重要だが、そういった人間の本音と、税法の立法趣旨をおさえておきたいものだ。

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人間の喜びとストローク

 人間の喜びは、「人に必要とされること」だと考えている。また、あまりにも意識的にやるといやらしくなるが、「人に必要とされる」状態になるためには、人とのストロークを通じて、自分というものを適切に開示し、人に尽くすことであると考えている。これらの点を仕事に当てはめるならば、「可能な限りお客さんに尽くし、適正な報酬を頂く」ことが基本であろう。ただし、適切な報酬は、金銭的報酬のみでは測れない面がある。仮に自分の想定している金銭的報酬に満たないとしても、チャンス、自らの能力向上、お客さんとの関係を構築することによる無形の利益、その他、「この仕事は自分にとって引き受けるべきものだ」という確信が自分の中で得られれば、その仕事は引き受ければよい。独立開業している以上、基本的には自分が判断し、リスクと経済的便益は自分が享受するわけだから、他人がどうこう言う話ではない。その意味で、自分が自分自身のことをどれだけ信じているかが重要となってくる。
 なお、金銭的報酬は適正水準であることが重要である。自分のした仕事に比して過大な報酬は、お客さんと後々トラブルになる可能性がある。「あれだけ払ったのだから・・・」となる可能性がある。一方で、自分のした仕事に対して過小な報酬は、自分をダメにする。自分不信を招く。したがって、報酬決定は毎回悩む。
 さて、冒頭の、「人間の喜び」に関して、最近心がけているのは、人により興味を持ち、よりストロークをすることだ。また、自分が得るもの以上のものを差し出すことに努めているつもりだ。こういうことを考えていると、新人の頃を思い出す。新人の頃、元の職場のN代表社員という偉い上司がおり、今でも記憶している言葉がある。会食の席でN代表社員がいきなり相撲の番付を取り出し、「俺はココ(横綱)、お前はココ(一番下の小さい文字のところ)。おまえはまだまだこれからなのだから、一喜一憂せず、とにかく一生懸命働け。」と。また、当時独立性について今ほどうるさくない頃、N代表社員を筆頭に、あるクライアントの保養施設に行った。このクライアントは、IPO以前からN代表社員が関与していた会社であり、確かに、N代表社員の貢献は大きい。N代表社員は、「この別荘は俺のものだと思っている。」というのだ。つまり、「会計士だけの稼ぎではこんな別荘を持つことは厳しいが、別に自分自身が持っている必要はない。一生懸命仕事して、その仕事を通じてこのような機会が得られるならば、それでいいではないか。」ということだ。N代表社員は、時に自らの生い立ちを話して下さったが、結構大変な努力をされている方だ。なるほどと思った。
 そういえば、私の母親もある意味同様で、欲がない。他人に対してではなく、自分自身に対するプライドは持っていて、それを冒涜されそうになると守ろうとするくらいで、他人に対して求めることはしない。そんな母親を見ていると、人が寄ってくるのがわかる。母親はよく人の話を聞くので、相手にとっては、話をよく聞いてくれる有難い存在なのだそうだ。
 人は、私欲のためではなく相手のために一生懸命尽くしてくれた人のことは、一生忘れない。
 小学生の時に一人で祖母宅に向かう電車の中で、前に座っていたおばさんが飴をくれたこと。遠足の時に水筒を落として水筒の中のガラスが粉々になって悲しい思いをしている時、なぜか母親が学校に迎えに来てくれていたこと。なぜだかわからないが、中学校の歴史の先生が「おまえは根性がある」と、向学心を駆り立ててくれたこと。高校の担任が、自分の全人格を分かってくれていて、「おまえは推薦入学で大学に行くな。自分の力で行け。」とか、「お前はお前らしくいつも悩んでいるのがよい。」とか言ってくれたこと。公認会計士第二次試験に合格した日に、在京の地元の友人たちが急遽集まって祝ってくれたこと。私は出会いには恵まれてきたと、つくづく思う。多くの人に助けられてきている。
 「自分が、自分が」ではなく、いかに人を思いやるか。しかし、一つ忘れていはいけないのは、凡人は、自分自身がある程度満たされていない限り、人に尽くすことはできない。自分自身が満たされていないのに人にに尽くすことをしたとしても、長続きはしない。だから、自分を信じて自分で自分自身に充電したり、時には人からもらったりしながら充電し、その上で人に尽くすことが重要だ。なお、人からもらうのは、なにも、直接何かをもらわなくてもよい。人とのストロークを通じて、自分の中で、なにかじんわりくるようなものに気付けばよい。
 今日は午前中にJICPAで報告会、午後はT線のK駅にある外国人クライアントを訪問したのだが、この仕事をしていると、上記のようなことをしばしば考える。この仕事はいい仕事かもしれない。

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June Christy

 ハスキーな歌声の女性ヴォーカルといえば、「June Chrsity」も忘れられない。とくに彼女の「How High The Moon」が好きだ。参考映像は、Nat King Coleがピアノ、Mel Tormeがドラムという、何とも豪華な顔ぶれだ。
 この参考映像のJune Christyは、堂々としていて、余裕が見られる。一瞬ロストしてしまいそうなくらいのグルーブ感だ。しかも笑顔が素敵だ。
 しかしまあ、なんで私はこんなにも、「古き佳きもの」が好きなのだろうか。。。

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Chris Conner

 折角土曜日に事務所に行ったのに、ほとんど仕事にならなかった。仕事が乗るようにと音楽をかけていたのだが、その音楽にはまってしまったのだ。久々に甘い曲が聴きたくなり、「Misty」を繰り返し聴いていたのだが、色々なアーティストのMistyが聴きたくなり、iTunesで買いまくった。
 改めてその良さを実感したのが、「Chris Conner」だ。ハスキーでいて、暖かく包み込むようなヴォイスだ。これは人の好みだが、女性ヴォーカルで、芯のあるハスキーな歌声が大好きだ。あと、常にビブラートをかけるのではなく、音をある程度伸ばした後に「語尾」にビブラートをかけるのが好きだ。なんとも「品格」がある。この好みはラッパも同様である。
 これは大変失礼な話だが、脂がのっている頃のChrisは美しい。当時のレストランで、当時の服装をして、当時の演奏を生で聴いてみたかった。

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自分の頭で考えて行動する。

 何事にも言えるのだが、自分の頭で考えて行動することは非常に重要だ。人間の文明がこれほどまでに発展を遂げてきたのは、やはり、オツムの賜物だ。受動的な教育を受け、受動的な社会に慣れてしまうと、人間が本来持っているオツムも錆びついてしまう。つい最近まで自分もそうだった。
 例えば、先日の記事に書いたように、今月からラッパのレッスンを始める。レッスンを始めるにあたり考えたのは、先生にとって最低限の礼儀を払うということだ。つまり、先生にすべてを委ねるという姿勢ではなく、基本的には自分で行動している中でそのアドバイスを頂くという姿勢でいることだ。簡単な例で言うと、歯医者に行く前に歯を磨くようなものか(よくわからないか・・・)。
 そんなわけで、今日も軽くラッパを吹いてみた。私が認識している一番の問題は、息が口から漏れるということ。つまり、息がラッパに効率よく入っていかないということだ。そこで今日は、アンブシュアを意識してみた。これまで、唇の真ん中にマウスピースが来るのがあるべきアンブシュアだと考えていたが、その考えを取っ払った。今日は、息が漏れているところにマウスピースの中心を敢えて持って行った。すると、なんだか、息の通りがよいような気がするのだ。試しに、ハイトーンを出してみた。「唇に力が入らないようにするために腹に力を入れる。」ということを意識してみたところ、ハイE♭が出た。まぐれもあるが。
 こんな風に、今日は、自分の頭で考えて行動してみた。時には思い込みを取っ払い、大胆な仮説に基づいて行動してみる。そして、その行動の結果を分析する。こんな感じでラッパを頑張ってみようと思う。

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永平寺第78代貫首 宮崎亦保禅師の悟り(再)


人間はいつ死んでもいいと思うのが悟りだと思っていた。
ところが、それは間違っていた。
いつでも平気で生きていられるのが悟りだった。
自然は立派やね。
自然の法則を真似て、人間は暮らす。
時が来たならば、ちゃんと花を咲かせ、
そして、黙って、褒められても、褒められなくても、
すべきことをして、黙って去っていく。

それが実行であり、教えであり、真理だ。
平気で生きておることは難しい。
死ぬときがきたら、死ねばいい。
それまで平気で生きていればいいのだ。
 心に染みるお言葉です。泣けてきます。自分の両親や自分の祖父母、いや、世の中の中高年の方々を時には思ってみて下さい。きっと色々な事があったでしょう。他人の想像を絶することがあったでしょう。それでも日々生きているのです。どうせ何度も大きな壁にぶち当たるのだから、先を案じ過ぎず、いつもやりたいように行動すればよいと思います。

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Trumpet

 トランペット(英: Trumpet、伊: Tromba:トロンバ、独: Trompete:トロンペーテ)は、金管楽器の一種。略称は「Tp」「Trp」「ラッパ」「ペット」など。管の全長に対して円筒部分の割合が大きく、多くは長円状に巻かれ、その中ほどに3つ(稀に4つ)のピストン又はロータリー式のバルブを備える。この楽器の調性には様々なものが存在するが、最も一般的なのは変ロ調(B♭管)とハ調(C管)である。ハ調を除き、移調楽器である。3つ又は4つのピストンまたはロータリーを操作しつつ、息のスピードで音を変え、演奏する。
 写真は、約20年前に、今は亡き祖父に買って貰った、Vincent Bachの「Stradivarius Model 37」。まだまだ使える逸品だ。ちなみに、以下の事項は知らなかった。。。
 ヴィンセント・バック社は1918年にウィーン生まれのトランペット奏者ヴィンセント・バック(本名:ヴィンセント・シュローテンバッハ、Vincent Schrotenbach、1890年 – 1976年)によって設立された。創業当初はマウスピース製造を目的としていたが1924年にはトランペットを製造しはじめている。 この数年間でヴィンセント・バック社はアポロ (Apollo) 、ミネルバ (Minerva) 、マーキュリー (Mercury) 、メルセデス (Mercedes) 、ストラディバリウス (Stradivarius) などのブランド名でトランペット、コルネット、フリューゲルホルン、トロンボーンを製造した。しかし1961年にセルマーUSA社に買収され傘下となり、ヴィンセント・バックは辞任した。買収後もヴィンセント・バック社の楽器設計は維持され、バック・ストラディバリウス(Bach Stradivarius)の名で販売されている。全米自動車労働組合364地域の呼びかけで、2006年4月から2009年現在、3年以上の期間、従業員がストライキを続けている。しかしながら、製造、供給は継続されている。

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再開・再会

 歳を重ねるにつれ、いかに自らの生活を自らが充実させるかを考えるようになる。決して「隙間症候群」ではないのだが、「三脚」は足が3本あるから安定するように、自分にとっても「人(生活)」「仕事」と、より充実した「教養」が欲しいところだった。「三人寄れば文殊の知恵」と言うように、より精神的に安定するには、2つの点を結ぶだけではなく、あともう1点を加えて「面」にすることが重要である。
 このような時、「自分に足りないもの」を探してはいけない。「あれがない、これがない」と言っていては、いつまでたっても「足りる」ことはないだろう。先輩会計士のN会計士がいいことを言った。「足るを知る」ということだ。そうしてみると、自分は音楽が趣味だ。以前はトランペットとピアノをやっていた。しかし今はピアノを失ってしまった。残るのはトランペットだ。中学生の時に今は亡き祖父に買ってもらったトランペット。これしかない。
 早速トランペットを再開すべく、まずは、レッスンを受けることにした。ネットでさんざん探したがめぼしい先生は見つからない。そこで、高校時代からの友人のJAZZ SaxミュージシャンのI氏に連絡し、誰か紹介してくれるようお願いしたところ、なんと、共通の知人であるJAZZ TrumpetミュージシャンS氏の名前が挙がった(写真)。彼は私が大学のJAZZ研で活動していた時の先輩である。数年間サラリーマンをした後、プロとして独立した。彼はとにかくトランペットが好きだ。研究と練習を重ね、彼が大学2年生の時にはすでに、素晴らしいアドリブを披露していた。早速彼に連絡しレッスンをお願いしたところ、なんと、快諾してくれたのだ。思い立ってから行動に移すまで約3ヶ月かかった。こんな感じで時が過ぎてゆくのだから、第一歩を踏み出すことがいかに大切なことか。
 早速今月に第1回目のレッスンがある。現在の私はかなりブランクがあるため、アンブシュアから始まる基礎的なことからやらなきゃだめだ。一方で、わたしは、小学生の頃からトランペットをやっており、その楽しさはよくわかっている。トランペットを通じて人に何かを伝え、それが伝わった時の感動は、何物にも代えがたい。そんな状態に必ず持っていくつもりだ。たとえが悪いが、チェット・ベイカーは喧嘩や麻薬の影響ですべての歯を失っても、謎の転落死をするまで死ぬまでトランペットを続けていた。何かを伝え続けていたのだろう。
 さあ、はじめよう。いま自分にあるものからはじめよう。

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体の声を聞く

 時には、体の声を素直に聞くのがよい。大病を患った人がそれまでの自分の生活を振り返り、「そういえば、あの時は妙に・・・だったな。」とか「あの時の・・・が響いたのだな。」という話をよく聞く。
 早いものでもう12月である。気がつけば、12月の夜の予定はどんどん埋まっている。ただでさえ寒くて、風邪っぴきが増えて、体調管理が難しい中、連日のように夜に酒を飲むとなると、体にこたえないわけがない。「全然平気だ。」という方もいるが、おそらく、体の声が聞こえていないだけだと察する。
 ある大先輩の会計士でが、「健康第一ではなく、健康がすべてだ。」と仰っていたことが印象的で忘れられない。その会計士は若い頃に過労で大病を患ったという。ある意味、過労と言えるほど仕事をしてみたいが、やはり健康あっての仕事だ。結局、体調が悪いといい仕事ができないし。
 時には、自分の体の声を聞こう。おいしいものを食べるのではなく、自分の体が求めているものを食べよう。できれば、自分のために自分で料理を作ってあげる。自分に対する労りである。

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Blog1周年

 早いもので、「なぜ会計士EBJはうざいのか?」-独立系会計士の思念-のBlogの初めての記事を2009年12月2日に書いてから1年が経過した。毎日更新し続けることは叶わなかったが、とりあえずは、このBlog自体を続けられたことを心に留めておきたい。
 当初は、「あるテーマについて、公認会計士としての切り口から考察する。」ことで一貫して記事を書くつもりであったのだが、「単なる事実・歴史等の説明」・「単なる制度説明」→「『あるテーマについて、公認会計士としての切り口から考察する。』ことが多少なりともできてきた(?)」→「日々の雑感(っていうか日記?)」のような内容の変遷を辿ってきており、最近は自分の中でもしっくり来ていなかった面もあった。
 いずれにせよ、これから2年目に突入する。ここで今一度、「あるテーマについて、公認会計士としての切り口から考察する。」ことを確認し、「なるべく」そうしようと思う。ただ、一つ言えるのは、「公認会計士」といっても、仕事上、会計・税務等のことだけで行動しているわけではない。様々な人間模様、組織文化等に接するわけで、むしろ、そっちの方が大事、というケースもある。したがって、カテゴライズの仕方としては、従来通り、「人」、「教養」、「仕事」という3つでやっていきたいと思う。単なる日記にするつもりは毛頭ないので、いかに考察を深めるかが重要と考えている。

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「至誠一貫」・「堅忍力行」~誇り~


 
 画像は我が母校の校是である。最後の将軍・徳川慶喜揮毫である。しかしながら、第二次世界大戦の空襲で焼失してしまったそうだ。「至誠一貫」とは、「誠実に生きる」ということであろう。孟子の「至誠にして動かざる者は、未だ之れあらざるなり。」からきている。
 徳川慶喜は、天保8(1837)年、水戸家・徳川斉昭の7男として江戸小石川に生れ、翌年より幼少時を水戸で過ごす。父斉昭が天保12年に創建した藩校・水戸弘道館にて11才まで学ぶ。慶応2(1866)年、第15代将軍宣下。翌年大政奉還を上表、将軍職を辞す。慶応4(1868=明治元)年4月、江戸城無血開城。同時に水戸に退去、弘道館・至善堂にて謹慎。
 ちなみに、もうひとつ校是がある。それは「堅忍力行」だ。「強い意志をもって困難を耐え忍び、努力して実行すること。」だ。これも素晴らしい。困難が伴うであろうが、自分に対しても他人に対しても、「至誠一貫」と「堅忍力行」を意識していれば、充実した人生が送れるであろう。

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S文庫

 私のお気に入りの場所がある。故S元水戸市長のメモリアル・プライベート図書館である。彼は政治のみならず、芸術にも造詣が深く、度々小澤征爾氏等の一流の音楽家が訪れてはコンサートを開いているようだ。彼の蔵書とCD等は半端ない数だ。水戸市の中心から少し離れたところにポツンと、モダンな建物と庭があり、静寂だ。隠れ家的な場所だと思っていたが、最近は認知度が格段に上がったのか、学生たちの自習室的側面が強いのが少し残念だ。ただ、将来の水戸市・茨城県を背負っていく学生たちが一生懸命勉強しているのだから、ある意味望ましいことだ。
 思えば、ここで公認会計士第三次試験の勉強をしたものだ。強引に1カ月以上の休暇を取り、実家に寄生(敢えてこの字)しながら毎日ここで勉強をしていた。興味深い再開もあった。高校生時代の親友のIと再開した。Iは病気を患いながらも、司法試験の勉強を孤独に続けていたのだ。Iは大学卒業後もしばらく東京で司法試験の勉強を続けていたのだが、病気を患ってからは実家に帰り、このS文庫で勉強していたのだ。結局彼は司法試験を断念したのだが、現在はたくましく東京で生きている。最近一児の父になり、先月は私の慰労を兼ねてゴルフに行った。友達はいいものだ。
 そんなことをふと思い出しながら、今はセミナーの資料を作っている。

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幸福論④

 いつも考えてばかりだと疲れてしまうが、やはり、「幸福」については、折を見て考える必要がある。そう考えたきっかけは2つ、今日の出来事だ。
 1つ目は、銀座での出来事。今日は久々に買い物をする日と決め、買い物リストを基に、午前中から買い物をした。最近は以前のように物欲で何かを満たすことはなく、つまり、物欲を満たすことでは幸福は得られないことに気付いたので、必要なものしか買わない。なので、銀座で買い物をすること自体が久々だ。私にとって銀座といえば、テイジンメンズショップ。社会人になって以来、服は大体テイジンで購入しており、そこの名物店長I氏には、服のことのみならず、時には男の生き方のようなものを教わっている。I氏は銀座で数十年、様々な男性を見てきている。服のアドバイスとフィッティングは的確で、私がどのようなものが好きかを熟知している。また、社会人になって以来の私の生き方を見てきている。そんなI氏に会うのは半年ぶり位なのだが、私の今年最大ともいえる出来事を、ちょっと余計なことも言いつつ報告したところ、「『幸福な生き方とは何か』を追求しなさい。」とのことであった。I氏とここまで距離が縮まっていたのかと多少嬉しかったし、もう義理(『たまには顔を出さなきゃな。』と思い込んでいた。)のような感情を持つ必要がないことを感じて楽になった。これまでにもう散々ファッションには金をつぎ込んできたので、もういいんじゃないの、ということだ。もう「実質」のみを追求する時が来たのだ。あと、仕事の面で、「仕事は順調なの?」と聞かれたので、「いや~、まだまだ理想には程遠いです。」と月並みの回答をしたのだが、「そんな、その歳で理想の形になるなんて無理だよ。逆に理想の形になっていたら、気味が悪いよね。」とのこと。ははぁ~っ、仰る通り。
 2つ目は、NHKスペシャル。ヒマラヤのチベットの天空の集落で暮らす人々は、生活必需品を買うために、標高4,600m以上の山々を行き来するのだが、行き来する道は絶壁を崩して細い道にしただけの道であり、人と馬がやっと通れるほどのものだ。ちなみに、馬を使うようになったのは7年前とのこと。これまでに数え切れない人と馬が亡くなったそうである。主人公は妻のために洗濯機を街で買って集落まで運ぶ男性なのだが、インタヴューに対し、「一生この運搬を続けたい。塩とお茶さえあれば生きていけるし、馬が4頭いるので、私にはこれ以上望むものはない。」とのことであった。清らかな目で真剣に語っていたのが印象的であった。僭越ながら、最近は、人の目を見ればおよその人となりが分かるようになってきた。「『自然に』清らかな目」をしている人は、自分自身を知り、自分の幸福を探し当てた人だと思う。
 ネガティブな感情が湧きおこり、「今、自分は幸福ではない。」と感じる時、人は既にある幸福を忘れ、言い訳をし、人のせいにする。すべては自分に原因があり、責任があるのに、人に求める。物に求める。さらなる要求をする。きりのない要求をする。そんな時こそ、「今ある幸福」を再認識し、感謝するのが一番だ。「感謝、感謝」などと口先ばかりの感謝など必要ない。何か問題が生じ、今ある幸福を再認識した時に感謝できれば、それでよい。

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「世界中をつなぐ日が、きっときっと、やってくる」

 先日の記事で紹介した「青葉の歌」のには、「世界中をつなぐ日が、きっときっと、やってくる。」、「世界中のみんなの手を、もっともっと 固く結ぶ。」という歌詞の部分がある。当初は若干違和感があったのだが、作詞者を調べてみると、その訳が理解できた。作詞者は小森香子先生であり、「きらめく青葉の描写を通して、世界平和と人類愛を訴えかける」という強いメッセージが込められている。なお、小森香子先生は、東京原水協、日本平和委員会理事、日本子どもを守る会理事などを務めた平和活動家であり、非核ソング「青い空は青いままで子どもらに伝えたい」の作詞者としても知られているそうだ。
 実現可能性や各論は考えないものとして、この力強い歌詞を形に表すこととして、是非やってみたいことが2つある。1つ目は、通勤ラッシュ時の京浜東北線のある1両の車両を「合唱列車」にし、毎日毎日、各パートずつ練習をし、最後はみんなで大合唱を行うというものだ。移動のためにたまに京浜東北線を利用するが、朝の京浜東北線の雰囲気は重い。誰かがクレームの口火を切れば、一気に気持ちが沈む。しかし、本当は乗車しているみなさんは、日々仕事やプライベートを頑張って生きている人達だと思う。各人の人生には様々な出来事があり、様々な思いがあるだろう。しかしみなさん頑張って生きているからこそ、朝京浜東北線で移動しているのだ。だとすれば、「合唱列車」で熱唱し、いい気分になったところで、皆が皆を送り出してあげれば、その日のパフォーマンスは格段に上がると思うのだ。日本が明るくなるのではないだろうか。
 2つ目は、国民全員とは言わないが、すべての国の皆で手を繋ぐという行為だ。たしか、どこかの大学の先生が開発した装置で、その装置を皆でつかんで何かすると音が鳴るというものがあったと記憶している。すべての国の皆が手を繋ぐことができれば音が鳴る仕組みにするのだ。「だから何?」と自分でも思ってしまうが、「思いを形にする」ことも重要ではないだろうか。
 掲載写真で伝えたかったこと。掲載写真の主人公は「Datsun Roadster 1967 1/2 original Sun Visors(サンバイザー)」である。日本で血眼になって捜したがみつからなかった、1967年当時物である。ネットやメールを駆使し、ようやくアメリカで見つかったのだ。彼も私と同じ車をこよなく愛する方で、それを生業にしているのだ。とても気持ちの良い方で、レスポンスが早い。信頼できる方だと思う。つまり言いたかったのは、材料は何でもよい、強い気持ちがあれば国境は関係ない、ということである。

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推計課税訴訟における民訴法第312条の文書提出義務について

1  所得税及び法人税における推計課税とは、税務署長が更正又は決定をするに当たって、直接資料によらず、各種の間接的な資料に基づいて推計により所得金額を認定する方法をいう。
 本来所得税及び法人税は、納税義務者の申告により実額に基づき課税標準及び税額等が確定するものであるが、納税者の帳簿書類の不存在又は記帳の不備、税務調査に対する非協力等によって実額が把握し得ない場合、課税庁は所得金額を推計し、更正又は決定せざるを得ないこととなる。この場合、課税を放棄することは、租税の公平負担の観点から許されない。ゆえに、ここに推計課税の認められる根拠があると解されている(1)。
 そこで、所得税法156条は「税務署長は、居住者に係る所得税につき更正又は決定をする場合には、その者の財産若しくは債務の増減の状況、収入若しくは支出の状況又は生産量、販売量その他の取扱量、従業員数その他事業の規模によりその者の各年分の各種所得の金額又は損失の金額(略)を推計して、これをすることができる。」と定められており、法人税法においても131条に同様な規定が設けられている。しかし、租税はそもそも担税力に応じて公平に負担がされるべきものであることからすれば、このような実体法の定めをまつまでもなく推計による課税は当然に許されるものと解される(2)(ただし、推計課税の必要性の観点からは種々論じられているが本稿においては割愛する。)。
 なお、所得税法及び法人税法のいずれにおいても、青色申告者に対しては実額課税のみが許され、推計課税は許されていない (所得税法156条、法人税法23条)
2  推計の方法については、両法とも「財産若しくは債務の増減の状況、収入若しくは支出の状況又は生産量、販売量その他の取扱量、従業員数その他事業の規模に」より各種所得の金額等を推計することができる旨定められているが、納税者の経済活動は、極めて複雑多様なものであって、特定の推計方法によってのみ認識し得るものとすることは合理的とはいえず、同規定に掲げる方法は例示にすぎないものと解されている(3)。
 課税実務における推計方法の主要なものとしては純資産増減法、比率法、効率法及び消費高法等があるが、これらの方法のうち、より多く用いられる方法は、比率法又は効率法であるが、両法を併用して用いることもある。
 文書提出命令の申し立ての対象となった課税処分取消訴訟の多くは「比率法」 によったものであり、その中でも「同業者率」によるものである。この方法は、当該納税者と業種が同一で、業態、事業規模、立地条件等において類似性のある同業者を選択し、その所得率、差益率、経費率等の平均値を算出して、その率を用いて当該納税者の所得金額を算出する方法である。
3  同業者率による所得金額の推計に当たっては、納税者と業種、業態、事業規模、立地条件等の類似するいわゆる同業者の売上原価率、所得率等(同業者率)を把握しなければならない。そこで、同業者率を把握、算定するためには、納税者の事業地の近隣地域の同種事業者の中から営業規模その他業態の類似する者を調査、抽出する必要がある。そのための資料として、数値その他の資料としての正確性、調査の容易性から、通例は、各税務署長が青色申告者から提出を受け保管している青色申告決算書を用いることとなる。この意味で青色申告決算書は、課税庁が推計課税を行うに当たっての重要な資料の一つであり、多くの事案においては、これを利用することなく合理的に所得金額を推計することは、極めて困難なものといえる。一方、このようなやむを得ない事情により、青色申告決算書を利用して同業者率を算定せざるを得ないこととなるが、そのための基礎数値を公表することは、各申告者の営業上の秘密やプライバシーを侵害することにつながる危険性を包含しているものといえる。そこで、税務署長は、守秘義務遵守の立場からその利用に当たり、その危険性が現実化しないよう細心の注意が必要であり、その際の大事な点は、同業者(青色申告者)の匿名性の確保にあるものといえる。すなわち、所得計算の基礎数値が公表されても、その申告者が誰であるかが特定されない限り、営業上の秘密やプライバシーへの侵害は生じないものといえる。そこで、被告としての税務署長は、このような見地から、課税処分取消訴訟において、同業者率の正確性とその適用の正当性を立証するため、申告者の住所、氏名その他の固有名詞を削除した青色申告決算書の写しを書証として提出していた。このような方法によったのは、削除措置により同業者の匿名性が維持でき、守秘義務に反することにはならないとの判断によったものであった。しかし、青色申告決算書には税務署長側が立証しようとする事項以外にも、例えば従業員数、専従者の年齢、償却資産の内容等沢山な情報が記載されており、また、青色申告決算書自体の筆跡から、申告者の特定が可能になる場合があり、その後、現に、具体的訴訟事件において原告側が、青色申告決算書の写しに基づく調査により、申告者を特定し得たとする事例が散見されるようになった。しかも、その同業者と名指しされた者が、原告側からその事業内容等につき調査されたりして困惑するという事態が生じるに至った。、このような事態は、申告者の住所、氏名等を削除しても、その匿名性が維持できないことが少なくないことを現しているものといえる。さらに、このことは、課税庁がこのような形で青色申告決算書を書証として提出することは、守秘義務に違反することを示しているものといえる。
 そこで、課税庁としては、守秘義務違反になるおそれがなく、しかも、同業者率の正確性、その適用の正当性の立証として必要かつ十分な書証として、国税局長の発した一般通達に基づき、青色申告者のうち選定条件を充足する者の決算項目中、売上金額、売上原価、一般経費等の同業者率算定に必要な数値を各税務署長が青色申告決算書及びその他の資料に基づき調査し、報告した文書(「同業者調査表」)を提出するに至った。
4  推計による課税処分について、納税者側から課税処分取消訴訟が提起され、その訴訟中において推計の基となった同業者の類似性、文書の成立及び内容の真偽の確認等を理由として、推計の基となった類似同業者の青色申告決算書等の原本、青色申告決算書等の隠ペい部分を開示した文書又は固有名詞等の隠ペいされていない同業者調査表、さらには、所得調査書や反面調査書等の文書提出命令の申し立てがなされ、当該文書の民事訴訟法(以下「民訴法」という。)312条各号に定める文書該当性、各税法等に定める守秘義務該当性が争われることが近年著しく多くなった。
5  民訴法312条に定める文書提出義務の規定の趣旨は、文書の所持者である当事者及び第三者の文書提出義務の原因について定めたものである。この義務は、申立人に対する私法上の義務ではなく、国家に対する公法上の義務であるといわれている。それは、文書を証拠として使用することにより、事実認定の適正を図ることが、裁判制度の適切な運用の基礎となることから、国民の義務として文書提出に協力すべきことを認めたものである(4)。したがって、文書の所持者が任意に提出することを期待していては、その提出が得られない場合に単に挙証者の立証の途を閉ざしてしまうことになりかねないという挙証者の利益のみに基づくものではないと解されている(5)。
6  本稿においては、推計による課税処分の取消訴訟において文書提出命令が申し立てられたものについて、昭和45年以降の決定例(70件・抗告審等を含む。)を概観することにより、文書の所持、引用文書、引渡又は閲覧を求めることができる文書、利益文書、法律関係文書及び守秘義務等について分析検討を加え、推計による課税処分の取消訴訟における文書提出命令の申し立てと申告納税制度における文書提出義務の関係について解明を試みたものである。
(推計による更正又は決定)
所得税法第156条 税務署長は、居住者に係る所得税につき更正又は決定をする場合には、その者の財産若しくは債務の増減の状況、収入若しくは支出の状況又は生産量、販売量その他の取扱量、従業員数その他事業の規模によりその者の各年分の各種所得の金額又は損失の金額(その者の提出した青色申告書に係る年分の不動産所得の金額、事業所得の金額及び山林所得の金額並びにこれらの金額の計算上生じた損失の金額を除く。)を推計して、これをすることができる。

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球体=自然体

 「地球の出」は好きな写真の一つだ。地球の出は、「昼」と「夜」、すなわち、「陰」と「陽」を示している。換言すれば、物事の捉え方を端的に示しているのだ。
 最近、「これは無駄だな。こんなことばかりしていては、自分の首を絞めることになる。しかし、そのことを指摘すれば角が立つ。」ということ(以下「Xの問題」という。)があり、すこし悩んでいた。当事者に言うべき言わざるべきか。結局言わずに済んだのだが、その理由は、「あながち無駄ではない。」ということが分かったからである。というのも、実は、Xの問題について悩む以前に、「Zの問題」という根本的な問題があり、このZの問題を解決する上で、どうもXの問題がネックになっている、と思い込んでいたのだ。したがって、まずはXの問題を解決しなければならないと躍起になっており、それが目的となっていた。ところが、そもそも、Xの問題があろうがなかろうが、Zの問題が解決されれば良いわけである。そこを忘れていたのだ。そうこうしているうちに、実はXの問題も「問題」というネガティブな一面も確かにあるが、時にはポジティブな一面もあることを再認識できたのである。むしろ今回は、Xの問題にやむなく向き合っているうちに、Zの問題に関する何らかの糸口が見えたのである。
 長くなったが、つまり、物事を「良い」「悪い」の二元論で捉える事が正しいとは限らないということである。「地球の出」の写真のように、球体に憧れる。球体は「自然体」だ。人間も、いつも自然体でいられたら、どんなに楽だろうか。惰性で生きるのは悲しいが、自然体で柔軟に生きることができれば、争いは少なくなるだろう。

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迷い~何に迷うのか~

 「労力」=「経験」としよう。「経験」と「報酬」の兼ね合いをどうするか、迷うところだ。現在、ある仕事の引き合いがあるのだが、報酬的には厳しい面がある。
 おそらく、この仕事は引き受ける。クライアントは外国人。英語でのコミュニケーションで、会計システム、法人税、消費税、所得税のあらゆる会計・税務マターに関与することになろう。大変な面もあろうが、貴重な経験になりそうだ。ここはひとつ、飛び込んでみるのがよいのか。
 迷ったら飛び込んできたのが私の人生。大怪我をしない程度に飛び込むのだろう、きっと。

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夜の魔力

 夕方や夜というのは不思議なものだ。昼間の事象に特別な効果を与える。中学の時の美術の先生がおっしゃった。「夕方に自分の顔を見なさい。一番いい顔をしているはずだ。君たちの自画像を夕方に描いてきなさい。」と。
 写真の「貴婦人(Fairlady)」も、夜になると昼間と違った魅力を露わにする。この車は単に「走り」だけを志向していない。たしかに、Fairlady2000ともなると、じゃじゃ馬と言われるように、走りを追求している面が強い。しかし、そもそものデザインはFairlady1500であり、Fairlady1500と1967年式の前期型のFairlady2000とでは、そのデザインが訴えかける点で、共通している。優雅さと言えば言い過ぎだが、往年のスポーツカーを彷彿とさせる何かがある。
 いずれにせよ、夜の貴婦人は素敵だ。

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青葉の歌

 「合唱」に対する興味が止まらない。ひとたびYou Tubeで検索が始まるともう止まらない。
 またいい曲を見つけてしまった。「青葉の歌」だ。いい曲なんだけど、若干思いが強い。いずれにせよ、若者が歌うこの「青葉の歌」は、エネルギーに溢れている。
 演奏はどこかの中学生だ。断わっておくが、●●コン趣味はない。あくまで「合唱」に興味があるのだ。演奏技術的にはもっと上がいるかもしれない。しかし、演奏技術の高い演奏が「いい演奏」とは限らない。大切なのは、「訴えかける何かがあるか」だ。僕は、まず、この指揮者は素晴らしいと思う。何を伝えたいかが伝わってくる。僕はこんな熱い演奏が好きだ。
 あ~、いつか合唱の指揮がしたい。

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Memory of Smile

 ここがどこかわかるだろうか。なんだか、北アフリカの某都市を地中海側から眺めたようにも見える。実はお台場だ(すぐ分かった方もいるだろうが)。
 ふと夜の海が見たくなったので車をとばした。しかしひとつ失態が。ガス欠になりかけていた。気がつけばフューエル・メーターがエンプティを指したまま1時間近く走っていたので、さすがに青ざめた。親切な方がいて有明にあるガソリンスタンドを教えてくれて、そこでガソリンを入れてから、再びロマンチスト・モードに戻った。
 男はロマンチストだ。繊細だ。時には女性よりも。今日の夜、海が見たくなったきっかけは、「Memory of Smile」という曲。大野雄二さん作曲で、山田康雄さんがルパンの声で歌っている。秋のよい季節だし、車も調子がよいので、この曲を聴いていたら、ふと海が見たくなった。しかし、お気に入りの場所に着いたら、ガキどもがバイクの修理と試運転をしていてうるさい。これが船の汽笛だったら。。。
 そんなわけで、タバコを1本吸っただけですぐに引き上げた。それにしても、いい曲だ。歌詞は月並みといえば月並みだが、全体的に、ぐぐっとくる曲だ。いつかラッパで演奏してみたい。

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仲間

 仲間はいいものだ。ただ、「仲間」と思えるほどの人間関係を築き上げるは容易ではない。この際、頻繁に会っているかどうかはどうでもよい。「仲間」と思えるかどうかが重要である。おそらく、中学校、高校など、毎日顔を合わせるような環境にないと、仲間を作るのは難しいだろう。社会人になると、特に難しくなるものだ。
 ところが、社会人になっても仲間を作れる方法がある。一定期間、海外で寝食をともにすることだ。妙な連帯感が生まれるのだ。同性だというのに、まるで、ラブワゴンで旅をした仲間のように。写真は、東南アジア某先進国でのラスト・ナイト。現地のOL達と楽しく会話をしているところをファインダーに収めた。
 彼らとは帰国してからも立て続けに会っている。今月も会う予定だ。皆それぞれ、公認会計士としてたくましく生きている。それだけでも励みになる、いい仲間だ。

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45歳から海外を目指す

 2か月ぶり位にようやく髪を切りに行けた。数年前に神楽坂に住んでいた時から通っている、一風変わった美容室だ。椅子は1つ。つまり、客は1人しかいない。美容師と一対一の、プライベートな美容室だ。
 その美容師K氏とは、ざっくばらんに、なんでも話す。仕事のこと、プライベートのこと、なんでも。K氏は現在45歳で、神楽坂で20年美容室をやっているというから、立派である。実は元ヤンキーで、かなりワルだったようだ(写真で確認済み)。しかし現在は、常に自分に厳しく、仕事に対しても誠実だ。業種は違うが、独立開業している者として、非常に勉強になる。
 そんな彼も、以前から海外で働くことが夢であり、近々実現しそうとのことだ。自分も短い期間ながら、海外で働いていたので、その意気込みに共感できた。なにせ、45歳からの海外だ。それまで日本で築き上げてきたものを捨ててだ。ちなみに、そんなチャンス到来に備え、体を鍛えたり、日々の生活を節制したりと、準備を続けてきたそうだ。
 自分も、そんな45歳になれたらよい。45歳になっても、何事にもチャレンジできる、体と心を持っていたいものだ。
 

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日本の技術力

 その上に胡坐をかくつもりはないが、以前から、日本の素晴らしいところを探すようにしている。ここ2年間くらいは海外に行く機会が多かったものだから、なおさらだ。
 怪我の形成外科手術をしたことは以前書いたが、改めて傷の経過を確認したところ、抜糸をしていない段階にもかかわらず、綺麗である。結局、日本が何が凄いかといえば、外国人には絶対に真似のできない「機微」である。日本人にしかない機微。これが日本の技術力を支えているのだと思う。いつから起算すればよいかわからないが、日本人のDNAには脈々と受け継がれているのでしょう。程度は別にして、自分の身の回りの方達はほとんど同様の機微を持っているだろう。そこが日本の凄いところだ。
 ちなみに、ブラタモリで丸の内の特集があった。東京駅や鉄道の高架等の土木建築についての考察があったが、明治時代の技術は、アナログだとしても、現在の技術に引けを取っていないそうだ。100年以上経過した現在でも使い続けているのだから。
 特に昔の日本人は、なんて凄いのだろう。そういう先人達に感謝し、自分もがんばろう。あと、連日マスコミで報道される日本に関するネガティブな報道について、それはそれで無視はできないが、それに振り回されるのはやめにしましょう。それより、自分の頭で考えつつ、まずは、日本の良いところを探して、ポジティブに生きませんか?

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比嘉愛未~まぶしい人~

誓います。そんな男性になります。
Notes
CMにおける芸能人登用の効果に留意が必要である。クレジットカードを変えそうな勢いである。

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プロフェッショナル~呼吸器外科医・伊達洋至~

 伊達は、患者や家族の生きたい、治りたいという強い思いにふれるたびに、元気にしてぜひ世の中に帰してあげたいと強く思い、それによって医師の力が引き出されると信じる。伊達は1998年に日本で初めて肺移植を成功させた。それも、目の前の患者やそれまで救えなかった人々が、力を与えてくれたからこそなしえたことだと伊達はいう。
 彼からの気づきは、日々鍛錬していること、毎朝ランニングをして体力維持・増強を図っていること、人に恵まれていること、謙虚であることだ。特に印象的だったのは、手術の前日に、ガーゼを人間の皮膚に見立て、縫合の練習をしている場面であった。手術中に直面した問題に対する決断も凄い。
 彼を見ていて、自分が恥ずかしくなった。00:15からの再放送を観たのだが、観終わった後、思わず、今後の方針をメモし、気持ちを新たにした。現在03:00だが、かなり目がさえてしまい、眠れそうにない。

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プロフェッショナル~お笑い芸人・松本人志~

 貧しい少年時代に、笑いを生み出す力を育んだ松本。その笑いは、見方を変えるといつもどこか悲しい。「おもしろい裏にはやっぱり悲しさがあって、悲しさの裏に、葬式でおかしくてしょうがないみたいなことになったり。なんかそういうもんの笑いってやっぱり持ってて。だからおもしろいこと、おもしろいことって考えているんですけど、ちょっと視点変えればすごく悲しくもなるし。だから笑いっておもしろいなぁって思いますね」という。
 彼からの気づきは、常に模索し続けているということ。華やかな裏でとても忙しくしているということ。ON AIR以外の彼の顔は、苦悩というか、「現状に満足していない」感が見て取れる。また、独特の視点からの企画能力は卓越しているが、それをサポートする一流の仲間が常にいることも印象的であった。
 「素人では及ばないプロの領域」こそプロたる所以だという。たしかに、そうだ。

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プロフェッショナル~仕事の流儀~

 いつものこだま639号で浜松に向かっている。東京発08:26、喫煙グリーン車。だ~れもいない。大抵は月曜日に移動するため、仕事モードへの「切り替え」を行う神聖な時間だ。
 「仕事モード」とはなにか。社会人になって働くようになってから、「働く」ことの意味を模索し続けてきた。そういえば、最近NHK番組「プロフェッショナル-仕事の流儀-」が再開された。再開第一弾は松本人志さん。今後も楽しみである。ちなみに彼のMHKは素晴らしかった。シュールさがたまらない。よくぞNHKと組んだもんだ。
 さて、プロフェッショナルとして良い仕事をするということは、ある意味、自らモチベーションを維持し、自ら勇気を持って立ち向かっていく姿であると考える。そのための流儀は人それぞれであろう。ちょっとした仕草も含む。この点、私の場合はどうだろうか。流儀などあるのか。あえて挙げるならば、
①どこへ行っても仕事スペースの整理整頓を行う。管理のための管理とならない範囲内であらゆるカテゴライズを行う。
②身だしなみをしっかりする。スーツにきちんとプレスをかける。靴を磨く。姿勢よく歩く。立ち姿を意識する。
③他人に強要しないよう気をつけながら、日本を良くする、クライアントを良くするという熱い心を持つ。
④自分を未熟だと思う。
 偉そうなことを書いたが、嘘ではない。上記のことは、常にそうありたいと思い続けている。焦ってもしょうがないことなのだが、なんとしても一流の公認会計士になることを「希求」し続けている。

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住宅を新築又は新築住宅を取得した場合(住宅借入金等特別控除)

[平成22年4月1日現在法令等]
1 概要
 住宅借入金等特別控除とは、居住者が住宅ローン等を利用して、マイホームの新築、取得又は増改築等(以下「取得等」といいます。)をし、平成25年12月31日までに自己の居住の用に供した場合で一定の要件を満たす場合において、その取得等に係る住宅ローン等の年末残高の合計額等を基として計算した金額を、居住の用に供した年分以後の各年分の所得税額から控除するものです。
2 住宅借入金等特別控除の適用要件
 居住者が住宅を新築又は建築後使用されたことのない住宅を取得した場合で、住宅借入金等特別控除の適用を受けることができるのは、次のすべての要件を満たすときです。
(1) 新築又は取得の日から6か月以内に居住の用に供し、適用を受ける各年の12月31日まで引き続いて住んでいること。
 なお、居住の用に供する住宅を二つ以上所有する場合には、主として居住の用に供する一つの住宅に限られます。
 (注)贈与による取得は、この特別控除の適用はありません。
(2) この特別控除を受ける年分の合計所得金額が、3千万円以下であること。
(3) 新築又は取得をした住宅の床面積が50平方メートル以上であり、床面積の2分の1以上の部分が専ら自己の居住の用に供するものであること。
(注) この場合の床面積の判断基準は、次のとおりです。
1 床面積は、登記簿に表示されている床面積により判断します。
2 マンションの場合は、階段や通路など共同で使用している部分については床面積に含めず、登記簿上の専有部分の床面積で判断します。
3 店舗や事務所などと併用になっている住宅の場合は、店舗や事務所などの部分も含めた建物全体の床面積によって判断します。
4 夫婦や親子などで共有する住宅の場合は、床面積に共有持分を乗じて判断するのではなく、ほかの人の共有持分を含めた建物全体の床面積によって判断します。
 しかし、マンションのように建物の一部を区分所有している住宅の場合は、その区 分所有する区画の床面積によって判断します。
(4) 10年以上にわたり分割して返済する方法になっている新築又は取得のための一定の借入金又は債務(住宅とともに取得するその住宅の敷地の用に供される土地等の取得のための借入金等を含みます。)があること。
 一定の借入金又は債務とは、例えば銀行等の金融機関、独立行政法人住宅金融支援機構、勤務先などからの借入金や独立行政法人都市再生機構、地方住宅供給公社、建設業者などに対する債務です。しかし、勤務先からの借入金の場合には、無利子又は1%に満たない利率による借入金はこの特別控除の対象となる借入金には該当しません。また、親族や知人からの借入金はすべて、この特別控除の対象となる借入金には該当しません。
 詳しくは、コード1225(住宅借入金等特別控除の対象となる住宅ローンなど)を参照してください。
(5) 居住の用に供した年とその前後の2年ずつの5年間に、居住用財産を譲渡した場合の長期譲渡所得の課税の特例など(租税特別措置法31条の3、35条、36条の2、36条の5、37条の5若しくは37条の9の2又は旧租税特別措置法36条の2若しくは36条の5)の適用を受けていないこと。

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Hospitality

 生まれて初めて病院に入院した。飯田橋の東京逓信病院だ。ベトナムで額に怪我をしたのだが、その怪我の見た目を良くするために、保険適用の形成外科手術を受けたのだ。13日(水)午前中に入院手続をし、午後は運転免許証の更新と仕事をしてから、夕方に本格的に入院となった。14日(木)午前中に手術をし午後は点滴を受けるなどじっとしており、15日(金)朝に退院した。2泊3日の入院生活であったが、大きくは以下の3点を学んだ。
①医師・看護師は一生懸命働いている。
②HospitalはHospitalityの集積である。
③健康が全てである。
 まず、看護師の方々は3交代制で1日中患者をケアしており、その働きぶりには脱帽だ。ほんと優しくて、ありがたい存在だった。初めは少々緊張したが、だんだん慣れてくると、大部屋の病室はホッとする場所になった。医師の先生方も頼もしかった。手術中はずっと世間話をしながら事が進んだ。確定申告で困っているというので、営業活動もしておいた。こちらが緊張しているのを察しての世間話だったと思うが、そのお陰で苦痛なくあっという間に手術が終わった。
 本日朝に退院し、飯田橋のお堀沿いを歩いていると、久々にシャバ((注)収監されたことはない)に出た感じがして、妙な解放感を感じた。私の場合は形成外科手術なので命に別条があるわけではないが、長い期間、重い病等で入院されている方々のことを思うと、やはり、何といっても健康が大事なのだと、改めて実感するのだった。創傷にはタバコはよくないと言われているが、タバコはやめられないでいる。近い将来、タバコをやめ、体力を増強し、タフな仕事を今まで以上に遂行できるよう、健康を保っていきたい。

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新米


 新米は殊のほかうまい。何と表現をすればよいのだろうか、挽きたての豆で入れたコーヒーとインスタントコーヒーとの違い、とでも言えばいいだろうか。とにかくうまい。
 新米には目がないので、実家にまで赴き、新米を入手した。精米していないので、近所の有料精米機で精米して東京に持ってきた。なお、精米すると米糠がでる。こちらはお持ち帰り自由。なんとも無駄のない仕組みである。
 精米してた米を炊いて口にする背景には、農家の方々の並々ならぬ労力があることを忘れてはならないが、精米した米はもちろんのこと、藁・米糠等、無駄なくすべて利用できるところに、先人たちの知恵というか、合理性を感じるのであった。IRRも大事だが、それらこそがほんとの意味の合理性ではないだろうか。

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歌舞伎


 新橋演舞場に歌舞伎を観に行った。友人の新聞記者がチケットを2枚くれたのだが、開演が16:30なので、なかなか一緒に行く相手が見つからない。仕方がないので一人で行ったわけだが、21:00頃までたっぷりと楽しませて頂いた。
 実は初めての歌舞伎だったのだが、大変素晴らしいものであった。会場の雰囲気は独特だし、なんだか華やかな気分になるし、日本の文化の素晴らしさを改めて実感した。3つも演目があり見ごたえもあった。言葉が昔の言い回しなので聴きとるのに難解な部分もあるが、あらかじめ筋書きを読んでおけば大勢に影響はない。場面によっては涙をそそる。
 いや~、やっぱ日本って国は凄いな。最近「美徳」について考えることがあるが、日本にはそういったことを志向してきた国でもあるのだろう。これからも日本の良いところを再発見していきたい。

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水森亜土


 文京区の弥生美術館で開催されている水森亜土展に行ってきた。当美術館は、ある弁護士が設立し、竹久夢二の作品が常設されている美術館である。
 亜土ちゃんは幼い頃から大好きであった。かなり不思議ちゃんであるが、ただの不思議ちゃんではないことが分かった。人間として尊敬の念を抱く。結婚をし、4人か5人の親族等の介護をしてきたのである。介護の秘訣は週に2階に介護休暇を必ず取ることとのことであるが、それにしてもその精神力には感服する。
 また、彼女の生き方には裏付けがある。やはり、自分の好きなことをやり続けるには並々ならぬ覚悟が必要だ。リスクとリターンをすべて自分で享受しなければならない。自分にも言い聞かせるが、諦めずに自分の信ずることをやり続けるには、勇気と忍耐が必要だ。乗り越えるべき試練を乗り越えないと明るい先はない。
 亜土ちゃんの描く、観ているだけで涙の出そうな、優しい女の子の絵は、そんな亜土ちゃんの強さに裏付けられているからこそ、優しさに溢れているのだろう。

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物を大切にする心

 同じ車でも、日々大切にされている車とそうでない車では、写真写りがまったく異なる。日々大切にされている車からはオーラが放たれるので写真写りが非常に良い。一方、あまり大切にされていない車の写真写りはいまいちである。
 私も車を大切にしている。車の師匠の指示もあり、一生懸命ワックスをかける。所詮「物」だがされど「物」。時にはその人の生きざまを色濃く形成していることもある。白洲次郎とベントレー・お洒落な服・小物、所ジョージと車・バイク・様々なグッズ。枚挙にいとまがないが、そういうものである。「それらの『物』がないとその人がアイデンティファイされない。」というのではあまりにも悲しいし薄っぺらいが、上記のようにその逆であれば、別に問題はないのではないだろうか。

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最期の時

 映画『俺たちに明日はない』で機関銃で蜂の巣にされる直前の場面。フェイ・ダナウェイ演じるボニー・クライドが、ウォーレン・ビーティ演じるクライド・バローを見つめている。なんとも愛しみのある顔である。死を察知したにもかかわらず最期にクライド・バローに微笑みかける。なんとも美しい愛である。
 私は、映画『俺たちに明日はない』が大好きである。たまに自宅で体を休める日を作った時などに思い出したように観賞している。ストーリーも美しいが、服装や車等々、細部に気を使っていることが分かる。英語の勉強にもなる。銀行強盗を繰り返す彼らには追手(警察)が迫り、状況が日増しに悪化していく。だんだん安らげなくなっていく。そんな極限の状況で、様々な葛藤がありながらも、二人は愛し合っている。
 どんな状況においても、自分の軸がしっかりしていれば、幸せになれるのである。換言すれば、幸せは自分で見つけるものである。

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「困っている」ところへ!!!

 私は人の弱みに付け込んで何らかの利益を得ることは悲しいことだと思うので、決してしたくない。しかし、人が困っていて、それを助けてあげた結果としてお金をもらうことは、これこそまさに「仕事」の原点だと思う。「人の弱みに漬け込むのとどう違うの?」と思う人もいるかもしれないが、明らかに違う。そこに「良心」があるかないかだ。「良心」なくして得た利益は、後で「損失」となって自分に返ってくるに違いない。ブーメランのように。
 「人がどのような点で困っているか」を考えることは、業務開発をしていく上で、有用な手段かもしれない。そういえば、松下幸之助大先生もそのようなアプローチだったという。結局は対価としてお金をもらうのだが、人のために何かをしてあげて、喜ばれるのであれば、清々しいお金だ。マネーロンダリングの必要は皆無だし、ヘタに使えないはずだ。
 「困っている」ところへ!!!

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『議論』~社会科学における化学反応~


 自然科学はすごい。何がすごいかと言うと、その存在自体が完璧な「自然」を対象としているから、ダイナミックである。化学に焦点を当てれば、いわゆる「化学反応」により、様々な物質ができて、変化が起こる。水素と酸素のくっつき方次第では、水ができてしまうのである。質量保存の法則、位置エネルギーが運動エネルギーに変わることなど、美しい面もある。
 理系に行くか文系に行くかは、高校生の時に明確になることが多いのではないだろうか。私の場合は、高校生の当時は視野が狭かったので、理系に興味を示すことはなかった。成り行きで文系に進み、仕事も超文系である。まあ、よい。思考回路が文系のようだ。
 さて、勝ち負けの問題ではないが、社会科学は自然科学に負けていない。社会科学と言ってしまうと実感がわかないので、我々公認会計士の仕事に焦点を当ててみよう。我々も化学反応を起こしている。「議論」によってだ。「三人寄れば文殊の知恵」という諺もあるように、確かに、3人集まって議論すると、かなりの頻度でいいアイディアが出てくる。いや、2人で議論してもしかりだ。1人だと煮詰まってしまうような物事でも、議論をすれば着地点が見えてくることがある。もちろん、自分自身の意見や考えがあっての議論であり、議論自体に依存してはならない。
 いずれにせよ、「議論」は社会科学における化学反応である。

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Singaporeでの生活で学んだこと

 JICPAの某基金による海外派遣の機会を頂いて、一週間ほどシンガポールに滞在した。ほぼ同年代の他の10名の公認会計士の先生方と寝食をともにし、昼間は勉強や企業視察、夜は様々な見聞を深めた。
 私は副団長という立場もあったので、とにかく、何事も積極的にやろうと決めていた。昼間の授業では単に座学に終始するのではなく、担当教授から何かを引き出そうと考えていた。企業視察においても、シンガポリアンに積極的に質問し、本音みたいなものを引き出そうと考えていた。
 そんなこんなで過ごしていたわけだが、前半はシンガポールに関する「誤解」をしていたように思えるし、後半はその「誤解」が少し解けたように思える。私はどうしてもこういう方向に持っていかなくてはすまない性分なのだが、やはり、「人」は皆「同じ」面がある。どんなシステムの国でも同じ面がある。以下、五月雨式だが、誤解に関するBefore・Afterを書き留めておく。変化が生じた理由は、やはり「人」である。シンガポリアンと会話をし議論をし、街を自分の目で見、ローカルの食堂で食事をして、YoutubeでLee Kuan Yewの動画を観たりしたことである。ちなみに、今回は3回目のシンガポールである。
【Before】
①シンガポールって国は確かにすごいけどそこで暮らす人々は幸せなの?
②相変わらず国全体がお台場みたいですぐに飽きそうだな。
③よく日本と比較されるけどなあ。
④そもそも日本とシンガポールはバックグランドが違うよね。やりすぎなんじゃないの?
【After】
①’何人だろうが幸せは自分で見つけている(例 海辺の芝生でピクニックをしたり凧あげをしたり)。
②’たしかにお台場的イメージが強いがそれだけではない。ちゃんと糊代を用意している。
③’シンガポールから学ぶ面もあるが日本もすごい。いや、日本の方が凄い面もある。
④’発展途上国がよくぞここまで頑張った。すごい。Lee Kuan Yewはやっぱすごい。
 何事も、ある一面だけをみて判断してはいけない。かならず誤解をする。誤解ほど空しいものはない。誤解は人間の成長を阻害する。やはり、いつも自然体で人や物事に接し、お互いにOPENにコミュニケーションをすることが大切である。この点、最後の夜は、たわいもないことも含めて、シンガポリアンと楽しく会話ができてよかった。
 そうそう。そのことに胡坐をかいてはいけないが、やはり日本は世界的に一目おかれている。これは、我々の先人達が築いてきたものがあまりにも大きかった証であろう。シンガポールでもしかりであった。日本人として、今後とも頑張っていきたいという決意を新たにした。
 最後に、やはり、人と寝食をともにし、何かを一緒にやる、という経験は何物にも代えがたい。特に今回のケースは、独立開業していなければ経験することができなかったであろう。今回出会った仲間とは何かしら縁があるのだろうから、今後もどこかで繋がっていくことだろう。

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自分が頑張ってきたこと

 小学3年生の時、小学校の金管バンドの演奏を聴き、度肝を抜かれた。それ以来、特にトランペットが吹いてみたくてたまらなくなって、入部が認められる4年生になると、すぐさま金管バンドに入部した。トランペットが吹きたい一心で。
 しかし、ひとつ問題があった。どの楽器を担当するかは、先生の目利き、楽器の競争率などに左右されるのだった。しかも困ったことに、体格のいい人はTubaという低音楽器を担当する傾向が強かった。当時私はデブだったので、「Tubaをやれと言われたらどうしよう・・・」と真剣に悩んでいた。 ところがなんと、念願のトランペットを吹けることになった。先生に熱意が通じたのだろう。そう決まってからは、がむしゃらに練習した。嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。6年生の最後の頃には、先生にも一目おかれていて、ソロ曲を吹いたりして、なんとも充実した日々だった。
 中学校は地元の私立の中学校で、高校生と合同の吹奏楽部に入部した。ここでも当時、トランペットは競争率が高く、ひやひやしたが、なんとかトランペットを許可された。この部には高校生がいるし、歴史のある部だったのでレベルが高く、それなりの地位に行くには中学3年生になってからだった。とはいえ、結構練習したし、幅広いジャンルの音楽に触れることができ、非常に充実したものだった。
 高校でも吹奏楽部に入部した。高校自体が明治以来の古い高校で、個性的な生徒ばかり。吹奏楽部も相当個性的であり、かなりマニアックなクラシック音楽を志向していた。当時は主に生徒が中心となって自主運営しており、指揮者も生徒。熱い日々を過ごした。ここで音楽的なセンスのようなものを学んだ。
 大学ではいわゆるジャズ研に属していた。大学2年生から公認会計士の勉強を始めるまで、とにかくジャズ漬の日々だった。相当LPやCDを買ったし、セッションにも参加した。当時は横浜に住んでいたが、近所にプロのジャズマンのジャズ研の先輩がいたので、夜な夜なジャズを聴いて、曲や奏者について語ったものだった。クラシック音楽も大好きだが、ジャズを通じて自分を表現できる気がして、心地よい日々であった。
 いまはどうだろう。先日久々に楽器を手にしたが、悲しかった。昔取った杵柄などない。アンブシュアがそもそも崩れており、息が漏れて、音が出ない。悔しかった。しかし、このままでは済ませない。またあの輝かしい若い時のように、音楽をしたい。いつか再開しようと思い、楽器は事務所に持ってきてある。
 「なるべく」近々、再開するつもりだ。

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作曲家 木下牧子


1956年東京生まれ。都立芸術高校ピアノ科卒業。東京芸術大学作曲科卒業、同大学院終了。在学中、作曲を石桁真礼生、黛敏郎、浦田健次郎、丸田昭三の各氏に、ピアノを岩崎操氏に師事。芸大卒業記念演奏会において、管弦楽曲「壺天」が作曲科首席卒業作品として演奏される。管弦楽のための「幻想曲」で第51回日本音楽コンクール作曲(管弦楽曲)部門入選。管弦楽のための「オーラ」で第9回日本交響楽振興財団作曲賞入選。’03年オペラ「不思議の国のアリス」(モーツアルト劇場創立20周年委嘱作品)初演で三菱信託芸術文化財団奨励賞受賞。’05年同オペラ全面改訂版初演は各界から絶賛を博し、主宰・モーツアルト劇場がエクソンモービル音楽賞受賞。
<合唱作品>
混声合唱組曲「方舟」(大岡信/男声版あり)
混声合唱組曲「ティオの夜の旅」(池澤夏樹/男声版あり)
混声合唱組曲「光る刻」(男声版あり)
混声合唱曲集「地平線のかなたへ」(春にを含む)(谷川俊太郎/女声版・男声版あり)
混声合唱曲集「光と風をつれて」(工藤直子)
混声合唱曲集「うたよ!」(まど・みちお)
女声合唱曲集「わたしは風」
混声合唱曲集「夢みたものは」
ア・カペラ混声合唱のための「ELEGIA」(北園克衛)
男声合唱組曲「真夜中」(清岡卓行)
男声合唱組曲「Enfance finie」(三好達治)
男声合唱曲集「恋のない日」(堀口大學)
無伴奏男声合唱のための「わたしはカメレオン」
男声合唱とピアノのための「美術館へ」(大岡信)→出版に当たり「朝の頌歌」と改題
無伴奏男声合唱組曲「いつからか野に立つて」(高見順)
ア・カペラ女声合唱のための「絵の中の季節」(岸田衿子)
無伴奏女声合唱曲集「5つの祈り」(ヴォカリーズ)
混声合唱曲「邪宗門秘曲」(北原白秋/ピアノ伴奏版・管弦楽伴奏版)
混声合唱曲「オンディーヌ」(吉原幸子/女声版あり)
合唱曲「もえる緑をこころに」(関根栄一/混声版・女声版。第59回(1992年度)NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲)
合唱曲「めばえ」(みずかみかずよ/混声版・男声版・女声版。第64回(1997年度)NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部課題曲)
混声三部合唱曲「そのひとがうたうとき」(谷川俊太郎/混声四部版あり)
合唱曲「なぎさの地球」(大岡信/混声版・男声版・女声版。第69回(2002年度)NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部課題曲)
混声合唱曲「さびしいカシの木」(やなせたかし)
合唱曲「ロマンチストの豚」(やなせたかし/混声版・同声版・女声版・男声版・歌曲編曲版)
同声二部合唱曲「まいにち「おはつ」」(工藤直子/第73回(2006年度)NHK全国学校音楽コンクール小学校の部課題曲)
混声(女声)合唱のための「木下牧子アカペラ・コーラス・セレクション」
吹奏楽伴奏による女声三部合唱曲「いま!」(ピアノ伴奏版/混声版)
混声四部合唱とオルガンのための「光はここに」(立原道造)
女声合唱組曲「悲しみの枝に咲く夢」
女声合唱とピアノのための「花のかず」
女声合唱と打楽器のための「Blue」
同声(女声)合唱とパーカッションのための4つの舞曲
「大学4年。プロ作曲家を目指してがんばっていた」時のお写真だそうです。以前から御綺麗なのですね。

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作曲家 松下 耕


作曲家、合唱指揮者。1962年、東京生まれ、国立音楽大学作曲学科首席卒業。ハンガリー・コダーイ研究所合唱指揮マスターコース修了。現在音楽監督を務めている合唱団は10団体を数える。各合唱団とも、日本国内、ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、アジア各国のコンサートやフェスティバルに招待演奏されているほか、国際コンクールでのグランプリ受賞など、優秀な成績を収めている。
<合唱曲>
タンポポ(第65回(1998年)NHK全国学校音楽コンクール中学校の部の部課題曲)
言葉にすれば(第74回(2007年)NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部課題曲。安岡優(ゴスペラーズ)との共作)
混声合唱とピアノのための『信じる』 (表題曲は、第71回(2004年)NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲として書かれた混声3部・女声3部版を混声4部に改作したもの。なお、課題曲は演奏時間の都合により一部カットした形のものが用いられたが、のちに女声版を出版する際(女声合唱曲集「そのひとがうたうとき」収録)、ノーカット版で再発表している。)

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詩人 谷川俊太郎


哲学者で法政大学学長の谷川徹三を父として東京府東京市(東京都)杉並区に生まれ育つ。兄弟はいない。1948年から詩作および発表を始める。1950年には父の知人であった三好達治の紹介によって『文学界』に「ネロ他五編」が掲載される。1952年には処女詩集『二十億光年の孤独』を刊行する。まもなく、詩作と並行して脚本や、歌の作詞、エッセイ、評論活動などを行うようになる。
<合唱曲>
問い(作曲/湯浅譲二)
青空のすみっこ(作曲/寺島尚彦) – 第41回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲
信じる(作曲/松下耕) – 第71回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲
いのち(作曲/鈴木輝昭) – 第77回NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部課題曲
<対談集>
谷川俊太郎の33の質問
魂にメスはいらない(河合隼雄との対談)
対談現代詩入門(大岡信との共著)
谷川俊太郎質問箱(東京糸井重里事務所、2007年)
ものみなひかる(河合隼雄との対談)

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合唱に目覚める~Nコンを通して~

 常々、合唱はいいものだと思っていた。何度かコンサートに足を運んだこともある。しかし、最近は全くのご無沙汰だった。
 ところが、最近はNコン(NHK全国学校音楽コンクール)の時期であり、NHKの地方版番組でも取り上げられている。それがきっかけで、インターネットで検索をしているうちに、以下の合唱曲に行き着いた。もう、目から鱗の詩と曲であり、思わず20回以上繰り返して聴いてしまった。
「信じる」 作詞 谷川俊太郎 作曲 松下 耕
 
笑うときには大口あけて
おこるときには本気でおこる
自分にうそがつけない私
そんな私を私は信じる
信じることに理由はいらない
地雷をふんで足をなくした
子どもの写真目をそらさずに
黙って涙を流したあなた
そんなあなたを私は信じる
信じることでよみがえるいのち
葉末の露がきらめく朝に
何を見つめる子鹿のひとみ
すべてのものが日々新しい
そんな世界を私は信じる
信じることは生きる源
信じることは生きる源   
私は信じる
 上記URLは、北海道の中学生の合唱である。中学生が体全体を使って「信じる」と訴えかけてくる。若者の美しいエネルギーをもらった。この点は幸いだが、東京では数々の生の合唱を聴く機会がある。今後は、合唱のコンサートに足繁く通いたいものである。また、合唱への理解を深めるため、詩人の谷川俊太郎氏、作曲家の松下耕氏、同じく作曲家の木下牧子氏の作品について、触れていきたい。

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パート収入はいくらまで所得税がかからないか

[平成22年4月1日現在法令等]
 配偶者の収入がパート収入だけの場合、所得税に関して次の3つのことが問題になります。
1 配偶者本人の所得税の問題
 パートにより得る収入は、通常給与所得となります。給与所得の金額は、年収から給与所得控除額を差し引いた残額です。給与所得控除額は最低65万円ですから、パートの収入金額が103万円以下(65万円プラス所得税の基礎控除額38万円)で、ほかに所得がなければ所得税はかかりません。
2 配偶者控除の問題
 妻の合計所得金額が38万円以下であれば、夫は、所得税の配偶者控除を受けることができます。つまり、妻の収入がパート収入だけの場合、その収入が103万円以下であれば給与所得控除額の65万円を差し引くと所得金額は38万円以下となり、配偶者控除が受けられるということになります。
3 配偶者特別控除の問題
 所得税の配偶者特別控除が受けられる要件は次の2つです。
(1) 納税者本人の合計所得金額が1千万円以下(給与収入だけの場合には、おおむね年収1,230万円以下)であること。
(2) 配偶者の合計所得金額が38万円超76万円未満であること。
 このことから、(1)の要件に該当する場合には、配偶者のパート収入が103万円超(38万円+給与所得控除額65万円)141万円未満(76万円+給与所得控除額65万円)で、ほかに所得がなければ、配偶者特別控除を受けることができます。
 配偶者特別控除の額は、配偶者の所得金額により異なり、配偶者の所得が増えるに従い38万円から段階的に少なくなっていきます。
(所法2、28、83、83の2、86)

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切手と消費税

【照会要旨】
物品切手の譲渡は非課税とされていますが、物品切手を購入した場合はどのように取り扱われるのでしょうか。
【回答要旨】
物品切手の譲渡は非課税とされていますので、それを購入した段階では課税仕入れに該当しませんが、物品又は役務の提供の引換給付を受けた時にその引換給付を受けた事業者の課税仕入れとなります。ただし、購入した物品切手で自ら引換給付を受けるものについて、継続して購入する日の属する課税期間における課税仕入れとして処理しているときは、この処理は認められます(基通11-3-7)。
【関係法令通達】
消費税法基本通達11-3-7
法別表第一第4号イ又はハ《郵便切手類等の非課税》に規定する郵便切手類又は物品切手等は、購入時においては課税仕入れには該当せず、役務又は物品の引換給付を受けた時に当該引換給付を受けた事業者の課税仕入れとなるのであるが、郵便切手類又は物品切手等を購入した事業者が、当該購入した郵便切手類又は物品切手等のうち、自ら引換給付を受けるものにつき、継続して当該郵便切手類又は物品切手等の対価を支払った日の属する課税期間の課税仕入れとしている場合には、これを認める。

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尚仁沢湧水

 今日は両親と尚仁沢の渓谷を散策し、温泉につかり、鮎をほうばった。親が元気なうちにこんな日が何度あるのかと思うと、尊い一日だった。独立開業の理念がここに生きている。独立開業の理念の一つは、自分らしく、バランスよく生きること。さっ、明日から稼ぎたくなってきたぞ。

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1945年8月15日

 大東亜戦争について語る立場として、次の2つがあると考える。①歴史・地理・教育制度等を総合的に多面的に勉強した上で「戦争全体」について語ること、②ある一面について語ること。私は早く①で在りたいと考えているが、①で在るまで待っていては常に閉口していなければならないので、勉強不足であることを認識しつつ、なるべく偏りがないように語ることにしている。
 ただ、世の中には②の人がいかに多いことか。代表格はテレビ番組のコメンテーターや街角でインタヴューされる人。在る一面を原因や結論のように語る。全く説得力がないし、腹立たしくなることがある。
 この点、作家の浅田次郎氏は言っていた。「戦争自体は悪いことかもしれないが、そこに参加した人々までを愚かしいと言うことは嫌いだ。」と。私は全く同感だ。これは戦争に限ったことではないが、何かについて語る時、その事象・人の背景や当時の歴史、教育等につい知って初めて、その事象・人の意味がわかるはずだ。
 私の祖父や彼を支えた祖母を含めて、当時の日本人はどのような気持ちで戦争の中を生きてきたのか。そういう慮る気持ちを持ちながら、もう一度大東亜戦争について考えてみてはいかがだろうか。
 それから、人間の「死」とは、肉体的に死ぬことと、人々の記憶から消えること、の2つの死があるという。そのような意味で、一昨年に亡くなった祖母は死んでいない。今日は祖母の生き様について思い巡らすことになった。祖母は記憶から消えていない。
 おお、やはり、8月15日は特別な日だ。

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真の練習場

 本日はプールで1,000m泳いだ後、ゴルフの打ちっ放し場でゴルフの練習をした。今月初めにコースに出て実地のゴルフの練習をしたので、今日の練習では、これまでにない「安定感」を感じた。
 ただ、思うに、ゴルフの真の練習場はコースだ。これは間違いない。もちろん、ゴルフの打ちっ放し場での練習はそれはそれで必要だが、うまくなりたければ、どんどんコースに出て実地の練習をすべきであろう。ゴルフ場経営にとっては大変だが、近年のデフレの影響で、プレー代が破格だ。こんなことでよいのだろうかと思うくらい安い。今後とも、実地の練習をしていこうと思う。ちなみに、本日の練習を経ての感想は、やはり、①グリップ、②フォームが重要だということだ。疲れてくると体が段々後ろのめりになってくるのだが、そうなると全くボールが飛ばなくなるのだ。
 ところで、この実地の練習。何かにも言えることではないだろうか。そう、仕事だ。もちろん、報酬を頂いてするのだから「練習」という概念を前面に出すわけにはいかないし、「練習」のつもりで仕事をしているわけではないが、ある仕事が終わってみると、様々な学びがある。どんな仕事でもだ。おお、個々の仕事が終わった後に、「学び」の書留をしておこう。
 仕事とは、このように、人生の学びととらえて取り組むと、面白いものだ。

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