芸術的経営者を追求する、江幡公認会計士税理士事務所の心のブログ

脱力

 今日は思い切って「休む」と決めた。そんな日に限って自分にとって勉強になるテレビ番組に出会うことができるのだが、今日も例外ではない。4番組連続で見入ることになった。一方で、毎月1回は自分を振り返り、反省する時間を取ろうと決めていたのだが、今日をその日に当てようと考え、反省してみた。
 今年に入ってから、自分なりに精力的に頑張っていたつもりだが、裏を返せば、力が入り過ぎていたようにも思える。力が入るということは、ある意味、現在の自分を受け容れておらず、自分を痛めつけていることにもつながる。自分を痛めつけることは、それは「抑圧」であり、どこかで「歪み」となり、何かが起きることになる。これは私自身に限ったことではなく、世の中の人々すべてに言えることだろう。体調が悪くなったり、情緒不安定になったり、酒に溺れたり等々、様々な何かが起こるはずだ。私の場合は、特に心身に異変が生じたり、酒に溺れることはないのだが、自分の言動を振り返ってみると、日々の生活・仕事・趣味・社交等々で、「ちょっと力が入ってんじゃないのか?」と思えることばかりであった。
 私のメンター的存在であるO氏は言う。「すべては『脱力』だ。」と。最近は仕事のことばかり考えていた。まるで、「仕事のことばかり考えていれば仕事がもっとうまくいく。」とでも勘違いしていたかのように。今思うと怖いことだが、土曜日にクラシック音楽のコンサートに行った際、音楽そのものを楽しんだのは楽しんだのだが、演奏している楽団のビジネスの状況、楽団員達の人間模様、観客の平均年齢等々を考えてしまっている自分がいた。良く言えば「視野が広い」だが、悪く言えば「考え過ぎ」だ。純粋に音楽だけを楽しんでいればよいのにだ。
 そこで、以前からやろうやろうと思っていたことをとうとうやった。「脱力」という文字を書いて見えるところに貼ることだ。「脱力」という文字を書くことすらはじめは力が入っていたので、思い切って大胆に書くことにして書いたのが写真だ。ただ、一つ言えるのは、おそらくこの繰り返しだということだ。力が入っていた時の自分も自分だし、起こった事は起こるべくして起こった事だ。そこに気付いた時に、弊害があれば、軌道修正すればよい。あと、そういえば、お世話になっている美容師のK氏の言葉を思い出した。「2日悩んだら終わりね。それ以上悩んでも解決しないし精神的にきつくなるからね。」と。これもある種の「脱力」だと思う。

EBJ

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