Ebalog

芸術的経営者を追求する、江幡公認会計士税理士事務所の心のブログ

学校とは

 福沢先生によると、「学校は人に物を教うる所にあらず,ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり。教育の文字ははなはだ穏当ならず,よろしくこれを発育と称すべきなり。かくの如く学校の本旨はいわゆる教育にあらずして,能力の発育にあり……。我が国教育の仕組はまったくこの旨に違えりといわざるをえず。」とのことである。私自身、福沢先生とは別のところで、「教育」という言葉は「Education」の本質を表していない、ということを知ったのだが、確かにそうかもしれない。
 空が暗くなりかけた夏の夜に、母校のキャンパスに行った。夏休みのためか、人は疎らで、ゴミ一つ落ちておらず、整然としていた。新築の近代的な校舎はモダンで、学生には堪能できない粋な場所もある。その粋な場所で、大学時代のゼミの恩師T教授と待ち合わせをした。思えば、自分は恩師に恵まれてきた。正確に言うと、小学生時代はあまり恵まれていないのだが、基本的に恵まれているのだ。とりわけ、高等学校・大学では、素晴らしい恩師に出会うことができた。
 T教授には、授業やゼミはもちろんのこと、論文(卒論ではない)のご指導まで頂き、大変感謝しているのだが、自分にとって一番ありがたいのは、「自分のことをよく知ってくださっている。」ということだ。今回お会いして話をした中での私にとってのキーワードは、「自分の○○な面を認識すること」「自分が正しいと思わないこと」「自分はspecialで異常だと思うこと」「自分の考えを他人に押し付けないこと」「上から目線」「下から目線」等々。もっと凄いのは、T教授によると、「君は、自分が『Xである』ということに気付いていない。仮に『Xである』ということに気付き、悩んだとしても、心の底から『Xである』ことをやめようとは思っていないので、ずっと『Xである』ままでしょう。それが君だ。」と。そこで、上記のキーワードが必要となるのだ。
 深い・・・。
 「ある物事についてあれこれ思いを巡らせても仕方がない。自分自身を知ることが最も大切なことだ。自分自身を知ったら、その知った自分をもって、人と接することだ。」という結論を、自分なりに出しました。

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「綺麗に纏まろうとする事」の効用

 「人間の成長は必ずしも年齢に比例しない。」、もっと言うと、「人間は同じ失敗を繰り返すことがある。」ということを、ある架空の警部が教えてくれた。人に迷惑がかかることや、工夫すれば防げるような技術的な失敗を繰り返すのは善くないが、もっと大きな視点で、生活の流れというか、人間関係の流れというか、仕事の流れというか。中長期的な「流れ」の中では、同じ失敗を繰り返すこともあるのではないだろうか。
 逆に言うと、「1回失敗したのだから次は綺麗にまとめなければならない。」という想いは、分からなくもないが、時には過度のプレッシャーになり、自分の力を十分に発揮できない。失敗を正当化するわけではないが、要は「自分の力を最大限出すため」の条件として、失敗について思い悩むことにどれだけの価値があるかについては、その都度考えた方がよいと思う。結局は自分との闘いなのだから、自分のネガティブな面に固執してしまうと、結果が出ないのではないだろうか。これは、あるアスリートが教えてくれた。

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2011年8月1日

 小学生の頃、夏休みは7月20日頃に始まり、8月31日に終わる。8月1日というのは、夏休みの4分の1が経過した「だけ」とも思えるのだが、楽しい夏休みの時の経過は殊のほか早い。以前から、8月に入ると、気が早いが、夏の終わりを意識せざるを得なかった。だから一層、暑い夏を楽しもう、記憶に刻もうと思うのである。
 先日、高校時代からの友人Tと食事をした。思えば1年ぶりの再会だ。彼の凄いところは、「ダジャレ」を言い続けているということだ。実は私も、高校時代には、Tと競うようにしてダジャレを垂れ流しており、数々の関係者に迷惑をかけたと反省している。ところがTは、現在も職場でもダジャレを垂れ流し、ダジャレコンテストで全国4位にまで上り詰めたというのだから、筋金入りだ。何事も、動じずに続けるということは、尊い。
 ところで、Tから、私のこのBLOGをやる目的について質問を受けた。他の関係者からも同様の質問を受ける。心がけているのは、①個人的な日記に終始しないこと、②虚栄心を満たす手段にしないこと、の2点であるが、何のために続けているのか。
 思えば、このBLOGを見てくださっている方々は、おそらく、私の既知の友人・何らかの関係者のみである。ありがたいことに、毎日20人前後(同じ人が1日に複数回訪れることはカウントしない)の方が見てくれているのだが、2年近くやっていて、今ふと思ったのは、そうした皆様に対する私からの「お便り」であるということだ。「今、自分がどうしているか、何を考えているか」ということを、等身大で見て頂く。BLOGはOPENなメディアゆえ人に迷惑がかからないよう、しかしこれからも地味に、綴っていこうと思う。

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Nコンの季節

 今年も、歌の力によって、子供達からエネルギーをもらう。こちらは一生懸命応援する。
 Nコン全国大会の観覧の応募について、8月下旬に詳細を発表するそうです。ピュアな子供たちの合唱には、本当に感動しますよ。
(参考)高等学校の部の課題曲:「僕が守る」

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本音ベースの気持ち

 「夏になんか乗ってられないよ。」、「夏になんか乗ったら馬鹿になるぞ。」と私に散々言っておきながら、今年はこの猛暑の中決行となったツーリング。いや、普段はこんな感じでいいのである。私にとっては唯一の車であり、真夏でも真冬でも、天気が良ければ意地でも乗る。ちっとも快適ではなく、面倒臭いのがたまらない。これは「趣味」と言っていいと思う。反復継続的に続けているものであり、かなりのエネルギーを注いでいる。これは「趣味」だ。
 とにかく暑かった。中禅寺湖の山の上の方は多少涼しかったが、下界は駄目だ。日差しが厳しすぎる。それでも意地になってオープンにして乗っていたのだが、気がつくと、両腕が大変なことになっていた。日焼けを通り越して火傷だ。40度のお湯が痛い。つくづく、自分は馬鹿だと思う。しかし、これでよいと思っている。自分がよければそれでよい。
 オジサマ方も、「暑い、暑い。」と言いながら、何だかんだ言って、楽しんでいるのである。そういえば、大御所のMさんは、「朝食ったか?」と言って、お手製のサンドイッチをくださいました。5:00AM集合だったから、何時に起床されたのだろうか。

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ROMANCE~百聞は一見に如かず~

 私にはあるトラウマがあって、いわゆる「球技」には親しんでこなかった。そのトラウマだけが原因ではなく、そもそも、スポーツよりも音楽の方に強く興味を持っていたということが大きいのだが、いずれにせよ、球技には興味を持たないで大人になった。そんな私も、昨年にゴルフを始めたわけだが、球技の最たるものである「野球」なんてものは、やはり興味がなかった。一方で、高校時代の仲間は、草野球チーム(ソフトボール)を結成し、もう10年近く活動しているのではないだろうか。球団名は「ROMANCE」。上記の通り、私は野球に興味がなく(というより、「どうせ自分には向かない」と諦めていた節もある)、1回も顔を出したことがなかった。
 ところが、何が私を駆り立てたのか分からないが、今回は「とりあえず観戦してみよう。」と思えたので、重い腰を上げて芝公園の球場へ向かった。ナイターだ。写真のように、東京タワーが見えて、木々の緑もあり、そこにいるだけで気持ちがよい。そして、ユニフォーム姿の友人たちが凛凛しく、頼もしい。プレイボールになると、観ているだけでもわくわくする。一方で、自分が勝手に思い込んでいたほど、皆が卓越した運動技術を持っているわけではない(失礼な話だが、友人達もそう言って私に参加を促してくれた)。「これならやれる!いや、自分もやってみたい!」。心の底からそう思えたのだ。
 やはり、百聞は一見に如かずだ。「思い込み」は自分の可能性を狭めることにつながる。しかし、今からでも遅くない。形から入る私は、早速ユニフォームを注文する。自分も次回はプレイする。こうして今後も自分の可能性を広げていくつもりだ。

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ときわ荘

 今となっては10日近く前の事になるが、事務所の配置換えを行った。不要になったかなり大きめの本棚を1つ潰したりしたので、結構な肉体労働になった。夏の暑い盛りである。疲れた体は何かを欲している。その日はさっさと仕事に見切りをつけ、17:00から渋谷の東急本店の屋上のビアガーデンで、皆で1日の労を労うことにした。
 日中はかなり暑かったものの、夕方になると多少涼しくなった。特に百貨店の屋上は天井がなく風が抜けるので、気持ちの良いものであった。(おそらく)SIDAXが経営しているだけあってメニューや値段もリーズナブルで、なかなかのビアガーデンだった。肉体労働の後のBeerは、私はもちろんのこと、皆さんもさぞかしおいかったことだろう。一方、疲れた体で頂くBeerは殊のほかまわりが早い。
 「家族」を「共有してきた時間」「共有した記録」と定義する方がいる。個人的には、実にわかりやすい、現実的な定義だと思う。この点、会計士が事務所を共有するのも、ある意味、家族のようなものだ。それぞれ独立してやっており、事務所スペースと一定のルールを共有しているというのが基本だが、もう少しウェットに考えれば、時間と折々の記録を共有していると言える。ある意味、「ときわ荘」のようなものだ。
 彼らの存在に感謝し、これからも彼らを大切な存在として考えていきたいと思う。

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租税法

 東京税理士会の「登録時研修」というものがある。税理士登録時に受講するものだが、この度ようやく受講するタイミングを得た。弁護士の先生による租税法のそもそも論が大変ためになった。備忘を兼ねてキーワードを記載しておく。その言葉自体は初耳のものはないが、実務に活かしているか否かが重要だ。
✔憲法14条・30条・84条
✔租税法律主義
✔租税公平主義
✔リーガルマインド(訴訟(=裁判官の思考回路)を意識した実務)
✔租税法・法解釈(判例・学説)
✔課税要件
✔事実認定
✔あてはめ
✔税務調査(=質問検査権)には手続法がない→必要性・納税者の同意
 私見だが、無試験で登録した公認会計士は、税法自体の暗記・手続的なことはあまりやっていないのでそれらの点では勝負せず、上記のようなそもそも論こそを勉強した方がよいと思われる。また、会計士には理系の頭も必要だと言う意見について、それはそれで理解できるが、上記のようなリーガルマインド等を含め、まずは文系をしっかり勉強する必要があると思われる。

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困難が好き

 例によって、本日はいつもの一人美容室Kへ行って髪を切った。美容室での会話というと、通常は、申し訳ないがうわべの会話となるが、一人美容室Kではうわべの会話はしない。時には険悪な空気が流れ、空気がぴんと張るくらい、意見をぶつけ合うことがある。なにせ、美容師K氏は独立して20年以上、筋金入りの元●●●●だ。
 結論から言うと、本日は元気を頂いた。ここ3日間は「漠然とした将来への不安」みたいなものを感じちゃっていたのだが、あくまで「漠然とした」ものであり、むしろたちが悪く、気分が冴えなかった。ところが、本日の会話で、プライベートのこと、仕事のことで、最近まとまりがなかった想いが整理されたのだ。彼は言う。「困難が好きだ。」と。「困難な状況で自分の真価が問われる。」と。困難にぶち当たった時、彼は、「この仕事辞めたいかい?宅配便のバイトをやるか?サラリーマンになるか?」と自分に問いかけ、気持ちを新たにするのだそうだ。さらに、「この状態(=独立)は、誰にも出来ねえよ。俺は困難が好きだ。やれるなら(いまやっていない他の奴らも)やってみろ。」と。善い悪い、誰が正しい正しくないの話ではなく、「自分の信念を貫けるか」にかかっている。
 また、チャンスが到来した時にそのチャンスをものにできるよう、常に自分を磨き続けることの重要性を再認識した。つまり、チャンスが到来した時に、チャンスをものにできる「状態」を維持するということだ。健康、経済力、仕事の能力等々枚挙に暇はないが、要は、普段から自分を高めるということだ。
 「人と会うこと」は、心の栄養になることが多い。「人間力」とは、「人の間の力」とO氏は言う。「人」は面白い。

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ジタバタしなくてよかった...煽るのはもっとよくない...

製造業界の不満爆発で大逆転
IFRSの強制適用を先送り
(「週刊ダイヤモンド」編集部 池田光史様)
 自見金融相は6月21日、2014年度からのIFRS強制適用を見送ると正式に発表した
 「2014年度からの強制適用はしません」
 日本ではもはや“既定路線”と見られていたIFRS(国際会計基準)の強制適用が見送られ、大きな波紋を呼んでいる。6月初旬、来日していたIFRSの総本山、IASB(国際会計基準審議会)のデービッド・トゥイーディー議長に対し、自見庄三郎金融相がそう断言したというのだ。
 あわてたのは金融庁の幹部たち。それもそのはずで、すでに09年6月に公表した企業会計審議会中間報告において強制適用の可能性を盛り込んでいたし、実際には今年度中に判断、3年間の準備期間を経た14年度から強制適用するつもりで動いてきたからだ。
 形勢が逆転した最大の要因は、米国のスタンスが一転したことだ。08年には、米国も14年からIFRSを段階適用していくことを打ち出していたが、今年2月には適用開始時期を1年延長、5月には米国会計基準も残す案を示し、「明らかにIFRS適用から後退した」(大手監査法人幹部)からだ。
 これを足がかりに勢いづいたのが、強制適用に反対する製造業を中心とした産業界。反対派の急先鋒と見なされている佐藤行弘・三菱電機常任顧問がまとめ、金融相や経済産業相らに提出した要望書には、新日本製鐵やトヨタ自動車、キヤノンといった大手製造業の名がズラリと並ぶ。
 さらには日本経済団体連合会企業会計部会長でIFRS推進派の島崎憲明・住友商事顧問がそのポストからはずれたことも「反対派に追い風となった」(関係者)。
 加えて、「国民新党の自見さんは、時価会計のIFRSを小泉・竹中路線の一環だと思っているフシがある」(政府筋)。こうした政治的な思惑も重なり、震災の影響を口実に突如、“反IFRS”に舵を切ったというわけだ。
 確かに産業界からは、かねて金融庁の強引なやり方に対する不満の声が上がってはいた。IASBの理事ポストを1席得ていた金融庁は、「なんとしてもポストを死守するために強制適用を実現したかった」(金融庁関係者)。
 前出の佐藤氏も、「米国でもどの項目を近づけるか見直しが進むなか、日本ではまだ議論が十分なされたとはいえず、14年度からの強制適用など間に合うはずがない」と強調する。
 金融庁は月内にも企業会計審議会を開催、IFRSを強制適用する場合でも5~7年の移行期間を設ける方針。だが見誤ってはならないのは、IFRSをめぐる欧米の駆け引きだ。仮に米国がIFRS適用を見送っても、米国基準がIFRSと同様“世界基準”に位置づけられるのは間違いない。
 だが、日本は違う。市場は日本基準のまま開示する企業を“二軍”と見なす可能性が高く、引き続き欧米の動きを注視することが求められる。

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スタンバイ & いつでもできること

 「いざその時(=チャンス到来)」の力となるのは、心身ともに健康と基礎的知識である。ある意味、受験対策と同じかもしれない。変に応用問題ばかり手を出して基本がおろそかになれば合格できない。「食」や「情報」に関して言えば、世の中には、安かろう悪かろうのものが氾濫しすぎである。そんなものにはお金を出したくない。
 というわけで、「なるべく」、自炊と運動を心がけている。特に週末はコントロールしやすいので、自炊と運動。昨日から夜の30分のウォーキングを始め、今日で2日目だ。いつでもできることを、いつもやり続けるのは、自分との闘いである。最近つくづく思うのは、あらゆる事象が結局は「自分との闘い」に収斂していくということだ。っていうか、そうなる生き方を選んだのだから、当たり前なのかもしれないが。

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どんどん捨てろ。

 中学生の頃の情報収集手段としてお世話になった「Hot-Dog PRESS」。主にファッションに関する情報を仕入れていたのだが、一方で、北方謙三さんの「青春相談 試みの地平線」も楽しませて頂いた。とにかく、相談してくる悩みと、その悩みに対するアドバイスがしびれるのだ。時には、そのアドバイスを受けた相談者はさらに悩んでしまうのではないだろうか、と思われるようなアドバイスもあったものだ。
 さて、以前からやろうと思っていたことを、BOOK OFFさんの力も借りて本日遂行した。北方謙三さんから「どんどん捨てろ。」とのお告げがあったかのように。本はどんどん陳腐化する。特に専門書はしかり。ずっと持っていても意味がない。辞書的に使える本やバイブル的な位置付けの本なら持っている価値はあるだろうが、それ以外のものはさっさと処分してしまった方が良い。大体、本を買う時は、絶対に必要だからその本を買うことよりも、興味本位で買う事の方が多い。だとしたら、興味心を満たしたならば、エッセンスをノートにメモするなどした後に、その本を処分するのが良いだろう。
 自分の場合、本購入の出費は惜しまないのだが、それにしても、財布の紐が緩すぎたことを反省している。「もっと自分の頭で考えないと。」と感じている。本以外のモノに関してもしかりだった。必要なもの、使用頻度の高い物は、もう決まっている。自分の趣向は十分知りつくしている。体の肉もモノもリストラが必要であり、これからどんどんリストラをしていくつもりだ。

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30%以上の共感があればよい。

 ある程度長い期間人と付き合っていると、その人の良いも悪いも見えてくるものだ。出会った当初はお互いに緊張し、気を遣い、一定の距離を保とうとする。ところが、時の経過に伴い、いい意味でも悪い意味でも、「慣れて」しまうのだ。「慣れ」は、時として「甘え」に繋がる。「甘え」が絶対に悪いとは言わない。時として甘えられるのもいいものだし、自分だってどれだけ人に甘えてきたか。ただ、「甘え」が度を超すと、人間関係がぎこちなくなってくる。ぎこちなくなって耐えられなくなった人間関係は、いずれ終わるし、終わりにすればよい。
 この点、最近の気付きは、「商売」が絡んでくるとそうはいかない、というか、そう悪くもないということだ。商売上もプライベート上も長年付き合っていると、お互いに、自分の状態によって「甘え」が見え隠れするものだが、ある一時ぎこちなくなったとしても、修復されることが多い。これは、お互いに、商売上の微妙な計算をしているからに他ならない。ただ、それは決してドライなものではなく、自分のしでかしたことに自ら気付き、反省し、修復することを「選択」したということだ。
 これまでの記事で、善い悪いの二元論で物事を判断することの危険性について述べてきたが、人間力に関する師匠O氏によれば、「人間関係において、30%の共通点・共感があれば、よしとしようではないか。」ということだ。その通りだと思う。それ以上を求めるのは人に期待しすぎであり、ろくなことにならない。独立すると、この辺のことが非常に勉強になる。

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人と仕事をするということ

 独立前は営業などしたことがなく、ひたすら実務の遂行だった。その後独立し、なんと、ベトナムという異国の地で営業をすることになった。思えば、この異国の地での経験が今の自分には大きい。そりゃあ、営業をしてすぐ仕事に繋がれば嬉しいが、そういうケースはごく稀だ。
 そんなことよりも、「営業」を単なる受注ルート開拓と考えない方が良いように思える。私なりに考えているのは、「営業」は、「人と会って話をすることにより、その時間と情報を共有し、結果として仕事があれば、嬉しさはひとしお。」ということを経験することだ。大学生の時、就職活動中の先輩の女性が、「就職活動は楽しい。」と仰っていたのが印象的だ。その先輩は結果的に超優良企業に就職した。その先輩の就職活動に対するそのようなスタンスが良い結果を生んだのではないだろうか。一方、「ナイト・セールスで~す!」などと言って夜にマンションなどの営業をしてくる営業マンが世の中にはいる。どこかで名簿を手に入れ、数で勝負しようとしている方々だろう。悲しくなる。
 さて、嬉しいことに、久々に以前いた会社の上司とお会いしたのだが、まず嬉しいのは、辞めていった者に対しt、お忙しい中時間を割き、会って話をしてくれたということだ。会ってくれた理由は本人にしか分からないが、以前一定期間一緒に仕事をしていたことが理由であることは否定できないだろう。1時間半も話をさせて頂いたが、なんとも嬉しい限りである。今日のこの出来事ひとつとってみても、「仕事」とは、非常に奥の深いものである。

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覚悟と行動

 ここ2ヶ月ほど、遠洋漁業のようなスタイルの仕事をしていたため、生活スタイルも画一化し、思考が停止していた。Blogを書く時間自体はあったのだが、どうもBlogを書く気分にならなかった。思考停止で「思うところ」がないのだから、やむを得ないと言えばやむを得ない。ようやくほぼリリースとなったが、気が付けば暑い夏となっている。今週は、午前中は客先にいることが多いのだが、移動だけでも体力が消耗するくらい暑い。例年の6月はこんなに暑かっただろうか。電力の需給が気になるところだ。
 思考停止していたと言っても、潜在的には思考していた。2ヶ月の遠洋漁業の生活スタイルとはいえ、そんな生活の中でも様々なことが起こった。つくづく実感したのは、公認会計士を取り巻く外部環境の変化の速さだ。10年くらい会計士をやっているが、新人の時はもっと牧歌的で変化のスピードは今よりも遅かった。ところが、特にここ3年の変化のスピードは尋常ではない。安心して乗っかっていられるものなどない。自然現象に例えれば、それまで何十年も氷河たりえた山の氷河が、気温の上昇により溶けだし、もはや氷河たりえなくなったかのようだ。溶けだした氷河の上にずっと座っていたのでは、氷河がいずれ溶けてクレバスに落っこちてしまう。我々の仕事は、クライアントの状況に左右される。平たく言えば、クライアントが儲かっていれば我々も潤うが、クライアントが厳しい状況にある場合は、我々も厳しい状況になる。最悪のケースでは、その仕事を失うことにもなる。
 以上から、もはや今後は、外部環境は刻々と変化するのだから、現時点では好調な商売も、またたく間にコモディティ化する。もう時代が違うのである。「北の国から」で大金を失った黒板五郎が言っていた。「すっかり忘れていた大きなものを俺は見つけた。金があれば金で解決する。しかし、金がなければ、知恵だけが頼りだ。知恵とてめえのパワーと。」と。なんとたくましく大きな男だろう。彼の言うことは、まさに現在の状況に当てはまる。今後生きていくためには、常に自分の知恵とパワーを頼りにしながら、自分を磨いていくことでしか対応できない。この覚悟と、具体的な行動ができるか。要は自分との闘いである。この自分との闘いに勝つか負けるかは、要は諦めるか諦めないかだ。これは善い悪いの二元論ではない。どちらでもよい。負けたのなら、負けた自分を受け入れ、「負けた」ということを重々認識の上、新たな道を模索すればよい。ただ、どうせなら勝ちたいものだ。自分との「いい」闘いをするため、心身ともに健康に配慮し、闘っていきたいものだ。
 さて、今日も朝から暑いが、これから客先に出向くこととしよう。

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いい言葉①

 『行き詰まるから、新しいことができる。』
その通りかもしれない。ある先輩会計士S氏も、ある意味同様のことを仰っていたのを思い出した。不退転の決意で、崖っぷちに立てば、そこから脱するしかない。秋元康氏は、「壁は乗り越えるのではなく、壁に沿って走り続けろ。」と仰っていた。
行き詰まりはチャンスだ。

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Dream a little dream of me

 JAZZピアノの演奏技術習得に奮闘している。結局のところ、Codeを知っているかどうかだ。あとは、音の押さえ方のセンスだろうか。とりあえず、楽譜を見ないで、気に入った曲を繰り返し何度も何度も聴いて、自分の耳を基にCodeを探るのだ。夜中に練習することが多いのだが、Code進行に行き詰ると、殊のほかストレスが溜まる。夜中にそんなことをやっているのだから、暗いと言えば暗い。しかし、いつか、どこかのラウンジで演奏することを夢見て。
最近ハマっている曲は「Dream a little dream of me」です。PianoとVocalの主は、おそらくSingaporianの子供だと思うが、センスがよいのにびっくり。
歌詞も↓。
Stars shining bright above you
Night breezes seem to whisper I love you
Birds singing in the sycamore tree
Dream a little dream of me
Say nighty night and kiss me
Just hold me tight and tell me you’ll miss me
While I’m alone and blue as can be
Dream a little dream of me
Stars fading but I linger on dear
Still craving your kiss
I’m longing to linger til dawn dear
Just saying this
Sweet dreams til sunbeams find you
Sweet dreams that leave our worries behind
But in your dreams whatever they be
Dream a little dream of me
Sweet dreams til sunbeams find you
Sweet dreams that leave our worries behind
But in your dreams whatever they be
Dream a little dream of me

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わかってしまうこと。

 人間は分かりやすい。一見するとムズカシイ人もいるが、その言動の意味を素直に捉えてみれば、分かってしまう。人は自分が安定していなくてイライラする時、何かターゲットを見つけてそのターゲットを攻撃することがある。ターゲットが「自分」の場合もあるし、「他人」の場合もある。「お陰様」「そういえば自分も・・・。」という気持ちがあれば、人を攻撃しないはずなのに。。。わかってしまうのである。
 自分の周りでも、やはり大震災の影響なのか、イライラしている人が多いと感じている。イライラすると、やはりはけ口が欲しいのでしょう、なんだか感じの悪くなる人がいる。要は気性に波のある状態である。自分は肩肘張っていないつもりで、どんな組織(2人以上の集団)に属しても同じキャラクターになる。そのせいなのか、良いも悪いも、周りの人たちは素直に感情を吐露して「くれる」人たちが多い。いちいち気にしていないのだが、その都度思うのは、「あぁ、何かにイライラしているのだな・・・。」ということだ。「ゲーム理論」における一種の「ゲーム」をやっているのだ。その「ゲーム」には「カモ」が必要だから。わかってしまうのである。
 そういう場合は、全否定をせず、肯定もしないのが一番だ。のらりくらりと。

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『不安』に気付き、『不安』と向き合う

 東日本大震災発生から2ヶ月が経過した。原発事故解決のPLANが発表された矢先に、第1号機におけるメルトダウン、作業員の死亡等、ネガティブな事象が発生している。身近な例では、体調を崩している方が結構いる。咳がひどい人、胃腸の調子がよくない人、いらいらしている人。いずれも、何らかのストレスが影響していることは間違いないだろう。そういう私自身も、気を抜くと過食気味になっている。特に甘いものやこってりしたものが食べたくなる。
 ストレスは『不安』につながると言っても過言ではないだろう。上のイラストのように、頭を抱え込むほど『不安』が顕在化している場合もあれば、無意識の『不安』がある場合がある。私はたまに愚問をする。知り合いと話をしている時に、「いま何か『不安』なことはある?」と。世間一般の『不安』要素を素直に答える人もいれば、意外と多いのが、「いや~、別に『不安』はないかな~。」という答えだ。
 そういう自分は、仕事の関係で最近は規則正しい生活を送っており、『不安』を感じない時間が多かった。その仕事に取り掛かる前は結構『不安』にやられていたのだが、いまはそうではない。不思議に思ってちょっと考えてみたのだが、『環境』がそうさせているということが分かった。ほぼ思考停止となっているのだ。環境はやはり重要である。独立開業をすると、ある意味、『不安』と一生ともにしなければならない。それは言いかえれば「生きているということの実感」なのであるが、あまり色々と考えてしまうと委縮する。動きが鈍くなる。やってできないこともない事でも、やれなくなってしまう。
そういえば、
①寝起きが悪い
②行動に移るまでのアイドリングが長い
③集中力が持続しない
といった現象は、すべて『不安』からきているのではないか、という気付きもあった。しかもその『不安』は、まだ顕在化していない、未来に関する『不安』なのであるから、たちが悪い。何か解決しなければならない事件が起こり、それに関して『不安』な場合は、むしろ自然にモチベーションが上がり、自然に行動に移るものだ。そういう時の方が、解決に向けて頭が回り、行動力があるものだ。間違いない。
 そうすると、未来のことに関する漠然とした『不安』は、考えても仕方がないし、考えない方がよいという結論に至る。あれこれ思い悩む前に、一歩を踏み出すことが大事だ。一歩を踏み出してしまえば、クリアできるはずだ。

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Debussy, Claude Achille

 高校生の頃から大好きなドビュッシー。「月の光」がどうしても弾きたくて、数ヶ月かけて独学で練習し、弾けるようになった。心を込めて弾く月の光に、自分で弾いて自分で涙したこともあった。ところで、ドビュッシーの音楽は大好きだが、ドビュッシーの人となりは全く知らなかったことに気付いた。たまたま、いつも参加させて頂いているO氏のクラシック音楽講座でドビュッシーを取り上げると言うので、参加させて頂いた。時代背景、女性遍歴とともに、かなり勉強になった。ますます好きになりそうだ。
 1862年フランスの サン=ジェルマン=アン=レにて商家の長男として生まれた。家系に音楽家はなく、音楽教育は9歳の時(1871年)にポール・ヴェルレーヌの義母モテ・ド・フルールヴィル夫人から本格的に始まった。翌1872年、彼が10歳の時にパリ音楽院への入学が許され、13歳のころにはピアノコンクールで一等賞を獲るなど頭角を現す。1880年(18歳時)、パリ音楽院のピアノ伴奏クラスで一等賞を獲得し、チャイコフスキーのパトロンでもあったメック夫人のピアノ伴奏者となる。さらに声楽家モロー=サンティ夫人の伴奏者となり、さらにヴァニエ夫人と知り合って、一般教養や文学、歌曲に対し多大な影響を受ける。1884年22歳の時にカンタータ「放蕩息子」がローマ大賞を獲得し、翌1885年(23歳時)にイタリアへ留学。しかし、そこでの生活に飽きたために2年で帰国。
 その後次第に象徴派の詩人たちとの交流が深まる。1889年(27歳)、パリ万国博覧会で東洋の音楽に接し、衝撃を受ける。1894年「牧神の午後への前奏曲」を完成させ、印象派の扉を開く。1905年(43歳)、リリー・ドビュッシーと離婚し銀行家夫人エマ・バルダックと同棲、愛娘クロード=エマ(シューシュー)誕生。 1914年7月、第一次世界大戦勃発。1915年(53歳)、癌の手術を受ける。1918年3月25日(55歳)、直腸癌のため死去。11月に第一次世界大戦終結。
 ドビュッシーの音楽は、古い伝統的なスタイルの殻を破り、自由に光と影が綾なす色彩に音楽を開放した。このことは伝統的な、すなわちドイツからの影響を受けたものとは相反することとなった。次第にワーグナーに敵対心を持つようになり、後年勃発した第一次世界大戦により、彼のドイツ嫌いは決定的となった。1911年(49歳)にストラヴィンスキーに出会い、彼を含め後世に多大な影響を与え、今では現代音楽の始祖と呼ばれることを不動のものにしている。

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南会津で思う

 山肌にはまだ雪が残る南会津。なんとものどかな風景。ここがあの福島とは思えないのだから、なんとも複雑な心境である。
 本日は、車の愛好家達と、この南会津で農業を営んでいる同じく愛好家Iさんの自宅を訪ねた。5:00AMに蓮田SA(下)で待ち合わせだ。本来は5月1日の予定だったそうだが、あいにくその日は天候に恵まれず、本日になった。9:00PMには眠りにつき、2:30AMに起床した。自宅から蓮田SA(下)までは30分強。少し早めに起きたので、家事を一通り済ませた。
 愛好家の皆さんとツーリングに行くのは正月以来だ。最近は仕事が立て込んでおり、リラックスする機会がなかったので、とてもよい機会だ。なにより、愛好家の皆さんと車談義をしたり、冗談を言いながら過ごすのは楽しい。愛好家のみなさんには、いわゆる「一人親方」のような方が多く、多くを語らずとも勉強になることは多い。Iさん宅に到着すると、ありがたいことに、既にバーベキューの準備がしてあった。マトン、地元特製のタレ、地元の野菜等々。残念ながらビールは飲めないが、とにかくおいしくいただいた。
 思えば、ここは福島県。とくに被害のひどい浜通りとは状況が全く違い、のどかだ。どのように表現して良いかわからないが、この差は何なのだろうか。
 いずれにせよ、本日はリラックスさせて頂いた。ありがとうございました。

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自分を磨く

 以前の記事で、お世話になっている美容師Kについて書いた。本日もその美容師Kさんに髪を切ってもらった。予約時刻よりもかなり早めに行くと、Kさんはエクササイズをしていた。本当は走りたいのだが、日中は仕事があって走れないので、仕事場でエクササイズしているという。とにかくストイックな方だ。
 ところで、その美容室に行くと、なんとも懐かしいドラマを放映していた。なんと「積木くずし」だ。小学生の頃に観たきりだが、当時恐怖を感じたドラマの一つだ。恐ろしくて仕方がなかった。そして、美容師Kさんは元暴走族だ。本人曰く、悪事をやり尽くし、その挙句誰からも注目を浴びなくなったため、つまらなくなってまともな世界に戻ったそうだ。
 Kさんはとにかく自分に厳しい。20歳代で独立開業してかれこれ20年以上になるので、独立開業した個人事業主の大先輩だ。Kさん曰く「これまでに空気を読んだことはない。やりたいようにやってきた。その代わり、誰かに頼った事はなく、また、他人から付け込まれないよう、ストイックにやってきた。」と。「Kさんはほんと自分に厳しいですね~。」という私の言葉に対して、「え~、そうかな~。」と言うのだから、Kさん御本人にとっては「当たり前」のことなのであろう。
 自分でもよくわかっているが、自分はまだまだスキだらけだ。仕事に関しては、コラボレーションはあるとしても、意識的にも無意識的にも、「頼る気持ち」を一切持たないことに決めた。Kさんは「独立した以上、ライオンであり続けなきゃ意味ないよ。王様だよ、王様。」と言う。確かに、それくらいの気持ちでないと、独立は成功しないだろう。気持ちを新たにしたひとときだった。

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桜から学ぶ

 やっとこの地に来ることができた。やっとこの目で見ることができた。被災地の中でもあまり注目されないが、相当程度の被害のあったM市。瓦が落ち屋根がブルーシートで覆われた住宅が散見され、補修済みとはいえ道路の陥没が甚だしい。昔通った幼稚園の教会の塔は無くなっていた。3月11日の凄さが伝わってくる。
 M市は比較的北に位置するので、東京よりも桜の開花が遅い。昨日NHKでM市で桜が開花したというニュースがあったので、どうしてもこの目で見たいと思っていた。両親を誘い、見に行った。そこは「桜川」という名の川沿いの土手だ。とにかく素晴らしい桜だった。涙がにじむ。震災があって人々の心が落ち込んでも、時期が来れば桜は咲く。自然は立派だ。
 そんな桜から、どんな状況にあってもやるべきことを淡々とやる強さを学びたい。

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当たり前のことから生まれる何か

 お恥ずかしいことに、4月8日に歯医者を予約していたにもかかわらずすっかり忘れてしまい、本日改めて予約を取り歯医者へ行った。いつもお忙しい院長先生に担当して頂いているので、心から申し訳なく思い、治療の前に心から謝罪の気持ちを伝えた。
 すると、院長先生は「ああ、いいんですよ~。」と言って、いつもどおり治療に取り掛かった。というか、いつも以上に丁寧に治療をして下さった。席をちょっと離れた際にたまたま院長先生の顔が見えたのだが、真剣そのものだ。
 こんな日常の出来事なのだが、心がすっと楽になった。おそらくだが、心からの謝罪が院長先生の心に届き、院長先生のモチベーションがいつもよりも上がったのだろう。つまり、「ストローク」ができたのだ。「ありがとう」「ごめんなさい」は当たり前のことなのだが、日々できているとは限らない。忘れてしまったり、何かがひっかかってできないことがある。その結果、人間関係に歪みに生じることがある。逆に、その当たり前のことができていれば、人間関係は良好であるだろう。そんなことを学んだ一日だった。

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海の恵み

 今週は期日の迫った仕事がない。そして天気が良い。思い切ってOFFにし、大磯へ向かった。目的地は大磯プリンスホテル。大学生の時の自分には高根の花だったが、主にデフレの影響や競争激化等で経営が厳しくなったのだろう、非常にお手頃なプランがあることを発見したのだ。しかし天下の「プリンス」であることには変わりはない。
 とにかく「ゴロゴロ」することに決めていた。昼間から酒を飲むことに決めていた。DVDや本をたくさん持ってきた。オーシャン・ビューの部屋から見る海は格別だ。思えば、震災直後は仕事の予定が詰まっていたので考え込む暇などなかったが、仕事が一段落した3月末頃から、どうも気持ちが冴えなかった。割りたガラスのように、心が散乱している感覚があったのだ。
 そんな時は、海を見に行くとよい。海が大きく包んでくれるに違いない。

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宮城出身お笑い芸人座談会 x 東京都知事選 x K市

 日曜日だというのに今朝は早起きだ。7時の目覚ましで一発で起床。仕事のアポがない限りなかなか難しい起床時間だ。しかし、今日はK市になるべく早く行きたい用事がある。その前に東京都知事選がある。選挙は7時から開始なので、現実的な7時に起床することにした。
 その前に、朝食を摂りながらテレビをつけると、「伊達みきお x 富澤たけし x 狩野英孝」という宮城出身者による座談会の番組がやっていた。まず思ったのが、やはり、大震災のl現場を経験している本人の言葉は、そうでない人の言葉よりも相当説得力があるということだ。素晴らしいと思った。なお、「自粛」については、節電等無駄遣いをしない「自粛」なら分かるが、それ以外の事は自粛というのだろうか?どうなんだろうね(精神論でも困るよね)、といった旨の事を言っていたのが印象的であった。
 いずれにせよ、どんな小さなことでもよいから、自分ができること・するべきことを、自分でしっかりやっていくことが大切だと改めて思った。

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歌の力

 Nコンの季節になった。10月の全国大会に向けて、日本全国の学校の合唱部が動き始める。小中高のカテゴリーがあるが、私は「課題曲」を基準にどのカテゴリーに応募するかを決める。昨年は、大塚愛作曲の「I ♥ ×××」が気に入り、「中学校の部」の全国大会を聴いた。今年は「高等学校の部」だ。銀色夏生作詞、上田真樹作曲の「僕が守る」に感動したからだ。
 一見クサい歌詞のように思えるが、何度も何度も聴いていると、東日本大震災に怯えるがいつか立ち直るであろう日本国・日本国民の姿と重なり、胸が熱くなったのだ。私には幼い頃のおぼろげな記憶がある。古き佳き日本の風景だ。現代よりも喜怒哀楽が激しく、他人同士でも喜怒哀楽をぶつけ、しかしながら思いやりのある社会だった。今が悪くて昔が良いなどという二元論ではなく、そんな単純な話ではないが、いずれにせよ、この歌を通して、一人でも多くの人が元気になれる、歌の力を信じている。

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桜からの伝言②

 晴天の土曜日。約2週間のモヤモヤを発散するかのように、銀座は人で溢れていた。人で溢れる銀座はそれはそれでよいのだが、少しまったりしたくなったので日本橋まで歩いた。この桜は日当たりの良かったのだろう。周りの桜よりも目立っていた。日当たりは睡眠のようなもの。御日様は大事なのである。

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桜からの伝言①

 飯田橋の某病院の帰りに、お濠沿いを歩いてみた。まもなく桜が開花しようとしている。石原都知事によれば「花見を自粛せよ。」とのことであり、その趣旨は分かるが、それはそれとして、やはり桜の開花には毎年奥深い何かを感じている。
 以前の記事で、故宮崎亦保禅師が仰っていたことを思い出す。人間には「頭」「心」があるので、シンプルに生きることは難しい。ある一時の感情によって、その後の行動が変わってしまうことがある。一方、自然はいつも淡々としている。写真の桜のように、時が来れば花を開き、自然界に彩りを添える。
 実は本日、事務所に同居している会計士に震災後初めて会った。2週間以上会っていなかったので、色々と話をしたが、それぞれ様々な思いがあることが分かった。会計士の中には、被災地で仕事をしている人もいる。我々東京在住の人間にとっては、被災地の状況は、おそらく想像を超えているのだろう。口では「被災地を支援したい。」とか簡単に言うことができるが、実際に行動するとなると、半端な気持ちではむしろ迷惑になる。
 今後とも、どのように活動していくかについては、冷静に考えていかねばならない。

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今後の商売をいかに進めていくか

 3月11日の大震災で、左写真の熊手が落っこちてしまった。俵が取れてしまい泣きそうになったが、何とかもとに位置にくっつけた。この熊手は、神社の教えに従い、元々は、南で人が行き来しない場所である本棚の上に設置していたのだが、最近は国内出張・海外出張が続いたので、また落ちると困るから、しばらくは設置しないでおいた。そして本日、改めて設置し、「二礼二拍手一礼」を行った。
 昨日は例の美容室に行き、美容師と話をしたが、彼の知り合いの飲食店(東京)では、既に大震災の影響が出始めているという。水や食材が手に入りにくくなっているし、客も少なくなっているしで、厳しい状況のようだ。当の美容室については大震災の影響はないとのことであるが、いずれにせよ、日本経済に何らかの変化があることは間違いがなさそうだ。
 となると、我々公認会計士業界にも影響がないわけがない。そして、私にとっても影響がないわけがない。事実、本日開催予定であったセミナーが中止になり(主催者O様へ:事実を記載しただけであり、気にしているわけでない旨ご了承ください)、外国人クライアントは一時的に国外に行ってしまった。今後も何らかの影響があるかもしれない。しかし、私は悲観をしていない。状況が変わったら、状況が変わったなりの活動をすべきであり、どのように活動すべきかは、自分自身が自分の頭で考えるべきだ。
 商売とはそういうものなのではないだろうか。

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豊かさとは何か

 先週は出張で上海に滞在していた。当然のことながら、朝から夕方までは仕事である。3日間と限られた日程の中で一定の成果をあげなければならない。適度の緊張感をもって仕事の方は無事終えることができた。
 仕事後、一度は見てみたかった外灘に行った。上海の象徴のような場所だ。上海万博を契機に歩道等が整備され、景色を眺めながらゆっくりと歩くことができる。写真は川の対岸の浦東だ。外灘にはクラシックな建物が多いのに比べ、対岸の浦東は近代的だ。街には西側諸国にあるようなあらゆる店があり、大都会だ。特に、女性のファション・メイクは、多少微妙だが、悪くない。たまたま知人が上海に帰国していたので現地で会うことができたのだが、そこには現地のその知人の友人も来ており、言葉が通じないながらも、その場の雰囲気を共有することができた。中でも、職業がOLという女性は、モノグラムのバッグを持ち、マント風の素敵なコートを身にまとい、メイクも自然な感じで、まさにOLを謳歌している感じであった。
 さて、以前行き来していたベトナムやその何歩も先を行く中国の街並や人々を見ていて思うのは、「豊かさとは何か」ということだ。私自身、今よりも若い頃は物欲のかたまりであった。特に社会人になってからは、散々欲しい物を買ってはまた違うものが欲しくなる、ということの繰り返しであった。雑誌でおいしい店を見つけては食べに行き、の繰り返しなど。つい最近までこれらのことを否定していたのだが、「否定しても意味がない」ということに今回気付いた。というのも、日本人全体を見ても、昔は「モノ」によりもたらされる豊かさを享受し、それがモチベーションになって、ここまで成長を遂げた。中には「モノからは真の豊かさは得られない。」と達観した人間もいるだろうが、通常は、やはり、「モノから豊かさを得ようとうする過程」をまずは経験しないと、その境地に行けないのではなかろうか。私自身も、散々散在したことがあったから、真の豊かさについて考えるようになった。
 気が付けば、「真の豊かさ」についての考察が甘かったようだ。「モノから得られる豊かさ」を否定する必要はなかったのだ。ここで自惚れていた自分を反省しよう。

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クララの気持ち~アルプスの少女ハイジ~

 TOKYO MXテレビで「アルプスの少女ハイジ」の再放送をやっている。たまに観ているのだが、アルプスの少女ハイジの1話1話は実に奥が深いということが分かった。山で暮らす少女の単なる描写ではない。番組の中で、どこそこに行く、誰誰に会う、というのは単なる入口に過ぎず、その時々でその日のメインキャストがどのような想いであったか、どのような気付きがあったのか、ということを伝えているのだ。
 本日のハイジでは、話の入り口は、クララが、ハイジとペーターと山の棚岩に行くというものであった。もちろんそこにもドラマがあるのだが、本日一番のドラマは、最後の頃、クララがハイジとペーターのおばあさんに会いに行った時の話であった。ペーターのおばあさんは目が見えないので、クララが本を読み聞かせていたのだが、読後に、おばあさんが、クララに感謝の気持ちを述べたのであった。気持ちがとてもこもっていて、天使の声のようだ、ありがとうと。すると、一瞬クララは暗い顔をして黙ってしまったのだが、それは大きな気付きがあったからだった。
 クララは病気で車いす生活をしていて、普段はたくさんの人に迷惑をかけているという負い目を感じていたのだ。ところが、ここ山の生活では、クララにとってしてみればただ単に本を読み聞かせただけなのに、そのことを褒めてくれ、感謝してくれる人がいる。つまり、クララは、普段は人の世話にばかりなっている自分も、人の役に立てるということに気付いたのである。おばあさんから礼を言われると、クララは涙を流しながら、おばあさんの手を握り、何度も何度も礼を言うのである。
 この大震災がなければ演奏会に出場するはずであった宮城のある中学校の合唱団が、被災者のために歌を歌った。「明日さえあれば生きていける」という主旨の歌詞の歌であったが、その歌を、被災者は涙を流しながら、嗚咽しながら聴き入っていた。
 私には、クララの涙と被災者の涙に何らかの共通点を見出した。生きていると泣けてくることがある。ただ、悲しいとか嬉しいとか唯一の理由から泣けてくるのではないような気がする。ある事象を目の当たりにし、そこに自分の体験を重ね合わせ、泣くような気がする。「共感」とでも言うのだろうか。こんな大変な時こそ涙は美しい。
 そしてもう一つ。「無邪気」というのはハイジのような人間のことを言う。喜怒哀楽に対する100%の感度をもち、人の心の痛みがわかり、思いやりがある人間のことを言う。一方、成人の中にも、一見すると「無邪気」だなどと言われる人間もいるが、それは嘘であろう。いい意味でも悪い意味でも、成人してから無邪気でいられるわけがない。一見して「無邪気」とは、単なる「じゃじゃ馬」である可能性が高いので、その点に留意が必要である。

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人のやさしさ

 巨大地震後は都内もガソリンが不足している。巨大地震前に車に乗った際、「また乗る時にガソリンを入れればいいや。」ということでガソリンが10ℓ程度のままにしておいたのだが、今後いつ車が必要になるかわからない。電車がストップしたがどうしても実家に帰らなければならない場合等に備え、とりあえずはガソリンを入れておいた方が無難であろうと判断した。ネットで給油可能なGSを探しまくり、何とか探し当てたので、急行した。
 案の定、大行列ができていた。並んでからガソリンを入れるまで1時間くらい待っただろう。この非常時に乗るような車ではなく、人によっては非国民と思ったかもしれないが、私はこれ以外に車はない。趣味の車であるが唯一の足でもある。しょうがない。本日は日差しが強かった。オープンにしていたので、日差しのせいでフラフラしてきた。水分を取ろうと、沿道の店に駆け込んで急いで飲み物を買った。店の方はかなり協力的に接してくれたのがうれしかった。
 またしばらく待っていると、小さい女の子の手を引いた男性が話しかけてきた。「GSはもうすぐだよ。満タンOKみたいだから、心配しなくていいよ。」と。なんとも優しいお言葉。こういう時は、ちょっとした一言がうれしい。

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厭世的思考になってはならぬ!

 先週・今週と出張で浜松に行っていたが、昨日ようやく東京に戻ってきた。忘れもしない3月11日(金)の昼過ぎ。浜松も船酔いをするような長い揺れが続いたので違和感を感じていたところ、東北地方・関東地方で大変なことになっていた。先週は関東地方の被災県にある実家の家族に1日に何度も連絡し、当地の状況、家族の状況を事細かに把握した。実家の家族とは離れて暮らしているが、できる限りのサポートをすることを誓った。
 さて、現在の大変な時期においても、思わず口を滑らしてしまう人、当局等を批判するだけの人、火事場泥棒等々、残念な方々がいるのは事実だ。また、インターネット等ではいわゆる「正しくない情報」が流れているようだ。腹立たしくなるが、腹を立てていてもしょうがない。現在最も重要なのは、被害を食い止めること、被害者を救うこと、復興することだ。この数日間だけでも感動したことはたくさんある。日本は凄い国だと思うので、必ず復興する。これまでの歴史が証明している。大きな災難と言えば、関東大震災、第二次世界大戦、広島・長崎の原爆、阪神淡路大震災等々あるが、全て復興してきている。以下、ここ数日で感動したことを記載しておく。
①見ず知らずの人との会話が増えた
②世の中が節電ムードになった
③人々が駅で文句を言わず黙々と階段をのぼっている
④原子力発電所で危険な作業をしてくださる英雄が日本にいる
⑤自衛隊・警察・消防の方々も英雄だ
⑥世界各国の支援がある
⑦米国の投資家は日本の復興を信じていると言っていた
⑧(ストレスは計り知れないが)社会が一定の秩序を保っている
⑨友人らと連絡を取り合う機会が増え互いに安否を気遣っている
⑩赤ん坊の甥がすくすくと育っている
⑪こんな状況でも責任感を持って仕事をしている人達がたくさんいる
⑫電車・高速道路等が復活し始めている
⑬これまで顕在化していなかった日々の絆が目に見える
⑭日本人は悪く言えば自己主張しないが耐え忍ぶ強い国民だ
 シンガポールの友人が「Please take care of yourself and always keep thinking positive.」という心強いメールをくれた。今目の前で起こっている「不幸」は、今現在は「不幸」かもしれない。しかし、数々の「副産物」があることを忘れてはいけない。不幸を乗り越えたものにだけ与えられる「強さ」、「思いやり」、「人の心の痛みが分かる敏感な心」がある。「家族」との絆も再認識できるだろう。今現在は日本にとって「不幸」だが、将来的にはよりよい日本になるための「試練」であったと思える日が必ず来る。そう信じて、笑える時は笑って、毎日を大切に生きていこう。

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命あってこそ

 一昨日「家族の存在」という記事を書いた矢先、本日午後の東北地方太平洋沖地震により、危うい状況が続いている。私は出張で静岡県浜松市にいたため(帰京できず現在も浜松市滞在中)、関東地方ほどの地震の強さではなかったが、テレビで見る限り、関東地方では想像を絶する強い地震があったことが分かった。家族に何度も何度も電話をかけてやっと繋がったので話をしたところ、屋根の瓦がすべて落ち、壁にはひびが入り、食器は割れ、無残なあり様とのことであった。とはいえ、現時点で無事が確認できたため、ひとまずはよしとするしかない。
 現在も予断を許さない状況であり、地震や津波の可能性がある。こんな状況では、日頃の悩みが些細に思え、とにかく、命が無事であってほしいと願うばかりだ。
 「命あってこそ」だ。

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家族の存在

 久々にはまったテレビドラマで、全4話全てが終了した、「四十九日のレシピ」。評価は人それぞれだろうが、私は、この「四十九日のレシピ」が伝えたかったことを大切にしていきたい。
 長く生きれば生きるほど色々なことがある。まさに山あり谷ありだ。また、時には人の心を傷つけてしまったり、逆に自分の心が傷つけられたりする。自分が良い状態の時は(なんだかんだ言って)有頂天になり、やがて谷間に落ちて凹む。振り返れば、基本的には、こんなことの繰り返しではなかろうか。
 この点、特に谷の状態にいる時、最終的には自分でしかそこから這い上がることはできない。自分以外の誰かが身代りになってくれたり、埋め合わせをすることはできない。例えば、病気になった時、その病気を誰かが引き受けることはできない。悲しい気持ちを誰かが持ち去ったり埋め合わせをすることはできない。結局は「自分」しかない。しかし、こんな時に拠り所になるのは、「家族の存在」だ。色々な形の家族があるし、表現の仕方も様々だが、家族は自分に「共感」する。自分のことを誰よりも良く分かっているし、これまでに喜怒哀楽を共にしてきた実績があるので、家族が、今目の前にいなくても、支えてくれている。こうした家族の存在が原動力になり、「谷から這い上がろう。」という思いを抱き、具体的行動に移せることがある。
 新しい家族ができれば殊のほか嬉しいし、家族が亡くなれば大いに悲しい。これらの感情は理屈抜きだ。理屈などない。この理屈抜きの存在こそ、「家族」だ。

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流儀~なるべく愚直~

 私の仕事の流儀は、「なるべく愚直」である。「手を抜く」ことは言語道断、「端折る」や「簡略化する」もなるべくしないようにしている。
 そもそも、「会計」とは、説明責任を果たすためのツールである。個人で商売されている方や小さいながらも会社経営をされている方にとって必ず存在する利害関係者は、「税務当局」である。「税務調査」の際には、「税務当局」に対して、適切に「説明」をする必要がある。そして、適切に説明するためには、会計の検証可能性が高い方がよい。検証可能性が高いというのは、第三者が会計帳簿や原始証憑等を見る際に、「分かりやすい」ということである。税務調査官も人間である。彼らにいかに気持ちよく見てもらうかが、税務調査を効率的に遂行する上で非常に重要である。
 この点、私は、領収書を紙に張ったり、紙に2穴を開けたり、インデックスを付けたり、という基本動作に関しても、納得のいくまでやることにしている。紙の端っこがずれていたり、領収書が見にくかったりするようでは、その先の仕事もおそらく何かあるに違いないと考えている。結局のところ、仕事の出来はその人間の基本動作の延長上にあると考えている。ただ単に「愚直」というのでは融通が利かないが、「なるべく愚直」を心がけていれば、「愚直」から離れることはない。

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音楽と料理と休養

 本日は、午前中はドライブ兼お客様対応、15:00からクラシック音楽講座、19:00から友人のバースデイ・パーティという充実した日であった。午前中のお客様は、私の車でお世話になっており、お金を通じて、私は会計・税務サービスを提供し、お客様は私に車に関するサービスを提供するという、まさに物々交換の世界であり、私の思い描くビジネス・モデルの最初の成功事例と言っても過言ではない。
 15:00からのクラシック音楽講座の本日のお題はフランツ・リスト。リストといえば、「愛の夢」や「ラ・カンパネッラ」などの超絶技巧で有名だが、知って驚いたのは、リストは「職業的音楽家」として自立していたということであった。昔々音楽家といえば、貴族のサポートで成り立っていたのだが、講師によれば、リストは自らや他の音楽家のプロデュース能力に殊のほか長けており、晩年の貯蓄額は今でいう2億円超とのことであった。女性関係も色々あったとのことであり、見習うべき点は多い。ちなみに、このクラシック音楽講座の講師の方の会社についても私が税務顧問をさせて頂いており、公私ともにお世話になっている次第である。
 クラシック音楽講座には18:00までたっぷりと浸ったが、その後、19:00からのバースデイ・パーティの準備をした。ある女性が一人で黙々と餃子を作っていらしたので、これはまずいと思い、お手伝いをした。思えば、餃子を作るのは生まれて初めてである。まず、皮の上に具を乗せ、皮の周りを水で湿らせ、襞を作って皮をくっつける。最後に底面を作る。襞を作る加減がよくわからず、自分なりにやってみたところ、「芸術的な襞である。」と褒められたが、見た目はその女性が作った物の方が綺麗だ。いずれにせよ、餃子を作りながら思ったのは、料理をしている最中は無心になるということである。正直言って、今は休んでいる場合ではないくらいTO DOがたくさんある。しかし、自分を休ませることも必要だ。下手をすればエンドレスになるところ、やはり意識的に休養をとる必要がある。むしろ、忙しい時こそ休養を取った方がメリハリがついてよい。そんなことを考えながら餃子を作っていた。パーティも盛り上がり、他の6人の方全員とゆっくり話をすることができた。7人くらいがちょうどよいのかもしれない。
 ふと思った。元々は見ず知らずの人間たちが、何かの目的のために集まり、時間を共有する。いまここにいる人たちは、元々知らない人たちだった。それが、人と人との出会いを通じて知り合った。なんとすばらしいことか。

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幸福論⑥

 「幸福」はいわゆる幸福の顔をしていないことがある。渦中にいるその事象が、その時の自分にとってつらかったり、耳が痛かったり、悔しかったりしたとしても、後になって、「ああ、あの時あの事が起こってよかった。あの事がなければ今頃は・・・。」ということがある。
 子供の頃は、家や学校でガミガミ言われることが多々あるものだが、社会人になるとそのような機会は滅法少なくなる。基本的には、そのような機会はないと思っていた方がよかろう。「もう大人なんだから」ということもあるし、「自分のことは自分で責任をとる」ということが当たり前だからだ。
 この点、私の場合、人間的成長度合云々、言い悪いは別にして、ありがたく「指摘」してくれる方が多い。これまでを振り返れば、家族・先輩方・友人等の数々の「指摘」により成り立ってきたようなものだ。本当に感謝している。というのも、「指摘」する方は決して気分がよいわけではなく、エネルギーを費やしてくれているからだ。
 これも「幸福」の1つだと考えている。

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幸福論⑤

 久々に連続ドラマにはまっている。NHKの「四十九日のレシピ」という全4回のドラマだ。「家族」や「人とのふれあい」を通じで、「幸せ」とは何かを考えさせられる。人間の葛藤、後悔、八方塞の状況からどうやって前に進んでいくかについて、考えさせられる。ちなみに、主演女優の和久井映見さんの演技には目を見張るものがある。1970年生まれの彼女は今年41歳になる。以前から派手さはなく、どちらかというと控え目な印象だが、その卓越した演技力により、悩ましい状況にありながらも、芯のある、魅力的な女性を演じている。涙を流すと涙と一緒に体の有害物質が体外に出されると言われているが、このドラマを観た後は、心身ともに極めてすっきりした状態になる。
 さて、話は変わって、本日は、私の大学のゼミの後輩の会計士N君に仕事を手伝ってもらった。彼とは先月開催されたゼミのOB会で初めて出会い、同じく先月の別の会合で再会し、しばらく話をした。N君は人懐っこいというか、人としっかりと話のできる人間で、初めて出会った時から好印象を持っていた(変な意味ではなく)。直感的に、「こいつならいずれ大成する。」と感じたのだ。というのも、彼は誠実だからだ。小利口な者は結構いるが、誠実な者は多くはないと思う。私の個人的な考えだが、仕事は「愚直」なくらいがちょうどよい、というか、「愚直」であるべきだと考えている。例えば、コピー取り、入力、資料整理等々は単純作業だが、これらの単純作業をしっかりできないようでは、その先の難易度の高い仕事は誠実にはできない。単純作業を誠実にできないのは、「面倒くさい」という心があるからだ。「面倒くさい」という心がある以上、人の心を動かす仕事はできない。この点、N君は入力作業をしっかりこなしたし、不明点等を明らかにしている(いい加減に処理しない)。そして、本日のこうした状況を見ていたN会計士もN君に好印象をもったようだ。
 
 N君には何度か言った。「今はつらい状況かもしれないが、このつらい状況は必ず将来の糧になる。他の合格者でBig4に就職して働いているからといって、それが人生の成功とか幸福に必ずしも直結するわけではない。それよりも、いろんな人に出会い、いろんな経験をし、自分の良さを活かして生きていってください。」と。また、「N君のような方を雇えるよう、私も頑張って稼ぎます(笑)。」とも。
 明日もN君に仕事のお手伝いをお願いしている。

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日本の素晴らしさの一つ~海~

 マリーナのある某ベイサイド。本日はお日柄もよく、ランチの後に散歩をした。ふと海面を見ると、その透明度に驚いた。海の底が見えるのだ。船の行き来も多い。オイルまみれになってもよいはずなのだが、ここの海は素晴らしくきれいだ。
 ソーダ水の中を貨物船が通るような景色であった。

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インタヴュー①

 いつもお世話になっている美容師と、会計について話をした。美容院を経営する彼にとって最も身近な会計は、税務会計と管理会計だ。彼によれば、初めのうちは税務署に教えてもらいながら、今まで2月下旬までには所得税の確定申告書を提出しているとのことである。そもそも、帳簿を毎日付けており、決算時になんら焦ることはないとのこと。それよりも、毎日のように帳簿を付けていないと、どれだけ儲かっているかという損益状況と、今度採るべき行動が読めないので、そもそも自分にとって会計は必要だとのことであった。
 目から鱗であった。身近に、しかも、白色申告の方で、ここまで会計を理解している人がいるとは。さらに彼は言う。「この時期になって帳簿をつけていないと焦るのは、経営者として失格だ。」「自分でやらない・できないくせに、(税理士などの)専門家には金を払いたくない、というのは、おかしいね。商売やめた方がいいね。」と。
 はっきり言って、彼は自分にかなり厳しい方だと思うが、時には、彼の言ったようなことを自分に対してもお客さまに対しても明確にする必要があるかもしれない。「(お客様が)大変だろうからお手伝いする。」という気持ちも必要だが、それだけでは、長い目で見て、お客さまにとっても良くないということだ。自分で事業をやるということは、そういうことだ。本日もいい勉強をさせてもらった。

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弁護士の確定申告

 白色申告の場合の収支内訳書(弁護士用)は平成22年度から廃止となりました。そもそも、収支内訳書(弁護士用)日本全国の統一様式ではなく、東京局でのみ提出が求められていたものでした。
 ちなみに、青色申告の場合はそもそも収支内訳書は提出しません。貸借対照表と損益計算書を提出すれば足ります。
 なお、老婆心ながら、確定申告書・第二表の「所得の内訳(源泉徴収税額)」欄ではスペースが足りない場合は、別途、「所得の内訳書」を提出する必要がありますので、「所得の内訳書」作成に必要なデータをまとめておく必要があります。とはいえ、そのデータは売上を集計している過程で結果的に整理されますので、特に追加的な作業ではありません。

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脱力

 今日は思い切って「休む」と決めた。そんな日に限って自分にとって勉強になるテレビ番組に出会うことができるのだが、今日も例外ではない。4番組連続で見入ることになった。一方で、毎月1回は自分を振り返り、反省する時間を取ろうと決めていたのだが、今日をその日に当てようと考え、反省してみた。
 今年に入ってから、自分なりに精力的に頑張っていたつもりだが、裏を返せば、力が入り過ぎていたようにも思える。力が入るということは、ある意味、現在の自分を受け容れておらず、自分を痛めつけていることにもつながる。自分を痛めつけることは、それは「抑圧」であり、どこかで「歪み」となり、何かが起きることになる。これは私自身に限ったことではなく、世の中の人々すべてに言えることだろう。体調が悪くなったり、情緒不安定になったり、酒に溺れたり等々、様々な何かが起こるはずだ。私の場合は、特に心身に異変が生じたり、酒に溺れることはないのだが、自分の言動を振り返ってみると、日々の生活・仕事・趣味・社交等々で、「ちょっと力が入ってんじゃないのか?」と思えることばかりであった。
 私のメンター的存在であるO氏は言う。「すべては『脱力』だ。」と。最近は仕事のことばかり考えていた。まるで、「仕事のことばかり考えていれば仕事がもっとうまくいく。」とでも勘違いしていたかのように。今思うと怖いことだが、土曜日にクラシック音楽のコンサートに行った際、音楽そのものを楽しんだのは楽しんだのだが、演奏している楽団のビジネスの状況、楽団員達の人間模様、観客の平均年齢等々を考えてしまっている自分がいた。良く言えば「視野が広い」だが、悪く言えば「考え過ぎ」だ。純粋に音楽だけを楽しんでいればよいのにだ。
 そこで、以前からやろうやろうと思っていたことをとうとうやった。「脱力」という文字を書いて見えるところに貼ることだ。「脱力」という文字を書くことすらはじめは力が入っていたので、思い切って大胆に書くことにして書いたのが写真だ。ただ、一つ言えるのは、おそらくこの繰り返しだということだ。力が入っていた時の自分も自分だし、起こった事は起こるべくして起こった事だ。そこに気付いた時に、弊害があれば、軌道修正すればよい。あと、そういえば、お世話になっている美容師のK氏の言葉を思い出した。「2日悩んだら終わりね。それ以上悩んでも解決しないし精神的にきつくなるからね。」と。これもある種の「脱力」だと思う。

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【消費税】納税地

1 国内取引に係る納税地
(1) 法人の納税地
イ 内国法人・・・その法人の本店又は主たる事務所の所在地
ロ 外国法人で国内に事務所等を有する法人・・・その事務所等の所在地
(注) 人格のない社団等の本店又は主たる事務所の所在地は、次に掲げる場合の区分に応じ次によります。
(イ) 定款、寄附行為、規則、規約等に本店又は主たる事務所の所在地の定めがある場合・・・その定款等に定められている所在地
(ロ) (イ)以外の場合・・・その事業の本拠として代表者又は管理人が駐在し、人格のない社団等が行う業務が企画されている場所
(2) 個人事業者の納税地
イ 国内に住所を有する者・・・その住所地
ロ 国内に住所を有せず居所を有する者・・・その居所地
ハ 国内に住所及び居所を有せず事務所等を有する者・・・その事務所等の所在地
(注) 所得税の納税地について、住所及び居所を有する個人事業者が居所地を納税地として選択したり、住所又は居所のほかに事務所等を有する個人事業者が事務所等の所在地を選択した場合には、消費税の納税地もその選択した居所地又は事務所等の所在地となります。
(3) 納税地の指定
  (1)及び(2)による納税地が、その事業者の行う資産の譲渡等の状況からみて納税地として不適当であると認められる場合には、その納税地の所轄国税局長又は国税庁長官は納税地を指定することができます。
2 外国貨物に係る納税地
 保税地域から引き取られる外国貨物の納税地は、その保税地域の所在地です。
(消法20~23、26、通法21、消令42~44、消基通2ー2ー1)

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【所得税】納税地

 所得税の確定申告書は、提出時の納税地を所轄する税務署長に提出することになっています。
 1 納税地について主なものを三つ説明します。
 (1) 納税地とは一般的には住所地になります。つまり、国内に住所がある人は、その住所地が納税地になります。
 住所とは、生活の本拠のことです。生活の本拠かどうかは客観的事実によって判定されます。
 (2) 国内に住所がなくて居所がある人は、その居所地が納税地になります。
居所とは居住する場所のことです。
 (3) 亡くなった人の所得税の確定申告をする場合には、相続人の納税地ではなく、亡くなった人の死亡時の納税地となります。
 2 納税地の特例
 (1) 国内に住所のほかに居所がある人は、住所地に代えて居所地を納税地とすることができます。
 (2) 国内に住所又は居所のいずれかがあり、しかも事業所などがある人は、住所地等に代えてその事業所などの所在地を納税地にすることができます。
 納税地の特例を受けようとする人は、いずれの場合にも、本来の納税地を所轄する税務署長と特例により納税地とする場所を所轄する税務署長の両方に、納税地の特例を受けたい旨の届出書(「所得税・消費税の納税地の変更に関する届出書」)を提出してください。
(所法15、16、所基通2-1、通法21)

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提出した確定申告書の間違いを法定申告期限の前に発見した場合

Q
 所得税の確定申告書を2月16日に提出しましたが、翌日確定申告書の控を見直ししたところ、計算誤りがあり、正しく計算すると納める税額が増えることが分かりました。申告書の内容の訂正は可能ですか。
A
 法定申告期限内に同じ人から確定申告書が2以上提出された場合には、法定申告期限内にその人からの特段の申出がない限り、その2以上の申告書のうち最後に提出された申告書を、その人の申告書として取り扱うことになっています。したがって、法定申告期限までなら、正しい計算に基づいて作成した新たな確定申告書を、提出することができます。
(注)
1 先に提出された申告書が還付申告書で、かつ、その還付金について既に還付の処理が行われている場合には、この取扱いができないことがあります。詳しくは、直接税務署にご相談ください。
2 法定申告期限を過ぎた後で、確定申告書の記載内容の誤りを訂正する場合には、修正申告又は更正の請求によることになります。
(所法120、所基通120-4)

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報酬額と気合い

 人にもよるだろうが、適正報酬を頂くのが難しい時がある。もちろん、相手のあることなので、杓子定規に報酬を決めて適用するわけにはいかないが、少なくとも、自分が働いた分に見合う報酬を「必ず」頂く必要があると実感したことがあった。
 この仕事は、ボランティアではなく、ビジネスとしてやっているので、無償など論外、よほど戦略性のない限り、低報酬で引き受けるわけにはいかないし、引き受けない方がよい。事務所家賃、水道光熱費、通信費、各種会費、損害保険料、交際費等々、様々な「コスト」が発生している。自分自身の生活費も確保しなければならない。この仕事は、物品の販売のような形があるわけではないので、相手によっては「なるべく安くしたい」と思う人もいるが、安くするにもビジネス上限度があるし、お互いのためにも良くない。仮に安く引き受けたとすると、お客様の「コスト意識」が希薄になり、ゆくゆくはお客様のビジネスにとっても良くない。「仕入れは安くして自分は儲ける」という発想でいると、おそらく相当高い確率で「損失」となって自分に返ってくる。
 また、低報酬は自分自身の仕事に対する姿勢に対しても良くない。どんな仕事であれ手を抜くつもりなど毛頭ないが、無意識の次元で強弱が付いているのは否めない。それが気合いにも影響を及ぼしているだろう。確かに、この仕事に限らず一般的に、数百億円の仕事と数万円の仕事では、緊張感は違うだろう。「金額的重要性」という言葉があるように、ランク付け、悪性性の判断等々で、「金額」は非常に重要である。「カネ」に走るのは悲しいが、「お金」が重要であることは、「コスト意識」の観点からも重々認識しておくべきである。

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珈琲を飲む器の色

 私の叔父・叔母は喫茶店を経営しており、幼い頃からよく出入りしていた。したがって、長い年季の結果もあり、珈琲を殊のほか好み、自宅や事務所では欠かせない。
 ワケあって、これまでは濃い茶色のマグカップで珈琲を飲んでいたのだが、どうもしっくりきていなかった。マグカップの色と珈琲の色とが同化し、珈琲の存在が明確ではない。そうすると味もいまいちだ。そういえば、以前、叔母が言っていた。「好みもあるけど、珈琲を飲む器はやっぱ白よね。」と。ここにヒントを得て、マグカップを替えてみた。ちょうど自宅にストックしておいたマグカップ(上写真)があったのだ。I県M市の京成百貨店で買い求めたもの。チェコ・ボヘミアのブルーオニオン・シリーズと言うらしい。ブルーオニオンとは、あざやかなコバルト色で描かれた玉ネギ模様のことで、16世紀に中国で生まれたザクロ模様が、18世紀のヨーロッパでロココ様式の影響を受け、人々のユーモアによって玉ネギ模様に変化したものだそうだ。器に描かれたすべての模様には東洋哲学に由来するといわれる意味があるとのこと。
 やはり、「大陸」のスケールは大きいですな。。。

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