2011年2月1日
2011年2月開始!!!
2月と言えば節分です。節分とは、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことであり、「季節を分ける」ことをも意味しています。なお、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊ばらいが豆撒きですね。さて、「鬼」という言葉を聞くと、「泣いた赤鬼」を思い出さずにはいられません。以下は泣いた赤鬼の概要です。幼い頃に母に絵本を読んでもらい、心底悲しくなって泣いたことを何となく覚えています。絵本は人間の心にダイレクトに響きますし、非常にシュールなものです。
山の中に、一人の赤鬼が住んでいました。赤鬼は、人間たちとも仲良くしたいと考えて、自分の家の前に、「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます。」と書いた、立て札を立てました。
けれども、人間は疑って、誰一人遊びにきませんでした。赤鬼は悲しみ、信用してもらえないことをくやしがり、おしまいには腹を立てて、立て札を引き抜いてしまいました。そこへ、友達の青鬼が訪ねて来ました。青鬼は、わけを聞いて、赤鬼のために次のようなことを考えてやりました。
青鬼が人間の村へ出かけて大暴れをする。そこへ赤鬼が出てきて、青鬼をこらしめる。そうすれば、人間たちにも、赤鬼がやさしい鬼だということがわかるだろう、と言うのでした。しかし、それでは青鬼にすまない、としぶる赤鬼を、青鬼は、無理やり引っ張って、村へ出かけて行きました。
計画は成功して、村の人たちは、安心して赤鬼のところへ遊びにくるようになりました。毎日、毎日、村から山へ、三人、五人と連れ立って、出かけて来ました。こうして、赤鬼には人間の友達ができました。赤鬼は、とても喜びました。しかし、日がたつにつれて、気になってくることがありました。それは、あの日から訪ねて来なくなった、青鬼のことでした。
ある日、赤鬼は、青鬼の家を訪ねてみました。青鬼の家は、戸が、かたく、しまっていました。ふと、気がつくと、戸のわきには、貼り紙がしてありました。そして、それに、何か、字が書かれていました。
「赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、ぼくが、このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事にしてください。どこまでも君の友達、青鬼。」
赤鬼は、だまって、それを読みました。二度も三度も読みました。戸に手をかけて顔を押し付け、しくしくと、なみだを流して泣きました。
これは本物の「愛」です。青鬼になるのは無理だとしても、少なくとも、1つ1つの目先の損得にこだわらず、「損して得取れ」の余裕をもって、人や物事に接したいと考えています。まだまだ未熟ですので、足元の状況に余裕がないと大らかさを失いがちです。大人になると、他人はいちいち「指摘」してくれません。他人に指摘を求めること自体が甘えです。昔々、金八先生が言っていました。「自分の頭で考え、自分で決断し、自分で責任を取れ。」と。