芸術的経営者を追求する、江幡公認会計士税理士事務所の心のブログ

樺太庁

 樺太庁(からふとちょう、ロシア語: Южный Сахалин、英語: Karafuto Prefecture)は、日本の領有下において樺太を管轄した地方行政官庁である。 この場合、樺太とは樺太島の内、ポーツマス条約により日本へと編入された北緯50度以南の地域(いわゆる南樺太)及びその付属島嶼を指す。
 歴史を遡っていくと、そもそも、樺太はどの国に固有の領土だったのだろうか。歴史の中では、日本とロシアが領有権を争うか交換するかをしているが、南樺太には、「残留ロシア人(ざんりゅうロシアじん)」といって、ポーツマス条約によりロシア帝国から大日本帝国に編入された南樺太に、そのまま残留し続けた元ロシア帝国国民のうち、元からの先住民族を除く者を指す者が住んでいたようである。南樺太は日露戦争の講和条約であるポーツマス条約により日本に割譲された。それまで住んでいたロシア国民は、そのまま残留するか、北サハリンやロシア本土に引き揚げるか二者択一を迫られた。大半の住民は引き揚げを選んだが、少数の者は残留を選んだ。これが樺太における残留ロシア人の起源である。残留ロシア人は財産権が保証されたため、これまで通りの生活を送ることができた。彼らの多くは自家製のパンを焼き、それを「ロシアパン」と名づけて駅前で販売していた。このロシアパンは当時の樺太土産として知られており、ロシアパンの売り声は樺太の風物詩であった。やがて残留ロシア人は日本人社会と溶け込むようになり、日本人経営の企業や商店に勤務する者を現れた。中にはマルキャン・ボリシコのように日本人女性を妻とし、牧場を経営して日本人を雇うほどの名士も出現した。
 しかしながら、日本人とロシア人が同じ土地に共存するなど、現在では考えられない。ロシアパンの売り声が風物詩?一体どういうことなのだろうか。実は、戦前の日本人は、今よりグローバル化しており、排他性が低く、環境適応能力が高かったのではないだろうか。我々は、歴史の一側面しか見ていないのではないだろうか。どなたか、バランス良く歴史を教えて頂きたい。

EBJ

View more posts from this author

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


%d人のブロガーが「いいね」をつけました。