2011年3月3日
幸福論⑥
「幸福」はいわゆる幸福の顔をしていないことがある。渦中にいるその事象が、その時の自分にとってつらかったり、耳が痛かったり、悔しかったりしたとしても、後になって、「ああ、あの時あの事が起こってよかった。あの事がなければ今頃は・・・。」ということがある。
子供の頃は、家や学校でガミガミ言われることが多々あるものだが、社会人になるとそのような機会は滅法少なくなる。基本的には、そのような機会はないと思っていた方がよかろう。「もう大人なんだから」ということもあるし、「自分のことは自分で責任をとる」ということが当たり前だからだ。
この点、私の場合、人間的成長度合云々、言い悪いは別にして、ありがたく「指摘」してくれる方が多い。これまでを振り返れば、家族・先輩方・友人等の数々の「指摘」により成り立ってきたようなものだ。本当に感謝している。というのも、「指摘」する方は決して気分がよいわけではなく、エネルギーを費やしてくれているからだ。
これも「幸福」の1つだと考えている。