2011年8月18日
幸福論⑤
なんとか締め切りまでに原稿が出来上がったので、愛車で父親と海に出かけた。猛烈な暑さだったが、その暑さを楽しむために。そもそもこんな車に興味を持つようになったのは、間違いなく父親の影響だ。アマチュアのレースもやっていたことのある、無類の車好きの父親は、私が幼い頃からレース観戦やドライブに連れて行った。当時はオイルの焼けた匂いがいい匂いとは思わなかったし、エキゾースト・ノートが心地よいとは思わなかったが、無意識下で私の体に染みついたのだろう。行きは私が運転し、帰りは父親が運転した。
もう確信となったことで、あれこれ思い悩むことはない。それは、「今が幸せだ」ということだ。こうして共通の趣味を持つ父親と海を見に行けることは幸せだ。また、今夏も家族で墓参りに行けたことは幸せだ。ちなみに、母方の墓は、先の大震災で墓石が丘の下に落下してしまっていたが、お寺の方が拾い上げてくれたのだろう。何とか花と線香をあげられる状態にあったのは幸いだった。
幸せはどこか遠くにあるものではない。「将来に」幸せになるのではない。誰かが与えてくれるものではない。幸せとは、自分が感じるものだ。一見順風満帆に見える人も、どんな人も、何かしら問題を抱えて生きている。問題があること自体は不幸なのではない。問題ばかりに目が行って、自分の手の中にある、自分の心の中にある幸せを感じられないことが不幸なのだ。
どうやら、今夏も終わりに近付いているようだ。暑かったが、その暑さを体中で楽しんだ、いい夏だった。