2010年4月12日
幸福論②
「幸福論①」に続き、今回も「幸福」について考えてみた。現時点で思うことは、ごちゃごちゃ言う前に、やはり、「『幸福』とは、現時点の自分を振り返り、自分で見つけるものだ。」ということだ。
現時点の自分の「幸福」を例示列挙してみよう。あくまで例示列挙なので、「以下に記載していないことについては幸福を感じていない。」ということではない。ブレインストーミング的に湧き出てきた事項を記載したのみである。
①両親が健在で、最近は、密で深度あるコミュニケーションがとれていること。
②(いろいろ苦労もあるが)仕事があり、東京で暮らしていること。
③将来の仕事の展開に希望が持てること(=前向きでいられること)。
④知り合いの知り合いなどから思いがけない仕事の問い合わせがあること。
⑤出身国・老若男女問わず、訪れる各国で、素晴らしい出会いがあること。
⑥N氏・I氏と出会い、事務所をシェアさせて頂き、仕事上も励みになること。
⑦自分を気にかけてくれる先輩・友人がいて、時々メールをくれること。
⑧「人間力」に関する様々なアドバイスを根気強く教えてくれるO氏と出会ったこと。
⑨車の師匠であり、お客様でもある、S氏と今でも繋がっていること。
⑩中学・高校・大学と、個性的で忘れられない恩師に恵まれてきたこと。
⑪K氏との再会により、海外での仕事を経験できたこと。
⑫ベトナムのA社の社長が、自分を気遣い、自宅に招いてくれたこと(「菊水」を鱈腹飲んだ)。
他にもたくさんあるが、とりあえずこの辺に留めておこう。このように、自分を振り返ると、1つ1つの出来事がありがたく思える。自分のことばかり考えていないで、意識を他者に向けると、「人」が愛おしく思える。これは不思議なことだが、自分の心次第で、「世の中のすべてが敵に見える」こともあるし、「世界中のすべてが自分の味方に思える」こともある(村上龍が同じことを言っていたかな)。すべては「自分の心」次第。現存しない飽くなき幸福を求めるのではなく、折を見て、今ある幸福を噛みしめたいものだ。