2009年12月20日
Bảo Đại
バオ・ダイ(ベトナム語:Bảo Đại、漢字:保大、1913年10月22日 – 1997年7月30日)は、ベトナム阮朝第13代にして、ベトナム最後の皇帝。諱は福晪(晪は日偏に典)。バオ・ダイは治世の元号である保大に由来し、保大帝とも称される。
1913年10月22日に生まれ、当初諱を阮福永瑞(グエン・フク・ヴィン・トゥイ、Nguyễn Phúc Vĩnh Thụy)といった。フランスで教育を受け、父親である啓定帝が1925年11月6日に崩御するまで宗主国のフランスに住んでいた。1926年1月8日に皇帝に即位し、年号を「保大」としたが、すぐフランスへ戻り、しばらく留まった。バオ・ダイはその治世に、ベトナムの完全独立を許可するようフランスを説得し、改革のために委員会を確立した。1934年には、カトリック教徒で南ベトナム出身の阮友蘭(南芳皇后、ナム・フォン、Nam Phương)と結婚する。
第二次世界大戦末期の1945年3月には、前年のヴィシー政権崩壊に伴い日本軍がフランス軍を制圧したのを機にベトナム帝国の君主となりフランスからの独立を宣言した。当時の日本軍人の中には、日本へ亡命中の畿外侯彊柢(クォン・デ、Cường Để)をベトナム帝国皇帝に推す者も少なくなかったが、南方総軍や第38軍はベトナム新政権へ不干渉の方針で、「軍政も敷かない」「親日政権への改編もしない」ことを既に決定していたため、バオ・ダイは栄えある独立ベトナム最初の元首の地位を手にした。
1945年9月2日には、日本軍が敗北してベトミン(Việt Minh、越盟)がベトナム全土を席巻したが、この時にバオ・ダイは退位へ追い込まれた。その後、ハノイ(Hà Nội、河内)でベトナム民主共和国(Việt Nam Dân chủ Cộng hòa)が成立すると、バオ・ダイはホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh、胡志明)によって新政府の「最高顧問」に任命される。しかし、公式の外交代表団の一員として訪中時に亡命、1946年にはイギリスの植民地の香港へ移った。
1949年にはフランスの支援で、南ベトナムに樹立されたベトナム国(Quốc gia Việt Nam)の元首(Quốc Trưởng、国長)としてベトナムに帰国後、1954年のジュネーヴ会議によって正式にベトナム国元首となった。バオ・ダイは、ゴ・ディン・ジエム(Ngô Ðình Diệm、呉廷琰)を首相に指名した。しかし、翌1955年ゴ・ディン・ジェムは国民投票を実施してベトナム国を共和制へと移行させ、ベトナム共和国(Việt Nam Cộng hòa)が成立すると大統領に就任した。
バオ・ダイは退任を余儀なくされ、パリへ亡命した。その後はベトナムへ帰国せずにカンヌ付近で余生を送り、1997年7月30日にパリの陸軍病院で死去した。
さすが、お洒落で、独特の雰囲気がありますね。立場上、時代に翻弄されてしまった面がありますが、彼の人生の本当のところは彼にしか分かりません。不幸かどうかだったなんて、他人が判断できるものではありません。