芸術的経営者を追求する、江幡公認会計士税理士事務所の心のブログ

1945年8月15日

 大東亜戦争について語る立場として、次の2つがあると考える。①歴史・地理・教育制度等を総合的に多面的に勉強した上で「戦争全体」について語ること、②ある一面について語ること。私は早く①で在りたいと考えているが、①で在るまで待っていては常に閉口していなければならないので、勉強不足であることを認識しつつ、なるべく偏りがないように語ることにしている。
 ただ、世の中には②の人がいかに多いことか。代表格はテレビ番組のコメンテーターや街角でインタヴューされる人。在る一面を原因や結論のように語る。全く説得力がないし、腹立たしくなることがある。
 この点、作家の浅田次郎氏は言っていた。「戦争自体は悪いことかもしれないが、そこに参加した人々までを愚かしいと言うことは嫌いだ。」と。私は全く同感だ。これは戦争に限ったことではないが、何かについて語る時、その事象・人の背景や当時の歴史、教育等につい知って初めて、その事象・人の意味がわかるはずだ。
 私の祖父や彼を支えた祖母を含めて、当時の日本人はどのような気持ちで戦争の中を生きてきたのか。そういう慮る気持ちを持ちながら、もう一度大東亜戦争について考えてみてはいかがだろうか。
 それから、人間の「死」とは、肉体的に死ぬことと、人々の記憶から消えること、の2つの死があるという。そのような意味で、一昨年に亡くなった祖母は死んでいない。今日は祖母の生き様について思い巡らすことになった。祖母は記憶から消えていない。
 おお、やはり、8月15日は特別な日だ。

EBJ

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