2011年9月20日
正当な懐疑心
「正当な懐疑心」というと、公認会計士の独占業務たる監査の専門用語のようだが、ここでは世間一般の事物に対する「正当な懐疑心」として捉える。
本日は久々に、高校時代からの友人で現在は官僚のKと会食をした。こうして二人でいるのは、20年近く前、浪人の時代に、I県M市の某居酒屋K助以来だと思う。そういえば、K助にはなぜかアップライトピアノがあって、酔った勢いでピアノを弾いたものだ。光陰矢のごとし。
詳細は割愛するが、要は何が言いたいかというと、世の中の情報に対しては、もろに受けとめるのではなく、なるべく真実に近い情報と、現場の情報と、自分なりに解釈するための「正当な懐疑心」を持った方がよろしいということである。「これなくしては、真の民主主義は実現できない!」というのは大袈裟で、現在既に民主主義であるが、要は質の問題である。「先入観」もやめた方がよい。
結局それが、自分のためでもある。