2010年11月18日
推計課税訴訟における民訴法第312条の文書提出義務について
1 所得税及び法人税における推計課税とは、税務署長が更正又は決定をするに当たって、直接資料によらず、各種の間接的な資料に基づいて推計により所得金額を認定する方法をいう。
本来所得税及び法人税は、納税義務者の申告により実額に基づき課税標準及び税額等が確定するものであるが、納税者の帳簿書類の不存在又は記帳の不備、税務調査に対する非協力等によって実額が把握し得ない場合、課税庁は所得金額を推計し、更正又は決定せざるを得ないこととなる。この場合、課税を放棄することは、租税の公平負担の観点から許されない。ゆえに、ここに推計課税の認められる根拠があると解されている(1)。
そこで、所得税法156条は「税務署長は、居住者に係る所得税につき更正又は決定をする場合には、その者の財産若しくは債務の増減の状況、収入若しくは支出の状況又は生産量、販売量その他の取扱量、従業員数その他事業の規模によりその者の各年分の各種所得の金額又は損失の金額(略)を推計して、これをすることができる。」と定められており、法人税法においても131条に同様な規定が設けられている。しかし、租税はそもそも担税力に応じて公平に負担がされるべきものであることからすれば、このような実体法の定めをまつまでもなく推計による課税は当然に許されるものと解される(2)(ただし、推計課税の必要性の観点からは種々論じられているが本稿においては割愛する。)。
なお、所得税法及び法人税法のいずれにおいても、青色申告者に対しては実額課税のみが許され、推計課税は許されていない (所得税法156条、法人税法23条)。
2 推計の方法については、両法とも「財産若しくは債務の増減の状況、収入若しくは支出の状況又は生産量、販売量その他の取扱量、従業員数その他事業の規模に」より各種所得の金額等を推計することができる旨定められているが、納税者の経済活動は、極めて複雑多様なものであって、特定の推計方法によってのみ認識し得るものとすることは合理的とはいえず、同規定に掲げる方法は例示にすぎないものと解されている(3)。
課税実務における推計方法の主要なものとしては純資産増減法、比率法、効率法及び消費高法等があるが、これらの方法のうち、より多く用いられる方法は、比率法又は効率法であるが、両法を併用して用いることもある。
文書提出命令の申し立ての対象となった課税処分取消訴訟の多くは「比率法」 によったものであり、その中でも「同業者率」によるものである。この方法は、当該納税者と業種が同一で、業態、事業規模、立地条件等において類似性のある同業者を選択し、その所得率、差益率、経費率等の平均値を算出して、その率を用いて当該納税者の所得金額を算出する方法である。
3 同業者率による所得金額の推計に当たっては、納税者と業種、業態、事業規模、立地条件等の類似するいわゆる同業者の売上原価率、所得率等(同業者率)を把握しなければならない。そこで、同業者率を把握、算定するためには、納税者の事業地の近隣地域の同種事業者の中から営業規模その他業態の類似する者を調査、抽出する必要がある。そのための資料として、数値その他の資料としての正確性、調査の容易性から、通例は、各税務署長が青色申告者から提出を受け保管している青色申告決算書を用いることとなる。この意味で青色申告決算書は、課税庁が推計課税を行うに当たっての重要な資料の一つであり、多くの事案においては、これを利用することなく合理的に所得金額を推計することは、極めて困難なものといえる。一方、このようなやむを得ない事情により、青色申告決算書を利用して同業者率を算定せざるを得ないこととなるが、そのための基礎数値を公表することは、各申告者の営業上の秘密やプライバシーを侵害することにつながる危険性を包含しているものといえる。そこで、税務署長は、守秘義務遵守の立場からその利用に当たり、その危険性が現実化しないよう細心の注意が必要であり、その際の大事な点は、同業者(青色申告者)の匿名性の確保にあるものといえる。すなわち、所得計算の基礎数値が公表されても、その申告者が誰であるかが特定されない限り、営業上の秘密やプライバシーへの侵害は生じないものといえる。そこで、被告としての税務署長は、このような見地から、課税処分取消訴訟において、同業者率の正確性とその適用の正当性を立証するため、申告者の住所、氏名その他の固有名詞を削除した青色申告決算書の写しを書証として提出していた。このような方法によったのは、削除措置により同業者の匿名性が維持でき、守秘義務に反することにはならないとの判断によったものであった。しかし、青色申告決算書には税務署長側が立証しようとする事項以外にも、例えば従業員数、専従者の年齢、償却資産の内容等沢山な情報が記載されており、また、青色申告決算書自体の筆跡から、申告者の特定が可能になる場合があり、その後、現に、具体的訴訟事件において原告側が、青色申告決算書の写しに基づく調査により、申告者を特定し得たとする事例が散見されるようになった。しかも、その同業者と名指しされた者が、原告側からその事業内容等につき調査されたりして困惑するという事態が生じるに至った。、このような事態は、申告者の住所、氏名等を削除しても、その匿名性が維持できないことが少なくないことを現しているものといえる。さらに、このことは、課税庁がこのような形で青色申告決算書を書証として提出することは、守秘義務に違反することを示しているものといえる。
そこで、課税庁としては、守秘義務違反になるおそれがなく、しかも、同業者率の正確性、その適用の正当性の立証として必要かつ十分な書証として、国税局長の発した一般通達に基づき、青色申告者のうち選定条件を充足する者の決算項目中、売上金額、売上原価、一般経費等の同業者率算定に必要な数値を各税務署長が青色申告決算書及びその他の資料に基づき調査し、報告した文書(「同業者調査表」)を提出するに至った。
4 推計による課税処分について、納税者側から課税処分取消訴訟が提起され、その訴訟中において推計の基となった同業者の類似性、文書の成立及び内容の真偽の確認等を理由として、推計の基となった類似同業者の青色申告決算書等の原本、青色申告決算書等の隠ペい部分を開示した文書又は固有名詞等の隠ペいされていない同業者調査表、さらには、所得調査書や反面調査書等の文書提出命令の申し立てがなされ、当該文書の民事訴訟法(以下「民訴法」という。)312条各号に定める文書該当性、各税法等に定める守秘義務該当性が争われることが近年著しく多くなった。
5 民訴法312条に定める文書提出義務の規定の趣旨は、文書の所持者である当事者及び第三者の文書提出義務の原因について定めたものである。この義務は、申立人に対する私法上の義務ではなく、国家に対する公法上の義務であるといわれている。それは、文書を証拠として使用することにより、事実認定の適正を図ることが、裁判制度の適切な運用の基礎となることから、国民の義務として文書提出に協力すべきことを認めたものである(4)。したがって、文書の所持者が任意に提出することを期待していては、その提出が得られない場合に単に挙証者の立証の途を閉ざしてしまうことになりかねないという挙証者の利益のみに基づくものではないと解されている(5)。
6 本稿においては、推計による課税処分の取消訴訟において文書提出命令が申し立てられたものについて、昭和45年以降の決定例(70件・抗告審等を含む。)を概観することにより、文書の所持、引用文書、引渡又は閲覧を求めることができる文書、利益文書、法律関係文書及び守秘義務等について分析検討を加え、推計による課税処分の取消訴訟における文書提出命令の申し立てと申告納税制度における文書提出義務の関係について解明を試みたものである。
(推計による更正又は決定)
所得税法第156条 税務署長は、居住者に係る所得税につき更正又は決定をする場合には、その者の財産若しくは債務の増減の状況、収入若しくは支出の状況又は生産量、販売量その他の取扱量、従業員数その他事業の規模によりその者の各年分の各種所得の金額又は損失の金額(その者の提出した青色申告書に係る年分の不動産所得の金額、事業所得の金額及び山林所得の金額並びにこれらの金額の計算上生じた損失の金額を除く。)を推計して、これをすることができる。