2010年2月16日
宝
「宝」というのは非常に主観的な概念であり、何を「宝」とするかは人または人間集団によって大きく異なる。命、経験、友情など、個人的な有形無形の大切なものも「宝」と呼ばれることが多く、形のあるものから形のないものまで様々である。
ノルディック複合選手の阿部雅司氏は言う。
「補欠となった経験が私の宝である。補欠を乗り越えた自分を誇りに思う。それがあったからこそ今の自分がある。」
アルベールビルオリンピックでは、自分の後輩達が選手として選ばれ、自分は落とされた。当時のノルディック複合部長は、「当時の阿部は若干勢いがなかったということで落としたが、苦渋の決断だった。」と言う。補欠となったことが分かった時、阿部氏は思わずロッカールームから走って出て行ってしまったそうだ。当時はそれくらい、「補欠」となったことはつらい経験で、「補欠」は「宝」の顔をしていなかった。ところが、次のオリンピックでであるリルハンメルオリンピックでは、ノルディック複合団体選手に選ばれ、見事金メダルを獲得している。アルベールビルオリンピックで選手に選ばれた河野孝典・荻原健司にとっても、先輩である阿部氏の存在は、いい意味でプレッシャーになっていたことが窺える。
成育歴からして、これまでの私は、スポーツに興味を示さなかった。しかしながら、スポーツには「ドラマ」があることが分かった。スポーツを単なる競技としてしか捉えていなかった自分には「観察力」が欠如していたと言うほかない。今後は、スポーツにおける選手の生き様に着目していきたい。