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伊藤博文

 伊藤 博文(いとう ひろぶみ、天保12年9月2日(1841年10月16日) – 明治42年(1909年10月26日)は、日本の幕末の長州藩士、明治時代の政治家。初代、第5代、第7代、第10代内閣総理大臣。元老。
 伊藤は国際協調重視派で、大陸への膨張を企図して韓国の直轄植民地化を急ぐ山縣有朋や桂太郎、寺内正毅ら陸軍軍閥と、しばしば対立した。また、日韓併合について、保護国化による実質的な統治で充分であるとの考えから当初は併合反対の立場を取り、1909年7月に韓国併合の基本方針が閣議決定されてもなお「本格併合は将来的な課題」として早期併合に反対していた伊藤だが、統監であったことが韓国国民の恨みを買うことになり、結果的に暗殺へと繋がることになる。
 明治42年(1909年)、統監を辞任、枢密院議長に復帰したが同年10月、ロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフ(ココフツォフ)と満州・朝鮮問題について非公式に話し合うため訪れたハルビン駅で、韓国の民族運動家安重根によって狙撃され、死亡した(安は直ちに捕縛され、共犯者の禹徳淳、曹道先、劉東夏の3名もまたロシア官憲に拘禁され、日本政府はこれを関東都督府地方法院に移し、1910年2月14日、安を死刑に、禹を懲役2年に、曹および劉を懲役1年6ヶ月に処する判決が下された)。11月4日に日比谷公園で国葬が営まれた。
 ただし、日本では「実行犯である安重根自身の取調べ供述において事実誤認、李氏朝鮮および当時の韓国国内の情勢への不理解も見られ、また当時の韓国最大の政治勢力であった一進会(自称会員100万人)が日韓合邦推進派であった事から、この事件が韓国国民全体の意見を代表したものであったか否かは議論の余地がある」という意見が広く唱えられている。また、暗殺に関しては、安重根単独説のほかにも、暗殺時に伊藤の着用していたコートに残る弾痕から発砲位置を算出した結果、併合強硬派による謀殺説もある。
 本日のスーパーモーニング(テレビ朝日、08:00~09:55)で伊藤博文の暗殺について取り上げられていた。常々思うのだが、このスーパーモーニングは、ニュース番組の中で唯一、深度のあるニュース番組だろう。勝手な憶測だが、ジャーナリストの鳥越俊太郎さんの指導があるのだと思っている。日本経済の不況により、テレビ番組の製作費も削られていると聞くが、それ以前に、ニュース番組には「So what?」という内容のものがほとんどである。確かに、世界各地で起こった様々な事件を伝えること自体に価値はあるが、情報の垂れ流しに終始している番組が多くはないだろうか。その事件を伝えることで何を伝えたいのか。いや、キャスターの気のきいたコメントがほしいといっているのではない。そんなものはほしくない。そうではなく、スーパーモーニングの特集のように、「どのような観点から、どのような所に切り込んでいるか、何を伝えたいか」がはっきりしないと、インターネットが発達し、情報の非対称性が小さくなりつつある現在においては、ジャーナリズムの意味が薄れてしまうように思える。

EBJ

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