芸術的経営者を追求する、江幡公認会計士税理士事務所の心のブログ

よき仲間

 人間の風習はよくできている。冠婚葬祭がその最たる例であり、冠婚葬祭というイベントの下に、家族、友人、会社の人、地域の人が集まり、そのイベントを執り行う。冠婚葬祭という理由であれば、会社を休んだり、早退できる訳だから、冠婚葬祭が人間の生活にとっていかに大きなものであるか、思い知らされる。
 本日は高校時代の友人の結婚式があり、高校時代の友人が終結した。みなそれぞれの人生を歩んでおり、この歳になると色々な意味で貫録が出てくるものだ。我々高校時代の仲間は、出演依頼に応じ、毎回違った出し物を披露する、いわばダンサーだ。上写真は、本番前の待ち時間におけるワン・ショットだ(左から、ジョージ、N社長、私)。極寒の青山の空の下、パンツ(ふんどしの者あり)一丁で本番を待っていると、本当にダンサーのような気分になってくる。当然といえば当然だが、重要なのは「真剣にやる」ということだ。準備の段階から本番に至るまで、真剣に議論し、真剣に事を決め、真剣に披露する。今回の出し物は、年末年始の休みの関係で、本番前日に初顔合わせをし、形を作るという、非常に切羽詰まった状況にあった。衣装は「ふんどし」がいいのか「競泳用水着」がいいのかについて、真剣に議論した。この衣装の議論だけで30分は費やしたのではないだろうか。また、大きく2つの出し物がある中で、この2つの出し物をつなぐCMソングは何がよいのか、についても30分くらい議論した。「こんな30代後半はいねえよな、俺達馬鹿だよな。」とか言いながら、その場を楽しんでいる。
 結婚披露宴の挨拶で、新郎の会社の社長が仰っていた。「青年にとっての貯蓄は、お金ではなく、経験だ。」と。「青年」の定義はさておき、このことは肝に銘じておくべきだと考えた。「十分なお金がないのであれば、その分、様々な、多くの経験をするべきだ。」という風に自分をもっていけばよいのだ。
 結婚式に参加した高校時代の仲間。それぞれどのような想いで結婚していく友人を眺めていたのか。いい時もあれば悪い時もある。それぞれ違った悩みがあろう。そんな中に、こういった冠婚葬祭というイベントの下に集結し、久々に仲間と時間を共有する。これほど尊いものはない。

EBJ

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