芸術的経営者を追求する、江幡公認会計士税理士事務所の心のブログ

カテゴリー: 教養

なぜ今年は自然が日本に対して厳しいのか。

 それにしても、なぜ今年は自然災害が立て続けに起こるのか。東日本だけかと思えばそうではなく、日本全国で自然が猛威をふるっている。自然の前ではなす術はない。おとなしく耐えるしかない。
 今となって思えることだが、震災前は、「人はいつか死ぬからね。」とか「明日死ぬかもしれないからね。」といった言葉を聞いても、率直に言って、全く現実味を帯びていないし、説得力がなかったような気がする。ちなみに、自分自身も口にした事はあると思う。戦後生まれの日本人は戦争を経験していないから、傭兵にでもならない限り、普通は、自分自身の死というものに直面する機会は少ないはずだ。しかしながら、今年はどうだ。結構現実味を帯びていないだろうか。
 ここで考えたいのは、「災害等により今までよりも死が現実味を帯びてきたので怖い、どうしよう。」というネガティブな面ではなく、災害等により今までよりも死が現実味を帯びてきたのであれば、「自分のやりたいことをとことんやってみよう。」とか「慎重になり過ぎないで、ある意味大胆にやってみよう。」といった、前向きな姿勢である。
 自然とは、人間に様々な事を教えてくれているような気がしてならない。

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とにかく動き続けること

 「決意を持続させることのできるのは習慣という怪物である。」とは、三島由紀夫の言葉である。何事も「習慣化」してしまえばクリアできるはず。しかし、その「習慣化」が難しい。現実的には、ちょっとでもいいから、サボってもいいから、行動し続けることが大切なのだろう。
 今日の夜は「走る」と決めていた。なんだかんだ理由をつけて走らない方向に行こうとしている自分がいたが、上記の三島の言葉をみて、行動に移すことにした。三島は自分に厳しく、自らの美学を貫くが、それでいて素朴で誠実な面もある。この演説を聞いた限りでも、そのことが伝わってくる。
 三島の話題はこれくらいにして、本日は月が殊のほか綺麗だ。走っている時に撮影した中秋の名月。CHINA文化の影響が残るベトナムでは、ムーン・ケイクを贈答し合うのだろう。シンガポールも同様。月が綺麗な日は、幼い頃の「お月見さん」を思い出す。母と一緒にすすきを採りに行き、団子と一緒に縁側に飾る。あの光景が何とも美しく記憶に残る。季節折々の行事はいいものだ。
 明日も走れるか。。。

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自分で作ってしまう自分の限界

 「自分は○○得意で○○苦手だ。」、「自分には○○は向いていない。」、「自分には○○しかない。」という言動は、自分が自分にかける呪文のようだ。特に幼い頃にかけたこの手の呪文は、その後の人生を、ある意味硬直化させることとなる。自分に呪文をかけてしまうのにはそれなりの理由があるものだが。
 私の場合、「自分はスポーツはできない、興味がない、向いていない。」という呪文をかけ続けてきた。お陰で、生きる上で結構役に立つ「スポーツマンシップ」というものが大きく欠如してきたような気がする。それはそれとして、この手の呪文について、呪文をかけるのも自分だし、呪文を解くのも自分であるということが分かった。「きっかけ」自体は「他者」が与えてくれるが、行動するかしないかは自分次第だ。
 本日、これまで自分の中では未踏の地であった所に踏み込んだ。スポーツの中でも最も苦手意識のあった球技、その中でも最も遠かった野球系だ。「ソフトボール」。その言葉を聞くだけでも憂鬱だった小学生時代。そのソフトボールへ、一歩を踏み出したのだ。友人らのサポートがあることが大きいが、不思議なもので、今は「苦手意識」はない。それよりも、「現状の自分が、どうすればチームに貢献できるか」ということのみを考える。守備も打撃も人並みから大きく外れる自分が頑張るとしたら、「気持ち」しかない。特に守備は、球に食らいつくしかない。この気持ちが功を奏したのか、セカンドとして、何度か球を受け止め、アウトを取ることができた。この期に及んでだが、本当に嬉しかった。
 試合後のビールが殊のほかおいしかったことは当然のことだが、本日の収穫は、「一歩を踏み出せば、少しは自分の限界を超えられる。」ということである。行動しないことには何も始まらないということだ。これを機に、スポーツに耐え得る身体づくりに目覚めたいものだ。

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New York

 2000年9月、生まれて初めての海外一人旅で訪れたのが、New Yorkだった。2001年の9.11の1年前であり、破壊されたあのツインビルを真下から見上げたものだ。次の年にはNYが大変なことになってしまったのだから、その前年に私がNYを訪れたということは、私にとってどのような意味があったのだろうか。ちなみに、2007年8月にグラウンド・ゼロを訪れたのだが、言葉では表すことのできない、異様な雰囲気を感じた。
 さて、そのNY旅行は、貧乏旅行に徹した。まず宿泊は、日本でいえば上野のような場所の、ほんとに寝るだけの宿に泊まった。壁と天井が真っ赤で、初めはほんと落ち着かなかったが、住めば都となった。次に食事は、レストランには一切行かなかった。ほぼすべて、Deliのサンドウィッチや屋台のホットドッグで済ませた。ドリンクはコーラ。移動手段は、基本は自分の「足」。疲れたら地下鉄に乗るという程度。とにかく歩いた。
 NYには多くの素敵な建造物があるが、私が個人的に一番惹かれたのは、上写真の双頭のビルだ。セントラル・パークからよく見えるのだが、古くて巨大な双頭のビルになぜか強く惹かれ、写真を何枚も撮った。NYの記憶と言ったら、実は、この古くて巨大な双頭のビルなのである。
 そういえば、NYも秋だ。曲名はベタだが、この曲は、私が最も好きな曲の一つである。

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September

 グレゴリオ暦において四季を区切るとすれば、本日から秋になる。まだまだ暑い9月だが、着実に秋冬に向かっている。ところで、9月といえば「September」だが、この曲は、なぜ「9月」という名前になったのだろうか。「9月21日に男女が出会い、一緒に踊ったこと」以降の事が歌詞になっているようだが、それは作者の実話なのだろうか。いずれにせよ、この曲が聞こえてくるとついつい踊りたくなってしまうのは、50代の素敵なおじさまには多いようである。
 さて、たしかに私もSeptemberは好きなのだが、衣服の衣替えと同じで、音楽の聴くジャンルも自然に衣替えをする。夏はSamba、Bossa Nova、Latin系のJazzを好んで聴くのだが、涼しくなってくると、Modern Jazzやクラシック音楽が恋しくなる。これは個人的な趣向だが、仕事が終わり帰宅した平日(休日ではない)の夜に、珈琲を入れ、ソファに座り、LP版でJazzを聴く時間は、至福の時である。また、湯船につかりながら、防水性DVDプレイヤーから聞こえてくるVocalの声に合わせて一緒に歌うのも、至福の時である。Vocalと音程がピタッと合った時は最高である。
 いよいよ秋だ。やはり秋には、このSeptemberよりこっちのSeptemberの方が好きだ。

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 最近つくづく思うのは、体のバランスを崩す一番の敵は、「運動不足」である。「食べ過ぎ」「飲み過ぎ」よりも大敵だ。運動不足だと、内臓の動きが悪くなり、代謝が悪くなって、贅肉がつくようになる。贅肉がついて身体が重くなると、行動力が無くなってくる。まるでいいことがない。
 ここ10日くらいは、原稿を書き上げるために別の事務所に籠っていたのだが、案の定運動不足になった。しかし、そこから脱するのは自分。自分しかできない。
 そんなわけで、常に自分の体を眺めようと思い、目立つ所に鏡を置くことにした。自分の体を眺め、自分の体を知った上で、鍛えていきたいと思う。自分の体は自分で何とかするしかない。「幸せ」と同じだ。

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恩師K教諭との再会

 約10年ぶりに恩師K教諭と再会した。お互いに年をとったわけだが、以前のような会話、いや、以前の会話に輪をかけた会話になるまで、そう時間を必要としなかった。
 恩師K教諭は人生を達観している。高校生の時に既に「人に求めない」行き方を選んだという。話した話題に枚挙に暇がないが、もっとも衝撃的だったのは、パスカルの言葉である。恩師K教諭によれば、「人間は考える葦である。」などとほざくパスカルは「ケッ」という感じだったらしいが、その後、同じくパスカルの「人生は死ぬまでの暇つぶしである。」という言葉を知った時、度肝を抜かれたそうだ。私はその時初めて知った言葉なのだが、直感では度肝を抜かれたが、分かったようで分からないような言葉だ。まだまだ時の経過が必要なようだ。
 いずれにせよ、恩師K教諭のトークは御健在で嬉しかった。益々深みを増す恩師K教諭には、折を見てお会いし、人生の考察を深めていきたい。

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恩師K教諭

 私が恩師に恵まれていることについては、「学校とは」「恩師T教授」の記事で書いたところであるが、週末に恩師K教諭からお電話お頂いた。I県の方言バリバリの相変わらずの御口調で、高校時代の授業風景が蘇った。英語の先生であったが、英語の授業の記憶よりは、先生が若い頃の出来事、ニーチェやフロイトに関する考察等の話の記憶の方が強いのはなぜか。なお、写真は恩師K教諭撮影のものである。この1枚だけでは分からないが、プロ並みの腕前である。
 恩師K教諭とは、今月我々教え子数名でお会いする予定であったが、ワケあってキャンセルとなり、週末の電話会談となった。恩師K教諭も私の奥深くまで分かってくださっているありがたいお方で、短い時間であったが、熱いものが込み上げてきた。当日でもいいから、近くに来た時は声をかけてくれというお言葉は、社交辞令ではなく、本物だ。
 思えば、恩師T教授と恩師K教諭を御対面させて頂く機会があったのだが、あいにく恩師K教諭のご都合でそれは叶わなかった。いつの日か、それを果たしたいと思っている。
 2011年8月8日午前の一曲

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美意識

 
 
 夏は暑くてなんぼだ。暑い夏が好きだ。昨日は天気が悪くて愛車に乗ることができなかったが、今日は夏らしい天気だ。熱中症になりかけながら、ドライブを楽しんだ。ちなみに、渋滞中の中央道では、意識が遠のきそうになるのをこらえるのに必死だった。助手席に置いておいた先ほどまで冷たかったペットボトルのお茶は、HOTになった。
 なぜだかわからないが、今朝、白洲次郎に呼ばれているような気がしてならなかった。「武相荘に来い。」と。以前から一度行ってみようと思っていたので、早速行くことにした。今は町田市、旧鶴川村。今でこそ住宅が多いが、昔は農村だったのだろう。武相荘も元々は農家だったという。
 白洲次郎と白洲正子は、昭和15年に購入した家にコツコツと手を入れながら、それぞれの美意識に基づく家づくりをしていったそうだ。土間を改造したリビング、白いタイルの床、家具、食器等々随所に、彼らの美意識がある。他人に対する虚栄心を満たすための装飾ではない。自分達の生活を楽しむための美意識だ。「こだわり」と人が言う場合、時には「かたぶつ」「融通がきかない」「変わり者」のようなあまりよい意味でなく使う場合があるが、そういう類は放っておけばよい。そういう類はきっと、人でも物でも、こだわった事がないのだろう。何でも、良いものは、長く使えば使うほど愛着が出て、自分の一部になるものだ。また、美意識のある女性は、仕事も身のこなしも、本当に美しい。
 2011年の暑い夏。都心から少し離れた武相荘で、美意識について改めて思い巡らせた。お洒落をして、汗をだらだらかきながら、しかしクールに愛車をのることは、趣味であり、ストレス発散であり、美意識なのである。誰が何と言おうと、関係ない。

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恩師T教授

 昨晩は、知人の主宰する会食(写真は全く関係のない参考画像である)に参加した。早速、恩師T教授との約4時間にわたる会話から帰納集約した気付きを実践する機会を得た。「気付きを実践する」といっても、要は「いつもの自分でいる」ということなのだが。
 ある精神心理学者は言う。「全員に好かれようとすればするほど萎縮する。どれだけ頑張ったとしても自分のことを嫌いな人はずっと自分のことが嫌いなものだ。」と。断っておくと、既存の人間関係に何か悩みがあるわけではない。初対面か付き合いの浅い他者との人間関係構築において、実験をしているのである。①極度に気をまわした場合はどうなるか、②ほどほどに御行儀よくしていた場合はどうなるか、③いつも通りの自分でいた場合はどうなるか、④御行儀悪くした場合はどうなるか。結果、①と④は意味のないことであり、②はお互いにあまり記憶に残らないということが分かった。時と場合によるが、積極的に新たに人間関係を構築するのであれば、③なのである。たった今、これまでにこのような事をあれこれ思い悩んできたこと自体がくだらなく思えてきた。
 とはいえ、なんでもそうなのだが、時には、ある1点のことをとことん考え抜くのは必要だ。そして、あえて振れ幅のある行動をとってみることも重要である。要は、自分の頭で考え、行動すれば、おのずと答が見えてくるものだ。

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学校とは

 福沢先生によると、「学校は人に物を教うる所にあらず,ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり。教育の文字ははなはだ穏当ならず,よろしくこれを発育と称すべきなり。かくの如く学校の本旨はいわゆる教育にあらずして,能力の発育にあり……。我が国教育の仕組はまったくこの旨に違えりといわざるをえず。」とのことである。私自身、福沢先生とは別のところで、「教育」という言葉は「Education」の本質を表していない、ということを知ったのだが、確かにそうかもしれない。
 空が暗くなりかけた夏の夜に、母校のキャンパスに行った。夏休みのためか、人は疎らで、ゴミ一つ落ちておらず、整然としていた。新築の近代的な校舎はモダンで、学生には堪能できない粋な場所もある。その粋な場所で、大学時代のゼミの恩師T教授と待ち合わせをした。思えば、自分は恩師に恵まれてきた。正確に言うと、小学生時代はあまり恵まれていないのだが、基本的に恵まれているのだ。とりわけ、高等学校・大学では、素晴らしい恩師に出会うことができた。
 T教授には、授業やゼミはもちろんのこと、論文(卒論ではない)のご指導まで頂き、大変感謝しているのだが、自分にとって一番ありがたいのは、「自分のことをよく知ってくださっている。」ということだ。今回お会いして話をした中での私にとってのキーワードは、「自分の○○な面を認識すること」「自分が正しいと思わないこと」「自分はspecialで異常だと思うこと」「自分の考えを他人に押し付けないこと」「上から目線」「下から目線」等々。もっと凄いのは、T教授によると、「君は、自分が『Xである』ということに気付いていない。仮に『Xである』ということに気付き、悩んだとしても、心の底から『Xである』ことをやめようとは思っていないので、ずっと『Xである』ままでしょう。それが君だ。」と。そこで、上記のキーワードが必要となるのだ。
 深い・・・。
 「ある物事についてあれこれ思いを巡らせても仕方がない。自分自身を知ることが最も大切なことだ。自分自身を知ったら、その知った自分をもって、人と接することだ。」という結論を、自分なりに出しました。

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Nコンの季節

 今年も、歌の力によって、子供達からエネルギーをもらう。こちらは一生懸命応援する。
 Nコン全国大会の観覧の応募について、8月下旬に詳細を発表するそうです。ピュアな子供たちの合唱には、本当に感動しますよ。
(参考)高等学校の部の課題曲:「僕が守る」

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本音ベースの気持ち

 「夏になんか乗ってられないよ。」、「夏になんか乗ったら馬鹿になるぞ。」と私に散々言っておきながら、今年はこの猛暑の中決行となったツーリング。いや、普段はこんな感じでいいのである。私にとっては唯一の車であり、真夏でも真冬でも、天気が良ければ意地でも乗る。ちっとも快適ではなく、面倒臭いのがたまらない。これは「趣味」と言っていいと思う。反復継続的に続けているものであり、かなりのエネルギーを注いでいる。これは「趣味」だ。
 とにかく暑かった。中禅寺湖の山の上の方は多少涼しかったが、下界は駄目だ。日差しが厳しすぎる。それでも意地になってオープンにして乗っていたのだが、気がつくと、両腕が大変なことになっていた。日焼けを通り越して火傷だ。40度のお湯が痛い。つくづく、自分は馬鹿だと思う。しかし、これでよいと思っている。自分がよければそれでよい。
 オジサマ方も、「暑い、暑い。」と言いながら、何だかんだ言って、楽しんでいるのである。そういえば、大御所のMさんは、「朝食ったか?」と言って、お手製のサンドイッチをくださいました。5:00AM集合だったから、何時に起床されたのだろうか。

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ROMANCE~百聞は一見に如かず~

 私にはあるトラウマがあって、いわゆる「球技」には親しんでこなかった。そのトラウマだけが原因ではなく、そもそも、スポーツよりも音楽の方に強く興味を持っていたということが大きいのだが、いずれにせよ、球技には興味を持たないで大人になった。そんな私も、昨年にゴルフを始めたわけだが、球技の最たるものである「野球」なんてものは、やはり興味がなかった。一方で、高校時代の仲間は、草野球チーム(ソフトボール)を結成し、もう10年近く活動しているのではないだろうか。球団名は「ROMANCE」。上記の通り、私は野球に興味がなく(というより、「どうせ自分には向かない」と諦めていた節もある)、1回も顔を出したことがなかった。
 ところが、何が私を駆り立てたのか分からないが、今回は「とりあえず観戦してみよう。」と思えたので、重い腰を上げて芝公園の球場へ向かった。ナイターだ。写真のように、東京タワーが見えて、木々の緑もあり、そこにいるだけで気持ちがよい。そして、ユニフォーム姿の友人たちが凛凛しく、頼もしい。プレイボールになると、観ているだけでもわくわくする。一方で、自分が勝手に思い込んでいたほど、皆が卓越した運動技術を持っているわけではない(失礼な話だが、友人達もそう言って私に参加を促してくれた)。「これならやれる!いや、自分もやってみたい!」。心の底からそう思えたのだ。
 やはり、百聞は一見に如かずだ。「思い込み」は自分の可能性を狭めることにつながる。しかし、今からでも遅くない。形から入る私は、早速ユニフォームを注文する。自分も次回はプレイする。こうして今後も自分の可能性を広げていくつもりだ。

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スタンバイ & いつでもできること

 「いざその時(=チャンス到来)」の力となるのは、心身ともに健康と基礎的知識である。ある意味、受験対策と同じかもしれない。変に応用問題ばかり手を出して基本がおろそかになれば合格できない。「食」や「情報」に関して言えば、世の中には、安かろう悪かろうのものが氾濫しすぎである。そんなものにはお金を出したくない。
 というわけで、「なるべく」、自炊と運動を心がけている。特に週末はコントロールしやすいので、自炊と運動。昨日から夜の30分のウォーキングを始め、今日で2日目だ。いつでもできることを、いつもやり続けるのは、自分との闘いである。最近つくづく思うのは、あらゆる事象が結局は「自分との闘い」に収斂していくということだ。っていうか、そうなる生き方を選んだのだから、当たり前なのかもしれないが。

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いい言葉①

 『行き詰まるから、新しいことができる。』
その通りかもしれない。ある先輩会計士S氏も、ある意味同様のことを仰っていたのを思い出した。不退転の決意で、崖っぷちに立てば、そこから脱するしかない。秋元康氏は、「壁は乗り越えるのではなく、壁に沿って走り続けろ。」と仰っていた。
行き詰まりはチャンスだ。

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Dream a little dream of me

 JAZZピアノの演奏技術習得に奮闘している。結局のところ、Codeを知っているかどうかだ。あとは、音の押さえ方のセンスだろうか。とりあえず、楽譜を見ないで、気に入った曲を繰り返し何度も何度も聴いて、自分の耳を基にCodeを探るのだ。夜中に練習することが多いのだが、Code進行に行き詰ると、殊のほかストレスが溜まる。夜中にそんなことをやっているのだから、暗いと言えば暗い。しかし、いつか、どこかのラウンジで演奏することを夢見て。
最近ハマっている曲は「Dream a little dream of me」です。PianoとVocalの主は、おそらくSingaporianの子供だと思うが、センスがよいのにびっくり。
歌詞も↓。
Stars shining bright above you
Night breezes seem to whisper I love you
Birds singing in the sycamore tree
Dream a little dream of me
Say nighty night and kiss me
Just hold me tight and tell me you’ll miss me
While I’m alone and blue as can be
Dream a little dream of me
Stars fading but I linger on dear
Still craving your kiss
I’m longing to linger til dawn dear
Just saying this
Sweet dreams til sunbeams find you
Sweet dreams that leave our worries behind
But in your dreams whatever they be
Dream a little dream of me
Sweet dreams til sunbeams find you
Sweet dreams that leave our worries behind
But in your dreams whatever they be
Dream a little dream of me

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Debussy, Claude Achille

 高校生の頃から大好きなドビュッシー。「月の光」がどうしても弾きたくて、数ヶ月かけて独学で練習し、弾けるようになった。心を込めて弾く月の光に、自分で弾いて自分で涙したこともあった。ところで、ドビュッシーの音楽は大好きだが、ドビュッシーの人となりは全く知らなかったことに気付いた。たまたま、いつも参加させて頂いているO氏のクラシック音楽講座でドビュッシーを取り上げると言うので、参加させて頂いた。時代背景、女性遍歴とともに、かなり勉強になった。ますます好きになりそうだ。
 1862年フランスの サン=ジェルマン=アン=レにて商家の長男として生まれた。家系に音楽家はなく、音楽教育は9歳の時(1871年)にポール・ヴェルレーヌの義母モテ・ド・フルールヴィル夫人から本格的に始まった。翌1872年、彼が10歳の時にパリ音楽院への入学が許され、13歳のころにはピアノコンクールで一等賞を獲るなど頭角を現す。1880年(18歳時)、パリ音楽院のピアノ伴奏クラスで一等賞を獲得し、チャイコフスキーのパトロンでもあったメック夫人のピアノ伴奏者となる。さらに声楽家モロー=サンティ夫人の伴奏者となり、さらにヴァニエ夫人と知り合って、一般教養や文学、歌曲に対し多大な影響を受ける。1884年22歳の時にカンタータ「放蕩息子」がローマ大賞を獲得し、翌1885年(23歳時)にイタリアへ留学。しかし、そこでの生活に飽きたために2年で帰国。
 その後次第に象徴派の詩人たちとの交流が深まる。1889年(27歳)、パリ万国博覧会で東洋の音楽に接し、衝撃を受ける。1894年「牧神の午後への前奏曲」を完成させ、印象派の扉を開く。1905年(43歳)、リリー・ドビュッシーと離婚し銀行家夫人エマ・バルダックと同棲、愛娘クロード=エマ(シューシュー)誕生。 1914年7月、第一次世界大戦勃発。1915年(53歳)、癌の手術を受ける。1918年3月25日(55歳)、直腸癌のため死去。11月に第一次世界大戦終結。
 ドビュッシーの音楽は、古い伝統的なスタイルの殻を破り、自由に光と影が綾なす色彩に音楽を開放した。このことは伝統的な、すなわちドイツからの影響を受けたものとは相反することとなった。次第にワーグナーに敵対心を持つようになり、後年勃発した第一次世界大戦により、彼のドイツ嫌いは決定的となった。1911年(49歳)にストラヴィンスキーに出会い、彼を含め後世に多大な影響を与え、今では現代音楽の始祖と呼ばれることを不動のものにしている。

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南会津で思う

 山肌にはまだ雪が残る南会津。なんとものどかな風景。ここがあの福島とは思えないのだから、なんとも複雑な心境である。
 本日は、車の愛好家達と、この南会津で農業を営んでいる同じく愛好家Iさんの自宅を訪ねた。5:00AMに蓮田SA(下)で待ち合わせだ。本来は5月1日の予定だったそうだが、あいにくその日は天候に恵まれず、本日になった。9:00PMには眠りにつき、2:30AMに起床した。自宅から蓮田SA(下)までは30分強。少し早めに起きたので、家事を一通り済ませた。
 愛好家の皆さんとツーリングに行くのは正月以来だ。最近は仕事が立て込んでおり、リラックスする機会がなかったので、とてもよい機会だ。なにより、愛好家の皆さんと車談義をしたり、冗談を言いながら過ごすのは楽しい。愛好家のみなさんには、いわゆる「一人親方」のような方が多く、多くを語らずとも勉強になることは多い。Iさん宅に到着すると、ありがたいことに、既にバーベキューの準備がしてあった。マトン、地元特製のタレ、地元の野菜等々。残念ながらビールは飲めないが、とにかくおいしくいただいた。
 思えば、ここは福島県。とくに被害のひどい浜通りとは状況が全く違い、のどかだ。どのように表現して良いかわからないが、この差は何なのだろうか。
 いずれにせよ、本日はリラックスさせて頂いた。ありがとうございました。

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歌の力

 Nコンの季節になった。10月の全国大会に向けて、日本全国の学校の合唱部が動き始める。小中高のカテゴリーがあるが、私は「課題曲」を基準にどのカテゴリーに応募するかを決める。昨年は、大塚愛作曲の「I ♥ ×××」が気に入り、「中学校の部」の全国大会を聴いた。今年は「高等学校の部」だ。銀色夏生作詞、上田真樹作曲の「僕が守る」に感動したからだ。
 一見クサい歌詞のように思えるが、何度も何度も聴いていると、東日本大震災に怯えるがいつか立ち直るであろう日本国・日本国民の姿と重なり、胸が熱くなったのだ。私には幼い頃のおぼろげな記憶がある。古き佳き日本の風景だ。現代よりも喜怒哀楽が激しく、他人同士でも喜怒哀楽をぶつけ、しかしながら思いやりのある社会だった。今が悪くて昔が良いなどという二元論ではなく、そんな単純な話ではないが、いずれにせよ、この歌を通して、一人でも多くの人が元気になれる、歌の力を信じている。

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桜からの伝言②

 晴天の土曜日。約2週間のモヤモヤを発散するかのように、銀座は人で溢れていた。人で溢れる銀座はそれはそれでよいのだが、少しまったりしたくなったので日本橋まで歩いた。この桜は日当たりの良かったのだろう。周りの桜よりも目立っていた。日当たりは睡眠のようなもの。御日様は大事なのである。

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桜からの伝言①

 飯田橋の某病院の帰りに、お濠沿いを歩いてみた。まもなく桜が開花しようとしている。石原都知事によれば「花見を自粛せよ。」とのことであり、その趣旨は分かるが、それはそれとして、やはり桜の開花には毎年奥深い何かを感じている。
 以前の記事で、故宮崎亦保禅師が仰っていたことを思い出す。人間には「頭」「心」があるので、シンプルに生きることは難しい。ある一時の感情によって、その後の行動が変わってしまうことがある。一方、自然はいつも淡々としている。写真の桜のように、時が来れば花を開き、自然界に彩りを添える。
 実は本日、事務所に同居している会計士に震災後初めて会った。2週間以上会っていなかったので、色々と話をしたが、それぞれ様々な思いがあることが分かった。会計士の中には、被災地で仕事をしている人もいる。我々東京在住の人間にとっては、被災地の状況は、おそらく想像を超えているのだろう。口では「被災地を支援したい。」とか簡単に言うことができるが、実際に行動するとなると、半端な気持ちではむしろ迷惑になる。
 今後とも、どのように活動していくかについては、冷静に考えていかねばならない。

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音楽と料理と休養

 本日は、午前中はドライブ兼お客様対応、15:00からクラシック音楽講座、19:00から友人のバースデイ・パーティという充実した日であった。午前中のお客様は、私の車でお世話になっており、お金を通じて、私は会計・税務サービスを提供し、お客様は私に車に関するサービスを提供するという、まさに物々交換の世界であり、私の思い描くビジネス・モデルの最初の成功事例と言っても過言ではない。
 15:00からのクラシック音楽講座の本日のお題はフランツ・リスト。リストといえば、「愛の夢」や「ラ・カンパネッラ」などの超絶技巧で有名だが、知って驚いたのは、リストは「職業的音楽家」として自立していたということであった。昔々音楽家といえば、貴族のサポートで成り立っていたのだが、講師によれば、リストは自らや他の音楽家のプロデュース能力に殊のほか長けており、晩年の貯蓄額は今でいう2億円超とのことであった。女性関係も色々あったとのことであり、見習うべき点は多い。ちなみに、このクラシック音楽講座の講師の方の会社についても私が税務顧問をさせて頂いており、公私ともにお世話になっている次第である。
 クラシック音楽講座には18:00までたっぷりと浸ったが、その後、19:00からのバースデイ・パーティの準備をした。ある女性が一人で黙々と餃子を作っていらしたので、これはまずいと思い、お手伝いをした。思えば、餃子を作るのは生まれて初めてである。まず、皮の上に具を乗せ、皮の周りを水で湿らせ、襞を作って皮をくっつける。最後に底面を作る。襞を作る加減がよくわからず、自分なりにやってみたところ、「芸術的な襞である。」と褒められたが、見た目はその女性が作った物の方が綺麗だ。いずれにせよ、餃子を作りながら思ったのは、料理をしている最中は無心になるということである。正直言って、今は休んでいる場合ではないくらいTO DOがたくさんある。しかし、自分を休ませることも必要だ。下手をすればエンドレスになるところ、やはり意識的に休養をとる必要がある。むしろ、忙しい時こそ休養を取った方がメリハリがついてよい。そんなことを考えながら餃子を作っていた。パーティも盛り上がり、他の6人の方全員とゆっくり話をすることができた。7人くらいがちょうどよいのかもしれない。
 ふと思った。元々は見ず知らずの人間たちが、何かの目的のために集まり、時間を共有する。いまここにいる人たちは、元々知らない人たちだった。それが、人と人との出会いを通じて知り合った。なんとすばらしいことか。

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幸福論⑥

 「幸福」はいわゆる幸福の顔をしていないことがある。渦中にいるその事象が、その時の自分にとってつらかったり、耳が痛かったり、悔しかったりしたとしても、後になって、「ああ、あの時あの事が起こってよかった。あの事がなければ今頃は・・・。」ということがある。
 子供の頃は、家や学校でガミガミ言われることが多々あるものだが、社会人になるとそのような機会は滅法少なくなる。基本的には、そのような機会はないと思っていた方がよかろう。「もう大人なんだから」ということもあるし、「自分のことは自分で責任をとる」ということが当たり前だからだ。
 この点、私の場合、人間的成長度合云々、言い悪いは別にして、ありがたく「指摘」してくれる方が多い。これまでを振り返れば、家族・先輩方・友人等の数々の「指摘」により成り立ってきたようなものだ。本当に感謝している。というのも、「指摘」する方は決して気分がよいわけではなく、エネルギーを費やしてくれているからだ。
 これも「幸福」の1つだと考えている。

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幸福論⑤

 久々に連続ドラマにはまっている。NHKの「四十九日のレシピ」という全4回のドラマだ。「家族」や「人とのふれあい」を通じで、「幸せ」とは何かを考えさせられる。人間の葛藤、後悔、八方塞の状況からどうやって前に進んでいくかについて、考えさせられる。ちなみに、主演女優の和久井映見さんの演技には目を見張るものがある。1970年生まれの彼女は今年41歳になる。以前から派手さはなく、どちらかというと控え目な印象だが、その卓越した演技力により、悩ましい状況にありながらも、芯のある、魅力的な女性を演じている。涙を流すと涙と一緒に体の有害物質が体外に出されると言われているが、このドラマを観た後は、心身ともに極めてすっきりした状態になる。
 さて、話は変わって、本日は、私の大学のゼミの後輩の会計士N君に仕事を手伝ってもらった。彼とは先月開催されたゼミのOB会で初めて出会い、同じく先月の別の会合で再会し、しばらく話をした。N君は人懐っこいというか、人としっかりと話のできる人間で、初めて出会った時から好印象を持っていた(変な意味ではなく)。直感的に、「こいつならいずれ大成する。」と感じたのだ。というのも、彼は誠実だからだ。小利口な者は結構いるが、誠実な者は多くはないと思う。私の個人的な考えだが、仕事は「愚直」なくらいがちょうどよい、というか、「愚直」であるべきだと考えている。例えば、コピー取り、入力、資料整理等々は単純作業だが、これらの単純作業をしっかりできないようでは、その先の難易度の高い仕事は誠実にはできない。単純作業を誠実にできないのは、「面倒くさい」という心があるからだ。「面倒くさい」という心がある以上、人の心を動かす仕事はできない。この点、N君は入力作業をしっかりこなしたし、不明点等を明らかにしている(いい加減に処理しない)。そして、本日のこうした状況を見ていたN会計士もN君に好印象をもったようだ。
 
 N君には何度か言った。「今はつらい状況かもしれないが、このつらい状況は必ず将来の糧になる。他の合格者でBig4に就職して働いているからといって、それが人生の成功とか幸福に必ずしも直結するわけではない。それよりも、いろんな人に出会い、いろんな経験をし、自分の良さを活かして生きていってください。」と。また、「N君のような方を雇えるよう、私も頑張って稼ぎます(笑)。」とも。
 明日もN君に仕事のお手伝いをお願いしている。

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日本の素晴らしさの一つ~海~

 マリーナのある某ベイサイド。本日はお日柄もよく、ランチの後に散歩をした。ふと海面を見ると、その透明度に驚いた。海の底が見えるのだ。船の行き来も多い。オイルまみれになってもよいはずなのだが、ここの海は素晴らしくきれいだ。
 ソーダ水の中を貨物船が通るような景色であった。

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珈琲を飲む器の色

 私の叔父・叔母は喫茶店を経営しており、幼い頃からよく出入りしていた。したがって、長い年季の結果もあり、珈琲を殊のほか好み、自宅や事務所では欠かせない。
 ワケあって、これまでは濃い茶色のマグカップで珈琲を飲んでいたのだが、どうもしっくりきていなかった。マグカップの色と珈琲の色とが同化し、珈琲の存在が明確ではない。そうすると味もいまいちだ。そういえば、以前、叔母が言っていた。「好みもあるけど、珈琲を飲む器はやっぱ白よね。」と。ここにヒントを得て、マグカップを替えてみた。ちょうど自宅にストックしておいたマグカップ(上写真)があったのだ。I県M市の京成百貨店で買い求めたもの。チェコ・ボヘミアのブルーオニオン・シリーズと言うらしい。ブルーオニオンとは、あざやかなコバルト色で描かれた玉ネギ模様のことで、16世紀に中国で生まれたザクロ模様が、18世紀のヨーロッパでロココ様式の影響を受け、人々のユーモアによって玉ネギ模様に変化したものだそうだ。器に描かれたすべての模様には東洋哲学に由来するといわれる意味があるとのこと。
 やはり、「大陸」のスケールは大きいですな。。。

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走行距離不明

 三連休最後の日はようやく晴れた。雪の日はそれはそれで趣があり、街ゆく人々にも温かさが感じられ、私はすきなのだが、如何せん、晴天の日でないと乗れない車に乗っているので、晴れの日の休日は待ち遠しい。
 そんなわけで、実家にいる甥の顔を見るのとドライブを兼ねて、I県M市に向けて車を飛ばした。風が強く、橋の上では風の洗礼を受けて多少は恐ろしい思いをしながら走った。最近思うのだが、高速道路における運転マナーがよろしくない。追い越し車線をトロトロと走っている車、後方の車間距離を確認せずに進路変更する車、車線を守らない車等々。自分の身は自分で守るしかない。
 ふとスピードメーターを見ると、走行距離が50,000km(性格には50,009km)を示していた。無論、純然たる50,000kmではない。一体、何十万50,000kmなのだろうか。1967年に生産されて以来44年。どれだけ走っているのか。走行距離は不明である。

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赤プリ


 ここ数日、父親が所用で赤プリに滞在していたので、昨晩は私も赤プリに宿泊した。残念なことに、日本の顔である赤プリは、この3月をもって閉館となる。非常に残念である。上写真は、プリンス通りに面している旧館である。旧館は1930年竣工の旧李王家邸を改装したものである。今朝、3階のポトマックで食事をしたのだが、席がまさに旧館の目の前だったので撮影した次第である。下写真は3747号室。37階からの眺めは絶景だ。
 最近は父親が頻繁に赤プリに宿泊するので、お互いに都合が付く限り、一緒に食事をし、そのまま私も宿泊することがある。今回も例によってそんな運びになったのだが、近い将来に無くなってしまうものについては、名残惜しさを感じるものだ。赤プリはもはや一企業のビジネスの範疇に収まらず、日本の顔であるという面があると思う。「無くなる時」が近付くと急に名残惜しくなる。今にして思えば、もっと収益に貢献しておくべきだった。そんな思いで、最近は、朝食に赤プリのパンを買い求めることが多い。
 赤プリよ、おつかれさまでした(まだ終わっていないが)。

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Piano

 写真は、高校時代からの友人IからいただいたRolandの電子ピアノである。彼が音大受験時代から使用していた非常に貴重なものなのだが、ピアノも防音室も新しいものに買い替えるとのことで、ありがたく頂戴することにした。
 私も以前は電子ピアノを持っていたのだが、ワケあってそれがなくなることになって久しかった。そんな折、本年正月に久々に友人Iに会い、この話が出た。「捨てる神あれば拾う神あり」とはまさしくこのことだ。ちょうど最近、ラッパの練習を再開したのだが、コードごとに音階をとりたいと思っていたし、これまでピアノで弾いた私のレパートリーを再び弾けるようになりたいと思っていたので、本当にありがたいことである。

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Wynton Marsalis

それでは、こちらをどうぞ。
こちらも。。。
ひとつおすすめですが、ヘッドホンを常備しておくといいですよ。PCで良い音で音楽等が聴けますし、耳栓にもなりますよ。

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Polka Dots And Moonbeams

 今まで聴いてきた「Polka Dots And Moonbeams 」の中で、Sarah Vaughanも大好きだけど、最近改めてはまっているのが、Chet Bakerの切ないプレイ。ちなみに、Donald Byrdもいい。
 喧嘩して前歯を折っちゃったり、麻薬にはまっちゃったりで、彼もいろいろ大変だったんだろうが、音楽にかける想いの強さを感じる。好みもあって、散々な言われようをする場合があるが、いいものはいい。
 「Polka Dots And Moonbeams 」を聴くと、切ない思い出が蘇る。大学生の時に好きだった女性にフラれ、夜に車を飛ばして海に行き、月明かりの下で、Sarah Vaughanの歌うこの曲を聴いたのだった。海に映る月明かりがしみじみ綺麗で、涙を誘う。現実的な女性はこんなことはしないだろう。男性はもろく、繊細なのだ。そして、おセンチなことをする自分に酔うのも男性だ。その辺を分かっている女性は魅力的だ。そういえば、元居た事務所の上司に連れられて、麻布十番のla pocheというBarに行った時、エダママにリクエストしてかけてもらったのもこの曲。とにかく、思い出の曲だ。

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クララ・シューマン

 本日は、日頃から大変お世話になっていて、私のメンター的存在でもあるO氏(私のお客様にもなって頂きました)のクラシック音楽講座に参加した。最近の私は、音楽を再び「趣味」と言えるものにすることに力を入れており、2ヶ月連続の参加であったが、本日のテーマはロベルト&クララ・シューマン、シューマン夫妻だ。写真は、まるでT川Kリステルのような面持ちの、クララ・シューマンだ。そもそも私のクラシック音楽の好みは、交響曲については金管楽器が華やかでダイナミックな曲、ピアノ曲についてはおセンチな曲、といったところで、シューマンはノーマーク。小さい頃にトロイメライをピアノで弾いた位の位置づけであった。
 ところが、ロベルト・シューマンはなかなかいい。綺麗な旋律なのだ。ところが、クララ・シューマンはもっといい。男性のロベルトよりもスケールが大きく感じられるし、旋律も美しい。特に、「4つの束の間の小品」。O氏によれば、19世紀前半は、女性が男性を差し置いて音楽で前面に出てくるような時代ではなかったそうだ。その時代背景の中でシューマン夫妻も例外ではなく、ロベルトはクララに対し、作曲活動をやめるよう指示をしたそうだ。といっても、クララはピアニストとしてヨーロッパを席巻するほどの名声をあげており、ロベルトの何倍も稼いでいたそうだ。
 私は正規の音楽教育を受けていないので、音楽は感覚で聴いているのだが、プロの音楽家に言わせれば、それでよいのだそうだ。Y売交響楽団でコントラバス奏者をやっている高校時代の後輩I君はそう言っていた。ただし、生の一流の音楽を聴けとも言っていた。その点本日は、ピアニストであるO氏の奥様の生演奏を聴けたのだから、素晴らしい。今後、ロベルトもさることながら、クララさんの作品を聴きこんでみようと思う。ちなみに、JAZZは西洋音楽とかアフリカ音楽とかラテン音楽が融合した音楽と称されるが、本日聴いたロベルト・シューマンの交響曲第1番の中で、「これはJAZZのアドリブにも使えるな。」というフレーズがあった。その点も非常に興味深い。

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たまにはバイクでも。

 本日午前中は、確定申告に必要な資料収集のため、S県K市にあるお客様を訪問した。すると、そこには、SUZUKI・コレダスクランブラーが佇んでいた。「スクランブラー」というのは、今で言えば「オフロードバイク」の事である。昔はオフロードというカテゴリーがなく不整地走行レース(草原、荒れ地、砂地)の事をスクランブルレースと呼んでいたことによる。 思えば、私が大学生の頃、Vespaに乗っていた友人に触発されて自分もバイクが欲しくなり、初めて購入したバイクが「スクランブラー」だった。私のバイクはSUZUKIではなく、HONDAのベンリィCL50だ。
 本日、久々にバイクに乗ってみたが、風を切って走る爽快さを味わうことができ、新鮮な気分になった。現在は愛車が愛車なのでバイクに乗るインセンティブがなく、バイクを所有してはいないが、バイクもいいものだ。スポーツカーよりも「乗馬」に近い感覚があり、男のロマンを感じる。
 もし将来、田舎に住むことになったら、間違いなくバイクに乗るだろう。

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ロング・コルネット

 コルネットには、ジャズ・吹奏楽で使われるアメリカ式のロング・コルネットと、英国式ブラスバンドで使われるショート・コルネットに分類される。ロング・コルネットはよりトランペットに近く明るい音色で、マウスピースの形状はトランペット用とほとんど同じものを用いる。ヤマハは以前はロング・コルネットを製造していたが現在はショート・コルネットを製造している。
 現在、トランペットをオーバーホールに出しているので、一時的にコルネットを吹いている。コルネットはトランペットと比べて唇により近いところに位置するため、アンブシュアを見直し調整するには、むしろ好都合かもしれない。おそらく、呼吸法とアンブシュアに問題があるためだと思うが、長年の癖で、高い音域を吹く時に、唇にかなり力が入ってしまい、唇が極めて固い状態になっている。これだと唇がうまく振動しないし、すぐにばててしまうことになる。アパチュアを大きめに調整し、腹に力を入れ、息が十分に楽器に入っていくように意識するようにしているのだが、長年の癖は非常に厄介である。
 いずれにせよ、すべてのキーのメジャー・スケール、リップスラーなどを練習しながら、徐々に唇の力を抜いていこうと考えている。

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母校、そして、再会

 今日は久々に友人と会うことになっていた。敢えて集合場所を母校のM一高にした。理由は、私もその友人も吹奏楽部に所属しており、久々に学校の教室で楽器を吹こうと考えたからだ。
 するとなんと、本日1月4日は、学校にとっても仕事初めの日であり、まだ始業はしていないものの、生徒達が部活動に精を出していたのだ。したがって、現役の生徒に会うことができたし、さらに、現役の生徒をたまたま指導しに来たOBの後輩にも会うことができた。彼は東京藝術大学を優秀な成績で卒業し、現在は某有名交響楽団に所属しているコントラバス奏者である。お互いに懐かしくなり話も弾むので、3人で食事をしてしばらく話をした。
 私の友人もプロのミュージシャン(ソプラノサックス、作曲、編曲等々)、上記の後輩もプロのコントラバス奏者と、なんとも芸術的な一日であった。さすが、音楽の話となると奥の深い話となり、ためになることばかりであった。彼らはいわゆる正規の音楽教育を受けているわけであり、一方で私はアマチュアの音楽愛好者であるが、彼らが言うには、いい演奏に触れることと(例 ドイツの作曲家の曲をドイツの教会で生で聴く等々)、いいものはいいと感じる純粋な気持ちが大切だ、とのことであった。
 さて、その後、友人とスタジオを借りて1時間セッションを行った。ジェイミーという、いわゆるカラオケでリズムセクションを流しながら、好きなように吹いた。私の場合、「こう吹きたい」というイメージはあるのだが、長いブランクのため演奏技術が極度に低下しているのと、コード進行についていけないのとで、思うように吹けない面もあったが、久々に楽器と向き合った気がした。なんでもそうだが、あとは地道な練習があるのみ。「Any Key OK!」の状態になれるよう、まずはメジャー・スケールの練習が必須のようだ。
 ちなみに、上写真は、母校に旧M城薬医門と愛車である。職員室から現在の吹奏楽部の顧問の先生がいらしたので軽く御挨拶をしたのだが、私の愛車を見るなり、「何をやっている方ですか?」と聞かれてしまった。「会計士です。」と答えたきり、会話は途絶えた。

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犬から学ぶこと

 ある程度躾のなされた犬を前提にするが、犬という動物は利口な動物である。犬ほど人間に懐く動物は他にはいないだろうし、一方で、動物としての御勤めもちゃんと果たす。写真の犬は、父親の友人宅の犬のゴンである。
 ちゃんと躾がなされ、ちゃんと散歩に連れて行ってもらえる犬は、全般的に御行儀がよい。毎日朝晩2回の散歩と1日1回の食事を前提とするならば、糞尿は散歩時のみ行うので、犬小屋の周りがきれいである。鎖に繋がれて犬小屋にいる時にもあまりストレスを感じていない様子である。15歳になるゴンは、毛並みも良く、散歩に行けばリードをぐいぐい引っ張り、しっかりマーキングをする。飯もよく食べる。一方で、ゴンは大変人懐っこい。総じて、感情の起伏がなく、精神状態が安定した犬である。
 人間はどうだろうか。なまじ頭がよいから、いろいろ考えてしまう。やるべきことをやり、精神状態をなるべく安定に保ち、毎日を淡々と過ごすことは、非常に難しいのではないだろうか。故宮崎亦保禅師は仰っていた。「死ぬ時が来たら死ねばええ。それまで平気で生きておればいいんや。」と。その「平気」というのが難しい。この点、犬は偉い。(餌という見返りを求めてはいるのだろうが)御主人様にいつも一定の愛情を注いでいる。
 犬と比べられたらたまらないかもしれないが、人間は時には犬からも学ぶところがあるように思える。

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新春ツーリング

 今年初のツーリングは、総勢20台のFairladyが千葉に終結した。見た目・音・匂い等々圧巻であり、参加者自身も吃驚するほどであった。
 今回のツーリングは、私を含む東京方面のクラブと千葉方面のクラブとが千葉で集結し、集結地・白浜間の数多くの峠道を往復する行程であった。部活のしごきの如く、極めて走り甲斐のあるものであり、帰宅した際には心身共に疲労困憊であった。さすがはスポーツカー。ゴルフの後の疲労感に似たものがある。お陰さまでトラブルもなく、全員無事に帰還した。
 ここまで走りこめば、スポーツカーに乗ること自体がスポーツである。常に五感を研ぎ澄ませ、緊張状態にある。水温計、油圧計、電流計をこまめにチェックしながら、音にも神経を使う。近年は、車には実用性が求められるので、スポーツカーという概念自体が理解されにくいと思うが、要は乗馬と同じであると考えて頂けばよい。要は、今日は、みんなで馬を走らせたのである。

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SR311の綺麗なバンパー

 形状の修理と再メッキが完了し、ようやく元の状態に戻ったリアのバンパー。昭和42年式のSR311のリアバンパーはもう手に入らないとのことなので、大事にしなければならない。
 思えば今年の8月上旬。あの頃の自分はどのような状態だったのだろうか。日々の生活はずっと同じ状態ではあり得ない。日々刻々と変化する。自分の気づかない所でも変化する。どのような状況になろうとも静かに受け入れ、特別なことをしようと思わない方がよい。何か特別なことをしても、気晴らしの「きっかけ」にはなるが、気晴らし「そのもの」にはならない。本当の意味の気晴らしとは、とにかく、日々の生活を静かに受け入れることだ。ただ、気晴らしの「きっかけ」を求めること自体は否定しない。要は、何かに期待しすぎないことだ。

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楽しいラッパ②

 昨日から必ずラッパを吹くようにしている。いきなりフルマラソンができないのと同様、セッションで気持ち良くプレーするには、とにかくラッパを吹くしかない。この際、練習の形式はどうでもよい。トランペットという楽器は、自分の唇を振動させて自在に音を鳴らす楽器なので、唇に過度の負担をかけるわけにはいかない。いずれにせよ、まだ再開したばかりなので、あまり頭で考えすぎず、とにかく楽器になれることが重要だ。そして、練習が苦痛にならぬよう、楽しむ心が重要だ。
 本日の気付きは以下の通り。
 ①舌の移動により息のスピードが変化する。音域が変わる(舌の位置)
 ②上半身は力を抜いて腹で支えるのがよい(腹)
 ③上唇60%・下唇40%のイメージでマウスピースのリムに収まるのがよい(アパチュア)
 ④マウスピース周辺で小さくまとまるのではなく息を沢山入れて楽器を鳴らすのがよい(息の通り)
 ⑤とにかく唇に力を入れないこと。音域が変わっても唇に影響を及ぼさないこと(唇の柔軟性)
 ⑥状態がよければハイトーンは楽に出る。ハイトーンが出ない時は上記①から⑤を見直すこと
 ⑦状態がよければリップスラーは楽にできる。リップスラーが苦しい時は上記①から⑤を見直すこと
 ⑧楽器に溜まる唾の量で息の通り具合が分かる
 ⑨萎縮して小さくまとまらないこと
 ⑩今の自分に合ったマウスピースを探すといいかもしれない

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楽しいラッパ①

 とうとう第一歩を踏み出した。元住吉にあるラッパのS先生宅でレッスンを受けたのだ。
 普段は全くラッパを吹いていないので、レッスンを受けたと言っても散々な結果になった。Fから半音ずつ下がる32拍のロングトーンですらバテバテで、正直言って、悲しくなった。S先生も困ってしまっただろう。レッスンというものは、生徒が自分なりにちゃんと練習してから臨むものだ。さすがにレッスン直前は多少吹いたのだが、多少ではだめだ。申し訳なかったと思う。
 その代わり、以下のような基礎的なことを教わった。
 ①舌を上げる(吐く時のような感じで)
 ②上半身はリラックスする
 ③腹(臍の下のあたり)で息を吸う(→腹に力を入れる)
 ④最後に方で息を吸う
 ⑤楽器にもっと息を入れる
 ⑥アパチュアを大きくしてみる(調整してみる)
 ⑦ペンタトニックを12キーで練習してみる
 S先生の勧めもあり、早速、渋谷にあるトランペットステーションで、Emoのワウワウミュートを購入し、近所に迷惑にならないように吹いてみた。
 まあ、先は長そうだ。これはスポーツでも何でも同じことだが、「楽しめる」状態になるには、それなりの練習が必要だ。しかし、自分の思ったようにラッパを吹ける時の楽しさは知っている。なんとか頑張りたいと思う。

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June Christy

 ハスキーな歌声の女性ヴォーカルといえば、「June Chrsity」も忘れられない。とくに彼女の「How High The Moon」が好きだ。参考映像は、Nat King Coleがピアノ、Mel Tormeがドラムという、何とも豪華な顔ぶれだ。
 この参考映像のJune Christyは、堂々としていて、余裕が見られる。一瞬ロストしてしまいそうなくらいのグルーブ感だ。しかも笑顔が素敵だ。
 しかしまあ、なんで私はこんなにも、「古き佳きもの」が好きなのだろうか。。。

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Chris Conner

 折角土曜日に事務所に行ったのに、ほとんど仕事にならなかった。仕事が乗るようにと音楽をかけていたのだが、その音楽にはまってしまったのだ。久々に甘い曲が聴きたくなり、「Misty」を繰り返し聴いていたのだが、色々なアーティストのMistyが聴きたくなり、iTunesで買いまくった。
 改めてその良さを実感したのが、「Chris Conner」だ。ハスキーでいて、暖かく包み込むようなヴォイスだ。これは人の好みだが、女性ヴォーカルで、芯のあるハスキーな歌声が大好きだ。あと、常にビブラートをかけるのではなく、音をある程度伸ばした後に「語尾」にビブラートをかけるのが好きだ。なんとも「品格」がある。この好みはラッパも同様である。
 これは大変失礼な話だが、脂がのっている頃のChrisは美しい。当時のレストランで、当時の服装をして、当時の演奏を生で聴いてみたかった。

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自分の頭で考えて行動する。

 何事にも言えるのだが、自分の頭で考えて行動することは非常に重要だ。人間の文明がこれほどまでに発展を遂げてきたのは、やはり、オツムの賜物だ。受動的な教育を受け、受動的な社会に慣れてしまうと、人間が本来持っているオツムも錆びついてしまう。つい最近まで自分もそうだった。
 例えば、先日の記事に書いたように、今月からラッパのレッスンを始める。レッスンを始めるにあたり考えたのは、先生にとって最低限の礼儀を払うということだ。つまり、先生にすべてを委ねるという姿勢ではなく、基本的には自分で行動している中でそのアドバイスを頂くという姿勢でいることだ。簡単な例で言うと、歯医者に行く前に歯を磨くようなものか(よくわからないか・・・)。
 そんなわけで、今日も軽くラッパを吹いてみた。私が認識している一番の問題は、息が口から漏れるということ。つまり、息がラッパに効率よく入っていかないということだ。そこで今日は、アンブシュアを意識してみた。これまで、唇の真ん中にマウスピースが来るのがあるべきアンブシュアだと考えていたが、その考えを取っ払った。今日は、息が漏れているところにマウスピースの中心を敢えて持って行った。すると、なんだか、息の通りがよいような気がするのだ。試しに、ハイトーンを出してみた。「唇に力が入らないようにするために腹に力を入れる。」ということを意識してみたところ、ハイE♭が出た。まぐれもあるが。
 こんな風に、今日は、自分の頭で考えて行動してみた。時には思い込みを取っ払い、大胆な仮説に基づいて行動してみる。そして、その行動の結果を分析する。こんな感じでラッパを頑張ってみようと思う。

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Trumpet

 トランペット(英: Trumpet、伊: Tromba:トロンバ、独: Trompete:トロンペーテ)は、金管楽器の一種。略称は「Tp」「Trp」「ラッパ」「ペット」など。管の全長に対して円筒部分の割合が大きく、多くは長円状に巻かれ、その中ほどに3つ(稀に4つ)のピストン又はロータリー式のバルブを備える。この楽器の調性には様々なものが存在するが、最も一般的なのは変ロ調(B♭管)とハ調(C管)である。ハ調を除き、移調楽器である。3つ又は4つのピストンまたはロータリーを操作しつつ、息のスピードで音を変え、演奏する。
 写真は、約20年前に、今は亡き祖父に買って貰った、Vincent Bachの「Stradivarius Model 37」。まだまだ使える逸品だ。ちなみに、以下の事項は知らなかった。。。
 ヴィンセント・バック社は1918年にウィーン生まれのトランペット奏者ヴィンセント・バック(本名:ヴィンセント・シュローテンバッハ、Vincent Schrotenbach、1890年 – 1976年)によって設立された。創業当初はマウスピース製造を目的としていたが1924年にはトランペットを製造しはじめている。 この数年間でヴィンセント・バック社はアポロ (Apollo) 、ミネルバ (Minerva) 、マーキュリー (Mercury) 、メルセデス (Mercedes) 、ストラディバリウス (Stradivarius) などのブランド名でトランペット、コルネット、フリューゲルホルン、トロンボーンを製造した。しかし1961年にセルマーUSA社に買収され傘下となり、ヴィンセント・バックは辞任した。買収後もヴィンセント・バック社の楽器設計は維持され、バック・ストラディバリウス(Bach Stradivarius)の名で販売されている。全米自動車労働組合364地域の呼びかけで、2006年4月から2009年現在、3年以上の期間、従業員がストライキを続けている。しかしながら、製造、供給は継続されている。

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再開・再会

 歳を重ねるにつれ、いかに自らの生活を自らが充実させるかを考えるようになる。決して「隙間症候群」ではないのだが、「三脚」は足が3本あるから安定するように、自分にとっても「人(生活)」「仕事」と、より充実した「教養」が欲しいところだった。「三人寄れば文殊の知恵」と言うように、より精神的に安定するには、2つの点を結ぶだけではなく、あともう1点を加えて「面」にすることが重要である。
 このような時、「自分に足りないもの」を探してはいけない。「あれがない、これがない」と言っていては、いつまでたっても「足りる」ことはないだろう。先輩会計士のN会計士がいいことを言った。「足るを知る」ということだ。そうしてみると、自分は音楽が趣味だ。以前はトランペットとピアノをやっていた。しかし今はピアノを失ってしまった。残るのはトランペットだ。中学生の時に今は亡き祖父に買ってもらったトランペット。これしかない。
 早速トランペットを再開すべく、まずは、レッスンを受けることにした。ネットでさんざん探したがめぼしい先生は見つからない。そこで、高校時代からの友人のJAZZ SaxミュージシャンのI氏に連絡し、誰か紹介してくれるようお願いしたところ、なんと、共通の知人であるJAZZ TrumpetミュージシャンS氏の名前が挙がった(写真)。彼は私が大学のJAZZ研で活動していた時の先輩である。数年間サラリーマンをした後、プロとして独立した。彼はとにかくトランペットが好きだ。研究と練習を重ね、彼が大学2年生の時にはすでに、素晴らしいアドリブを披露していた。早速彼に連絡しレッスンをお願いしたところ、なんと、快諾してくれたのだ。思い立ってから行動に移すまで約3ヶ月かかった。こんな感じで時が過ぎてゆくのだから、第一歩を踏み出すことがいかに大切なことか。
 早速今月に第1回目のレッスンがある。現在の私はかなりブランクがあるため、アンブシュアから始まる基礎的なことからやらなきゃだめだ。一方で、わたしは、小学生の頃からトランペットをやっており、その楽しさはよくわかっている。トランペットを通じて人に何かを伝え、それが伝わった時の感動は、何物にも代えがたい。そんな状態に必ず持っていくつもりだ。たとえが悪いが、チェット・ベイカーは喧嘩や麻薬の影響ですべての歯を失っても、謎の転落死をするまで死ぬまでトランペットを続けていた。何かを伝え続けていたのだろう。
 さあ、はじめよう。いま自分にあるものからはじめよう。

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「至誠一貫」・「堅忍力行」~誇り~


 
 画像は我が母校の校是である。最後の将軍・徳川慶喜揮毫である。しかしながら、第二次世界大戦の空襲で焼失してしまったそうだ。「至誠一貫」とは、「誠実に生きる」ということであろう。孟子の「至誠にして動かざる者は、未だ之れあらざるなり。」からきている。
 徳川慶喜は、天保8(1837)年、水戸家・徳川斉昭の7男として江戸小石川に生れ、翌年より幼少時を水戸で過ごす。父斉昭が天保12年に創建した藩校・水戸弘道館にて11才まで学ぶ。慶応2(1866)年、第15代将軍宣下。翌年大政奉還を上表、将軍職を辞す。慶応4(1868=明治元)年4月、江戸城無血開城。同時に水戸に退去、弘道館・至善堂にて謹慎。
 ちなみに、もうひとつ校是がある。それは「堅忍力行」だ。「強い意志をもって困難を耐え忍び、努力して実行すること。」だ。これも素晴らしい。困難が伴うであろうが、自分に対しても他人に対しても、「至誠一貫」と「堅忍力行」を意識していれば、充実した人生が送れるであろう。

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S文庫

 私のお気に入りの場所がある。故S元水戸市長のメモリアル・プライベート図書館である。彼は政治のみならず、芸術にも造詣が深く、度々小澤征爾氏等の一流の音楽家が訪れてはコンサートを開いているようだ。彼の蔵書とCD等は半端ない数だ。水戸市の中心から少し離れたところにポツンと、モダンな建物と庭があり、静寂だ。隠れ家的な場所だと思っていたが、最近は認知度が格段に上がったのか、学生たちの自習室的側面が強いのが少し残念だ。ただ、将来の水戸市・茨城県を背負っていく学生たちが一生懸命勉強しているのだから、ある意味望ましいことだ。
 思えば、ここで公認会計士第三次試験の勉強をしたものだ。強引に1カ月以上の休暇を取り、実家に寄生(敢えてこの字)しながら毎日ここで勉強をしていた。興味深い再開もあった。高校生時代の親友のIと再開した。Iは病気を患いながらも、司法試験の勉強を孤独に続けていたのだ。Iは大学卒業後もしばらく東京で司法試験の勉強を続けていたのだが、病気を患ってからは実家に帰り、このS文庫で勉強していたのだ。結局彼は司法試験を断念したのだが、現在はたくましく東京で生きている。最近一児の父になり、先月は私の慰労を兼ねてゴルフに行った。友達はいいものだ。
 そんなことをふと思い出しながら、今はセミナーの資料を作っている。

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